どこ吹く風

旅のことを主に書く。

ことば

2008年06月21日 09時54分57秒 | ミステリーツアー
 ミステリーツアーのことを思い出しながら書いたが、今回の旅行の大きな収穫は言葉です。
中国語会話の勉強を始めて3年を超える、習い始めの1年弱は教室に通った。週1回予習復習無しで授業を受けるのでなかなか身に付かない。ただ耳を通り過ぎるだけだった。それでもインターネットを利用しての独習は続けた。
昨年は西安へ語学研修という名目で4週間滞在したけど”話す”ということは全くできずに、漢語をしゃべれない聞けないということを認識して帰った。それでも続けることは大切で今回は数単語とはいえ口から言葉が出て伝えることができて返事をもらえた。

 使った言葉は、「いくら?」「高い、安くして!」「○個買うので○○元にして」この程度のことです。答えの予想が付くので簡単といえばカンタンだが、相手が反応してくれたのが嬉しい。数字については若い頃麻雀で遊んだので聞き取れる。
ミヤゲ品屋では、ツアー客が連れ込まれるミヤゲ品屋は店員さんが日語を僅かとはいえ話せるので返事は日本語で返って来る、それも聞きもしない説明を加えて。
私は街の売り子さんから返事を貰ったのでホントに通じたのだ。

 また今回のツアーではガイドアシスタントー実はアシスタント兼写真撮影担当で帰路の空港へ向かうバスで各人をアルバム風に纏めて売っていた。-の20だいの女性は日本語ができたので大いに利用した。こちらはお客さんという立場だし、年寄りでもあるので少々のことはガマンしてもらえるだろうと踏んで「これは何と読むの?」とか、勝手に読んで訂正してもらったりと楽しみながら勉強した。
また小さな孫を二人連れているので孫をダシにして場面も度々あった。他の客よりも多いサービスを受けたのは確かだ。

 石の上にも三年、ようやく言葉のやり取りができたので、これからの勉強の励みになる。店の人とのやり取りを中国語を全く知らない人が聞いたら、私がしゃべれるように見えるだろう。しかし実情は先ほど述べたとおり二三のセンテンスを知っているだけです。これからも会話の勉強を続けて語彙を増やし、個人旅行で動き回れるようになりたいものです。先は長いけど残りの人生も同じように長い、ゆっくりでも進もう。

写真は内村鑑三像と可愛いアシスタント

豫園商城

2008年06月20日 15時58分44秒 | ミステリーツアー
 豫園に心残りはするもののガイドの後を追って出て雑踏の中を歩いた。ほどなく大きな広場に出た。周囲の建物は黒い瓦の反り返った屋根に壁は真っ白に塗られ、回廊の欄干や窓は中国独特の模様がデザインされて嵌め込まれている。見慣れない景色が広場を囲んでいる、誰かが「先と千尋の神隠し」のイメージの元になった場所だと言う、納得できる。壁は城だけでなくエンジ色というか緋色の板壁も多い。

 この広場で4時半に再集合ということで自由行動となった。この界隈唯一のスターバックスを目印として記憶しておけば迷うことは無いと念を押された。国内からの観光客も多く賑わっている。きっと仕掛け人が居て街全体のイメージを統一したのだろう。どの程度の広さか、何があるのか分からないまま歩き始める。どの店に行きたいとか何を買うという目的が無いので足の向いた通りを歩く。
軒下に置かれた象さんの像があるので孫をその背中に乗せて写真を撮る。中国人の家族も順番待ちで並んだ、国は違えど子供のへのサービスは似たり寄ったり。

 通りの真ん中に屋台を置いてミヤゲ品を売っている、女性の売り子が中国独楽ーコマは陀螺tuoluoというーを売っている。直径が10cmで巾というか長さが15cmほどのプラスチック製である。赤と黄色の配色が安っぽいけどもう一人の孫のオミヤゲには最適だ。値段を聞くと25元と言う。2個買うので40元にしてと交渉すると45元という。シマッタ30元といえばよかったとハンセイしつつ45元で2個買った。
一応習い覚えた中国語での交渉です、たった2種類のセンテンスだが通じたことが嬉しかった。

 ひと区画歩いたところで大雨に降られ近くの店に逃げ込む、どの店も雨を避ける観光客でいっぱいになった。小降りになったところで軒下を伝いながらスターバックスまで行く。案の定大勢の客、雨宿りの人で通路まで人で溢れている。スターバックスだからか西洋人が多い。雨はかなり降っている、上海の空はスモッグなのか雨雲なのか判別しにくい、ワイタンで空気が重い感じがしたけど湿気の所為だったのかな。

 集合時間になったので広場へ出ると皆さんは既に集まっていた。バスが待っている場所まで10分ほど歩かねばならない、傘はバスの中、傘売りもいるが買う気にならない。ケチな性格がもろに出て、水を含んだ粒子が目に見えるのじゃないかと思われるほどの空気の中を早足で歩いた。

 この一帯はもっと歩きたかった。私としては昨日の若者の街新天地よりもここ豫園商城が楽しい。食べ物オミヤゲ風景それにそれに物の価格ともここの方がいい。雰囲気も将に中国だ。
それにしても豫園、市場とも心ゆくまで観賞できず消化不良状態で終わってしまったはザンネンだ。

 今夜はナイトクルーズがオプションで予定されていたが、この天候が影響したのか何の案内も無かった。
夕食後ホテルへ戻り上海・蘇州の旅は終わった。

豫園

2008年06月19日 12時10分11秒 | ミステリーツアー
 魯迅公園を抜けてほんの数分バスに乗り多倫路文化名人街へ行く。かつて日本人街があった地域を整備したようです。建物の外観や鋪道も落ち着いている、所々に銅像が建ち内村鑑三のもあった。和服姿だが着付けがしっくり来ない、きっと中国人の作だろう。時間が早いのかオープンしている店が少なく人通りも無い。街並みを楽しむのはこの程度の静けさがいい。

 通りを抜けたところでバスに乗った。上海というと必ず出てくる高層ビルが遠くに見える、実際は近いのかもしれないが霞かスモッグが掛かっているのでぼやけている。川を渡ると見覚えのある公園の横に出た。その界隈は上海万博に向けた工事で雑然としている。そこからビル群を眺めてるのかと思っていたらお茶屋に連れ込まれた。
中国といえばお茶なので腹を括ってジャスミンからほろ苦いものまで味わう。二組に分かれて座ったので買う人もその割合で減る、でも素知らぬ顔で喉を潤しただけで席を立った、このようなときに孫の存在はありがたい。(笑)

 そろそろ食事時なのでレストランへ。小さなデパート風な建物の4Fへ行く、そこは宝石のをはじめ専門店が並ぶフロアでレストランへは更に階段で上がらねばならない構造であった。さすが華僑の母国だけのことはある、サービス精神が旺盛だ。
ミステリーツアー客は旅慣れた人が多い、しかし最低限のオミヤゲは誰しも必要なのでありがたいと言えばアリガタイ。私どもとしては超市(スーパー)に案内してもらうのがイチバン望ましいのだが、それはムリというものでしょうネ。

 昼食後豫園へ行く。バスを降りて公園を暫らく歩く、物売りが多い。この辺りは上海でも名高い地域なので観光客目当ての露店営業者が多いのだ。しつこいが”不要”と逃げる。
豫園は蘇州の留園と同じく往時の偉い人の私邸を整備したものである。留園よりも規模が大きい気がした。三大太湖石の一つもある、穴ポコだらけの石で香を焚くと穴を伝っていく様がおもしろいとか、雨で水が流れる様がおもしろいとかの説明があった。あなの数は72というが穴から穴へと煙や水が流れるたら風情もまた倍増するだろう。
屋根の上の守り神関羽や孔明、さらに張雲などは三国志を思い出させる。先が跳ね上がった屋根の上で知将は静かに遠くを見つめ、武将は矛を持ち馬で駆けている。

 塀の上を龍が這っているが足の爪が3本なのは四川省長を務めた主の格としては妥当なのか、琉球王でも3本爪なのに。
豫園の見学時間が短かった、写真撮影のポイントでは時間をかけたものの全体的には駆け足観光という感じだった。豫園はお寺じゃないので門前市とは言わないが門前市に相当する豫園商城のフリータイムを重視したのだろう。私も豫園なんて其処へ行って初めて知ったというのが実情なので、大袈裟に不満を言うほど想い入れがあるわけでも無い、しょうがないというところ。

 さすが中国、見るべきところ見て楽しいところが多すぎる。この次には・・・という希望に託すのみ。この次とは何時になるのやら。

魯迅公園

2008年06月18日 10時27分15秒 | ミステリーツアー
 上海雑技団の公演を見てホテルに着いたのが9時半ごろ、スーツケースをゴロゴロ押して部屋を確認してコンビニへ行きビールを買う。大瓶の青島ビールが3.3元で売っているしかし同じ銘柄の缶ビールは5元もするのは妙だ。壜ビールの口当たりは軽すぎるので翌日は壜を飲んだ後缶ビールを買いに行った。壜はアルコール度数が少ないのか或いは発泡酒の類なのか。
西安のマチヤ小で買えば地元産ビールは壜で1.7元で全国ブランドの青島が2元で買えた。地酒主義なので地元銘柄を飲んでいたので青島ビールがあのような軽いビールとは気づかなかった。私の味に対する感覚が狂っているのかもしれないけど、そのように感じた。

 実質的な最終日の3日目はまず魯迅公園へ行く。
中国の公園の風景そのもの、土曜日の朝ということもあろうがあちらこちらで輪になり踊る人たち、それを見ている大勢の人の輪、中国だ~。
回教徒の少数民族のグループが民族舞踊を踊っていた、中央アジアの系統のようだ、楽しそうに踊っている。ガイドはウズベキスタン人と説明していた。その隣では「魯迅公園老人之声歌唱団」の旗を掲げ、数字で表した楽譜を貼って歌を教えている。その又隣は二胡を奏でる人がいる。

 少し離れた広場では社交ダンスを大音量の曲に合わせて踊っている大集団が二グループ見える。ワルツのようだが中国式のスポーツダンス風。CBMやアップダウンもお構い無しのワルツで健康第一のダンスである。時間があれば私も列に加わったのに。
バドミントンに興じる人、また水で文字を書いている年配の方も二三おられる。実に様々なジャンルを楽しんでいる。中国の定年制は肉体労働者は60才で事務系が65才、女性はそれぞれ5才若く定年になると説明された。この人たちの多くは定年を迎えた人々とのこと。

 我が家の近くに公園があり幾つかのグループが活動しているようだが見に行ったことは無い。きっと似たようなことを楽しんでいるのだろう。そういえば昨年孫が泊まり朝からマクドナルドでハンバーグを食べたことがある。そのとき店に老人の男女数名が何か語り合っている。この時間に何故ご老人たちがファーストフードの店に居るのだろうかと疑問を覚えた。妻に問うと近くの公園で朝の日課を終えた人たちでしょうとのこと。なるほど納得、20年ぶりに孫を連れて朝マックとやらをしているのに、今どきの年寄りは私より遙かに進んでいる。
中国ほど賑やかではないにしても何処の年よりも似たようなものだ。

 傍から見る公園風景は楽しく微笑ましいものだが、自分の地元で参加しようとは思わない。まだまだ老人組の仲間入りはしないぞ、と思いつつ魯迅の銅像前で写真を撮り文人街へと進んだ。

上海雑技団

2008年06月17日 06時43分39秒 | ミステリーツアー
 出発前のこと、上海へ行くのだから雑技団は是非みたいものだ、もしツアーの企画に入っていなければ個人で行きたいものだと調べた。数年前のツアーは日程に組み込まれていて、90分間の演技中拍手の連続だったので、終わってみたら掌が赤くなっていた。今回もあの感動・オドロキをもう一度体現したかった。
 今回はオプションで見物が予定されていた。幼児は席を占めなければ無料ということなので膝に座らせることで3500円を浮かせた。子供は席に座ったら演舞する舞台が見えづらいので大人の膝上が良い。

 ツアー客19名の内オプションの雑技団見物をしたのは我が家族5名と仲良し友だち出申し込んでいるオバチャンたちの計7名、5席だけだった。ミステリーツアーに申し込む人たちが初めての海外旅行のハズが無い、前に見たという人が多かった。
この旅行が初めての海外旅行であるわけが無い、という言い方は彼方此方のツアーで聞かれる。トルコでも、こんな15日間のバスツアーそれもトルコを初めての海外旅行に選ぶの滅多に無いとの言葉に納得したものだ。オーロラを見に行った時も聞いた。

 雑技団は皿回しや中国独楽のような単純で誰にでもカンタンにできるものを高度な技術であっといわせるもの。また人間業とも思えないことをニコニコ笑顔を湛えながらいとも簡単にやってしまうなど思わず拍手したくなる。よくもここまで肉体を鍛え上げることができるものだ。
獅子舞、人間の極地といえるまで肉体を鍛え上げた二人組みの演技、女性4人組しなやかでバランスが要求される演技、皿回し、帽子、柔軟性抜群の女の子、自転車、独楽、マジックと様々な演技・演舞ー演武かなーがあり、最後のバイクはサーカスでよく見られる地球儀の中をバイクだクルクル走行するものがあった、1台、2台と球の中を走るバイクが5台まで増えた。息がピッタリと合わねばできない芸当です。
アッと言う間の90分でした。

 上海雑技団は数グループあり、演技場も何ヶ所かある。前回見た劇場とは違っていた、内容的には前回の方が上手かった気がする、二度目だから感激度が違ったのかもしれない。マジックは上海雑技団の名を出すにはチョット・・という内容であり、3段重ねた輪を飛びぬけるグループは素晴らしい演技ではあるが、決めのポーズがピタッと決まらない。ワザとは関係無いが惜しい、若者が空き地で踊っているヒップアップの随所で行なう決め方を学べばもっと格好が良いのに。

 それにしても上海雑技団は脅威の連続、興奮する場面の続出でした。また行く機会があったら、又見に行くでしょう。
場内撮影禁止だがガイドさんはフラッシュを焚かねば大丈夫でしょうと説明していた。それで遠慮がちに写したので上手く撮れませんでした。

新天地

2008年06月15日 09時20分37秒 | ミステリーツアー
 旅行先で胸にしている言葉は”元を取る”です。何処かに書いたと思うが、金と時間を掛けて旅行するのだからその分の収穫を得たいということです。それは風景を瞼に焼付け、それだけでは記憶に不安があるので写真に撮る。感動したこと感じた事はメモに残しブログに書いて、思い出すキッカケとして残しておくのです。
そのように考えているので、汽車やバスに乗っても眠気をガマンして窓の外を眺め続ける。何気ない風景でも発見するものがあるし、疑問が湧く光景に出会うと推測し憶測し果ては妄想まで発展するのも一つの楽しみになる。

 ある時妻や子供たちを前に”せっかく遠くまで出かけたのだから居眠りなどしないでシッカリ眺めなさい、元を取りなさい。”と注意したことがある。
すると「元を取る? 元とは何?、旅費も出さないでくっ付いて行くので初めから元なんて無いでしょう、元が無くて全部が子とか利子のくせに。」ときた。
まあ・・・それはそうだが、私の痛いところを付く返答が返ってきた。私の意図を曲解した返事だが黙らざるを得ない。これ以上この話を続けると薮蛇、元無しの子を無くすので止めた。(笑)
 
 それはさておき話を戻し、シルク工場を出て上海市内へ向かう。
新天地という場所で1時間ほどフリータイムになった。かつて(今もあるが)開南から平和通に下っていく左側に新天地市場があった。衣類を扱う店が密集していて安物の製品が山積みされていたので、新天地ブランドは安物というイメージがある。今では寂れてしまって人通りも疎らな感じがする。
ところが上海の新天地は将に新天地で、租界時代の建物の外観は残して店内はリニューアルされて小奇麗な店が並んでいる。気持ちの良い通りだ、ガイジンー私たちも其処ではガイジンになるけど、ヨーロッパ系の人を指すーの観光客が多くビ地元の若者も多かった。東京で言えばアオヤマかお台場というところか・・・実はそのような場所を知らないので比べられません。
ただビール一杯が50元もする街なのでウィンドショッピングのみにとどめる。3元で壜ビールが買えるのに50元も払えるか!

 ここ新天地は観光街とはいえ高すぎる。高いヤスイは個人差があるけど、写真の価格を見て高いと感じたなら私同様負け犬、痩せ犬の同類項です。(笑)

シルク工場

2008年06月13日 08時58分55秒 | ミステリーツアー
 夜中に幾度となく目が覚める、時計を持たないので何時になっているのか正確には分からないが真夜中というのを感覚的に感じる。旅に出ると時差の関係で寝苦しさを感じるけどこれほど眠れないのは初めてだ、時差も1時間しかないのに。

 昼食をとり12時半に上海へ出発した。
蘇州はシルクの産地ということだがシルク工場は上海の近くで見学する予定とのこと。見学イコールショッピングへの誘いだがしょうがない、安ツアーを受け入れる現地の旅行社は買物のマージンが無ければやっていけない。客としてもこの辺りは我慢のしどころ。

 ショッピングの前段に繭から糸を紡ぐ様子を見せる。女工さんの慣れた手つきに感心する。糸に紡がず繭を引っぱって両手で作る三角形の大きさほどに広げている、10枚重ねたものが一単位となる。次の部屋では繊維が絡み合ったこの小さな面を更に引き伸ばしてる。引き伸ばす時に均等に広がるわけではない、それは問題では無いようだ。
 次の工程は布団のサイズに広げて何枚も重ねている。あの細い糸を布団の厚さになるまで何枚重ねるのだろうか。

 ちょっと気になったので検索して調べると繭の平均的重量は0.5gとのこと。布団用の繭はツガイの繭と説明があったので、二匹分としても1gである。布団の価格表を見るとシングルの掛け布団が1000gとなっている。つまり概算で大きな繭1000個となる。たったこれだけの繭で作れるのかという感じがする。価格は380元とあるので意外に安い、ただし布団カバーは別料金。特大サイズでも780元しかしない、1枚欲しかったけど妻が乗り気じゃ無いようなので止めた。
糸を紡いだり織りの行程が無いので安いのだろう。

 シルク製品、衣類にアクセサリー類の販売コーナーもあるが興味が無いので外に出て孫の相手をした。これらの製品の価格は様々だがやはりシルクなのでケッコウなお値段でした。
シルク製品は珍しくないが布団の製造工程は初めてなので興味深く見物した。一つの繭が布団の大きさまで引っぱられても尚かつ面の形を保っている、一つの繭は1000mもの糸が引けるというので当然かもしれないけど、不思議だった。それに布団作りがあんなにカンタンとは思わなかった。また繭は綿花と違うので綿埃は全く無い。

 初めての経験はおもしろい、これならショッピングも許せる。(笑)

留園と寒山寺

2008年06月12日 09時55分50秒 | ミステリーツアー
 留園は劉という高級(?)官吏が建てた私邸で、その後人手に渡ったが劉という字と留が同じ音で、また客が留まるという意を込めて留園としたとの説明があった。門構えは質素に小さく作られ、導入部から前庭、中庭、メインの庭を回廊で繋ぎそれぞれの趣がある。もっとも説明を受けたので分かったのだけど。
家具調度品にも差があって客の軽重によって部屋を替えて応対してようだ。

 また太湖石という庭石も初めて知った。穴がポコポコ開いていて鍾乳洞のようにも見え、見方によっては穴居住居にも見える。形がおもしろい、造園業をしていた叔父が喜びそうな奇岩だ、庭に置くとたしかに良い景色になる。ここ留園の石は三大太湖石に数えられているそうだ。言われて見ると穴がリッパに形良く開いているように見える。

 往時の金持は書画骨董は元より自然を愛し趣味も豊で優雅な生活をしていたようだ。中国人に見られる金ピカと赤の色彩が見られない。そういえば蘇州の街全体が黒っぽい瓦と白い壁という雰囲気だった。

 次の目的地は寒山寺。楓橋夜泊の石碑の前でガイドアシスタントの可愛い子の後を追いながらうろ覚えのピンインを思い浮かべながら呟きました。本当は朗誦したかったのですが残念ながらそれは出来なかった。でも寒山寺はそれで満足、塔に登ったのも付け足しという気分。

 次は予定の虎丘へも行くと思ったら遙か離れた橋からの遠望と写真撮影だけだった、ちょっとガッカリ。写真を撮ったが斜塔は爪ほどにしか写っていない、それも霞(スモッグ?)の中。この程度のことならパンフレットに記載するなヨ、事前勉強をしたのだから。(笑)
 上海に戻る途中刺繍工場による、工場見学というより買物狙いなのは折込済み。製品は確かに素晴らしい、両面別柄の図案が織り込まれたものは驚きだ。技法といい出来上がりといい賞賛に値する。でも見るだけです、私たちの手が届くものではありません。これこそ分相応にミッグァチーしました。

 買物をしないので時間が余り店内のベンチでひと休み、ビールを飲んで時間を潰しました。缶ビールが10元なり。こんなに時間があるのだから虎丘へ行けば良いのに。
工場に付設されているレストランで昼食を取る。焼きソバ、焼きうどん、揚げソーメンにソーメン汁と麺類が多かった。高野豆腐と説明があったものはヤマトの高野豆腐と丸っきり違って美味しかった。

 蘇州いい街だもう一度行ってみたい。

初日 蘇州

2008年06月10日 13時50分58秒 | ミステリーツアー
 リッパな道路だが何故か揺れるバスで市内に入った、さすが中国自転車が多い。足でペダルを漕ぐ自転車もあるが電気自転車が多い、バイクと呼んでもいいように思えるがバイクはヘルメット着用が義務付けられており、電気自転車はノーヘルでもオーケーとのこと。二人乗りも見られたけどアレはバイクだったのかな、家族だろう子供との三人乗りもいる。

 夕食を取るためレストランへ寄る、おこげが珍しく美味しかった。入れ歯が正常ならもっと味わい深く食べられただろうに。美味しいけどピリからの料理があり妻と娘が悔しがっていた。旅だから気も大きくなりビールを頼む30元也、観光客から取りたい放題の気がしないでも無い。元々安ツアーなので受け入れる現地会社はこうしてバックマージンを得なければやってはおれないということでしょう。

 夜はオプションの運河巡りに参加する、一人3500円也。夜は夜で赴きもあるだろうけど、できることなら昼間乗りたかった。アーチの石門が一つあるいは三つ付いている石橋を潜り抜け古城の横にちょっとだけ上陸する。
城壁沿いに民家があり、城壁を壁として利用していたようだが今では全て撤去されている、こういう整備は国家権力が強大な中国ではスムーズ(?)、強圧的に進むのだろう。その様子を思わせる痕跡は夜の闇に隠されているのか全く感じられない。
独特の形をした橋は川面からケッコウな高さがある、太鼓橋ではなく階段が付いてる。その橋から城を眺め遠くの橋を見て又舟へ。

 次に船は本流から支流へと入った。両側に民家が立ち並び生活水路という感じだ。水路は縦横に通っている。川には建物の裏側が面しているので反対側には道路が通じているのだろう。
舟を下りた所はちょっとした賑わいのある通りでミヤゲ品屋や居酒屋風な店が並んでいる、建物の外観は統一されているので小奇麗だ。水郷の○○街というところか。
ホントに昼間歩きたかった。

 ホテル?(門の中に昌)門飯店は林彪の別邸跡だったそうだ。かつて毛沢東の片腕でナンバー2の地位にあった人だったが、ここで亡命計画を練ったのか・・
そんなにスゴイ施設では無いように思えた、近世に作られた建物だから。
検索してみると林彪の別邸は浙江賓館と出てくる。ミステリーツアーの募集の際に定員オーバーした客にHIS職員が3000円アップで同じツアー勧め、ホテルの格がこちらの方が上だと話していた。その人たちがワンランク上の林彪別邸に泊まったのか。

この件は深く考えずにミステリーとしておこう。

出発

2008年06月09日 15時35分28秒 | ミステリーツアー
 国際線のカウンター前に設けられたツアーデスクで手続を済ませて、まず昼食を取る。11:30集合で13:30発の飛行機なので機内食が出るのが2時頃になる、中途半端な時間だが腹に何か入れておくほうがいいだろう。

 出国手続のあと待合室へ行くと、申込の時に一緒だったメンバーと顔をあわせる。あの時結構長い間待っていたので四方山話をしたので何となく心安い。また4才と1才の孫が一緒なので垣根が低いのか他のメンバーとも直に打ち解けた。もう一組5才と小学5年生を連れた家族がいて、子供通しは仲良くなり、こちらの意向を無視して好き勝手に振る舞う
 予定通り6月5日(木)現地時間の14時過ぎに上海に到着した、勿論添乗員は付いていないので集合場所の出口まで自分たちで行く。団体・個人の出迎え人が大勢並びそれらしい人に声を掛けている。胸に掛けた目印のボールペンで分かるのだろう、担当のガイドが見つけるのと同じくらいに私もツアー名を見つけた。
幼児を含めて19名と人数確認してバスへ、蘇州へ直行するという。上海の空は晴れでもなし、そうかと言うて曇りでも無く霞みなのかスモッグなのか何かが掛かっている。空気が重く感じる、それに何か臭いもあるような無いような中途半端な感じは駐車場という場所だからか。

 蘇州まで車窓からの眺めは何の変哲の無い風景が続く。高速道路は穴ポコが空いている様には見えないけどバウンドが激しい。まるで強制的にスローダウンさせるための突起物が設置されているようだ。しかし運転手はスローダウンさせる様子は見られない、一体何が原因なのか。

 上海の街は超高層ビルと古い街並みというアンバランスな風景が混在している。郊外へ出れば高層住宅が立ち並ぶ、そのビルもやや古いビルは、ニッポン式に言えば公営アパートで最近建ったものはマンション風という感じだ。古いビルには窓から突き出た物干しが並んでいる、新しい建物は屋内に干し場があるのだろう。

 街外れの海側の上海浦東空港から蘇州へ行く間子供たちの相手をしながらの車窓観光なのでジックリ見る余裕がなかった。できるだけ風景を見るように心掛けているが今回はそれができない。特に変わった景色でなくとも想像して旅を楽しんできたが、その気持ちが薄れていたことを今ハンセイしている。

 記憶が薄れないうちにメモを見ながら記録していこう。

ミステリーツアー 出発前日

2008年06月04日 13時50分46秒 | ミステリーツアー
 上海に決まったミステリーツアーの出発は明日と迫った。行く先が決まったら検索して勉強しようと考えていたけど、寒山寺について調べただけ。出来れば”楓橋夜泊”を中国語で覚えたいものだとピンインをふって取り組む。シドロモドロで発音を試みるけど何かぎこちない。音声が聞きたいので探し捲くり、ふと思い付いたのが西安交通大学の金中先生のサイトだった。これまで二三の詩詞しか載っていないと思っていた。しかしそれは私の早とちりで、金先生の肉声は少ないけど別の項に百数十の詩詞朗誦があるページを見つけた。その中に楓橋夜泊がありました。
詩はピンインを付けて前回載せてあるので参考にしながら下記のサイトで聞いてください、漢詩の本来の響きが伝わってきます。

http://www.zhsc.net/Photo/scys/200802/2266.html
楓橋夜泊

 詩詞朗誦がこんなに沢山載っているとは夢にも思いませんでした、このページを見つけただけでもミステリーツアーの大きな成果です。”涼州詞”もあった、西安交大で金先生が吟じたのを聞いたのが始めてで、会話を教えてくださった女性教師も吟じた。実に素晴らしかった。感動しながら聞きいたあの日のことを思い出した。
ただ聞くには時間が掛かる、転送速度がやけに遅い。私の接続回線の問題かそれともあちらか、時間帯が悪いのかな。

 想い出に耽けり夢想を楽しんでいたら現実に呼び戻された、明日の出発なのに準備を全く手掛けていない。カメラとプリントアウトした資料と・・・お金も必要か。悠然と構えているだけではカアチャンに叱られる。
持ち物はコレとアレと口先だけでも出さねば役立たずと責められる。アタマの中を整理しておこう。着替え、カメラ、メモ帳と資料、メガネに細々したものもある例えば入れ歯保管容器など。時計はどうしよう、電池切れだが千円ほど掛けて持って行く必要はあるか。抜書きせねば漏れが出そうだ。

 忘れたものが出たときに「不思議だナ~入れたハズなのに。これこそ将にミステリーだ。」なんて事を言うたら妻や娘は、シャレにならないと冷たい視線を浴びせるだけだろう。
あたりまえか。

ミステリーツアー 場所決定

2008年05月30日 15時42分14秒 | ミステリーツアー
 ジーパンを買いにアウトレットモールへ出かけた。普段は衣類を含め全てアナタ任せにしているけど、試着して胴回りと脚の長さのサイズ確認しなければならないので本人も一緒に行かねばならない。マニラとかバンコクならジーパンなんて1500円では手に入るだろうにニッポンではアウトレット商品でも4300円もする。余所行きから仕事着までジーパンで済ませているのでこの程度の労はしょうがない。

 そこに旅行社のHISから携帯に電話が入った。”ミステリーツアーの行く先は上海で、燃料サーチャージ料金が1万8千なにがしと幼児の料金が・・・合計で9万・・円になります。”という連絡だった。「上海」と聞いたとき何かハズレた感じがした。申込の時後ろに並んだいたオバチャンが行く先はソウルだと自信ありげに話していたので、その言葉につられて私もソウルだと決め付けて、このツアーは焼肉を食べて南大門市場散策する気になっていた。それが上海となったので「え~っシャンハイ!」となってしまったのだ。

 あのオバチャンがソウルとした根拠は、募集広告が載った紙面には多数のツアー募集があった。しかしその中にミステリーツアーの出発日と重なる一般ツアーはソウルしかない、過去2回ミステリーツアーに参加したけど2回とも唯一一般募集の日と重なった場所だった、という論拠であった。過去の経験まで持ち出されたら反論のしようが無い。という訳で私たちもソウルと決めていたのだ。せっかく高信太郎著まんがハングル入門を探して再読し始めたところだったのに。

 しかし元々行く先は何処でもいいと申し込んだツアーだから、上海に決まったところで不満があるハズが無い。詳しい日程は未だ手にしていない、フリータイムがあるようなら考えよう。特に此処という場所は無いけど有名な上海雑技団は又見たい、もしかしてオプションかな。
行きたいところを考えるよりも日程表を見て行く先の予備知識を入れた方がいいだろう。漢詩の勉強でもしようか上海近郊なので定番どおり蘇州へも行くだろう。蘇州といえば寒山寺、単純な発想だがまず漢詩を一つ。

楓橋夜泊    feng1 qiao2 ye4 bo2
 張継 zhang1 ji4

月落烏啼霜満天
yue4 luo4 wu1 ti2 shuang1 man3 tian1

江楓漁火対愁眠
jiang1 feng1 yu2 huo3 dui4 chou2 mian2

姑蘇城外寒山寺
gu1 su1 cheng2 wai4 han2 shan1 si4

夜半鐘声到客船
ye4 ban4 zhong1 sheng1 dao4 ke4 chuan2

ミステリーツアー(何処?)

2008年05月10日 20時36分51秒 | ミステリーツアー
 さてこのミステリーツアーは何処に向かうのか、申込から帰ると妻に娘も加わって希望地やら憶測で話が盛り上がった。韓国だと断言したオバチャンの推測理由を話すと妙に納得し、韓国ツアーと呼ぶようになってしまった。

 10年ほど前に韓国へいったのもこの三人であった、今回はそれに二人の孫が加わった。あの時は友人がソウルに駐在員として滞在していたので、彼を頼って行った。ホテルも長期滞在している同じホテルを取ってもらい、私は彼の部屋に寝るということにして一室だけしか取らなかった。ダブルベッドに大人が三人寝るので窮屈だし、真ん中に寝ると暑くて布団を蹴っ飛ばし、両サイドの者はクーラーが寒いので布団を引っぱり揚げるというのを繰り返した。寝る位置を順番に交代したが同じ結果だった。

 ホテルは大門市場の近くで地下鉄の駅も近く便利な場所にあった。真夜中の市場を見に行き凄まじい熱気にビックリし、また銭湯感覚のサウナがあり低料金で垢すりまでやってもらった。1週間同じホテルに滞在し民族村まで汽車に乗って観光し、近郊の山にハイキングへ出かけ、焼肉にマッコリ参鶏湯と彼のおかげでソウルを堪能できた。

 行く前に高信太郎の「マンガで韓国語がしゃべれる」という本を買って付け刃的にひと言二言の韓国語と読み方を勉強した。娘と二人でソ・ウ・ルとかプ・ル・コ・ギとか駅の地名とか目に付く文字を声を出して読んでいたら、近くに居た人たちが間違いを直してくれたり、読めない字を親切丁寧に教えてくれた。
  
 韓国語はローマ字五十音表のように母音と子音の組み合わせなので、あのマンガ本を流し読みするだけで、読むだけなら半分ほど読めるようになる。ただ・・読めても意味が分からないので、しょうがない面はある。それでもただ読もうとする姿勢示すだけでも韓国の人に好意的に見られたことは確かだ。
あの頃少しは読めたのに今ではあ・い・う・え・おの母音さえ忘れてしまった、マンガ本を探し出してもう一度読み直そう。
ありがとうは何と言うたか・・?

 勝手に韓国と決め付けその気になっているけど、はたしてそうだろうか。

ミステリーツアー(申込)

2008年05月09日 15時50分06秒 | ミステリーツアー
 10時から受付開始ということなので8時半ごろ意気揚々と家を出て並びました。イチバンではないかと思っていたが甘かった、3番目でした。1番目の方は徹夜したらしい、夜中は旦那さんで朝奥さんと後退したとのこと、やはりヤマトゥンチューは心意気が違う。考えてみるに、HISは支店が2店舗ある上電話受付もあるので20名の募集人員は直ぐ埋まるでしょう、下手すると私もアウトかな。その方は子供も含めて4名、次の方は友人と行くので二人、こちらは娘ど孫を含めて5名なのでキビシイ状況だ。

 退屈しのぎに、何処へ行きたいですかと聞くと、上海へ行った、ソウルへは行ったばかり、私は1月に香港へ行って間もないと三者三様。ミステリーツアーなので出たとこ勝負場所には拘らない、その場を楽しもうという点では一致した。
9時になるとドアが開き係員が「時間になるまで今しばらくお待ち下さい。」と言いながら参考までに参加人員を尋ねて回った。その時点で6名に増えている。

 ちょっと間をおきチラシを配りながら「現時点で希望枠をオーバーしている、つきましては同じ内容のツアーが3000円アップで催される。ホテルがスタンダードからスーペリアに格上げされているので検討下さい。」なんて言う。
”商売が上手い!”と言うと苦笑いかテレ笑いをしていた。

 結局3番目に並んだ私までは29800円のツアーに申し込めた。早朝から並んでまで旅行したい人たちなので32800円にアップしても断る他人はいなかった。3000円、1日当たり千円で”行~かない”なんて断る勇気といういかアホさ加減というか、それは私にも無い。カアチャンに叱られるに決まっている。とはいえこの「3000円アップ」の提案を受けたときは携帯で連絡を入れました。やはり”行く気になっているのだから当たり前でしょう。”のひと言。

 行く先については直行便が飛んでいる曜日で類推できると調べたら、敵も然るもの、木曜日は香港、台湾、上海、ソウル全ての地域に飛んでいる。後から来て並んだ人たちも行く先についてアレコレと話題する。その中であるご婦人は韓国だと断言しその根拠を説明していたが納得できる面もある。なるほど考え方発想も色々だ。

 旅費も基本料金は払い込んだので4日間と短いけど孫共々楽しんできます。

ミステリーツアー

2008年05月07日 08時53分04秒 | ミステリーツアー
 新聞広告にミステリーツアー募集が載っている、4日間で29800円也。
航空燃料税が3~4千円をプラスしても安い。さて行く先は何処か、その場所が分からないのがミステリーツアーである。金額からして台湾・韓国・香港の何れかでしょう、直行便が飛んでいるから。

 申し込みが今週の金曜日10時となっている。先着20名が行けるのだが、妻は窓口のみで受け付けるのか、電話も可なのか、インターネットはどうなのか確認の必要があるという。確かに頷ける指摘だ。HISまで出かけて聞いてみよう。

 さて、行けると決まったわけではないけど申し込みをするというだけで気分がワクワクする。香港は行ったばかりなので別のところがいい、でも香港でもかまわない、見て廻ったというには程遠いから。
台湾、元宵節の模様をテレビで見たばかりなので来年は又塩水の爆竹を見に行こうかな、と久しぶりに台湾を意識したところだった。時期は丸っきりハズレだが台湾は故宮博物院を始め見る所は多いので悪くない。
韓国、一度しか行っていないのでーいやタイの帰りに半日寄ったので正確には二度かー又行きたいな。焼け落ちた南大門横の市場をブラブラして鶏参湯を食べて、マッコリ飲んでと楽しい事だらけ。

 場所は何処だろうがかまわない、何処へ行っても楽しく過ごせる。欲を言えば韓国、それも済州島へ行きたい。そこで美味しい海産物を食べたい。
しかし何処へ行くのだろうか・・

 詳しい話を聞きに窓口まで行ってみよう。