どこ吹く風

旅のことを主に書く。

おおつごもりに想う

2007年12月31日 09時13分36秒 | 懐かしい旅の記録
 今年を振り返ると、1月エジプトツアーに参加し引き続き能登へ行った。7月の墓参の鹿児島旅行では台風に閉じ込められた。8月末から4週間西安での語学研修を目的にした旅行、それに先日のオーロラ見物と旅に始まり旅で締めくくった1年でした。
 国内旅行が2度も出来たのは全て義妹夫婦のおかげです、滅多に無い大名旅行は楽しかった感謝しています。

 旅は非日常生活を楽しむ場である、その場は私の場合何処でもいい。といいつつアレコレ注文は付けている。今回のオーロラもニュージーランド、ヨーロッパ、ヒマラヤトレッキングと候補地が出てきたのをイエローナイフを推した、どうせ行くなら行きたいところが良いに決まっている。それが”自分勝手!”と妻に言われる由縁でもある。弁解するなら、妻たちが自分でも気付いていない”想い・願望”を引き出してあげているということです。(笑)

 さて来年は何処へ行く。妻は妹の娘夫婦が連休にカンボジアへ行くのに引っ付いて行くと言う。私は選び選び暑い季節にカンボジアへ行くなんてアホか、それにイチバン高い時期に、と取り合っていません。妹共々行くことになるでしょう、私は行く気はあるが行きません。その費用を別に回した方が好い。
ホントは又またスイスへ行きたい、サースフェーとアレッチ氷河、エギーユ・土・ミディのイタリア側へのゴンドラに乗りたい。その話を妻にすると九塞溝はどうなった、青蔵鉄道はどうするの、語学研修の成果をどうするのと文句を言われた。そうです中国がありました、でもオリンピックで観光地は何処も彼処も人ヒトひとでイッパイにならないか気がかりだ。
行くとしたら何処へ行こうか、この課題で当面楽しめそうです。
 
 今年ももう終りですが気持ちよく年が越せそうです。明日から始まる来年も斯くありたい。


写真は朝日を浴びるラムセス像で、エジプト旅行でイチバン感銘を受けた場所です。神殿の奥深くまで朝日が射して4体の像が明るくなり壁画が色鮮やかに浮かび上がってきた。素晴らしい瞬間です。ある特定の日にはラムセスに光が当たり輝くそうです。
来年に期待を込めてこの写真で締めくくります。

滝・瀑布

2007年12月30日 13時36分02秒 | オーロラ
 「瀑布とは幅の広い川に急に段差ができ、水が布のようになって落ちる横長の滝のこと。」だそうです。知らなかった、今まで同じ意味で使っていました。
世界三大瀑布はナイアガラの滝、イグアスの滝それにヴィクトリアの滝だそうで、一つ見たことになった。日本三大滝は華厳の滝を見ただけ。我がオキナワの三大滝は本島だけに限れば轟の滝、比地の大滝それに・・・ター滝にしておこう。轟の滝は山地開発で水量が激減してオドロキの滝になってしまった。比地の大滝は観光施設となり囲い込まれて有料となり木製桟道まで出来たらしい、子供たちを連れて川筋を歩いたのにもう行く気がしなくなった。

 滝を見慣れている国民と言えるだろうニッポン人は、この際ウチナーンチュも含めていい、小さいながらも滝がある。タイへ行った時に滝を意識した、大平野なので滝が出来る高低が無い、落差5mの滝があれば一大観光地となるのでは?(笑)
トルコも滝が無い、滝どころか川も無い、見なかったというのが正しいだろうが2週間もバス旅行して水が滔々と流れるのを見なかった。あんな広い国土なのに水は地表を流れずに吸い込まれてしまっているのでしょうか。

 中国の壷口瀑布、あれは横に広がっているので瀑布と呼べる。ナイアガラの白に対して茶色の水が真っ白な水しぶきを上げていた。あの色は見慣れないのでスゴサを感じた。 また九塞溝には滝が何ヶ所もある、池から流れ出てせせらぎとなり盆栽のような木の間を抜けて流れ、石が敷き詰めらた広い河原ではさざ波をたて流れも速くなっている。その先は見えない切れている、滝だ。遊歩道を下っていくと滝の上から横から眺めることができる。白い糸が幾条にも流れる様が見えてきた。五色の池とともに美しい風景でした。

 スイスのトリュンメルバッハの滝は岩の裂け目や岩を刳り貫いて流れ落ちる珍しい滝だった。自然が作り出す造形は不思議なもので、ベルナーオーバーランドへお出かけの際は足を伸ばす価値ありです。

 滝もいろいろ見物したけど、高さや巾の大小はいろいろあるがどの滝もそれぞれ見どころがある。ナイアガラも期待に背かず雄大でした、この次いく機会があれば”霧の乙女号”に乗って滝から発生する水しぶきで禊をします。

写真は夕闇迫るナイアガラのアメリカ滝

ナイアガラ・オンザレイク

2007年12月29日 06時53分50秒 | オーロラ
 ナイアガラ・オンザレイクは滝から12Km下流にある町の名前です。古いイギリス風の建物雰囲気が残っている小さな落ち着いた町です。
滝を見物し昼食の後そこへ行きました。途中ワイナリーに寄り赤・白それにアイスワインの試飲があった。葡萄と寒に晒して糖度を上げてから仕込むので甘口のワインが出来る、なんでも糖度が22度もあるとかの説明があった。こんなに高い糖度でアルコール菌が活動するのかという疑問もする。ワインの飲みかたの説明があり試飲する、知識が増えました。アイスワインはヒジョーに甘口。

 ワイナリーは葡萄畑の真ん中に洋館(当たり前の話だが)があり、如何にも・・という雰囲気がある。このようなワイナリーが2~30軒ある。そこを出て10分も走ればナイアガラオンザレイクに着く。自由散策となったので、まずオンタリオ湖岸へ行く。雪の広い湖でただそれだけだが観光とはそういうものなので足を運んだ。
通りは時計台が目印で劇場からマチヤ小まで店が両側に並んでいて童話・物語世界だ。観光客も多くガイジンや韓国人それにヤマトゥンチュにウチナーンチュ、歩くだけなら15分もあればいいが店に入ると際限ない。年中クリスマス用品のも扱っている店や無加糖ジャムを売っている店、なぜかバイキングの店もある。建物が2階ないし3階建てなので圧迫感がなく落ち着きがある。全体が調和のある景観で歩くだけでも気分がいい。
こういう場所と知らずに来たので、付録にしては大きなプレゼントになった。滝見物のついでに足を伸ばすのを勧めます。

 私はリカーショップでビールを買った。バラ売りがあったので6種類を1本ずつ買った、妻は今夜までしかないので多いと言うが押し切る。ビールなんて何処でも買えるのに記念になるようなものをヨコにおいてビールなんて。
今年は雪が少ないのか、この地はこの程度なのか道端に除雪された雪の固まりがある程度、寒さはさほど感じない。一匹のリスが歩道をウロチョロしている、住民が優しいのか人怖じしていない、住民の優しさが伝わってくる。

 気分のいい午後の観光でした。

ナイアガラ瀑布

2007年12月28日 09時55分14秒 | オーロラ
 ナイアガラの名前は子供の頃から知っており、写真や映像も数限りなく見た。その滝が目の前にある、ナイアガラは滝と呼ばずにナイアガラ瀑布と言うていた、それは他の滝とは違うんだという畏敬といもいうべき響きを持っていた。
ホテルの窓から見える滝はドウドウという水音が聞こえるような錯覚さえ思わせる凄さで流れ落ちている。 ナイアガラはオーロラ見物の付録とはいえ大きな付録だ。

 ホテルは、THE OAKES HOTEL OVERLOOKING THE FALLES というところで、OVERLOOKING THE FALLES と名前が付いているように全ての部屋が滝に面している。ただ一流でないのかホテルで貰った市内の案内地図にそのホテルの名前は無かった。
レストランも館内に無くて同一敷地にあるレストランを使うシステムであった。そこはカナダなのに如何にもアメリカンという感じで、朝食は大皿に盛られたソーセージ、ベーコン、スルランブルエッグ、ポテトにパンでド~ンという感じ。看板の脇にデカデカとBreakfast $6.99からと書かれていた。夕べのロブスターを食べたレストランも系列店でした。

 滝見物はカナダ滝の上流にある展望所と堰堤を車窓観光して滝の裏へ。地響きをたてて水が落ちているのだが水以外見えないので音ほどの迫力は無い、でもよく考えればスゴイ場面なのだ。水の間から外がチラッとでも見えたら実感できるでしょうに。
外部に開けた展望所からは厚い水のカーテンが手に取るように見える。周辺は凍り付いていた。全部が凍ることは無いだろうが水と氷の組み合わせがいい。

 中国の黄河の支流、壷口瀑布でも感じた事だが何だかこれまで見た滝とは雰囲気が違う、何故かと考えたらある事に気付いた。日本で滝を見るのは下から見上げるように見るのが普通だ。滝壺を面前にして滝を見上げるパターンが多い。華厳の滝に称名の滝など落ち口に立って見ることは無い。ところが壷口瀑布やナイアガラは滝の上、川が流れ落ちる場所から見る、その違いだったのだ。

 ナイアガラの水は白かった、流れ落ちる本流も飛び散る飛沫も白い。壷口瀑布は茶色の水が白い飛沫を上げながら落ちていった。茶色の奔流と飛び散る白のコントラストは滝の規模よりも大きな凄さを与えていた。見上げる滝に見下ろす滝、白い滝茶色の滝もそれぞれの持ち味がありいいものだ。

 タワーに登って町の風景をも合わせて見おろした。ライトアップされる時間まで粘って黄色や青、赤に照らされる水を上から楽しんだ。写真におさめようと何枚もシャッターを切ったが暗さの中でイメージ通りに撮るにはウデが足りなかった。

今回は船での遊覧はなかったけどこの次いく機会があったら乗ろう。

ナイアガラへ

2007年12月27日 09時22分35秒 | オーロラ
 2007年12月9日、9日目本日はこのツアーのもう一つの柱ナイアガラへ移動する日だ。
4時15分モーニングコールで起こされる、添乗員とホテルからの2度のコールがあった。夕べは12時半までオーロラビレッジに居たので風呂に入って寝たのは2時を廻っていた、皆さんも同じだろうから1回きりのコールでは起ききれないと添乗員は心配したのだろう。

 バスで空港へ行く、街にある寒暖計はマイナス12℃となっている、それほど寒さを感じない。機内食はポテトのオムレツで塩気が強い。デザートの梨か桃のシロップ漬は色もどぎつく甘すぎる、鉱山労働者の町イエローナイフは濃い味付けがウケルのかと思いつつも半分以上残した。
エドモント空港で2時間待ち合わせがあったのでベンチで横になった。起きて駐機場を見ると飛行機の翼について氷を落として不凍液をかける作業風景が見えた。専用の車両で行なっている、南国育ちの私には想像だにしなかった事なので興味深く見た。

 12時50分発だがトロントへ就いたのが7時、雪で少々遅れた所為もあろうが時差だろう、時間の感覚が全く分からない、実際のフライト時間は3時間半といところ。到着後直ちにバスでナイアガラへ向けて移動する。120km離れているのでハイウェイを1時間半ほど走る、夜なのと疲れで皆寝入っている。私は暗くて見えないのに窓の外を眺めていた。ハイウェイの分岐や車の出入り方式を見るのも面白い、ニッポンのそれとは大きな違いがある。

 ホテルへ入る前にレストランで夕食をとる、案内書にはロブスターと書かれているが、あれはアメリカザリガニと呼んだほうがいい。ロブスターもザリガニも一緒かな、アメリカ人は蝶と蛾を区別しないようだから。ニッポンで食べる冷凍ロブスターよりも味が濃くて美味しい。オキナワではサムズグループのメニューにある。
一匹丸ごと皿に乗って出てきた、さて如何にして食べるか・・・案ずるよりも行動だと鷲掴みして腕をへし折り殻割りで砕き身を出して口に入れる。胴の部分もまずアタマを引き抜きミソを指でかき出し舐める。手と道具をフルに使って食べながらビールを飲む。美味しい。
ふと離れた席を見るとナンとウエートレスが手際よく食べ易いように処理している、実に鮮やかな手つきだ、店側でやってくれるなら初めからそう言えばいいのに。手がベトベトになって悪戦苦闘しながら食べている自分が気恥ずかしくなった。私の席に来る頃にはもう出助けは必要無かった。私が妻のを剥かずに食べ且つ飲んでいたのでザマー見ろという顔をしている。
まあマアまあ・・・でも美味しかった。

 部屋から滝が見えるのが嬉しい。

イエローナイフのまとめ

2007年12月26日 07時28分06秒 | オーロラ
 我が家を朝7時に出て羽田までは2時間のフライト、成田へ電車で移動しバンクーバーまで8時間乗り、エドモントンまで1時間半、そこからイエローナイフまで又1時間半、4回乗り継いで到着したのが現地時間の夜9時ごろ。日本とだけでなくカナダ国内でも時差があるので実質何時間かかったのか計算できません。24時間は要したと思われる。

 オーロラの色彩はイメージとかけ離れていたけど、3日間とも現れたので満足です。それに飛行機から最初に見つけたのは私であろうから益々自己満足しています。ただオーロラについて書かれたサイトは多いのに色彩についての記述が無い、どうしてでしょうか。裸の王様に出てくる町の人々のように、「綺麗な色だ」と褒めなければという観念があるのでしょうか。それとも私が嘘吐きでマトモな色が見えないだけなのか。(笑)
目が慣れてきたら薄っすらと色が見えます、ただし写真のような色鮮やかなものは見えませんでした。その時々の条件や都合なのでしょうか。

 食事は楽しむというまでには至りませんでした。その主な原因は起床時間の問題と寒さに因ります。レストランを探して歩く気にはならず、ハンバーグとベトナムの麺フォーを食べただけです。牛肉団子入りのフォーはクセがある、牛汁の嫌いな方は止めたがいい。私は大丈夫ですが。
 イチバンのご馳走がツアーに含まれていたオーロラビレッジでのディナーでした。
前菜はブルーチーズ、サーモンの燻製、ジャーキー、ソーセージにパン、飲物はワインにビール。メインディッシュはバッファローの肉と白身魚のフライ、付け合せは三種類のポテトとコーン。サラダの青野菜は久しぶりに目にした。いずれも美味しかったです。

 市内散策はオプションに参加すると時間が取れません、前日の市内観光で8割がた廻ったと思われるのでどちらを選ぶかは判断がムツカシイ、オプションの費用でレストランで昼食を楽しむという手があるかもね。温かい部屋で寝て過ごすのもアリか。

 防寒についての心配はとり越し苦労でした。防寒具が準備されていたのでアレだけで充分でした。もし手に入るならスキーで使う(と思われる)口にあてるモノがあったら目出帽の口元が凍ることなく快適でしょう、たぶん。それを付けている人を見てそのように思いました。寒さとかスキーを全く知らない私が言うのもヘンですね。

 現地の受け入れ態勢は万全です、添乗員もすることが少なくてラクだと話すほどです。ガイドから施設まで言うこと無しでした。

このツアーはオーロラが目的なので、その他のことは枝葉末節、些事なので日頃から身を律して天候を神に祈るのが先決でしょうか。私たちは日ごろの行いを神に認められましたヨ。3日間滞在したらオーロラが見える確率が90%以上といわれているので、見れなかった人は別の意味のウンが付くのではなかろうか。

イエローナイフの3日間は満足でした。

写真はエドモントン空港の置かれている彫刻の一つ、これはクジラの骨だそうです。イヌイットや動物をモチーフにした石の彫刻も展示されています。

寒冷地

2007年12月25日 09時01分50秒 | オーロラ
 写真説明から始めます。イエローナイフのオールドタウンに面した湖です、氷の厚さが1.5mになると車両通行ができるそうです。奥地とのトラックによる輸送が可能となるのでこの期間に必要な物資を運ぶ。下記は飛行機に頼るので輸送コストが割高になるとのこと。

 普段暖かい地域に住んでいると寒冷地の様子が分からない、本を読んでいても実感が湧かない。例えば私たちは寒いのはイヤだろうと思うが、イヌイットは冬が来るのを待ち望んでいると書いている。

 フランス人の人類学者が1938年の夏に極北の地を旅した記録を随分前に読んだ。ハドソン湾とかマッケンジー河とかいう名前が出てくるけどそれが何処なのか知りません。イヌイットの思考・生活がよく描かれた本で、書いた時期が古いとはいえ貴重な話が詰まっている。その中に冬になり凍った世界が訪れると移動がラクになるのでいそいそと準備を始める様子がある。また食事風景、子供が裸で飛び回っていることや妻の貸し借りなど人種学者の目を通して知ることができる。

 今回のオーロラ観賞の旅は人との接触ではなく自然現象を見に行くので人類学者が力を入れてページを割いた部分は参考にならなかったが、移動の様子や生活の面は物見遊山の旅に役立った。でもその本「極北の放浪者」の著者”ゴントラン・ド・ポンサン”はオーロラのことに触れていない。私が読み落としのかな。
もしかしてオーロラの出現に気付かず、雲としか目に映らなかったのかもしれない。あるいはオーロラに興味を持つ時代ではなかったのかもしれない。オーロラは旧約聖書や日本書紀に記述があるというので存在は知られていたであろう。しかし見える範囲が限られるので人々の話題や興味を引くに至らなかったと思われる。これも推測だがカラー写真の無い時代なので色の美しさに気付かなかったのだろう。白黒写真は当然として、肉眼でも見る人が見たら色が付いている程度なので今の人がカラーで見るのとは訳が違う。

 極地のことを書こうとして脱線してしまった。
犬橇での旅話も出てくるがイヌの扱いが、現代で見聞きするのととでは大違いでイヌをわけも無くぶっ叩く場面が度々出てくる。そうするのが趣味であるかのような印象さえ受ける。ああいう極限世界ではそうせざるを得ないのか、冒険家植村もいざとなるとイヌを撃ち殺して食料にすると述べている。動物愛護の皆さんはギャーギャー喚くだろうが私は彼の決意を賞賛したい。
また脱線したので今日はこれにてオワル。お題と内容が離れてしまった。

イエローナイフの項はこれにてオシマイにします。

観光オプション

2007年12月24日 06時33分47秒 | オーロラ
 ツアーの常套手段オプションはこの度もありました。
犬橇、スノーモービル、カンジキでの散策でどちらも10.800円也。ちょっと高いので私個人的には参加せずホテルに閉じ篭っておくか、寒さをものとも・・しながら街歩きでも良かったのですが、同行(というよりも大スポンサー)のお二人の意向に乗っかって参加することにした。

 犬ぞりはスイスのディアブルレ氷河で-氷河というよりも氷原だったがーこの三人のメンバーで乗ったし、かんじき体験はワッパを履くだけなら自分でも出来るのでスノーモービルを選んだ。
 係員から扱い方を教わりアクセルを押す。右手レバーの手前側に付いているレバーを親指で押す方式だ。これがケッコウ疲れる、バイクのようにレバーを手前に回す方式がラクなのに安全上の理由があるのだろうか、女性にはキツイと思われる。

 湖の上をくるくる廻るだけだが楽しい、スピードも50Kmはゆうに出る。林や起伏のある場所ならもっと楽しいに違いない。ヘルメットのフードマスクを下ろすと吐く息でくもって見づらくなる、フードを下ろさないと顔に風が当たり頬っぺたが痛くなるほど冷たい。スノーモービルのフードはチョコッとしかなく腰を折って屈むようにしなければ風を防げない。マスクを下ろしたり、上げて腰を屈めたり、又上げたりしながらスピードを楽しんだ。妻もスピードを出して吹っ飛ばして快感を味わっている様子だ。
スノーモービルを選んで正解でした、繰り返すけど林は起伏のあるルートを走りたかった。

 降りて小屋へ行くと、かんじき散策組が出発準備をしている。インストラクターが装着方法や歩き方を見せている。テニスラケットを細くしたような形でニッポンのワッパよりも形がきれい、なぜか爪が無い。皆さんはエッチラこっちら出発した。
私たちも自由に使えるカンジキを履いて近くの新雪の積もった斜面に挑戦した。ズルッと滑るが歩けないことはない。オーロラ観賞をする小高いところへわざわざルートを外れて木立の中を直登する。急斜面では転んで雪まみれになったが、雪に戯れるのがたまらなく面白い。踏み後の無い真新しい所にトレースを付けるのは気分がいい。

 高いと思うオプションだがせっかくなのでと参加した、まあ良かったと評価しておきます。

街の様子

2007年12月22日 07時45分19秒 | オーロラ
 イエローナイフの街の様子は・・・なんて書こうと思ったのですが、個人的に外へ出たのはたったの2回、郵便局と夕食を食べに出ただけなので何も知らないに等しい。
しかし乏しい経験の中から学んだこもあります。道路を横断する為に信号の下で待ち、青に替わったところで横断しようとするが正面の歩行者用信号は赤のまま、車の後で歩行者かと立ち止まっていると車両用が赤になって目の前に止まっていた車両が動き出した。横断者がいるのに信号が変わらない。変だと思って周囲を見回すと歩行者が信号機の下についているものを押している。横断する方向の矢印があるボタンを押しているのだ。
歩行者専用の押しボタンは珍しくないがニッポンでは例外的に設置されていると思う、ここではフツーのようだ。おかげで寒い中震えながら待つハメとなった。

 それと酒屋が少ない、私が住むウチナーはムカシから酒屋というのが無くて、酒はマチヤ小(まちやぐぁと読む。)雑貨店で買っていた、タバコも同じ。何処でも買えたのです、復帰すると免許制になったが既得権補償の意味で今でも殆んどの小さな商店も売っています。
 イエローナイフではスーパー(と呼ぶには小さな店だが)に置いて無くリカーショップまで足を運びビールとブランデーを買った。たまたま近くにあったので助かったけど、離れていたら酒を飲むのにあの寒さをガマンする勇気ある行動必要になる。

 観光で州議会議事堂、ヘリテージセンター、オールドタウン見物はツアーに含まれており案内付きで見物した。バスで廻った感じではそれほど広くない、詳しいことは下記サイトを見てください。

http://www.aurora-tour.com/index.htm
街の様子からオーロラ観光について説明が読めます。

 州議会議事堂は素晴らしい、議員が身近に感じられるような距離、それが建物に現れている。人口・議員の数が違うが、ニッポンの議会棟とは設計コンセプトが違う。議会と住民・市民の関係を大切にしているのを感じる作りだ。ニッポンの権威主義とは明らかに違う。そういう事を意識したことがありますか? 
ちょっと目には変わりは無いように見えますが、議会への考え方の違いがあるように思えました。

イエローナイフでの食事

2007年12月20日 19時37分11秒 | オーロラ
 ツアー案内を見るとイエローナイフでは食事が殆んど付いていない、格安ツアーだからかなと思って食事する場所をインターネットで探した。朝食が付いていないので朝から食堂へ足を運ばねばならないのはツライと妻に愚痴を零すと、スーパーでパンを買って済まそうという。ディナーが1回付いているのに朝がまるっきり付かないなんてヘンだ。行けばナンとかなるとは思うもののカリブーの肉を味見できる店とベトナムのフェとかいう麺の店2ヶ所をアタマに入れておいた。

 イエローナイフへ行く便で食事が出た、大きなサンドイッチで棒状のパンにハムや野菜がいっぱい詰まっていたので満腹になった。ハムはケチらずに端から端まで乗っかっている、ニッポンで食べる端の数センチはハム無しとは大違いだ。その夜の食事はこれで充分。
 ホテル到着後二ほど記する時間も無いままオーロラビレッジへ移動し施設を一回り案内してもらいログハウスで温かいバッファローのスープとパンの深夜食が振る舞われた。この深夜食は毎日付いている。
 2時まで見物し私は風呂にも入らず寝た、それでも4時前になっていた。モーニングコールは12時、市内観光への出発は2時なのでその間に郵便局へ行く、寒い~。ついでにA&Wに入ってハンバーガーで昼食を済ます。A&Wはオキナワ最初に入ってきたファーストフードの店なので馴染みがある。本格的なドライブインでパーキングに設置されたインターフォンで注文して運んできてもらうアメリカンスタイルの店は珍しい。メニューではホットドッグとチョコサンデーが好きです。

 夕食はカリブーの肉を食べに地図で確認した店へ行くと、予約客でいっぱいと断られた。1階はバーのように見えたので入らなかったけど、奥のテーブル席では料理も注文できたと後日聞いた。カリブーを逃がしたのは残念だった、イエローナイフへ出かける方は予約をした方がいいです。
結局ベトナムの店へ行きフォやワンタンを食べた、カナダまで来て何故ベトナム料理かと言われたが、ではカナダ料理ってナンだと言うて逃げた。

 翌日も午前中は寝ていたので朝食抜きとなった、昼食の時間に起きだすのがこの観光の特徴なので朝食のことでアタマを悩ます必要は無かったのだ。時差と夜更かしで何がどうなっているのか身体もアタマも混乱している、その所為か食欲もさほど感じない。
その日のランチは夕べビールのついでに買ったパンと機内食のパンやバターで済ませた。
 夕食はオーロラビレッジでディナーがあった。前菜のサラミにチーズ、サラダが出たあとたっぷりソースがかかったバッファローに極北の白身魚、飲物はビールにワインがあり美味しく頂きました。深夜には夜食また夜食が出た、魚とバッファローが交互に出たがいずれも口に合う味で身体も温まった。
翌朝は午前4時起床で出発なので朝食は一度もとらなかった。結果論だが食事・レストランについては心配するには及ばずというところでしょう。

 写真はA&Wの外観です、オキナワ旅行の際は是非牧港もしくはコザのドライブインスタイルの店にどうぞ。アメリカの雰囲気が味わえます、あのスタイルの店はヤマトには無いと思います。

写真撮影

2007年12月19日 06時50分29秒 | オーロラ
写真撮影
 カメラはオリンパスの一眼レフを持っているが、オートモード主体で使っているので操作技術はからっきしダメな部類で、旅先でカメラ好きの雰囲気を持っている人にアレコレ尋ねてシャッターを切っている。
 オーロラを撮るのは夜間なので長時間の露光が必要になる、そこで三脚が必要との記述を読んで買うことにした。手袋を仕立た手で扱い易い物と考えたがケッコウ高いし、以後それほど使うことも無いだろうから2千円ちょっとのモノにした。レリーズも必要とあったがシャッターにはレリーズを取り付けるネジが切られていない。デジカメなのでタイムがセットできることを知った。

 この程度の知識で大丈夫と思い出かけ、イエローナイフでの初日オーロラを写そうとシャッターを押すも切れない、シャッターが落ちない。ピントが合わないとシャッターが切れないのだ。マイッタ、その夜はオーロラの写真はナシとなった。マニアルにする方法があると聞いたのでホテルで弄繰り回してマニアルにする方法が分かった。今度こそは・・と二日目の夜三脚に取り付けたカメラを空に向けてシャッター切る。今度はカチッとシャッターが落ちる、何枚も撮ったけどオーロラは写っていない。露光と時間が合わなかったようだ。記念のオーロラを撮りたかったのに。

 三日目は朝から(起きるのが昼頃なので昼からとすべきか。)雪がちらつく天候、夜になっても変わらないので、今夜は見えないだろうと三脚を置いてオーロラビレッジへ行った。
ところが出たのだオーロラが。三脚なしで30秒も開放すので骨となったバッファローの置物を利用してカメラと腕を固定した。そんな時間同じ姿勢を保てないが、どうせボケたようにしか写らないだろうからと自分自身を納得させながら息を凝らして固まっていた。
結局この時に撮った2枚だけが成果といえるものです。写っていてヨカッタ~。

 オーロラをバックに記念撮影と考えていたけど、リモコン操作あるいはタイマー設定方法も知らないし、マニアルモードへの切り替えもできない状況だったのでムリでした。
オーロラビレッジではワンショット3千円也で撮影するサービスがある。自分で撮るより綺麗に写るだろうとtwoショット(二日間)頼みました。
昨日書いたようにオーロラは肉眼より写真で見るほうが綺麗です、ミドリの雲をバックに立っている自分を見て幻想気分に浸ったことを思い出した。

 オーロラを撮影するとき開放(私のはF3.5)でタイムは25秒と30秒で写した。結果は2枚しかマトモに写っていないので数値については何とも言いがたい。人物を入れる場合はフラッシュをたいてその程度露光すると思われる。
カメラ操作をもっと勉強する必要がある。旅先では痛感するも喉もと過ぎればとその繰り返しばかりです。

オーロラの色

2007年12月18日 10時09分09秒 | オーロラ
 この旅の最大の目的オーロラはエドモントンからイエローナイフへ向かう飛行機から見えた。1時間ほど飛んだ頃に妻がトイレに立ったので窓から外を見た、晴れているので今夜のオーロラ出現が期待できそうだと目を前方に向けると雲がひと筋浮かんでいる。頬をガラスにくっ付けてよく見ると形がおかしい。何も無い空間に”つ”の字のような、或いはナイキのロゴマークのような雲がある。ムクムクとした感じではなくて縦に降りているような不自然な形なので若しやオーロラではないかと考えた。
 
 しかし写真で見るような色が付いていなくてフツーの雲の色なので半信半疑、断定はし難い。私の常識ではオーロラというのはミドリや青たまにはピンクに染まって天空にあると思っていたので、目の前の濁った白色の雲がオーロラであると確信が持てなかった。
それでも形から考えて「もしかしたらオーロラだよ。」と妻に見せた。義妹もオーロラが見えたとやや興奮気味、はるばるこの地までやって来た甲斐があった。

 オーロラ見物前に書いたオーロラビレッジで観測したが、そこのスタッフによると目を凝らして見つめていると色が付いているのが分かるようになる、つまり慣れれば判別できるようになると話していた。しかし人間の目にはほんの微かな発光しか感じられないけど写真に撮ると色が写ると言う。雑誌や映像では色付きのオーロラが見られるので目と写真機では何かが違うのだろう。感じる波長なのか集光能力なのか・・・
その説明を聞いて分かった、理解はできたが納得しなかった。天空に広がる光のショウーをアタマに描いていたので無彩色とも思えるオーロラを素直に受け入れることが出来なかった。

 オーロラを見に行こうと考えた頃からオーロラのサイトを行き当たりバッタリに訪ねて読んだ。それらの中に”オーロラを肉眼で見ても色は付いていません”と記述されたのは無かった。実際極北の地まで来た人も多いのにどうしてその事を書いていないのだろうか。予備知識があれば違う印象を持っただろう。
 それとも色が見えないのは私たちだけだったのか。ツアー仲間唯一の女学生も綺麗に見えたと発言していた、これは眼力の差なのか受ける印象の感度の差なのか疑問に思っている。

 多額の金を掛けて出かけるのだからガッカリしたとは言いづらい、それに慣れてきたら確かに僅かではあるが色を感じるようになる。それを持ってヨシとしているのだろうか。白っぽい雲も写真に撮れば美しいミドリのカーテンになることは確かだ、私としてはその落差にショックを覚えたが他の人たちはどう考えているのか。

 ガッカリしたことを強調気味に書いたが例えそうであったとしても、星空に刷毛を大胆に振るって北斗七星をも霞ませるオーロラは寒さに耐えて見る価値がある。時とともに動き形も変わる、クリスマスツリーを飾っている綿雪を引き千切ったように糸を引いたり、吊り下げられた舞台幕がカーテンコールの為に将に開けられようとするかのごとく、又天の川のように薄く伸びたりする。小さな湖を取り囲むように生えた木々の上にはオリオン座が、首を回すとオーロラが霞みのようにかかっている。
静かで冷たい夜でした。

勉強になるサイト
http://aulive.net/howto/index.html
Live! オーロラ

写真は私が撮った数少ないオーロラの写真です。

雪・氷・寒さ

2007年12月17日 07時11分41秒 | オーロラ
 那覇を午前7時前に家を出たが冷たい寒いとはいえ18℃、セーター、マフラー、手袋にキルティングは抱え、イエローナイフに着くまでにはそれらを全て身に付けていた。エドモントン空港は一面雪景色となっており、飛行機の翼に凍りついた雪を落とし不凍液らしきものを吹き付けている作業が行なわれていた。もう完全に雪と氷の世界になっている。
 イエローナイフ空港では飛行機からターミナルまでほんの50メートルほどだが歩かねばならない、タラップに足を踏み出す頃は身体の芯まで冷えてしまう。寒い~とキャーキャーいいながらターミナルビルに入った、極北までやってきて一種の興奮状態になっているのだろう想像していたほどの寒さをその時は感じなかった。
建物の中は温かい、暖房器具が全く無い我が家よりもはるかに温かく感じる。興奮が徐々に納まりバス移動する頃になるとやはり寒気が襲ってきて、ターミナルで温まった身体はバスに乗るための数メートル外気に晒されるだけでヒエ~っとなってしまった。

 ホテルの部屋には防寒具が用意されている、フード付きの上着、ズボン、靴、ミトン(2本指の手袋と目出帽の5点セットで靴は中に1cmの厚さのフェルトでブーツ状に形作られてその上から履くようになっているので足が温かい。
休む間もなくオーロラ見物へ出発する為ロビーに集まるのだが、暖房の効いた部屋で防寒具全てを着用すると暑過ぎるので靴とズボンを身に付けただけにした。寒い地方で汗を掻くのがイチバン悪いそうです。汗が外気で冷やされると温かさを取り戻すのに苦労することになるので体温調整は適度に行なうように注意があった。

 オーロラが出るまで極寒の地で起きる不思議な現象の実演があった。もちろん屋外である、そこはオーロラビレッジという湖畔の施設で街から車で30分の湖畔にあった。ティピーと呼ぶインディアンのテントー十数本の丸太を円形に組み合わせて天井部からその丸太が飛び出ているあのテントですーが7~8張と丸太小屋数棟あり若い日本人スタッフも数名いて充実した設備に組織であった。施設内の小さな湖は凍っているが夏は別の景色があるのだろう。
 バナナで釘を打ったり水を浸したタオルが僅かな時間で凍りつくのは珍しくないとしても、シャボン玉が手で掴めたりお湯を空中にぶち撒けると瞬間的に氷となってキラキラ輝く様は面白かった。
乾燥した場所なので降雪量はそれほど無くてスノーパウダーで電灯の灯りにキラキラ光るのが散見されるのは空気中の水分が凍りついたものだろう。雪の結晶も手にとって見れる。

 寒さ対策として伸ばしたヒゲは役に立ったとは思えなかった。風に当たると睫毛が凍るほどなので、吐く息に水洟が混じった湿った空気が口ひげにかかって凍りつきゴワゴワした感触が不快だった。良い考えと思ったけどな~、極北の人イヌイットにヒゲ面は少ない、凍りついたヒゲの写真に写っているのはそこの人以外だもんね。私の判断は間違っていたようだ。

写真はティピーとログハウス、手前はカンジキです。日本のとは形がまるで違う。

カナダからの手紙

2007年12月16日 07時01分52秒 | オーロラ
 ティピィと呼ばれるテントの中でオーロラ出現を待つ間雑談が始まり、音楽の話になった。ポップかジャズの大御所その他の名前が出たが私の知らない人ばかり。突然唐突に「平尾マサアキの名前があがったので大笑い、笑った人の年齢が高い人ばかりなので、その事をまた笑う。
 若い人が多くて中には女学生もいた、私がイチバンの年寄りと思われる。♪~Love letter from カナダ・・・から始まる「カナダからの手紙」が流行ったのは何時だったか、20年以上も前の歌だったろうから笑ったのはオジサン年齢に近い人ばかりだった。

 オーロラの出現率が高いイエローナイフまで飛行機を4回も乗り継いでやってきてくつろいでいる時”カナダからの手紙”の話題で、機内で読んだトルコの紀行文が思い出した。”400年前の手紙”という題でオスマントルコ時代の天才建築家ミマル・シナンのことが取り上げた文章だった。
シナンのことはイスタンブール見物の時にガイドが何回も説明していたので記憶に残っていたのと、友人に建築家がいるので興味深く読んだ。
オーロラとは関係ない話で、その上著作権の問題もあろうけど読んで感動したのでここに載せます。

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発見された手紙
 1990年代、イスタンブールで16世紀に建造されたあるモスクの修復プロジェクトが立ち上げられた。このプロジェクトの最も難しい点は、もろくなってしまった石のアーチを修復することだった。
 プロジェクトチームは熟考した末、木の枠組みを使い構造を修復することに決めた。ローマ帝国がかつて使用していた手法とほぼ同じであろうと考えたからだ。作業に取り掛かりアーチの下に木の枠組みを設置し、アーチを支えている重要な石である「キーストン」を除去しようとしたその時、彼らは驚くべきもの、そこにあるべきではないものを見つけた。
それはガラス管だった。ガラス管の中には何枚かの用紙が入っていた。専門家が呼ばれ、その用紙はオスマン語で書かれた手紙であることが判明した。
 400年前に書かれた一通の手紙がその日意外なかたちで届けられたのだ。翻訳された手紙の内容はこうだった。

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我々が建造したこの建築物の石は、400年が寿命である。400年後石のアーチ部分は傷んで脆くなりあなた方はそこを作り直そうとするだろう。その時おそらく建築の技術は我々の時代より大きく進化しており、それゆえにあなた方は意思のアーチを作り直す経験を持っていないだろう。だから私はこの手紙を書いている。

 おそらく、あなた方は石のアーチ部分の重要な石「キーストン」の下に木の枠組みを設置し、その後「キーストン」を除去しようとするだろう。そのプロセスに取り掛かることは、この千築物にとって大変重要な意味を持っている「キーストン」について学び始めることを意味している。
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このあと手紙はキーストンの役割やさらにその後400年維持するために、建築当初と同じ東アナトリア産の石を使うことなどを指示していた。また手紙には図面と工法の資料が添えられており、”同封の資料で、あなた方はこの石の建築物のすべてを学ぶことができるだろう”と締めくくられていた。
 この手紙は、ル・コルビュジュとフランク・ロイド・ライトが歴史上最も尊敬した建築家といわれる「ヒリスト」という人物により書かれていた。
 実は、このヒリストという人物は、1538年から1588年の50年間、オスマントルコ帝国のスルタン(君主)のために、実に多くの建築物を遺した建築家ミマール・シナンに他ならない。
   
  ----以下省略------

 何の繋がりも無いはずの「カナダからの手紙」と「400年前の手紙」が私のアタマではピッとくっ付いてしまった。そこで手紙ならぬハガキを友に出した。
 友人はただ建築設計をしているだけでなく市民運動に深く関わり理論面の中核をなしている人物でもある。
 
”辺野古のアセス方法書や石垣空港の訴訟などで忙しいでしょう。私はオーロラで名高いイエローナイフ来ており零下20数度の中でヒーサに震えることも無く・・・”
と彼が羨ましく思うように書いた。
運動に仕事に忙しい彼の遊びの部分を私が代行してあげているのです、友情の現れですヨ。(笑)

おみやげは、そのJALの機内誌にします。
運動の報告会や支援集会参加のために度々ヤマトへ行くので既に読んだかな。読んでしまっているとしてもお土産は気持ちなのでそれを汲んでもらえれば良いのだ。

写真は雪に覆われた山々に朝日が射し始めたところです。

イエローナイフへ出発

2007年12月15日 10時39分27秒 | オーロラ
 今朝は4時半ごろ妻が起きてきた、長旅になるので朝ごはんを食べてから出発したいと告げてあったのでその準備のためのようだ。ちょっと悪いかなと思ったけどランチが何時になるかの予定が立てにくいのでいやみを言われながらもお願いした次第です。それに予約をインターネットで入れたらチケットレスで空港で無人機を操作しての発券となった。機械相手にアタフタする場面も考えられるので早めに出ることにしたのであの時間に起こすハメになったのです。今回はJALマイレージを利用するので那覇ー羽田往復に金が掛からない。

 とにかく成田への移動が先決である、リムジンバスなら坐っているだけ行けるが、途中1回乗換える手間を掛けても京成電鉄の普通電車に乗った。所要時間は2時間でバスより遅いけど電車の方が時間も正確だろうし料金も1560円で済む、その差額で昼メシが浮くから電車を利用するのも悪くない。
大阪から参加する妻の妹は既に到着してVISAラウンジで待っていると連絡が入った。私はこのような施設を使うのは初めてで、以前家族みんなはラウンジに入れたのに私はカードを忘れて外で待っていたことがある。今回はカードを忘れずに持っていたので入れた。カードは妻の家族会員で旅行保険が付いているので入っているだけで私自身が買い物をした事は無い、まあ準禁治産者扱いというところ。(笑)
サービスのコーヒーで時間を潰した。

 昼食は900円のキムチラーメンを食べたが空港は何でも高い、HISとエアーカナダの手続を済ませて出国審査を経て登場口へ、飛行機が動き出す頃には既に暗くなっている、オキナワとは違い日が短い。
バンクーバーへ向けて飛び立ったのが4:50で機内が落ち着いた17時になると第一回目の食事夕食が出た。チキンとウナギの選択なのでウナギを食べた。機内食でウナギが出るのは初めてだ。飲物はビールを飲んだ後だったのでワインにしたが美味しい食事でした。
 機内は乾燥しているのか喉がいがらっぽい、それを水で流す。時間潰しのツールを何も持ってきていないのに座席のTV画面が不調で写らない、うとうとしては目が覚める状態を繰り返しているうちに朝食の時間になった。オムレツと和食のチョイスなのでオムレツにしたが夕食同様美味しかった。

 夜が明けると眼下は雪と氷の世界で雪の山々に凍った川に湖水が見える、氷河は見えないので南に下ったのだろうほどなくバンクーバーに着いた。現地時間の午前8時になっている、エドモントンへは14:20発なので時間はたっぷりある。眠くなったのでベンチで横になった。寝心地は良くないけど飛行機よりはマシだ。

 2時前に登場口へ移動するがターミナルの端から端まで歩かされた。乗り込んだエアバス320型機はロッキー山脈を越えると一面雪の世界でロッキーの西側とは大違いだ。外は夕方というよりも夜に近い暗さだ。国内でも時差のあるカナダなので現在地の時間は分からない。1時間30分のフライトでエドモントンに着く、時間は5時とのこと。イエローナイフへは3時間の待ち時間があるのでピザとビールをハラに納める。直径30cmはあるピザ6分の1切れとビール3杯で22ドル20セント(カナダドル)だったが先進国なのでそのようなものでしょう。

 エドモントン空港はバンクーバーより冷えている、その冷たさが目的地のイエローナイフに近づきつつあるのを証明しているように思えた。

写真はバンクーバー風景のひとコマです。