どこ吹く風

旅のことを主に書く。

ロータリー

2009年09月16日 09時25分29秒 | チロル~シャモニ
写真はゲンミ峠からマッターホルン遠望
小さくしか見えません、中央の黒い岩肌がそうです。誰もがマッターホルンと見るであろう左手の白い雪をかぶった真っ白な山はWeisshornです。

取って付けたように脈絡も無く思い出を書きます。

 私が住んでいるオキナワー方言ではウチナーと呼んでいるーはかつて米軍統治下にあったのでアメリカ式が様々な分野で入っていた。
お金は当時は1ドル=360円だったけどドルを使っていたし、車両の運行は右側通行だった。当然ハンドルは車の左側にあり、国産車(日本)も左ハンドル仕様だった。

 正式にニッポン人になって暫らくしてから左側通行に変更された。一夜にして右側通行から左側通行になるのですから混乱が起きるのは当たり前です。皆さんが外国へ行かれたときに感じる違和感が実生活で起きるのですからアタマの切り替えがタイヘンでした。

 当時は信号機のある交差点で、対面する信号が赤でも右折はできた。コンクリート製の三角の標識に、”turn right after full stop"と書かれて(コンクリート製なので彫られて)いた。完全停止して安全を確かめてから赤でも右折できた。今なら左折できるというところです。

 カルフォルニアの片田舎でのこと、信号の無い交差点は先着順に渡っていた。優先道路という概念はなく交差点に付くと自分は何番目、どの車の次に進むのだと確認して順番良く交差点を通過していた。
交通ルールは地域によってそれぞれ違って当たり前、土地土地のルールがある。規制ではなく如何にスムーズに車を捌くかが問題だろう。

 レンタカーでドロミテを回った時、あの地域は信号機が少ないのに気づいた。交差点はロータリー形式が多かった。ロータリーに入っている車が優先で、入いる車は左側から来る車両を確認してからロータリーに入る。最初は戸惑ったけどアレはアレでなかなか良いシステムだ、とくに田舎では有効だ。車は通らないのに信号待ちするのはアホくさい。ロータリーならそういうバカな目に会わずに済む。
しかし慣れないと自分の行きたいところで曲がれずもう一周することもある。またロータリーの中央部に車を停めてルートを地図で確認したこともあった。交差点は直交しているだけでなく、Y字型もあるので紛らわしいところではアタフタする。それでも田舎なので他車に迷惑かけることは少なかった。曲がり損ねてバックしたこともある、前進してもう一周回ればいいのだがほんの数メートルなので違反承知でバックした。田舎の通行量が少ない場所だったので許されるだろう。いやあの時フォーンを鳴らされたのだった。

 広いスペースをとるだろうけどロータリーは便利だと思う、特に田舎では。

アーレシュルフト

2009年08月27日 08時35分52秒 | チロル~シャモニ
 アルプスは深い山の連続なので渓谷が無数にあると思われる。今回の旅で初めて渓谷を歩いた。
せっかくスイスまで来たのだから、まず山の景色を楽しむのが順当でしょう。眺望の悪い谷間にもぐり込むのは勿体無いという意識がアタマのどこかにあった。今回はグリンデルワルトからグローセ・シャイデックをバスで越えてマイリンゲンに来たのでアーレシュルフト(Aareschlucht)へ行くことにした。ガイドブックによればシュルフトは渓谷という意味なのでアーレ渓谷というところか。

 マイリンゲンの駅前でバスを降りてミニトレインの駅へ行く、駅舎も何もなくチンチン電車の停留所のようなホームがあるだけ。車内でチケットを買う、9フラン。ほんの数分で東口に着いた、たったこれだけの距離を乗るだけで入場料込みとはいえ9フランは高いと思ったら、なんと入場料が5フランもしたので納得。

 すれ違がえないほど狭い桟道が川沿いに取り付けられている。上って来る人下る人が適当な場所で待ってすれ違う。写真を撮ろうとすると後に続いてくる人たち全てがストップしてしまう。それでちょっと広めの場所では写真撮影したい人が順番待ちをしている。もちろん私たちも待ちました。

 川は何の鉱物を溶かしているのか水色で、その水量は多く次第に狭まっていくにつれて流れが激しさを増しているように見える。対岸の岩壁手が届きそうになるほど狭い場所もある。当然其処は水が壁にぶつかり飛沫を上げているけど水位がそれほど上昇しているようには見えない。崖下に見えない水路もしくはトンネル状の水路があるのだろう、さもなくば水位は3~4倍にならねば計算が合わない。

 途中滝も落ちている、鉄パイプを切断した望遠鏡風なものがあり、それを覗くと滝の後退が分かるようになっている。単純だがおもしろい仕組みである。
初めて渓谷を歩いた、小さく短いけど岩と水が織成す渓谷の凄さ美しさが凝縮して存在するという感じでした。

 アーレシュルフトを見てマイリンゲンに戻ってくるまでに1時間半しか要しないので、ちょっと立ち寄るという軽い気持ちで行ける。
またマイリンゲンはその名のとおりメレンゲ発祥の地と読んだ覚えがある。街には名物のメレンゲが店の前に吊るされているので味見は如何!。

2009年08月26日 17時50分03秒 | チロル~シャモニ
 峠という言葉の響きが好い、我が島ウチナーに峠はあるのだろうか、あまり聞いた事が無い。ヤンバルの山は深いので道を切り開いて道を作るよりもサバニで行き来するのを選んだのだろう。

 初めてスイスへ行ったとき案内してくださった先輩が、フルカ峠を通りアンデルマットへ行きたいとポストバスの始発マイリンゲンまで行った。しかし時期が早やすぎて運行していなかった。その時アルプスは山を見るだけでなく峠を通るのも楽しみ方の一つだと学んだ。フルカ峠という名前も聞いたことがあるような無いようなその程度のものだった。
 それで峠に興味を持ち次ぎの機会にフルカ峠を通る計画を立てようとした。しかしポストバスの峠巡りは、”日”という漢字の中棒をフルカ峠とすると周囲をグルッと回るコースだ。フルカ峠が外れるのは残念だったけどそのコースに乗った。
マイリンゲンーグリムゼル峠ーヌフェネン峠ーアイロロ(昼食休憩)ーサンゴッタルド峠ーアンデルマットースーステン峠を通りマイリンゲンに戻る一日がかりのコースであった。今では整備されて車が通るがそれでも峠へは天まで届くのじゃないかと思えるほどの九十九折の道が続き、着いたらそこには池とホテルがあった。旅人はホッとしたことでしょう。

 今回はドロミテの峠道を幾度となく上り下りした。峠を越えて人・物が行き来した往時の苦労が車に乗っていても分かる。人間はエライものだと改めて感心する。
これまで通った峠はバスやレンタカーだったが、ゲンミ峠は下りだけだが歩いた。殆んどの峠みちは整備されて車両の通行ができるようになったのにゲンミ峠だけはその地形の所為か今でも昔のままだ。峠への両側の取っ付きのロープウェイが設置されているがその間は歩くしかない。物流のルートはとっくの昔に外れただろう。人の往来もレジャー客だけと思われる。ロイカバードとカンデルシュテックのロープウェイの中間にホテルが未だ営業していた。石造りの立派なホテルだった、営業が成り立つほどハイカーなのでレジャー客が多いのだろう。トイレを借りたのでお礼の意味もあり杏のパイを注文した、フワーッと口に優しく疲れを癒す味だった。断崖絶壁に作られた道を上ってきた人たちもこのホテル(Hotel Schwarenbach)でひと休みしたのだろうか。

 3時間のハイキングでカンデルシュテックへ下りるロープウェイ乗場に着いた。下りなのでこの時間で歩けたけど、逆コースなら・・逆なんて最初から考えなかったので旅程を立てるとき苦労したのだ。

 峠のイメージは上りだ。ましてや下りだけの峠なんてものは無い、それでも敢て私は下りだけを歩くのだ。
これまでに峠をバスや車で何ヶ所も越えた。それぞれ特徴があり景色も素晴らしい。峠巡りはアルプスの一つの楽しみ方である。

チロル

2009年08月25日 05時26分42秒 | チロル~シャモニ
 チロル~シャモニと名付けた今回の旅行のチロルは、通常チロルと呼ばれている地域のチロルとは少し違うチロルです。
私が行ったチロルは東チロルで、インスブルックのあるチロル州とは離れていて飛び地になっている。あの辺りは領土を取ったり取られたりの歴史があり、現在の国境線は第一次大戦後に定まったようで、私たちが見て回ったドロミテはかつては南チロルとしてオーストリーに属していたとのこと。

 サウンドofミュージックの世界はインスブルックに近いチロルで、東チロルはグロスクロックナー山が主な観光地である。その山と氷河を東と西から眺めたので1泊だけでドロミテへ移動した。それ故チロルと銘打ったもののチロルのごく一部に接しただけで、チロルを満喫したとは言いがたい。

 チロルの谷間は上から眺めると、山々に囲まれていながら開放的でなだらかな山すそに牧場が広がる。その牧場を木が守っているという感じで濃いグリーンの森や林が囲んでいる。谷の底まで明るい、谷間の暗さは微塵も無くのどかな風景だ。ヨーデルよりもジュリー・アンドリュースのラ~ら~ラララ ♪~が似合う。もちろん眺めている場所ではヤッーホーと叫びたくなる。

 ドロミテとの関連で東チロルに行くことにしたが、インスブルック周辺のチロルのほうが散策するには適した谷が多いように思える。次の機会があったらその方面を考えよう。そのときは車の運転をせずバスや汽車を使って眺めをたっぷり楽しもう。
チロルの谷は柔らかく優しい。

印象記 シャモニ

2009年08月24日 07時00分09秒 | チロル~シャモニ
 印象記は、前に書いたものと同じ内容の繰り返しの部分もあります。
今回の旅で感じたのはホテルや施設が改装・改築されて新しくなっていたことです。ホテルの床や壁が新築のようにきれいだった。観光で訪れた先々がきれいなので国中でいっせいに改装したのではないかとさえ感じた。この印象はスイスでもシャモニでも感じた。
 シャモニの駅前から広場に通じる道路、あそこは川の近くで狭くなり店が並んでいたはずだ。そこの道路が拡張されている、また脇道から広場への抜け道が広い道路になっていた。脇道があったのかどうか覚えていないけど、もし脇道が無ければ新設したのだろうか。あの道から広場へ見えなかったのに今回は見える、広い通りになっていた。
このように何処も彼処も整備したと思われる、それだけ観光に力を入れているということでしょう。

さてシャモニで感じた事だが、最大の目的であるエギュー・ド・ミディへ登るのは朝一番のロープウェイに乗るのがベストだ。お昼の間延びした光線ではなく、冷たく澄み切った空気の中にモンブランが鎮座している。東のほうにはスイスの山々が連なり独特な形ですぐ見分けが付くマッターホルンも見える。

 防寒愛策を充分にしていれば展望台に長く留まって居れるだろう。寒ければ階段室や廊下に逃げ込み、周辺の山に光が当たり始める様を時々覗きに出る。寒さに震えながら我慢して見る価値はある。
登る際はモンブランマルチパスを利用したほうが安上がりになる。今回36時間パスは無かったので2日券を買った、1日券からあるので日程に合わせて買えばいい。使い終わってチケットを返却すると3ユーロのデポジットが戻ってきます。
なお私はモンブランパスとかシャモニパスとか書いてしまったけど、正しいのはモンブランマルチパスのようです。

 このパスは周辺の山岳鉄道やロープウェイのフリーになるのでお得です。モーニングは降りてからホテルで食べました。もし滞在期間が短い方は、そのままエルブロンネまで往復するのがベターでしょう。朝食は上のレストランで自腹で食べるという事で。朝早い時間は空気が安定しているのでガスが湧かずに眺望が素晴らしいです。

各地にその地域のパスがあるようです。下記サイトを参考にしてください。そのときはスイスパスとの兼ね合いも頭に入れておくべきでしょう。

http://www.jibswiss.com/tickets-2009-02-osusume-pass.html#zmt-peak-pass
お薦め 各種パス

 夕食は前に(8月8日付)紹介した店ーLE FER A CEVALーでどうぞ。
フォンジュは通常二人前からの注文だが、ここは一人前から注文できた。フォンジュのワインも強くないので、スイスで懲りた人でも大丈夫です。

 写真はシャモニ街をひと回りするミニ列車です。たのしいですよ。

ドロミテの印象

2009年08月23日 07時09分53秒 | チロル~シャモニ
 旅行から帰ってはやひと月になる、妻のメモを頼りに記録を綴っていると道中のあれこれが思い出され、旅を二度楽しんでいる。

 一番印象に残ったのはドロミテである。ギザギザな頂にそれに連なる稜線もノコギリの刃のようである。それも垂直に近い角度で立っていて、高いはずなのに雪が無い。かさかさパサパサでしっとり感がない。スイスの山を早く見たいと感じるほどだった。しかし砂礫瓦礫の中からニョキッと切り立つ岩峰を眺めているとスイスの山とは違う風景に味が出てきた。

 目の前の岩山、遠くに見える山々が全て恐竜の背中や尻尾の連なりとなっている。岩峰の裾は砂礫瓦礫に埋められている、その下は草原から森林帯つづく。緑と岩山が色だけでなく風景としておもしろい。学生時代に剱岳のチンネに登ったことがある。上下半ともザイルの3~4ピッチしかなかった。目の前の岩壁は・・いたるところロッククライミングのルートだ。良いルートがあまりにもの多くあるので登る気を失うのじゃなかろうか。

 雪は被っていないが切り立った峰々が一塊となり、それらが幾つも幾つも重なり合っている。スイストは違う山の姿に魅了されるようになった。その所為でスイスに入った時受けたあの感動が薄らいでいた。それほどインパクトを与えるドロミテであった。
もう一度ドライブしたいものだ。

 ドロミテは地図を見て受ける印象よりも狭い地域です。車でただ走るだけならボルツアーノからドロミテ街道でコルティナ・ダンベッツオを抜け、ドビアンコからさらにオーストリーのリエンツまで行けるでしょう。この程度の距離感です。
それを3・4日かけて見て回ればゆったりのんびりの旅になります。時期によりますが宿の予約も必要ありません。行き当たりバッタリの旅でも1時間も走ればZimmerと書いた宿の看板を目にするでしょうから何処かに泊まれます。私はバカの高上がりで峠の宿・ホテルに泊まりました。

 走るルートは給油所で売っているMARCO・POLOの地図ー1/200000でチロル・ドロミテがA全の大きさ6ページに分割印刷され10ユーロ程度のものーで間に合わせた。もう少し詳しく本として綴られたものが見やすいかもしれない。
地図は現地で購入するとなると手元に地図が無い、事前学習ができないのでグーグルの地図を使った。しかし初めての場所は正確さよりも概念図が頭に入りやすい。ところが概念図はなかなか見つからず苦労しました。本編にも紹介しましたけど再掲します。ついでに参考になったサイトも。
 
http://yoshiokan.5.pro.tok2.com/doro/map.html
ドロミテ本街道の概念図

まずこの概念図を頭に入れてからグーグル地図で詳しく見ることを薦めます。この地図が無ければドロミテはチンプンカンプンのまま行き、それこそ迷走したことでしょう。

http://www.interq.or.jp/venus/yasano/travel/europaplz.html
Mittel Europa Platz

~ヨーロッパ週末ぷち旅行記 ふろむ オーストリア~

各地とも詳しく書かれていて参考になります。ただあまりにも簡略化された地図に最初は馴染めなかった。検索を繰り返し地名が分かるようになったら概略図が読めるようになりました。良いサイトです。

http://www.amy.hi-ho.ne.jp/k_akiyama/Alps/dolomiti/dolomiti.htm


http://snow-reports.net/abroad-cortina-1.html
スキーヤーのサイトです。コルチナ・ダンベッツオ周辺が詳しく書かれています。スキーとの縁はありませんが山や街の様子が分かり参考になりました。

行きたい地名で検索すると参考になるサイトは沢山でてくるので助かりました。私の記録が誰かの参考になれば嬉しい。

費用 (交通費 その三)

2009年08月22日 05時50分50秒 | チロル~シャモニ
リゾートホテルで泳いできました。ホテルの裏口は砂浜になっていて、部屋から水着で出入りできる。運天港に近いホテルは濃紺やエメラルドグリーンの海から押し寄せる白波の音がゆったり響いていた。
 為朝伝説のある今帰仁にあるホテルで孫ともどもピチャピチャ戯れてきました。

 さてスイスの纏めを続けます。主にロープウェイやケーブルカーの料金である交通費にスイスで91695円、シャモニで26837円使った。これらを加えて陸上交通費の総額は3名分で367932円のなった。
景色は高いところから見ると素晴らしくより感動を与えてくれる。その感動を得るための出費とはいえけっこうな金額になる。移動を除いたロープウェイ料金とケーブルカー料金だけを抜き出すと約15万円、一人当たりでは5万円になった。

 アルプスの風景を満喫する為の費用とはいえ数字を見ると大きな金額となる。しかし山の風景を楽しむのが目的の旅なので納得している。あの風景を思い出しても金を掛けすぎた~という気持ちは微塵も無い。
楽しい旅行でした。

 日程・旅費をExcelに一覧表として纏め終えたので、これからは時々思い出したことを書いていきます。

写真は薄く写っているブロッケンで、影の山はエギュー・ド・ミディです。

費用 (交通費 その二)

2009年08月19日 06時59分30秒 | チロル~シャモニ
チロル・ドロミテでのロープウェイ・ケーブルカー料金
 まえに書いたけどロープウェイ、リフト、ゴンドラは空中をロープに吊られた箱もしくは座椅子が移動するものと解釈しています。ではリフトとロープウェイにどのような違いがあるか・・分かりません、適当に使っています、大きな箱ー数十名乗れるのはロープウェイで数名の場合はリフト、リフトはスキーヤーが腰掛けて乗る椅子状の乗り物か。
 ケーブルカーは軌道上の乗物をロープで引っ張り上げ、あるいは下ろすものでいいのでしょうか。あまり深く考えないで下さい。

 アルプスを動き回るとロープウェイにけっこうな金を費やす。座っているだけでー立つほうが多いのだがー頂上まで登れる対価だと考えれば、まあ納得できないこともないけどやはり高い。

 6ヶ所のロープウェイに乗って216.4ユーロ(29.870円)支払っている、3名分の料金です。高い所へ続く鉄塔とワイヤーを見ると乗りたくなるのは人情、料金のことは頭から消え去る。はるばる来たのだからケチらずに目の下、目の前の景色を楽しみましょう。

一人当たりの往復料金(ユーロ)です。
氷河へのケーブルカー(8.8)、フランツヨーゼフヘーエで氷河に触れるために乗りました。ただし更に15分下らねば氷河に辿り着くません、地球温暖化による氷河の退行を実感できます。
カルス・アム・グロスグロックナー(19)、フランツ・ヨーゼフヘーエがグロスクロックナー山の東に位置し、ここは西側になります。マトライから登っても同じ展望台に着きます。
SassoLungoへ上るTeleCabine(14)、昨日の写真を見てください、珍しい二人乗りのキャビンです。動いている箱に飛び乗るのがおもしろい、さあ勇気を出して走れ~!
シッパイすると停めてくれます、そのときは途中で運行中の全てのキャビンも停まります。2・3回停まりました。
サッソ・ポルドイ(13)ドロミテ街道でいちばん有名な峠なので説明を省きます。
シウシ高原びゴンドラ(13)、シニアは11ユーロでした。15分間も景色が楽しめる。観光コースからやや外れた感じがするけど組み込みたい場所です。
シウシ高原のリフト(7)、片道は5ユーロです。乗らずに散策するだけでもいい。片道(当然上りです)だけのりました。

 この地域は初めてなので詳しく書きました。ドロミテはレンタカーで行き当たりバッタリ、自由気ままなドライブで動きたい。ドライバーは神経を使うが、より大きい楽しみを得られて帳消し、いやそれを上回る喜びを感じます。これらのロープウェイも車利用だからこそ乗れたと言えます。

ドロミテはドライブすべし。

写真はポルドイ峠と峠へ続く道

費用 (交通費 その一)

2009年08月18日 09時35分30秒 | チロル~シャモニ
 交通費もその内容は色々なので分類してみる。

航空運賃
エミレーツ航空を使ったのは、インターネットで調べた時点では一番安かったからです。表示金額は航空券のみであり、それにアレコレ諸費用がプラスされてこんなになるの、という感じがしたけどしょうがない。オキナワー関空は婿のマイルを利用させてもらったけど、費用の中に含めるとしたら一人3万円ほど加算になる。

航空券        276.000円
関西空港施設使用料   7.950円
燃料特別付加運賃 36240円
出入国税     11760円
合計金額   331.950円 (一人当たり 110650円)

一人は後から追加した形になったので15.000円高くなった、同時に申し込めば一人当たり5千円安くなっただろう。航空料金は同じ便でも価格差があり、例えば87000円の座席が30席、102000円の座席が50席というぐあいに設定されているようだ。つまり価格を上げれば席が確保できるということです。

スイスパス
スイス国内で移動する際の必須アイテムのスイスパスー3人で利用するのでセーバーパスになるけど、文中は両ほうを同じ意味で使っていますーは同じ旅行社を通して買った、15日間3人分で102300円。チューリッヒに入るならスイスで購入しただろうが、今回はチェルネッツという田舎町に入るうえ、汽車の待ち合わせ時間を考えると先に購入しておくべきだと判断した。手数料が5千円ほどかかったけど、止むを得ないと考えている。

 ただ日数の15日間は、結果的にはシャモニを含めて10日間しか使わなかった。レンタカーは1日早く返したので、日程を組みなおすことによって8日間のチケットにするということも考えられたかもしれない。全て結果論で、日程をフレキシブルにしたぶブラリ旅なのでこの程度のムダはヨシとすべきか。

レンタカー
出発間際になってインターネット経由で申し込んだが、結局返事が間に合わず現地申込となった。5割ほど高く付いたと思われる。もっと早めに申し込むべきだったとハンセイしています。それにレンタカーが借りられるかどうか分からず内心ヒヤヒヤものでした。
ザルツブルグでAB-ROADの看板を見つけて交渉したが3週間後と言われた、隣のHertzで借りられたので事なきを得たが事前に予約すべきだ。それにたまたま平日だったので良かった、日曜日は休業なので気を付けるべし。

ザルツブルグで借りインスブルックで返すということで6日間の料金が584.79ユーロ、78.124円でした。オーストリーとイタリアの両国を走るという事での契約だったが、特に何の注意も指示も無かった。

走行距離はおよそ750Kmで燃料費が6680円かかり、有料道路、高速料金は4ヶ所で8127円となり、車に関する費用の総合計は123.997円となった。

鉄道
 オーストリーとイタリアの鉄道に乗り、31067円支払った。オーストリーやイタリアの鉄道のことをもっと詳しく調べると上手い手が見つかったと思われる。
インターネットで検索し、時刻表を調べようとしたが何回も失敗し諦めた。料金についても然り。またのチャンスがあれば今度こそ上手い方法を見つけます。

 数字を纏めているとアラが見えてきた。以上挙げた数字だけでも数万円のムダが出ている気がする。又の機会があればもう少し精査しよう、なんて口先だけでもハンセイの弁を述べておきます。


写真は、サッソ・ルンゴ(SassoLungo)の二人乗りテレキャビンです、立ちっぱなしですが、小さく揺れるのでおもしろい。

費用のまとめ (宿泊費)

2009年08月17日 07時04分54秒 | チロル~シャモニ
 カード会社から請求書が届いた。宿泊費については全てカードで支払ったので、メモしたものと照合しながら纏めてみた。
15日の宿泊費合計は3人分で314.710円となった。端数は為替レートによるものです。峠・山岳ホテルは殆んど朝夕の2食付で一人当たりの平均金額は8.144円であった。そこには9泊している。食事内容特にディナーは雰囲気、内容ともに良く満足できるものであった。なお宿泊費にビールの料金が含まれているところもある。

 残りの6泊は朝食のみ付いていて街のホテルである、一人当たりの平均宿泊費は4.749円となり、計算するとディナーに3.700円掛かっていることが分かった。もっと詳しく見ると、ムオタス・ムラーユ(サンモリッツ郊外)とチェルマット地域は1万円以上になっている。有名な場所だけに宿泊費もそれなりに高い。
その他の峠・山岳ホテルは6~8千円足らずなので安い感じがした。特に安いと感じたホテルはシャモニのホテルイサベル、朝食のみだが3.300円/1泊は安い、場所も良いのであの料金なら絶対お得です。

一覧表にしたけど、腕前が悪く表が崩れて見にくいのはご容赦のほどを。3人分の料金です。
*印は朝食のみのホテル
宿泊地については細かく書くと分かりづらくなるので地域とご理解ください。

宿泊地      宿泊ホテル名     日円
6月29日 ザルツブルグ Evido Hotel (Salzburg) 15,573 *
6月30日 チロル  Kals am Grossglockn 9,847 *
7月1日 ドロミテ Rifugio Auronzo  20,105
7月2日 ドロミテ Hotel Antermoia     21,691
7月3日 ドロミテ Hotel Saboy (Vigo Di Fassa) 22,771
7月4日 インスブルック Hotel Sauker (Innsburuck) 21,882 *
7月5日 サンモリッツ Berghotel Muotta Muragl 33,562
7月6日 チェルマット Hotel Riffelberg 31,809
7月7日 チェルマット Hotel Schwarzsee 30,300
7月8日 シャモニ Pointe Isabelle     19,787 *
7月9日 シャモニ Pointe Isabelle
7月10日 ゲンミ峠 Berghotel Wildetrubel 19,183
7月11日 グリンデルワルドFirst Gastro AG     34.851
7月12日 グリンデルワルドSberghotel Schynige Platte24,808
7月13日 ルチェルン Hotel Alpina     18,393
     宿泊費総額    314.710

ルチェルン

2009年08月16日 07時38分05秒 | チロル~シャモニ
夜中大雨が降り朝になっても落ちている、ホテルの前は塵芥集積場となっていて背丈ほどの箱が並んでいる。それを専用の収集車がガタンガガガーと積んでいく音が建物に反射してうるさい。

 朝食は近くのホテルで食べる、こちらのホテルが格が数段上なので気持ちよく腹いっぱい食べた。クロワッサンは何処で食べても美味しく感じる、ヨーグルトは甘いイチゴのと混ぜて彩りもいい。もちろんコーヒーも飲む。
ところでニッポンならディナーの最後にコーヒーかティーがつくのが一般的だ。ところがここではディナーはアルコール飲料と決まっているようで、コーヒーは朝しか付かない。
 ルチェルンは今回で3回目の来訪となる。しかしカルベ橋以外見ていない。そこで旧市街まで行こうとゼー橋を渡った。湖沿いに歩くと正面にホーフ教会が見えた、時間がないのでせめて教会だけでも見ておこうかと道を渡る、すると其処にスイスナイフを展示した店があったので中に入る。
高級なオミヤゲ品屋という雰囲気だが小物やTシャツもある。妻のこの旅の大義名分はスイスナイフを買うということでもある。最初の年に買ったものを香港の空港で取り上げられてからというもの、折々に”スイスへ行って買う”と喚いていたのだ。チェルマットでは店が閉まっていたし、別のところでは気に入ったものが無かったので空港で買うという事でなだめていた。また「買えなければもう一度来ればいいさ」と逆なでする発言をして笑っていた。

 そのナイフがあった、ついでに私のも買った。今持っている物はナイフの他に鋏にドライバー、コルクの栓抜きまで拾幾つかが詰まっている。不要なものが多くそれに重いのでシンプルな機能だけのが欲しかったのだ。それに目に見える形での自分用のスイス土産も欲しかった。

 その店で時間を費やしてしまって教会を見る時間がなくなってしまった。帰り道カルベ橋の袂に出店が並んでいる、朝市だ。花、果物、野菜がカラフルに並んでいる。どこの朝市の風景も見るだけで楽しくなる。サクランボを5フラン分買う、500g4フランなのでけっこうな量になった。

 11時10分二階建ての汽車にてチューリッヒへ発った。高い車窓から眺めはいい、サクランボを頬張りながら旅程のメモを整理した。1時間でチューリッヒ空港駅に着いた、ロイクで送ったスーツケースを受取る。柱の陰で人目を憚らず広げオミヤゲや持ち物を詰めなおす。ついでに着替えもした。

 荷物の整理ができたところでチェックインし、あとは飛行機に乗るだけとなった。
チロルからドロミテをうろうろし、シャモニもスイスも中味の濃い旅をした。これは3回目という慣れと”ナンクルないさ”という横着さからくる自信があったからできたのだ。言葉は義妹が担当し何事も無く済んだ。一番大きな問題旅費に関しては、これまた同行させて頂いたお二人の寛大な心に負うものである。行き残したところは次という機会があることを祈るのみ。

 免税店で酒を買う予定だが、ドバイで乗換がある。トランスファーなら荷物検査が無い筈だが万が一という事もあるので買うのを止めた、これは正解でチューリッヒで買っていたらドバイで没収されるところだった。ドバイの陰謀じゃないかな。

 最後のビールを飲む、冷たい黒ビールを注文する、二杯目となると顔は若干赤くなる、腹の中は黒く染まったか。
また来れるように腹黒く画策しようか・・・(笑)

クライネ・シャイデック

2009年08月15日 07時13分21秒 | チロル~シャモニ
12時36分ミューレン駅からグルッチュアルプへの汽車に乗り、ロープウェイに乗り換えてラウターブルンネンに戻ったのは12時56分であった。真昼間からビールを飲むのも旅だから許される。
13時13分クライネ・シャイデック行きに乗る。グリンデルワルドまでの料金は一人28フラン、ツヴァイリュッツネンから谷間のルートを取ればスイスパスが使えるが、景色を見るために山側を走るルートを選んだ。

 同行した義妹はこれまでにミューレン、メンリッフェン、クライネシャイデック、フェルストそしてシーニゲプラッテに宿泊している。しかし未だ山や村々の位置関係が理解できていない。それでメンリッフェン一周する形になるがグル~ッと回ることにした。
通常地図は北を上にして描く、しかしベルナーオーバーランドやチェルマットの鳥瞰図は南を向いて描いてある。つまり東と西が逆になっている。その所為で混乱しているようだ。

 何処そこへ行くという目的が無いのに高い料金を支払っての乗車となった。目的は無くともメンヒやユングフラウから流れ出る氷河はそれなりに迫力がある。クライネ・シャイデックで休憩するもクラクラするほど陽光は眩しく暑い。ユングフラウヨッホへ登る人、下りてくる人が電車から乗り降りするのをビールを飲みながら見ていた。
これで全日程を終えて帰途に着く、アルプスも見納めなのにあまりの強い陽射しに感傷的にもなれない。
 
 14時33分満席に近い電車はグリンデルワルドへ動き出した。アイガーを真下から見上げると北壁が押し潰さんばかりの迫力で迫ってくる。壁に取り付いているクライマーはいるのだろうか。反対側に目をやれば其処はのどかな牧草地帯が広がりハイカーの姿が見える。空にはパラセールがゆったり漂い、乗客は右に左にさらに空を眺めている。皆それぞれの楽しんでいるだ、もちろん私も充分に満足しています。

 最終日を過ごそうかと前夜話し合った。ロートホルンのクルムホテルで泊まるのもいいけど、オミヤゲの品々を買う時間も欲しいとのことなので今日中にルチェルンまで行くことにした。ベルンでもチューリッヒでも空港への沿線の町なら何処でもいいけど、慣れた土地を選ぶのは安易過ぎる嫌いがある、開拓精神に欠けているようだ。

 あとはルチェルンに向けてまっしぐらとばかりに、15時13分にグリンデルワルドに着いたら直ぐに乗り継ぎ15時55分にはインターラーケンに着いた。10分足らずの待ち合わせで、14時04分ルチェルンへ出発した。
又もやプリエンツの登山鉄道駅を横目で見た、あの赤い鉄道に乗る日がくるだおるか。マイリンゲンを出ると、これまでの湖沿いの平坦な路線から一転しキツイ勾配を登り始めた。逆に走ったことはあるがこれほどの急坂だとは知らなかった。マイリンゲンが交通の要衝だということを実感した。
今回は峠というものがもの凄く印象に残った旅だった。

 18時04分、2時間の乗車でルチェルンに着いた、宿は予約していないけどこの時期だから空いているだろう。泊まったことのある駅前ホテルへ行ったらフロントの係がいない、お二人は買物へ行かせ私は係りの帰りを待った。暫らく待っても戻ってこない、よく見るとカウンターに「御用の方は・・」の立て札がある、電話をすると駅の向いにある親会社のホテルでチェックインしなさいとのこと。前に泊まったときに朝食をその四つ星ホテルで食べたので、英会話がロクにできない私にも理解できた。
宿泊料金は、210.45フラン也、駅から歩いて2分でルチェルンの象徴であるカルベ橋もすぐそこという便利な場所にあるAlpina Hotel です。

 20時30分と遅くなったけどカルベ橋周辺を散歩し夕食をとった。ピザにシーフードサラダ風ナントカに・・○○の3人分の食事とビールで53フランのスイス最後の晩餐となりました。

のんびり気ままな旅と銘打ったものの、最後まであちらこちらと動き回りました。

シルトホルン

2009年08月14日 10時45分57秒 | チロル~シャモニ
 高い場所で見る夜明けはいいものです、薄暗く稜線のシルエットしか見えないのに数分後にピークに光が届き雪がピンクに染まる。その様を間近に見れる山岳ホテルが好きだ。
 9時40分ウィルダースウィルからラウターブルンネンまで行く。グルッチュアルプに上がるロープウェイ乗場へはホームから地下道で接続している。以前はケーブルカーで登ったけどロープウェイに変わっていた。セーバパス有効で無料と言われ気分良く5分間のパノラマを楽しんだ。

 グルッチュアルプからミューレンまでは電車が走っている、これもセーバパス有効、途中に駅があるも全線で12分しかかからない。シルトホルンへのロープウェイ乗場へはミューレンの通りを10分以上歩かねばならない。ミューレンから見るアイガーは北壁を真横から見るので、正面から見るのとは違う凄さが感じられる。

 シルトホルンのウリはジェームス・ボンドの007シリーズで”女王陛下の007”の撮影場所となったことである。もう40年前の映画で、主演もショーン・コネリーから替わって二代目ボンドである。それを今でも宣伝の柱にしている。

 チケットはスイスパス割引で一人往復35.7フラン。まず途中駅まで乗って、更にロープウェイを乗り継ぐ。ニッポン人グループもいる、引率している人を顔を合わせた途端お互いが”あら~ッ!"。
ドロミテのオーロンゾ小屋で初めて見かけ、次はマッターホルンのヘルンリ小屋からの帰り道、そして今日シルトホルンでと偶然とはいえイタリアからスイスにかけて3回もで会ったのです。

 現地受け入れガイドとして活躍なさっている若い女性で、トレチメのハイキングに同行したり、クライマーを案内してヘルンリ小屋まで行くほどの元気者のようでした。

 ”ヘルンリ小屋で私の話を横から聞いている人がいたので記憶にのこっている。”
「話をちょこっと盗み聞きする程度はいいじゃないですか。」
”ダメ、私の話は有料です。”
なんて話をする中で、ヘルンリ稜の若いカップル・クライマーたちはの事を聞くと、天候の都合でマッターホルンに挑戦できなかったことを知りました。

 もっとお話したかったのですが、ガイドという仕事は客さんへの説明やサービスがあるので話を切り上ざるを得なかった。今もアルプスの東に西にとお客さんと山を歩いていることでしょう。

 シルトホルンは午前中に登ったほうがいい、昼あとの頂上付近は雲に包まれるのが多くなる。アイガーはもちろんそれに連なる山から遠くマッターホルンまで広がる景色に寒さを忘れる。展望レストランのガラス窓が鏡になっているので自分も姿を写真に収める。
私たちが写っているのが分かりますか。(笑)

 30分の滞在で11時45分シルトホルンから下りる。シルトホルンへのロープウェイの発着場はギンメルワルド(Gimmelwald)で、そこから谷底にある村シュテッヒェルベルグ(Stechlberg)までロープウェイがあったので、それに乗るため乗場へ行った。
ところがロープウェイは廃止されていた。グルッチュアルプのロープウェイが新設されたので、そこに一本化されたようだ。
ミューレンまで歩いて電車を待った。電車もロープウェイも生活路線である。経営的には成り立っているのだろうか。

 廃止されたロープウェイでステッヒェルベルグに下りて、ポストバスに乗り換えトゥリュンメルバッハ滝を見物したことがある。外部からは見えない滝で狭い谷間や地中を曲がりくねって落ちて行く水は迫力がある。もう一度見たかったけどラウターブルンネンから逆戻りする形になるので止めた。
時間があるなら一度は見るべきでしょう。

シーニゲプラッテ

2009年08月13日 08時42分49秒 | チロル~シャモニ
 シーニゲプラッテ(Schynige Platte) のクルムホテルは階段の踊り場にその昔実際に使われていたであろう古い民具が置かれていた。椅子、革製のトランク、山靴を植木鉢にしたもの、人形に楽器など各フロアへの踊り場にさり気なく展示されているので、エレベーターが無くとも苦痛を感じない。

 広い廊下は絨毯が敷き詰められて、宮廷画家が作品の中に描いている長椅子があるので座ってみた。食堂脇の部屋には古いピアノがあったので鍵盤を押すとちゃんと音が出た。バカンスを楽しみに来た往時の富裕層はこれらを実際に使ったのだろうか。

 夕食は前菜、スープにメイン、デザートも豪華にチョコムースにイチゴとムースだった。この内容で宿泊費は3人分で323フラン、ワイン1本の料金(38フラン)も含まれています。
突合せにフライドポテトが出たがその量が半端じゃない。3人分纏めて中華ナベごと運ばれてきた、とても平らげることはできない。それで明日の昼ご飯にするため持ち帰り用の容器を頼んだら、ナベを部屋の持って行き明日返しなさいと言われて、そのようにした。
 目が覚めてもアイガーは目の前に聳えている、メンヒもユングフラウも厚い雲の下で青黒く威容を誇っている。西の遠くに切り立った崖を背負った山が見える、あれはゲンミ峠周辺の山に違いない。
雲の隙間から朝日が射しまずユングフラウの雪を赤く染めた、続いてメンヒもアイガーも先っぽをピンクに染めた。ここからはベルナーオーバーランドの中核をなす三つの山が矛に広がって並んでいるのを見ることができる。シーニゲプラッテが売りとする景色だ。
対岸の中腹に若草色をした部分が見えるところはミューレンの牧場だ。

 外へ出るとトゥーン湖が見えた、天気の具合で色は出ていない。ほんの少し角度を変えるだけで風景が違って見える。このパノラマをカメラに収めたいけど全景を撮ると小さすぎるし、アップすると写る範囲が狭くなり雄大さに欠ける。目に焼き付けるのがイチバンだろうけど、脳の記憶装置が古びたのか、縮んでしまったのか容量オーバーとなってしまったようだ。

 丸太を半分に割ってベンチを作ったものがおもしろい、枝が脚となっている。枝打ちしていない木の効用か。(笑)
朝食を済ませ8時21分発の一番電車で下りた、客は我々3人のみ。駅には民族衣装を来た子供たちの等身大写真が置いてある、並んで写真を撮るとちょっと見には気づかない出来映えだ。そこに駅員の写真もある、そのモデルになっている駅員が車掌さんとして勤務していた。モデルは貴女でしょうと言うとニコッと笑った。
途中の駅で擦違う際にはポイント切り替えやらナンやらで忙しく動き回っていた。

 スイスの山々も今日でお別れで、明日はとうとう帰国の日となった。最後の夜を何処で過ごすか検討した結果ルチェルンにした。それで実質的な最終日の今日はベルナーオーバーランドの山々を記憶に留める為にグルッとひと回りすることにした。

 アイガーが見えなくなりトンネルから林になり木の間越しの遥か下にインターラーケンの町が見えてきた。実質的なスイス最後の日のスタートだ。
アルプスの美しい景色が何時までもアタマに残こしておきたい。

アーレシュルフト渓谷

2009年08月12日 09時41分25秒 | チロル~シャモニ
 フェルストの山岳ホテルは昼間は観光客で賑わうが夜は宿泊客が少なく静かになる。部屋へはトイレの脇に暗証番号付きのドアから出入りする。大部屋もあるが二段ベッド4組の部屋に通された、プレシーズンなので相部屋ではない。食事美味しいほうだ、二食付き3人分で287フラン。

 日が落ちて薄暗くなるとアイガーヴァンドの灯りはもちろんのこと山のシルエット沿いにポツンポツンと山岳ホテルの灯りも見える。あいにく星空にはならなかったけど山に抱かれているという雰囲気を感じる。

 9時15分にグリンデルワルドからグローセ・シャイデック行きのバスが出るということなので、8時38分のロープウェイで下る。
バスは狭い道を角笛風な警笛を奏でながら上り10時にグローセ・シャイデックに着いた。アイガーはここから見てもその威容は変わらない。東側は幾重にも重なる山並みが見えた、ドロミテも見えているのか。
模型グライダー仲間の例会があるのか、大きなグライダーを持ち運ぶ人が大勢いた。パラグライダーはよく見かけるが模型を飛ばす人は初めてだ。

 同じバスに乗ってきたニッポン人グループもそれぞれのコースへ歩き出す。私たちは10時半にマイリンゲン側下るバスに乗る。峠までの料金が一人10.3フランで、下るバスに16.5フランも払わされた。グリンデルワルド鉄道は電車もバスも高い。高いけど周りの風景やお花畑はきれいだ、ひと言二言文句を言いたくなるけど一度は通ってみたいルートである。
 
 Chalet Schwrzwald-alp という村でポストバスの乗り換える、ここからはセーバパスが通用するのでタダになる。グリンデルワルド鉄道のバスはセーバパスの割引を受けてあの料金なので高いぞ。ともう一度不満を書いておく。
この村には製材機を水車を動力として動かしている製材所がある、珍しかったので暫し眺めていた。

 10時50分に発って11時25分にマイリンゲンに着く。駅のロッカーにリュックを預けてアーレシュルフト((Aareschlucht アーレ渓谷)行きのミニ列車乗場へ行く。電車と渓谷への入場料を含めて9フランは安い。ガイドブックには途中で降りて半分歩く云々の記述があるが、全コース歩いても1時間なので東口から入って歩くのをお勧めします。なお東口からは下るコースなのでラクです。川に張り出した桟道はすれ違いができないほどの狭さなので写真を撮るには間合い、時間を要する。

 谷がいちばん狭まったところは対岸に手が届きそうだが、その箇所に登ることはできない。崖の上に昔の桟道の支柱を通した穴が見える。このようなところに何のために道を付けたのか不思議だ。

 予想以上に満足した散策でした。
マイリンゲンには13時40分着、キオスクでビールなどの必要な品を仕入れて、14時22分インターラーケンへ向かう。プリエンツ湖を眺め、諦めざるを得なかったロートホルンへの登山鉄道を横目で眺めているうちに30分で着いた。

 10分ほどの待ち合わせで今夜の宿泊地シーニゲプラット(Schynige Platte) に向かった。たったひと駅乗って登山鉄道が出るヴィルダースヴィル駅に着く。
15時25分登山電車は林の中を上っていく、料金は往復一人29フラン。プリエンツ湖がエメラルド色になった、トゥーン湖はそれほどの色はでていない。途中に小さな駅があり下りの電車とすれ違う、その様も絵になる光景だ。
森林帯を抜けトンネルを出ると目の前に雪を被った真っ白な山が現れてアイガー、メンヒ、ユングフラウの三山がその姿を見せた。車内にウオ~という喚声が流れた、この景色を見るために上がってきたのだ。

 登山電車は各席毎にドアがついている、それを駅員が一つひとつ開ける。16時16分シーニゲプラッテ駅に着いた。雨が落ちそうで寒い、ホテルへは少し歩かねばならない。チェックインしてから植物園を散歩した。広い斜面のあちらこちらに高山植物が植えてありいい散歩道だ。目の前には理科の教科書に出てきそうな造山活動でできたしゅう曲が顕わになった山がある。造山活動時の凄いエネルギーのぶつかり合いが分かる。

 アイガーも部屋から見える、ミューレンも見える、山岳ホテルに泊まる喜びをここでも感じた。