どこ吹く風

旅のことを主に書く。

下調べ

2012年05月24日 22時12分41秒 | 旅への想い
 トラピックス(阪急交通社)の江南10都市周遊の旅はパンフレットによると蘇州、千灯古鎮、錦渓古鎮、無錫、烏鎮、紹興、杭州、西塘、七宝古鎮それに上海となっている。地名を知っているのは数か所あるが行ったことがあるのは上海と蘇州だけ。行くからには各地の予備知識を入れて行こう、検索しサイトの記述を抜粋する。

千灯古鎮 Qian deng gu zheng:
昆劇(昆曲)の発祥地、千灯は江蘇省の歴史文化的名鎮で2500年の歴史を持っています。秋のシーズンは上海蟹で有名な巴城などと組みあわせ観光頂くのもお勧めです。

蘇州 Su zhou: 
 獅子林 shi zi lin 前回は拙政園(zhuo zheng yan) を見学したが今回は獅子林、このような邸宅跡が何ヶ所もあるようだ。
寒山寺 han shan si 楓橋夜泊で有名なお寺、この詩を暗記するつもり。たしかピンイン付きがあったはずだ。
虎丘 Hu qiu 前回は橋の上から眺めるだけで虎丘をバックに写真を撮っただけ、今回も同じようだ。
その後は刺繍と絹のショッピング観光かな、絹糸の布団は欲しいけど妻は関心が無いとのこと。

錦渓 jingxi:
 昆山市南の無数の疎水と湖沼に囲まれた地に、錦渓はある。

無錫 wuxi:
 20分間ではあるが太湖 Taihu遊覧があり、時代劇のセット見物と淡水真珠のショッピング観光。安ツアーではショッピング観光は付き物なので割り切るしかない。

烏鎮 W?zhen d?ng sh?n: 
 烏鎮東柵 Wu zhen dong shan は鎮が建てられてから1300年の歴史がある。地形は平坦で、丘がなく、河川は縦横に織りなし、気候が温和で、湿潤で、降水量が満ち溢れ、光周性が十分、物産が豊富、昔から“水産物と米の故郷で、絹織物の府”と呼ばれている。

紹興 Shaoxing:

 紹興ならではの雰囲気は、縦横無尽に走る運河と、その運河に架かる丸い橋の風景にある。文豪魯迅、中華人民共和国総理周恩来、清代の女性革命家秋瑾(しゅうきん)の故郷
  
王羲之と蘭亭 
紹興酒の製造は、なんといってもこの街の産業の柱である。「女児紅」

杭州 Hangzhou:
 銭塘江 Qiantangjiang 逆流ー海嘯ーで有名な川で旧暦8月18日が特にスゴイらしい。でも川は長いので場所が違うのでは・・
西冷印社は中国の金石印材の保存、篆刻の研究を目的として成立した学術団体です。

西湖 Xihu 北宋の詩人蘇東坡が西施に例えて西湖と詠んだからその名がついた。遊覧も予定されている。

西塘 Xitang:
素朴で、ノスタルジックな雰囲気が漂う水郷古鎮です。

上海 Shanghai
 魯迅公園、博物館、豫園、田子坊 Tianzi fang = 泰康路 Taikang lu

全般的に水郷が多い、景色は良さそうだ。

久々の旅

2012年05月18日 10時31分25秒 | 旅への想い
中国江南10都市周遊7日間
計16回の食事付 39.800円(+燃油サーチャージ 9000円)

 今年は未だ何処にも出かけていない。新聞でこのような宣伝を見ると無性に行きたくなる。1日当たり1万円を切るツアーは安い、それだけで場所を問わず参加したくなる。それで切り抜いてさり気なく食卓に置くと妻も興味を示した。5月初めに次女の出産が予定されている、母親として何かと面倒見る必要があるから今年前半の旅はダメと言われている。それでも1週間程度なら・・・と思うも私の口から言う訳にはいかない。
切り抜きを見て”好いじゃない。”なんて好反応があった。急いては事をし損ずる、あと一押し、如何なる方法があるか、じっくり考えよう。

 安いツアーを見つけると行く先に関係なく行きたくなる。初めてツアーに乗ったのもトルコ周遊15日間 129.800円から・・というものだった。あの時は成田発着だったので成田までの運賃および前泊のホテル料金が別途必要だったけど、今回のは那覇発着なので余分な経費が掛からない。
金と暇のある人は何故ツアーに参加しないのか不思議だ。

 先日何の気なしに百円ショップに入ると旅用の紙パンツがあった。以前から重宝していたのに品切れが続き廃版になったのか案じていたら見つかった。5枚で百円(女性用は3枚)、毎回使用していたのに品切れで一昨年の西安では手持ちでは全日程カバーできずにパンツまで洗濯屋に出した。校内の洗濯屋で3日分の下着や靴下まで含めて衣類全てで10元(130円)程度なので、紙パンツ無しでも苦にならなかった。旅ならそうはいかない。

 それに私の腹は見かけによらずデリケートなので旅では下痢することもある。それでチリ紙と紙パンツは常時チョッキのポケットに入れである。おかげで西安の繁華街で咳とともに漏らした時、また王家の谷でお腹かがゴロゴロして間に合わなかった時にとても助かった。
見付けたので直ぐ買ったが何時使えるか、楽しみだ。

出発日決定

2010年05月30日 09時12分08秒 | 旅への想い
 広い谷間に岩と雪、心の中はアルプスでいっぱいだ。
この二日間で旅行の話が急進展した、いろいろなやり取りがあったのだがとにかく行くことになった。
それでドロミテを廻った後にスイスアルプスに入ると決めて航空路線を調べた。

 ドロミテへ行くのならレンタカーを借りて何処の営業所で返却するかがその後の日程に影響する。そこでドロミテの西の玄関口といわれているボルツアーノ(Bolzano)にもレンタカーの営業所があるのを知り、ミラノ発着でチケットを手配した。

 ところがミラノは希望する日程では帰りの便が満席という。込み合った場合を勘案して前後数日間の余裕を持たせて問い合わせたにも関わらず取れなかった。そこでもっとずらして再度申し込んだ。しかし料金は高くなり手が出せない。それならと帰りをチューリッヒに変更しても席が取れないという。

 大阪のその旅行社には2・3路線を同時に問い合わせていた、いちばん安いのがミラノだったのに予算の教養範囲内の席が無い。そこで問い合わせ時点では高かったKLMやスカンジナビア航空はどうなるか問うと、席はあるというただ料金は問い合わせ時点より若干高くなった。足元を見られたか!
ところが営業員もさるもの、「今年から海の日の祝日移動で三連休となった所為かこの時期のヨーロッパが込み合っているのです、それでかどうか知らないけど航空会社が強気になっている気配がある。」と言う。

 確かに私も別の旅行社にも問い合わせていた、中国国際航空、中華航空も問い合わせ時点より高くなっていて、大阪の旅行社より高くなっている。
この時点で今年は私たちの完敗です。原因6月中に出発できなかったことに尽きる。来年以降もヨーロッパへ行く気ならこの事を肝に銘じておこう。実際去年と2~3万円違う。

さて今年もヨーロッパアルプスへ行けるので、気分を一新して新たにカテゴリーを設定して書こう。グジャグジャもやもやは捨て去り希望・夢を胸に明るい気持ちで書いていこう。ところでカテゴリーの名称は何にしようか。

 行くところのイメージは、「谷間、雪と岩」谷間はチロル、雪はスイス、岩はドロミテ。久しぶりにガストン・レビュファの”雪と岩 Neiju et Roc"を開いた。登山の技術書としての写真中心の本である。その本の名前と同じだがあまりにも個人的な感情が強すぎて一般的ではない。極普通に”ドロミテ”にしようか。 

次から具体的なスケジュールを考えながらその過程を書く。

いよいよ準備突入へ

2010年05月28日 15時51分39秒 | 旅への想い
 夜電話があった。
”7月2日にオキナワへ行く、ゴルフをしたい。」というようなことだった。
ゴルフをするのはかまわないけど、私はゴルフをやらないので、「誰とプレーするの?」と聞くと、私の友人のシングルプレイヤーとやりたいらしい。

 そんなことを言われても困る。他のメンバー集めにゴルフ場の手配を彼にお願いするのはちょっと心苦しい。新年会で酒を飲んで以来顔をあわせていないので、こちらの都合だけで電話するのもナンだし。
それに何よりも昨夜の話はどうなった。中国は止めてドロミテ・アルプスに変更し確か了解したはずなのに。何たる気の変わりよう。それでつい「どうぞ遊びにいらっしゃい、その頃私たちはアルプスへ出発するから」つ冷たく言い放った。

 何かがあっての心境変化だろうから、一晩も経てばまたまた変化をきたすだろう。暫らくは冷却期間だ。私はというと横目で見ておくだけでは止まらなくなるほど期待感が出てきている。

 で、ナンやカンやあったがドロミテへまっしぐらというところ。まずは航空券をネットで調べる。昨年よりも値上がり傾向が強い感じだ。レンタカーも調べる、イタリアで借りるならニッポンで予約するほうが良さそうだ。田舎町では英語が通じなくとも不思議じゃないので、言葉が通じない者たちがアーヌークームーしても始まらない。

 7月の一週目に出発し2週間程度現地に滞在する予定で、出発日は空席状況次第にというところ。今のところ決まっているのはこれだけ。大きく動き始めた。旅は心が動くかどうかである、一旦火が付いたらもう止まらない。
いくぞ~

  ここに至るまでの話を方言で言えば、”取いん掴みんならん”と表現するのがピッタリだ。それが昨夜になって、雲を掴むような話から綿菓子を掴む程度まで固まってきた。目に見えるような形になりつつあることは感じられる。気分は高まっている、これで足を引っ張るような言い草をしたら「オマエは行くな俺は行く」と切り捨てよう。

これからは雑音に惑わされずに前進あるのみ、これからは前向きな話、楽しい準備状況についての話を書こう。

行く先は・・・

2010年05月24日 17時19分58秒 | 旅への想い
 今回の旅行話に実現するなら嬉しい、しかし無理してまで行かなくても良いと余裕を持って対応しているのは前回書いた西安の件が8月に控えているからです。少々卑怯のような気がしない訳でもない。でも実際問題7月に旅行し、さらに8月にも長期旅行をするのは何か後ろめたさを感じる。しかし二人の行きたいという気持ちを考えるともう少し本音・本気で積極的に進めるべきかなとも思う。
 
 昨夜もその後の準備状況についての電話が又あった。妻は私に取り次ぐけど、私は計画を立てる事はできても旅行そのものを行なうかどうかの決定はお二人で決めてくださいと、相変わらずの返答をする。もっと前向きの言葉を出すべきだったかと気にしつつ妻に受話器を戻す。

 二人で話し合ったようで、旅行へ出る方向で纏まったようだ。日程は7月2日から24日までの間という。それで何処へ行きたいのか問うと、予想通り九塞溝との返事があった。
いよいよ本気モードで計画を立てねばならない。

 行く先をどうしようか。九塞溝は何度行っても飽きることはないので私は三度目で妻は二度目でも問題は無い。しかし九塞溝以外の何処へ行くかが問題だ。成都から九塞溝・黄龍観光は3泊4日もあればいい。新たに発見開発された九塞溝のような場所ー検索したが見つからない、たしか40数キロ離れた場所にあったはずだが・・ーへ行ったとしても5日。
それからどうする、先日梅里雪山へ行こうかチョモランマを見に行くかと書いた。しかしその両地域とも7・8月は雨が多く風景を楽しむには不適な時期とある。

 九塞溝は晴れるに越したことはないけど、雨でも池の色は素晴らしかった。だが梅里雪山やエベレストは見えなければしょうがない。何処にしようか。山を見るのはなら天候条件の良い5月か11月がいいというので、それまで待つのが利口かな。それとも7月はアルプス・ドロミテに行って中国は秋まで延ばすのがベストか。

 行かなくても良いと大見得を切りながら7月も秋もなんて言い出したらどのような反応があるか・・・(笑)
この時期雨が少ない地域は何処で、どのような名所があるか調べよう。

西安交通大学語学研修旅行

2010年05月22日 11時21分06秒 | 旅への想い
 昨年は新型インフルエンザの影響で取り止めになった西安交通大学での語学研修だが、今年は行けそうだ。日中友好協会の会長さんは着々と準備を進めているようだ。

 この西安交大での語学研修は、元々会長の個人的な短期留学から友好協会の事業に発展させたものである。第1回目が07年に行なわれて私も縁があって参加した。昨年も期待していたのに潰れてしまいとても残念な想いをした。
あの時西安での同学の方々との忘年会でも早々に来年は絶対に実現してもらいたいと私は要望した。そして機会がある毎に研修旅行の話をしてきた。

 その甲斐あって未だ正式発表は出来ないけど、最後の詰めの折衝をしている段階まできているとのこと。たぶん研修終了後の敦煌への旅行で手間取っているのだろう。3年前は九塞溝へ行った。今度は敦煌だとあの頃から要望が強かった地域である。九塞溝はある人を介して旅行社に任せたけど、今回の敦煌は大学が手配するとの事である。会長さんは相当圧力を掛けたナ。(笑)

 中国との架け橋の役目を一生懸命になさっているのでその方面も考慮したのだろう。私たちとしては総費用が30万円で語学研修から敦煌への観光旅行までできるのだからありがたいものである。
 前回参加するとき”漢語を勉強してこの次は案内役をするから。”と大義名分をかざした。この大義名分というのが大事である、日頃から信用が無い私でも勉強しに行くのだと言うと、それらしく感じるらしくOKしてくれた。

 もちろん約束どおり二人で九塞溝どころかラサまで行った。研修の成果というよりも漢語は話せない、聞けない状態でもなるナントカなるという度胸が付いたというのが本音である。

 今年もこれまで以上に勉強するから西安へ行くゾと宣言してある。この西安行きだけは私の自前の資金で行きます。それが強気に出られる由縁でもある。
今年の日程は、旧盆が終わった直後の8月26日出発となっている。オキナワの場合正月以上に身を束縛されるお盆なのでこの日を念頭においてモノゴトを考えなければならない。また上海へは日木の週2便しかない、その上10月1日の国慶節の大型連休を避けなければならないという条件下では出発日が絞られる。

 8月26日か29日しかない。今回は敦煌だけでなく漢中へも1泊旅行が計画されているようだし、帰りの上海では万博も見学するように要望しているということも聞いた。
勉強以外も盛り沢山の計画が組まれているのでひと月という期間はあっという間に過ぎてしまうだろう。

たのしみだ、そろそろ漢語の勉強に身を入れねば・・・・

写真は、学内の白居易の居所跡にある白楽天像です。晴れた日は学生の布団干し場となっていた。汗の臭いを含んだ湿気で白楽天もたまらないだろう。

梅里雪山かチョモランマか

2010年05月21日 15時23分11秒 | 旅への想い
 旅に出る当ても無いのに後輩にちょっかいを出したり、妹から誘い水を受けたりと、ただの話から無責任な煽りから我が身に火が付きそうな気配になっている。アルプスの山でなくてもいい、中国の山でもいいから行きたくなった。

 妹は九塞溝へ行きたいのに我々の日程に合わず、またいける時間が取れたときはツアーが中止になって、縁が薄いというか不運というか九塞溝に嫌われているようだ。もし中国に決まるなら九塞溝・黄龍は外せないだろう。

 成都から往復4日間コースとなるだろう。初日はバスで九塞溝まで行くだけになる、10時間ほど揺られるのもいい。地震の復旧工事が進んでいれば時間短縮ができるかな。中二日は九塞溝の観光に充てて最終日の4日目に黄龍を見て飛行機で成都に戻る。この日程なら時間の無駄が無く観光も充分出来る。

 さてその後は何処へ行くか。梅里雪山は雨が多くなるころなのでエベレスト見物をしようかと考えた。しかしチベットの山は岩だらけで雪山があまり見えず、退屈な景色が多い気がする。エベレストBCから眺めを見るためにだけで片道二日ずつ掛けて行くか・・・
チョモランマを見たい気もするが、香格里拉(中甸)から稲城、康定を通って成都へ抜ける道は高山植物が咲き乱れるコースでもあるようだ。

 梅里雪山を見てー天候次第だけどーバスないし4WDをチャーターして花を見ながら成都へ戻るルートも悪くない。幻の花といわれる大黄も6~7月がシーズンらしい。取り立てて花好きというわけでもないが群生している花はきれいだ。
 しかし世界最高峰のエベレスト見物も捨て難い、迷うところだ。梅里雪山かチョモランマか。
ただ前提となる旅行へ行くという兆しは未だ見られない。

 しかしここは我慢のしどころで自分からメーユイユイするよりも相手ー妻とその妹ーが行きたいと声を上げるまで素知らぬ顔して沈黙した方が良さそうだ。
それまではせっせと検索に励み下準備をしておこう。(笑)

写真はジョカン(大昭寺)です。

誘い水

2010年05月20日 22時18分11秒 | 旅への想い
 先日義妹から電話があって”次の予定はどうなっているの、早めに決めてくれなければ色々と予定が立てられない。”という風な愚痴とも不満ともとれる内容だったようだ。

 何時の頃からかツアーや個人旅行に一緒に出かけることが多くなった妹である。妻に何故唐突に旅行の話が出てくるのか理由を尋問うと、マイルが5月末で流れる分がある。捨てるには惜しいので航空券を買っておきたい、行く先だけでも決めてもらいたいとのこと。

 私としては、旅なんてその気になれば2週間で計画を立て出発までできるので、急ぐことは無いと考えている。それに私の母がカジマヤーもとっくに過ぎた高齢で一人残して旅へ出るのが難しくなったと話し合ったばかりである。又旅行へ行く行かないの決定権は時期・行く先を含めて私でなく妻とアナタのお二人のスポンサーにあるのでしょう。私はツアコンであって主催側にはなり得ませんとやんわり伝えた。

 でも後輩の件は唯の話に悪乗りしたのだけど、義妹の要求は現実的な話である。何か目の前にニンジンがぶら下った感じだ。その件に関する電話2・3回掛かってきた。マイルのポイントが流れると焦っているようだ。それで流れるポイントの数を聞くと僅か70ポイントという。たったそれだけなら捨てろ、流せと言うた。この程度のチンケな数でやいのやいの言うのかケチ! 
しかし、マイルの話は横においたとしても、旅へ出るという大きな名目チャンスには違いない。またまた旅へ出たい気分になった。

 それで仮に行くとしたらどの当たりがいいかと妻に聞くと、もう一度ドロミテと言うかと思ったら、梅里雪山行きはどうなっているのかと聞かれた。私としてはドロミテを回りたい。しかしスポンサーの意向が第一だから中国を調べておこう。それに義妹は九塞溝へ未だ行っていないのできっと九塞溝と喚くだろう。

 梅里雪山のあるシャングリラか徳欽あたりは6月から降雨量が増えるのでこの時期は良くないと思う。いっその事エベレスト見物はどうだろうか。実現するかどうかは別にして暫らくは旅の計画で楽しめそうだ。

写真は九塞溝の五彩池

旅がよんでる

2010年05月19日 15時53分05秒 | 旅への想い
ここ当分は四方山話書きます。
そうこうするうちに瓢箪から駒ということが考えられない訳じゃない。
そうなったら嬉しいな~

 学生時代は山岳部に所属していた。卒業してからは山も縁遠くなり、ハイキングを含めて登山をしなくなった。当時のメンバーは今でも登り続けいている人も多い。我がクラブにもOB会がある。正式名称は学士山岳会で通称岳士会ならぬ学士会である、もちろん大学名が先頭に付いています。その学士会が数年ぶりにヨーロッパへ行くことになった。私は全ての活動に参加していないが会員の動きは会のMLから流れてくる。

 チロル山行が7月に計画されていた。前回のスイスはクライネ・マッターホルンから目の前に見えるブライトホルン登頂組とフラワーハイキングコースに分かれていた。毎年歳だけは積み上がっていくので参加予定者の平均年齢が古希に近くなっている。チロルとはいえ山で鍛えた肉体は衰え知らずのようだと思っていたら、立案担当者が急に手術を受けることになり計画が延期となってしまった。やはり何処かに何らかの故障を抱えているのだ。無理は禁物次の機会まで待ちましょうと快く了解していた。

 そこで夫婦で参加予定の後輩に、費用も準備し日にち時間も空けていたのだからアルプス・チロルへ個人旅行してきたら如何かとメールでけしかけた。本人は奥さんと二人だけで行くのはどうも・・とか、仲間と一緒に楽しみたいからと個人旅行は考えていないとのResが返ってきた。
彼は前回のスイスも参加はしたものの企画や手配にはタッチしていない。つまり個人旅行が不安なのだろう。特に奥さんを連れて行くという大任に怖気づいたと思われる。こちらは責任が無いのでナンとでもいえる暫らく間をおいて再度けしかけるつもりである。

 煽るにしても個人旅行は意外に簡単であることを説明したほうが説得力がある。案ずるより生むが易しで、ちょっとしたコツが分かれば簡単なものだ。格安チケット、スイスセーバパス、クルムホテルでの宿泊などを伝授しようと考えていたら、私が行きたくなった。
ミイラ取りがミイラになってしまった。(笑)

ひと区切り

2009年09月05日 07時03分41秒 | 旅への想い
 チロルからシャモニまで、その途中にドロミテとスイスをまわった旅を終えたのが7週間も前の7月中旬。それからメモ書きから日程・行動を思い出し整理した。この記録起こしも尻切れトンボになってしまったが一応終わる。

 計画段階から先日まで4ヶ月間も楽しめた。帰ってからも虚脱感どころか旅先でのことを思い出して心ウキウキ状態だった。炎天下をバイクで走るときでも頭の中では熱風よりも山の冷たい風を感じていた。良い旅だった。
あの旅でのイチバンの収穫はドロミテに接したことである。そこをレンタカーで回ったのも良い経験になった。歩き方のバリエーションが増えた、これまで鉄道移動を主に考えていたけど車のほうが小回り大回り臨機応変に対応できるのに気づいた。これは大きかった。

写真はエギュー・ド・ミディのブロッケンです。
次の計画はブこのロッケンのように現れるか、時とともに消えてしまうのか。

 さてもう9月になった、本来ならホンライなら明日から中国は西安での語学研修に名を借りた旅に出発だったのに。それが新型インフルエンザの影響で中止になってしまった。中国政府の過剰反応だと思うも此方からは如何ともし難く、ただただ嘆くのみ。

 さて、ここでただ手をこまねいているだけなのか。スイスへ行く前に中止が決まったのだが、その頃はまずスイスのことが頭にあるので”しょうがないか”程度で済ませていた。予定されていた出発日が近づくにつれて、世が世なら、ホンライなら、明日出発だったのにという想いが募ってくる。死んだ子の年を数えるという言葉があるけど、今将にその状態だ。

 語学へ4週間程度の授業ではほんのチョットしか伸びないことは充分承知している、しかしもう一つの目的、中国を楽しむことは大いにできる。それが水の泡になるとは・・
しかしここで踏ん張るのがワタシです。語学研修がダメなら実地研修という手もあるとボヤ~ッと考えるようになった。「梅里雪山」雪に覆われた山の姿がちらついてきた。実現するかどうかは横に置いといて調べ始めよう。

 これまでなら行こうと思ったら大概行けた。しかしこのところ97歳になるオフクロの調子がおかしい、スイスに行った時は独りで留守番してもらったけど、今の様子では無理だろう。
でも計画を練るだけでも楽しい時が過ごせるので、机上の空論で終わるにしても立ててみようか。

ひと区切り、ということで完結させようと書き始めたけどエンドレスになってしまった。

出発です

2009年06月27日 12時29分38秒 | 旅への想い
 今回の旅は前泊・後泊無しでヨーロッパまで行ける予定だった。
ところが出発予定の28日のNAHAー関空は早朝の便以外満席である。朝から深夜まで関空でポケ~ッとしておくのもツライ、そこで大阪で前泊することにした。今回も同行する義妹が大阪在住なので其処に泊まり一緒に出かけることにした。

 一応パッキングも終え、仕事もバタバタと指示ないし依頼してきたので、どうにかなるでしょう。お客様に対しては多少問題のある行動だが、理解なんてするはずもないからトンズラして文句があるなら帰ってからにして!

 これからもう1件のグナゆーじゅ小を片付けに行く。3時半までには戻って空港へ一目散ということになるだろう。

  ヒジョーに問題だが、レンタカーの予約サイトが繋がらない、撥ねられる。一番当てにしていたところだったのに。他を探し申し込んだが回答が戻ってくるまで48時間掛かるようだ。そのころには既に出発している。いまこの処理をどうしようかアタマを絞っている最中です。
如何なる手段があるか。
現地で飛び込みでレンタカー会社を探せるのか・・・
車がないとチロル・ドロミテは手足を捥がれることになる。どうしよう、とモタモタしてもしょうがない、ないるぐとぅナイサ。
とはいえマイッタな~

とにかくあと数時間で家を出ます。
行ってまいりまーす。

準備 その二

2009年06月19日 17時35分48秒 | 旅への想い
 旅の準備以外に仕事を片付けることも出発前に終えておかねばならない、これも準備の一環といえよう。
知り合いが店を開くということでクロス張替えとファサードの手直し依頼があった。断ったけど店の入口周辺の雰囲気を出す仕事だけは押し付けられた。デザイナーに頼みプランを出してOKをもらい制作費に見積もりを出す。デザイン料3万円に政策取り付け費が6万円の計9万円なり。忙しいのに若干迷惑だがこれまでの付き合いもあり引き受けた。
彼には常日頃金に困っていると話しているので、今さらスイスへ旅行に行くので仕事を引き受けないなんて言えなかった。
金がないクセによくも旅行ができると私自身も不思議です。(笑)

 またホテル客室の細々した手直しも依頼された。その内容はクロスの剥がれの補修、ペンキの部分塗り、巾木の剥がれのようなホントにチンケな手直しである。それが50室もあるし、お客の滞在時間とも関連するので2・3日で終わるかどうかだ。帰ってから取り掛かりたいけど7月からはシーズン入りするので出発前に一応終えねばならない。
嬉しくない悲鳴です。(笑)

 この忙しい中パーマをあててきた、パーマだと旅行中の髪の手入れがラクになるのと、国際免許に写真が貼られるなら、カッコいい顔がいいだろうとの理由からだ。さて来週早々に免許課まで行くのを忘れないようにしよう。国際免許を取り忘れたらチロル・ドロミテが悲惨な観光になる。

 家に戻ったら、地球の歩き方からスイス鉄道のセーバパスが宅急便で届いていた。
15日間のものが33.800円/一人となっている。現地で購入すると211ユーロ、本日のレートで計算すると32.236円、1.564円の差額が出た。注文した頃はユーロ高の137・8円だったのでこの金額は誤差の範囲としておこう。
セーバパスの使い初めがイタリアの田舎町(と思う)マッレス/マルスからポストバスに乗るので、其処でセーバパスが買えるのかどうか不安だったので注文した。チューリッヒ出発なら現地で購入しただろう。
前回は16日間の日程だったので初日のルチェルンまでは現金を支払った。今回はスイス滞在12日間なので3日は捨てることになる。

 仕事以外では着々と準備が進んでいる。仕事にも取り掛かり晴ればれした気分で出発したいものだ。

準備状況の点検

2009年06月17日 10時20分29秒 | 旅への想い
 関空から深夜発なので那覇を最終便もしくはその一つ手前の便で出ようと考えていた。ところが28日の関空便は全て満席、キャンセルが出るまで待っていたけど、修学旅行の団体が押さえているので空席が出るのは難しいとの連絡があった。
それでも待っていたら、28日の朝7:30と前日の伊丹への最終便のどちらかになると選択を迫られた。1日中関空でウロウロするのも辛いしツマラナイ、そこで前泊ということになった。幸い関空で落ち合う予定の同行者(義妹)は大阪在住なので其処に泊まり一緒に出発することにした。
 日曜の午前中と午後にある趣味で通っている二つのサークルに出てから夕方出発するつもりでいたのでザンネンである。

 今回の旅行は、27日17:55那覇発でスタートを切ることになった。ここいらで手配済みとやり残しているものを整理してみよう。
航空券については出発から帰ってくるまで全て完了した。証しとなるEチケットをプリントアウトした。
ホテルは、初日のザルツブルグと二日目のハイリンゲンブルートの2ヶ所ー各々1泊ーを予約しただけ。三日目以降はまだ時間があるとタカを括っている。今決めたほうがいいのか、現地で天候を見ながら決めたほうがいいのか決めかねている状況だ。

 スイスセーバパスは日本の旅行社で購入することにして支払を済ませた。スイスの駅で買えるけど、金額を比べると15日間で千円しか違わない。それにセーバパスを最初に使うのがポストバスで、始発のマッレス/マルスがどの程度大きい町なのか分からないし、其処はイタリアなので若し買えない場合は現金を払わされることになり勿体無い。送料も付くけどここは安心を買うということで”地球の歩き方"にお世話になりました。週末にはチケットが届くでしょう。

 まだ手掛けていないが早めに済ますべきことは国際免許の取得とレンタカーの予約。証明写真を撮って運転免許課へ行けば時間を要せず交付されるとのことのんびりしているがまずは写真から。
レンタカーはプレシーズンだろうから車の余裕はあるだろう、と余裕をこいている

 メールで送られてきたEチケットやホテルの予約票を二部プリントした。私だけが持っていると必要な時に直ぐ取り出せないとか紛失の恐れもあるので二部作り別々に保管しておくのです。台湾一周したときも宿の手配書やルート案内・観光資料を全て二部作成した、小さな危機管理です。

 纏めてみると漏れが見つかる、仕事も済ませねばならない。そろそろギアチェンジして加速するときがきたようだ。

チロルからモンブラン(全体プラン)

2009年06月14日 06時34分07秒 | 旅への想い
 四月からプランを練り始めたスイス旅行はチロルを出発点にドロミテを経てモンブランまでのアルプスの旅となった。イタリア北部の国境線に沿って聳えるアルプスを東から西に踏破する形となった。踏破なんて勇ましい言葉を使ったが内実は汽車やバスでの移動なのでたいしたことは無い。

 チロル・ドロミテは初めて行くのでルート選定に手間取り、地理がアタマに入るまでにひと月も掛かってしまった。まだ距離感が掴めていないので宿泊場所を決定するまでには至っていない。これから見る場所、歩くところなどの肉付けをしていくが、とりあえず全体の日程を確認する意味で一覧にしてみる。

6月28日 日 23:15 関空発 エミレーツ航空 (ドバイ乗り継ぎ)
6月29日 月 13:45 ウィーン着 汽車でザルツブルグへ 夕7時前には着く予定 
6月30日 火 10時半頃にはレンタカーを借りてチロルへ出発できるでしょう
      フランツヨーゼフホッへを経てハイリンゲンブルート泊
7月1日 水 マトライ方面からグロースグロックナーを見て、連泊かリエンツ泊
7月2日 木 リエンツ~ドビアンコ~コルチナ・ダンベッツオ
7月3日 金 ドライチンネを一巡りする予定 
7月4日 土 峠巡りしながらインスブルックへ
7月5日 日 インスブルック~ボルツアーノ~マルレス(汽車)
      マルレス~オッフェん峠~ツェルネッツ (バス)
      ツェルネッツ~アンデルマット(汽車) アンデルマット泊
7月6日 月 アンデルマット~フルカ峠~マイリンゲン~グリンデルワルド(バス)
      登山電車の最終に間に合えばシーニゲプラットのクルムホテル泊
      乗り遅れたらフェルスト泊
7月7日 火 ユングフラウ地域を廻ってプリエンツからロートホルンのクルムホテルまで
7月8日 水 シャモニ・モンブランへ 午後エギュードゥミディへ シャモニ泊
7月9日 木 エギュードゥミディ及び周辺観光         シャモニ泊
7月10日 金 同上 (予備日)
7月11日 土 シャモニ~ロイカバード~ゲンミ峠~カンデルシュテーク泊
7月12日 日 サースフェーへ移動
7月13日 月 ミッテルアリラン
7月14日 火 サースフェー(バス)フィスプ~ベルン~チュリッヒ(汽車)
      15:35 チュリッヒ発(エミレーツ航空) ドバイ経由で関空へ

 一生懸命練ったはずのプランなのに未だ穴がある、その辺りは現地で臨機応変に対応する。モンブランで1日余ったときはキューボーデンかベットマーアルプまで足を延ばしアレッチ氷河を見ることにする。

 出発まで2週間と迫ってきた。OKAーKIX(那覇ー関空)便が取れない、修学旅行でいっぱいらしい。前泊もしくは前々泊を強いられるかも・・・
それにドロミテが具体化されていない、ここは今一度検索・おさらいが必要だ。

サースフェー

2009年06月12日 06時12分18秒 | 旅への想い
 サースフェーを今回の旅の最終訪問地である。
15:35にチューリッヒ発の便に乗るには2時間前に空港に着かねばならない、チューリッヒから3時間圏内で風光明媚でかつ今回予定しているルートの延長線上に位置することを念頭に考えた結果である。
サースフェーならそれらの条件に合致する、また地名だけは初めてスイスへ行った時から知っていたので何時かは行きたい見たい村であった。ある種念願の地であるのでそれが叶うことになる。

 スイス観光局のサイトに”スイスの名峰”という蘭があり、そこのエリアマップ・リスト には
1 ベルニナ地方、2 ベルナーオーバーラント地方、3 ツェルマット周辺、4 サースフェー周辺 、5 アレッチ氷河周辺、6 中央スイス地方の6ヶ所が紹介されている。
今回サースフェーに行くので残りはアレッチ氷河だけになる。そのアレッチ氷河も今回行けるかもしれない。ゲンミ峠を先送りしたので1日空白の日があるし、シャモニで3泊予定しているけど天気では余ることになる。アタマの片隅には余分な日ガできてアレッチ氷河も廻れるのでは・・・とかすかに期待している。

 スイスの名峰を開くたびに残っている場所が気になる、全ての地に足跡を残したいとの欲望が出てくる。残っているのがシャクだ、との気分になる。誰々に自慢できるというものでも無いのに行って無い場所を目にすると目障りになる、今回アレッチ氷河を逃すと益々気になるだろう。多少無理してでも行きたい。

 シャモニを出てロイカバードからゲンミ峠を通り、カンデルシュテークへ出てアレッチ氷河を間近に見るベットマーアルプまで上るのは無理のし過ぎだろうか。そこのロープウェイは生活路線なので遅くまで動いているようなので時間的には充分行けると思う。

 希望は希望、途中で延泊しないとも限らない。現地の天候状況にもよるので現地で判断しよう。