どこ吹く風

旅のことを主に書く。

ミステリーツアー 場所決定

2008年05月30日 15時42分14秒 | ミステリーツアー
 ジーパンを買いにアウトレットモールへ出かけた。普段は衣類を含め全てアナタ任せにしているけど、試着して胴回りと脚の長さのサイズ確認しなければならないので本人も一緒に行かねばならない。マニラとかバンコクならジーパンなんて1500円では手に入るだろうにニッポンではアウトレット商品でも4300円もする。余所行きから仕事着までジーパンで済ませているのでこの程度の労はしょうがない。

 そこに旅行社のHISから携帯に電話が入った。”ミステリーツアーの行く先は上海で、燃料サーチャージ料金が1万8千なにがしと幼児の料金が・・・合計で9万・・円になります。”という連絡だった。「上海」と聞いたとき何かハズレた感じがした。申込の時後ろに並んだいたオバチャンが行く先はソウルだと自信ありげに話していたので、その言葉につられて私もソウルだと決め付けて、このツアーは焼肉を食べて南大門市場散策する気になっていた。それが上海となったので「え~っシャンハイ!」となってしまったのだ。

 あのオバチャンがソウルとした根拠は、募集広告が載った紙面には多数のツアー募集があった。しかしその中にミステリーツアーの出発日と重なる一般ツアーはソウルしかない、過去2回ミステリーツアーに参加したけど2回とも唯一一般募集の日と重なった場所だった、という論拠であった。過去の経験まで持ち出されたら反論のしようが無い。という訳で私たちもソウルと決めていたのだ。せっかく高信太郎著まんがハングル入門を探して再読し始めたところだったのに。

 しかし元々行く先は何処でもいいと申し込んだツアーだから、上海に決まったところで不満があるハズが無い。詳しい日程は未だ手にしていない、フリータイムがあるようなら考えよう。特に此処という場所は無いけど有名な上海雑技団は又見たい、もしかしてオプションかな。
行きたいところを考えるよりも日程表を見て行く先の予備知識を入れた方がいいだろう。漢詩の勉強でもしようか上海近郊なので定番どおり蘇州へも行くだろう。蘇州といえば寒山寺、単純な発想だがまず漢詩を一つ。

楓橋夜泊    feng1 qiao2 ye4 bo2
 張継 zhang1 ji4

月落烏啼霜満天
yue4 luo4 wu1 ti2 shuang1 man3 tian1

江楓漁火対愁眠
jiang1 feng1 yu2 huo3 dui4 chou2 mian2

姑蘇城外寒山寺
gu1 su1 cheng2 wai4 han2 shan1 si4

夜半鐘声到客船
ye4 ban4 zhong1 sheng1 dao4 ke4 chuan2

揺れる

2008年05月24日 10時47分28秒 | 懐かしい旅の記録
 ゆらゆらフラフラ揺れているこの心の揺れは地震の所為だけでは無い。
今年の九塞溝はほぼ諦めざるを得ない状況になった。そこで他の地域をと考えている。まず思い浮かべたのは妻が前々から行きたがっているイタリアである。私もミラノからスイスへ入るルートもアルプスを裏から(失礼な言い方かな)見ることが出来るしと旅行社からパンフレットを貰い基礎知識を調べ始めた。

 見るべき地域とその地域で見るべき場所はツアー内容を見る、そこに載っている場所が有名どころでツアーは違っても殆んどのツアーが立ち寄る所はその国その地域で行くべき場所といえる。歴史や文化・芸術に格段の興味を持っているわけでもないので、みんなが行く所へは行って見るというのが基本的な態度だから、ミーハーと言われようと其処へは行きたい。表も見ずに裏街道へ行くのもナンだし・・・というところ。

 スイスへも寄りたいのでミラノから入るのが良かろう。ベネチア、フィレンチェ、ローマ、ナポリを廻り途中のピサ、アルベロベッロやシエラ、マテーラまで足を伸ばせば充分だろう。ミラノから南下しながら、又戻る時の途中で寄り道すれば全て廻るのも無理ではない。
 私としてはローマやベニスは若い頃の映画のシーンが蘇るという意味で見たい気もするがそれほど強い希望ではない。是非行きたいのはナポリからのポンペイ遺跡とカプリ島の青の洞窟である。とすると日程は・・・
自分勝手な素案ー粗案が正しいか(笑)-を纏めつつあった。

 ところがあることを思い出した、ナポリのゴミ問題である。ゴミは見なければいいし我々ミーハー観光客が行くような場所はさほど酷くは無いだろう。しかしゴミ問題の背後にあるマフィアの関与を考えると、ウキウキした気分が急速にポシャッてしまった。国家機関のあらゆる部署がマフィアに侵されているような国のイタリア、陽気さの裏の厭な部分を思うと急に気分が乗らなくなった。マフィアの事と私たちのイタリア観光は丸っきり関係の無い話だが、酷い国を観光するのも何となくシャクだ。

 イタリアで是非見物したいところはボンベイと青の洞窟のあるカプリ島、あそこへは行きたい。ところがボンベイとカプリ島はナポリが玄関口となっている。ん~っ・・
というわけで私の旅モードが停まってしまった。
何も今決めなければならないことも無いので暫らくーミステリーツアーが終わるまでー考えるのストップしよう。行かないより行ったほうが楽しいに決まっている。
でも・・揺れるな~

地震のあと

2008年05月20日 14時20分45秒 | 懐かしい旅の記録
 1999年9月台湾で大きな地震が発生した。その時の避難所の様子をテレビで見ていて感じた事は、さすが中国人避難所での食事内容が違う、見慣れたニッポンでの避難所での食事風景はおにぎりが定番だが、テレビには所謂中華料理風の品々が並んでいた。地震の被害よりも妙なところにカンシンしたことを覚えている。
 台湾という発達した国だからという面と、大災害とはいえ範囲が狭かったのであのような対応が出来たのだろう。

 その翌年2000年の春家族で台湾旅行をした。台中から東西横貫公路をバスで通り太魯閣へ、そして花連へ抜ける計画だった。しかし復旧状況が分からない、道が通れるのかどうかさえ分からなかった。それでも何とかなるだろうと気楽に考え家族4名に妻の妹とその娘の総勢6名で出かけた。
台中からバスが出るはずの横断バスは道路が決壊し普通となっている。代替バスが出ているようで、その路線は震源地の集集から口甫里に出て、霧社を経て山岳道路で大禹嶺にでるルートであった。霧社の手前で小型バスに乗り換えて山道をグングン高度を上げていった。冬には台湾唯一のスキー場となるところも過ぎた。

 この小型バスは大禹嶺から梨山へ向い太魯閣へは翌日のバスしかないという。休憩した大禹嶺の茶店で相談すると白タクをやってくれるというのでお願いした。この交渉には乗客の英語を知っている若者を仲介して行なった。おかげでその夜太魯閣まで辿り着けた、斡旋してもらった若者たちに峠の茶屋の兄ちゃんには感謝しています。
その兄ちゃんからビンロウとかビンナンという噛みタバコ風の檳榔を勧められた。噛んでみたが、どうって事はなかった。眠気覚ましや覚醒作用(同じことか)があるとのこと。「おはよう」だけしか日本語を知らない白タクのドライバーと、当時は”ニイハオ”すら知らなかった私との会話ですからトンチンカンなものであったが、3時間近くの真っ暗なしかも細い山道をぶっ飛ばすお兄ちゃんをヒヤヒヤしながら相手しました。

 旅行は無事予定通り終わった、しかし震源地に近い東勢とか和平、震源地の集集を通った時は壊れたままの家も多く、道路は仮修復という感じである。幹線道路の復旧を急いでいるように思われた。
台湾ですら復旧はこの調子であった。今回の四川大地震は規模がその何十倍にもなるだろう、住民が落ち着くまでには相当な年月を要するだろう、中国政府にはシッカリやってもらいたい。
落ち着いたら絶対に行くべき地なのでその日が早く来るように祈るばかりです。

 地震の被害について書こうと思うも、思い出話になってしまった。繰り返すが、立ち上がれる日が早く来ることを期待しています。

四川省で大地震発生

2008年05月14日 14時17分14秒 | 天空への旅
 四川省のwenchuan(さんずい+文川)を震源とするマグニチュード7.9の地震が発生した。テレビで成都とか重慶という聞き覚えのある地名を言うので画面をみると地図は四川省を映し出して成都の直ぐ横にバツ印がついていて、其処が震源地という。都江堰(doujiangyan)という地名と共に温家宝首相の映像がでてきて対策の陣頭指揮に当たっているという。被災者は百万人単位だろう、死者が万余となる災害という。日を追うごとにその規模が明らかになり被害も増えていく、自然現象とはいえ心が痛む。中国政府のことだからこれからの対策はシッカリ取れると思うので期待したい。

 チベット問題はそのうち収拾して観光旅行が出来るだろうと高を括って、「地球の歩き方 チベット」を飼ってきたその日の大地震勃発には、ラサでの暴動発生以上にショックを受けた。今年の中国旅行はツイテない。成都はチベットへの入口と位置づけ九塞溝巡りをしている間にチベットへの入境許可証の手続をし、戻るとラサへ汽車の旅ができると考えていた。万一チベットが難しければ四姑娘山や梅里雪山とかの景色を楽しんでもいいと気楽に考えて、そろそろ具体的なプランを練ろうとしていた矢先だった。

 天災は人災よりも手ごわい、交通網や宿も相当な被害を受けただろう。復旧するには相当な時間がかかるものと思われる。この際中国の他の地域にしようか、それともまったく別な場所を考えようか・・・
もともと今年はオリンピックイヤーなので中国観光は控えようとも考えたけれど、四川省あたりは北京から離れているの観光関連のオリンピック便乗値上げの影響も少なかろうと計画したのだ。それがチベット問題で若干の影響を受けて更に地震が決定的なダメージを与えた。
やはり今年の中国は諦めるか・・・

 未だ何処へ行くのか分からないミステリーツアーだけで今年の旅はオワリとなると侘しい。アタマを切り替えて探そうかな~。
でも行けなくなると思うと未練が出てきた。せっかくガイドブックを買って勉強しようとしたのに。又ラサまで往復とも清蔵鉄道に乗るツアーを探したのにザンネンだ。
この地震の私への影響は”震度5強”というところか。

ミステリーツアー(何処?)

2008年05月10日 20時36分51秒 | ミステリーツアー
 さてこのミステリーツアーは何処に向かうのか、申込から帰ると妻に娘も加わって希望地やら憶測で話が盛り上がった。韓国だと断言したオバチャンの推測理由を話すと妙に納得し、韓国ツアーと呼ぶようになってしまった。

 10年ほど前に韓国へいったのもこの三人であった、今回はそれに二人の孫が加わった。あの時は友人がソウルに駐在員として滞在していたので、彼を頼って行った。ホテルも長期滞在している同じホテルを取ってもらい、私は彼の部屋に寝るということにして一室だけしか取らなかった。ダブルベッドに大人が三人寝るので窮屈だし、真ん中に寝ると暑くて布団を蹴っ飛ばし、両サイドの者はクーラーが寒いので布団を引っぱり揚げるというのを繰り返した。寝る位置を順番に交代したが同じ結果だった。

 ホテルは大門市場の近くで地下鉄の駅も近く便利な場所にあった。真夜中の市場を見に行き凄まじい熱気にビックリし、また銭湯感覚のサウナがあり低料金で垢すりまでやってもらった。1週間同じホテルに滞在し民族村まで汽車に乗って観光し、近郊の山にハイキングへ出かけ、焼肉にマッコリ参鶏湯と彼のおかげでソウルを堪能できた。

 行く前に高信太郎の「マンガで韓国語がしゃべれる」という本を買って付け刃的にひと言二言の韓国語と読み方を勉強した。娘と二人でソ・ウ・ルとかプ・ル・コ・ギとか駅の地名とか目に付く文字を声を出して読んでいたら、近くに居た人たちが間違いを直してくれたり、読めない字を親切丁寧に教えてくれた。
  
 韓国語はローマ字五十音表のように母音と子音の組み合わせなので、あのマンガ本を流し読みするだけで、読むだけなら半分ほど読めるようになる。ただ・・読めても意味が分からないので、しょうがない面はある。それでもただ読もうとする姿勢示すだけでも韓国の人に好意的に見られたことは確かだ。
あの頃少しは読めたのに今ではあ・い・う・え・おの母音さえ忘れてしまった、マンガ本を探し出してもう一度読み直そう。
ありがとうは何と言うたか・・?

 勝手に韓国と決め付けその気になっているけど、はたしてそうだろうか。

ミステリーツアー(申込)

2008年05月09日 15時50分06秒 | ミステリーツアー
 10時から受付開始ということなので8時半ごろ意気揚々と家を出て並びました。イチバンではないかと思っていたが甘かった、3番目でした。1番目の方は徹夜したらしい、夜中は旦那さんで朝奥さんと後退したとのこと、やはりヤマトゥンチューは心意気が違う。考えてみるに、HISは支店が2店舗ある上電話受付もあるので20名の募集人員は直ぐ埋まるでしょう、下手すると私もアウトかな。その方は子供も含めて4名、次の方は友人と行くので二人、こちらは娘ど孫を含めて5名なのでキビシイ状況だ。

 退屈しのぎに、何処へ行きたいですかと聞くと、上海へ行った、ソウルへは行ったばかり、私は1月に香港へ行って間もないと三者三様。ミステリーツアーなので出たとこ勝負場所には拘らない、その場を楽しもうという点では一致した。
9時になるとドアが開き係員が「時間になるまで今しばらくお待ち下さい。」と言いながら参考までに参加人員を尋ねて回った。その時点で6名に増えている。

 ちょっと間をおきチラシを配りながら「現時点で希望枠をオーバーしている、つきましては同じ内容のツアーが3000円アップで催される。ホテルがスタンダードからスーペリアに格上げされているので検討下さい。」なんて言う。
”商売が上手い!”と言うと苦笑いかテレ笑いをしていた。

 結局3番目に並んだ私までは29800円のツアーに申し込めた。早朝から並んでまで旅行したい人たちなので32800円にアップしても断る他人はいなかった。3000円、1日当たり千円で”行~かない”なんて断る勇気といういかアホさ加減というか、それは私にも無い。カアチャンに叱られるに決まっている。とはいえこの「3000円アップ」の提案を受けたときは携帯で連絡を入れました。やはり”行く気になっているのだから当たり前でしょう。”のひと言。

 行く先については直行便が飛んでいる曜日で類推できると調べたら、敵も然るもの、木曜日は香港、台湾、上海、ソウル全ての地域に飛んでいる。後から来て並んだ人たちも行く先についてアレコレと話題する。その中であるご婦人は韓国だと断言しその根拠を説明していたが納得できる面もある。なるほど考え方発想も色々だ。

 旅費も基本料金は払い込んだので4日間と短いけど孫共々楽しんできます。

ミステリーツアー

2008年05月07日 08時53分04秒 | ミステリーツアー
 新聞広告にミステリーツアー募集が載っている、4日間で29800円也。
航空燃料税が3~4千円をプラスしても安い。さて行く先は何処か、その場所が分からないのがミステリーツアーである。金額からして台湾・韓国・香港の何れかでしょう、直行便が飛んでいるから。

 申し込みが今週の金曜日10時となっている。先着20名が行けるのだが、妻は窓口のみで受け付けるのか、電話も可なのか、インターネットはどうなのか確認の必要があるという。確かに頷ける指摘だ。HISまで出かけて聞いてみよう。

 さて、行けると決まったわけではないけど申し込みをするというだけで気分がワクワクする。香港は行ったばかりなので別のところがいい、でも香港でもかまわない、見て廻ったというには程遠いから。
台湾、元宵節の模様をテレビで見たばかりなので来年は又塩水の爆竹を見に行こうかな、と久しぶりに台湾を意識したところだった。時期は丸っきりハズレだが台湾は故宮博物院を始め見る所は多いので悪くない。
韓国、一度しか行っていないのでーいやタイの帰りに半日寄ったので正確には二度かー又行きたいな。焼け落ちた南大門横の市場をブラブラして鶏参湯を食べて、マッコリ飲んでと楽しい事だらけ。

 場所は何処だろうがかまわない、何処へ行っても楽しく過ごせる。欲を言えば韓国、それも済州島へ行きたい。そこで美味しい海産物を食べたい。
しかし何処へ行くのだろうか・・

 詳しい話を聞きに窓口まで行ってみよう。

ドゥフミー

2008年05月06日 11時17分35秒 | 懐かしい旅の記録
 旅行案内のパンフレットでスイスの謳い文句は、三大名峰、氷河急行、フラワー、ハイキングである。訪れる地域はアルプスではユングフラウ・アイガーのベルナーオーバーランド、マッターホルンのチェルマット、ベルニナそれにフランスではあるがモンブラン・エギューデュミディのシャモニ、都市部ではベルン・ジュネーブ他二三の街となっている。又こだわりのホテルと銘打って何処何処ではスーペリアクラスに二連泊ということも書かれている。中には山岳ホテルに泊まるのを特色としているものもある。

 うんウンあそこからの景色は素晴らしかったと写真見て、謳い文句を読み日程はどうなっているかと目を通す。まあツアーならこんなものだろう、でも勿体無いせっかくアルプスへ行くのだからもう人工夫欲しい、とかナンとかチョット自慢げにニヤッとして薀蓄を垂れたくなる。
計画を立てるときツアー案内から地名を抜き出して、せっかくスイスへ行くのだからみんなが行く場所はひと通り行きたい。その上で何処かここは・・とかこれは・・・とかのツアーでは体験できないものを加えた。個人旅行はツアーよりも費用が掛かる、それでも個人で行くにはそれに見合う計画を立てねばならない。
それは日程・時間に縛られて美しい風景を見ること無しにその地を去り次へと移動することはしたくない。しかし見るべき所は全て廻りたいので湖のクルージングも経験したい峠めぐりのバスにも乗りたいと欲張りな日程を組む。

 元を取るというある意味ケチな考えが根底にあるので、たった2回のスイスだけど有名どころはほぼ廻った、アルプスに関連する地域ではあるけど。
 山岳ホテルにも泊まった。ホテルについてはせっかく山に行くのだからより高きところ、山により近い場所へ行きたいという気持ちがあるのと、麓よりも山岳ホテルが安いのでそこを選んだという理由もあります。
チェルマットは安宿といわれる山男が泊まるといわれるホテルでも素泊まりで65フランと言われた。其処よりも20フランかけてシュワルゼーまでケーブルカーで登り2食付で80フランの山小屋に泊まるのがいい。マッターホルンが間近に見える絶景の地である。
たまには贅沢しようとゴルナグラード クルムホテルやリッフェルベルグホテルにも泊まった。私たちには山小屋ではなくホテルだった。ちょっと高めの140フラン、120フランだがちゃんとしたディナーなのでチェルマットで泊まり、レストランで食事するのと変わらないだろう。

 山小屋は”こんなものだ”と気楽に考えて泊まれば悪いものではない。むしろ旅の目的風景を堪能する事に関しては最高の場所となる。朝焼けに夕焼け、その光に映える山々ふもとのホテルより数倍もの価値がある。
高い場所にあるホテルはチェルマット付近ではゴルナグラードのリッフェルアルプリゾートは格式が高すぎて我々にはムリだが上記の三ヶ所には延べ5泊した。
ベルナーオーバーランドでは、ミューレン、フェルスト、クライネシャイデック、メンリッフェンで泊った。人も少なく山を間近に眺め雄大な景色を独り占めした気分になった。この気持ち良さは二段ベッドに共用のバストイレという条件をも吹き飛ばす魅力がある。ツアーの日程を見ながら我ながら上手い日程を組んだものだとドゥフミー(自画自賛)している。

 この連休は1日だけのドライブでオワリになったけど、心の中は九塞溝・チベットにアルプスと見果てぬ夢を追っている。