どこ吹く風

旅のことを主に書く。

思い出の整理

2007年04月19日 09時23分14秒 | エジプト
 妻がアルバムの整理をしている。ぶつくさ文句を言いながらセッセと貼っている。
我が家のプリンター用の写真用紙は沢山あるのに写真屋に頼んだほうが色が綺麗からと注文したものだ。較べてみると明らかに差がある。2000枚の中から選ぶのもひと仕事である、また選んだものを写真屋へ送信するもの時間が掛かる。その間私はパソコンから引き離されるので退屈この上無い。

 それでも整理されたアルバムを見るとその時のことがハッキリ思い出されワクワクした気分になった。パソコンで見るのとは又違う。
写真なんて行った本人しか楽しめない、見せられた人は半分以上迷惑なことと思うだろう、私も他人の写真を見るのは好きでは無い、義理で見るようなものだ。でも自分のアルバムは捲っていて楽しい、子供たちがアルバムを見ていると”ね、ねっ、ね~”とついその時の事を話たくなるのをグッと堪える。立場が逆ならそれほど聞きたく無いものね。(笑)
 トイレにアブ・シンベル神殿の冊子がおいてある、写真集なので捲って楽しめる。出発前いろいろ事前勉強をしたが、アブ・シンベル神殿に関しては難しい歴史書を読むよりこの冊子を見たほうがはるかに良かっただろう。

旅の写真や持ち帰ったパンフレットを見ると美しい風景を思い出して楽しめる。また何処かへ行きたい。今度は何処にしようかと勝手に考えている、近場の台湾は元宵節の頃が面白いので来年以降へ持ち越しだ。タイがいいかな、ひと月ほど滞在したいものだが雨季も経験したいので何時頃がいいのか。調べても行ける確率は低いが調べるだけでも楽しめるだろうとパンフレットを捲ったり、インターネットで検索をかけたりしている。

 あちらこちらと行きたい場所を調べて遠くへ思いを馳せているが、いま一番興味を持って調べているのはチベット、カイラース山のこと。あそこはいいだろうな~
暫らくはアルバムとあの方面への想いを楽しみます。

 今日は、さんぐぁち さんにちー(旧暦3月3日)遠くへの旅ではなく、近場の海を楽しむことにしよう。

旅へのおもい

2007年04月08日 09時29分16秒 | 懐かしい旅の記録
 当面旅行の計画が無いので漠然と[旅]全般について書きます。

 阪急交通社からトラピックの4月号が送られてきた。春から連休さらに夏に掛けての案内が満載だ。でもこのシーズンの料金は高めなのでただページをパラパラ捲るだけ、それでも旅への想いが沸き立ってくる。

 世界は広くれ魅力的な所は多い、自然、街、美術館と数え上げれば切りが無い、でもそれらを手当たり次第廻ることはできないのでテーマを絞らざるを得ない。絞ろうがどうしようが今頃案内が来るのはゴールデンウィークから夏休み向けが多いので、料金設定が高いと思うのでチラチラ見るだけにしている。

でも旅に出たいな。
では何処へ? 
う~ん直ぐには出てこない。
行きたい場所はある、青蔵鉄道・チベット鉄道に乗ってラサへ行きたい。ラサで引き返すのではなくてカイラース山を一周したい。容易なことではないが夢です。カイラース行きを諦めれば夢ではなくて容易く行けるが、ただラサ往復だけでは物足りない。だから夢の部類に属する。

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 さてあるサイトに池澤夏樹が紀行文を書いていて今回はシャモニであった。シャモニは去年の夏に行った場所なので興味を持ち、かつ懐かしみながら読んだ。今様の話題地球温暖化を織り交ぜながらシャモニ風景主に氷河のことを書いている。メール・ド・グラスやモンタンヴェールは池澤夏樹が書いているように登山電車に乗り、ケーブルカーに乗り換えて氷河の洞窟を見て廻ったので、書いてあることがそのまま頭の中に浮かんだ。エギーユ・ドゥ・ミディも然り。

 私もその時の印象を書いた。しかしさすが文筆家は違う、同じ場所同じ景色を見て受ける感動は同じだと思うもそれを表現する力が違う。いや表面的に見れば同じ感動といえるが感動の受け止め方や深さが違うというのを実感した。
大作家に対して不遜な言い方であるが私はそのように本当に思ったのです。

 同じものを見ても見る視点が違う、深い洞察力と共に見ている。こうありたいものだと思った。見る視点とはどういうことなのだろうか、何を考えながら見るのかということなのか。自然を見るときはその風景だけで感動する、その感動を伝える時に自分の感情・印象だけでなく一歩引いてスケールを大きくすることが大きな違いだ。
池澤さんの文章を読み返してみると、山、谷、氷河、ケーブルカーなど普通の言葉がキーワードとなっている、私と同じじゃないと思うもこの後の広がりが違う。文章にの広がりを持たせるというのが如何に大事かというのを知りました。知らされました。さすが・・です。

 旅へ出たとき参考にしたいと思います。