どこ吹く風

旅のことを主に書く。

フィリピン・マニラ

2005年08月21日 09時42分12秒 | 旅-マニラ
 初めてマニラを訪れたのは1990年だった。たしか2月だったと思う。暑かった、当時は電力事情が極端に悪く毎日停電が起きた。店では路上に置いた発電機を回す対策を採っていた。発電機が無いところは暑さや照明を我慢せざるを得ない。クーラーが切れて暑くなったので窓を開けるとムッとする熱気が入ってきたので慌てて窓を閉じたこともあった。
 車も冷房は付いていたがあまり効かず窓を開けるとヘアードライヤーを顔面に吹き付けられたような感じがしてビックリした。あの暑さは尋常なものではなかった。それでも精力的に街を歩いた。仕事で行ったのだが、その仕事が公言できる無いようではないので詳しくは言わないが、犯罪とかその類ではなくヨタ話的な部類なので大っぴらに言うのが憚られるのである。

 私はある人の企画の補佐的業務をするために付いていったのである。他人の金でマニラを楽しんだということだ。ただし旅費は出してもらったが、それ以外の報酬は貰っていないし旅費相当分は仕事をしたつもりなのでお互いフィフティ・フィフティで恨みっこ無しだ。つまりこの企画はダメじゃないかと内心思っていながらスタートしたので後日いろいろあった、その言い訳的な意味も込めたフィフティ・フィフティ発言である。

 私としてはマニラを、フィリピンを知る機会を得たことをその方に感謝しています。

 当時の私は何処かへ旅するときは勉強して出かけた。ガイドブックを数冊買って読み、図書館でその補充をしてとフィリピンのことを読んだ。付け刃であっても予備知識があるのと無いのとでは違う、楽しみ方が違うと思っているアレコレと本を読んだ。フィリピンは英語が通じるのでナントカなるが出来れば現地語も少しは知りたいと思いガイドブックのチョットした単語や会話の項を読んだがそれだけで覚えるはずも無い、ムツカシイと思いながら一応読む。タガログ語の会話本を買って持って行った。

 何処の国でも外国人が自国語を学ぶ姿は嬉しいようで親切に教えてもらえる。言葉というても食べ物の名前と地名、それにカタコトの挨拶でも親密度が増すし、手前味噌だが理解が進んだ気にもなる。独りよがりのことでも自分なりに努力している気分を味わい、楽しめればいい。
言葉は分からなくても地図を片手に行きたい場所にいけるし、食事も身振りで注文できるので言葉は必須条件ではない、しかし少しでも知っていた方が良いのは自明の理、でもこれだけ英語を学んでも話せない、書けないのにこの年になって新たな外国語なんて笑い話にもならない。それは分かっていてもチョッカイを出したくなる性格です。

 結果は10くらいのセンテンスと2~30単語を覚えただけです。数字は1から3までは言える。威張れないか・・・
 
 現地スタッフにジプニーやバスの乗り方を教えてもらい利用した。TAXI利用でも300円で行けるが20円で行けるバスがいい。ヒマになったら当てもなくジプニーに乗った。終点まで行き戻ってきたり、途中で面白そうな場所が来たら降りて歩いたり、ただそれだけでも面白い。

 楽しい思い出があるマニラに数ヶ月前に家族旅行した。妻・二人の娘に孫の5人旅、孫は1歳なので実質的には4人だ。
何でフィリピンに・・・とか危なくない? とかの言葉も聞かれたが、楽しい旅になることは間違いないと確信して出発した。

写真は、パビリオンホテルからリサール公園・大蔵省、キアポ方面遠望