旅限無(りょげむ)

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太宰治著『家庭の幸福』(新潮文庫『ヴィヨンの妻』収蔵

2005-03-06 21:23:02 | 書想(その他)
■一体誰が言ったのかは知らないけれど、太宰を読んだ日本人が挙げる書名は判で押したように『走れメロス』なのは、実に困ったことである。戦後の軽薄な民主主義を軽蔑していた太宰が、まさか自分の作品を年端もいかない子供用教科書に掲載して、友情だの信頼だののお説教に利用されるとは思いもしなかっただろう。
 無数の子供用図書に書き直され、アニメ映画にまでなって生き残っている『走れメロス』は、原稿料の前借をしては酒と薬に溺れる生活の中で起きた小さな事件が創作動機となった作品で、太宰の代表作になどしてはいけない物なのである。大体、ぜんぜん面白くないのだから、この作品を教科書で無理やり読まされて、太宰を読んだなどと言わせる国語教育は最悪である。

■日本が米国との戦争を始めてしまった頃、作家仲間と連れ立って、金も無いのに箱根の温泉に居続けていた太宰一行は、いよいよ支払いとなって困ってしまう。一人の作家が代表となって金策のために山を下りて東京を走り回って借金をして歩いたらしい。やっとの思いで宿と酒の代金を作って温泉宿に戻ると、太宰は友人と暢気に将棋を打っていたと言う。必死の思いで金を作って山を登って来た件の作家が、余りの無責任さに怒り心頭に発して怒鳴りつけたらしい。 その時太宰は少しも慌てず、「待つ身が辛いか、待たせる身が辛いか」と嘯(うそぶ)いて、相手を煙に巻いたのであった。

■警句やアフォリズムの名手だった太宰のことだから、苦し紛れの言い訳も文学の種となる力を秘めていたのは確かで、「ご免、ご免。申し訳ない思いでいっぱいなんだ。御苦労様、有難う。ずっと心配していたんだ。僕は愚かな無精者だから、うっかり将棋盤なんか出してしまって悪かった。許してくれ給え。」と手をついて素直に謝れば、『走れメロス』は書かれなかった。
 何とも遠回しの反省と感謝の表し方も有ったものだと呆れるが、「待つ身の辛さ」を名文で表現した腕は見事で、無責任な借金の言い訳だとは読者は気が付かないで感動してしまうのだから大したものである。しかし、作品が秘めている動機が不純なのだから、子供に読ませてはいけない、と良き父親になりたかった太宰は言うに違いないのだ。『走れメロス』幻想が自家中毒を起こすと、オレオレ詐欺が大流行したりするのである。

■さて、『家庭の幸福』である。題名が、新興宗教がパンフレットに印刷しそうなものだから、お為ごかしの説教が並んでいるのかと思ってはいけない。この作品は、太宰がやっと心中に成功する直前に脱稿されて、その死後に出版されたのである。ラジオから聴こえて来た街頭録音のインタヴューから膨らんだ妄想が、劇中劇のように展開する中に、


 ……見みすぼらしい女の、出産にからむ悲劇。それには、さまざまの形態があるだろう。その女の、死なねばならなかったわけは、それは、私(太宰)にもはっきりわからないけれども、とにかく、その女は、その夜半に玉川上水に飛び込む。新聞の都下版の片隅に小さく出る。身元不明。

これを書いた数ヵ月後には、その玉川上水に本人が飛び込んで、「都下版の片隅」どころでなく、全国紙にでかでかと「太宰死ス」の記事が載ったのである。自分の死に場所をさらりと書き残している太宰の凄みにぞっとするけれど、そこが堪らない魅力となってしまうのだから、読者というのは悪人である。 

その大半、幼にして学を好み、長ずるに及んで立志出郷、もっぱら六法全書の糞(くそ)暗記に務め、質素倹約、友人にケチと言われても馬耳東風、祖先を敬するの念厚く、亡父の命日にはお墓の掃除などして、大学の卒業証書は金色の額縁にいれて母の寝間の壁に飾り、まことにこれ父母に孝、兄弟には友ならず、朋友は相信ぜず、お役所に勤めても、ただもうわが身分の大過無きを期し、ひとを憎まず愛さず、にこりともせず、ひたすら公平、紳士の亀鑑(きかん)、立派、立派、すこしは威張ったって、かまわない……

■太宰がぼんやりとイメージしていた「官僚」像が細大漏らさず、立て板に水の太宰らしいいつもの調子で書き連ねられていて、何度読んでも笑ってしまう。こういう一節こそが、『声に出して読みたい日本語(中学生用)』であって欲しいものである。作家である太宰が、妻と可愛い三人の幼子を放って家を留守にして「あちこち、あちこち」している間に、出版社の人が原稿料を届けて呉れたのを僥倖(ぎょうこう)と思った奥さんが、何と子供の音楽教育を第一目的として、吉祥寺でラジオを購入した事が、太宰に霊感を与えてしまうのが面白い。
 太宰はテレビの出現を見ないで世を去った。ラジオでこれだけ感情を噴出させられるのだから、十秒間のCMだろうが、ワイド・ショーの無駄話だろうが、誰も見なくなって久しい国会中継だろうが、太宰が生きていれば、テレビと格闘を演じて呉れたのではなかろうか。


……夜の八時だか九時だかに、私は妙なものを聴取した。街頭録音というものである。所謂政府の役人と、所謂民衆とが街頭に於(お)いて互いに意見を述べ合うという趣向である。所謂民衆たちは、ほとんど怒っているような口調で、れいの官僚に食ってかかる。すると、官僚は、妙な笑い声を交えながら、実に幼稚な観念語(たとえば、研究中、ごもっともながらそこを何とか、日本再建、官も民も力を合せ、それはよく心掛けているつもり、民主主義の世の中、まさかそんな極端な、ですから政府は皆さんの御助力を願って、云々(うんぬん))そんな事ばかり言っている。つまり、その官僚は、はじめから終りまで一言も何も言っていないのと同じであった。……民衆のひとりは、とうとう泣き声になって、役人につめ寄る。寝床の中でそれを聞き、とうとう私も逆上した。もし私が、あの場に居合せたなら、そうして司会者から意見をもとめられたなら、きっとこう叫ぶ。

■この文章が書かれたのが昭和23年、1948年の春であった筈である。サンフランシスコ講和会議まで、まだ3年待たねばならない占領軍が跋扈(ばっこ)している混乱期である。
 前年の正月早々、1月4日に「公職追放令」が改正?されて、三親等・言論界・地方公職にまで対象が一気に拡大されて、お役人や新聞記者は明日をも知れぬ我が身を思えば、夜も眠れず、GHQへの「お願い」と「ご説明」と夜の接待に必死になっていた時期であった。従って、太宰を激怒させた官僚は、見事に追放を免(まぬが)れた一人という事になる。
 もしかすると、次々と目立った上司が追放されて、棚から巨大なぼた餅が落ちて来て、二段三段跳び越し人事のお陰で、望外の出世を果たした直後であった可能性も有る。小役人としては、「欠けたることも無し」とちっぽけな我が世の春を無言で祝って、内心は有頂天になっていたのかも知れない。
 それにしても、鮮明な映像も残っていない時代の様子、世の中の息遣いが見事に保存再現されている事に感動するではないか。太宰が聞いた街頭録音のテープなど残ってはいないだろうが、そんな高価な機材は不要なのだ。録音を再生などしなくても、まるで放送を一緒に聞いている感覚にさせる才能さえ有れば、記憶も文化も衰えることは決して無いのであろう。

■世の中は、万事「好事魔多し」なので、『家庭の幸福』が出版された翌年の1949年の5月31日には、「行政機関職員定員法」が公布されて、問答無用で28万人以上のお役人がクビになった。上手に「天下り先」を確保出来た人は少なかったに違いない。もしかすると、密かにこの大災害の記憶が役所の隅々にまで浸透していて、数え切れない政府系機関だの独立行政法人だのをせっせと作っているのではなかろうか?さて、ラジオを聴いて激怒した太宰先生が妄想した「叫び」を聞いてみよう。 


「私は税金をおさめないつもりでいます。私は借金で暮らしているのです。私は酒も飲みます。煙草も吸います。いずれも高い税金がついて、そのために私の借金は多くなるばかりなのです。この上また、あちこち金を借りに歩いて、税金をおさめる力が私には、ありません。それに私は病弱だから、副食物や注射液や薬品のためにも借金します。私はいま、非常に困難な仕事をしているのです。少くとも、あなたよりは、苦しい仕事をしているのです。自分でも、ほとんど発狂しているのではなかと思うほど、仕事のことばかり考えつめているんです。酒も煙草も、また、おいしい副食物も、今の日本人にはぜいたくだ、やめろと言う事になったら、日本に一人も芸術家がいなくなります。それだけは私、断言できます。おどかしているのではありません。あなたは、さっきから、政府だの、国家だの、さも一大事らしくもったい振って言っていますが、私たちを自殺にみちびくような政府や国家は、さっさと消えたほうがいいんです。誰も惜しいと思やしません。困るのは、あなたたちだけでしょう。何せ、クビになるんだから、何十年かの勤続も水泡(すいほう)に帰するんだから。そうして、あなたの妻子が泣くんだから。ところが、こっちはもう、仕事のために、ずっと前から妻子を泣かせどおしなんだ。好きで泣かせているんじゃない。仕事のために、どうしても、そこまで手がまわらないのだ。それを、まあ、何だい。ニヤニヤしながら、そこを何とか御都合していただくんですなあ、だなんて、とんでもない。首をくくらせる気か。おい、見っともないぞ。そのニヤニヤ笑いは、やめろ!あっちへ行け!みっともない。私は社会党の右派でも左派でもなければ、共産党員でもない。芸術家というものだ。覚えて置き給(たま)え。不潔なごまかしが、何よりもきらいなんだ。どだい、あなたは、なめていやがる。そんな当たりさわりの無い、いい加減な事を言って、所謂民衆をなだめ、納得させる事ができると思っているのか。たった一言でいい。君の立場の実情を言え!君の立場の実情を!……」

■太宰先生は、つぎつぎと湧き出す憤怒(ふんぬ)の念が極まって、とうとう寝床の中で泣き出してしまう。 ぜんぜん段落の無い、芸術家の啖呵(たんか)なのだが、いかにも太宰らしいミミッチさと虚勢が感じられて愛らしいのだが、衝き付けているポイントはまったくブレてはいない。既に死語となった「社会党」を除けば、今も使える啖呵である。という事は、官と民との関係は、戦後六十年間何も変わっていないという事である。
 太宰が怒っていたこの時期は、あらゆる物資が不足して、食料は最も切実な問題だったが、芸術家である太宰にとっては紙不足が起こった深刻な年でもあった。文藝春秋などの雑誌が、紙が無いという理由で続々と休刊に追い込まれたのである。敗れたとはいえ、戦争が終り、太宰もしみじみと弱音と泣き言を存分に書ける時代になったのに、紙が無くなった年に、この作品は書かれたのである。

■空想の天才であった太宰は、さっきまで憎悪の対象であった官僚の身になって、彼の家にもきっと置いてあるラジオを中心にして、その役人生活を鮮やかに描写して見せる。それでも足りずに、自分が町役場の戸籍係になって一人の薄幸の女性を無情にも死においやってしまう話を作り出す。
 自分の本名津島修治を与えた変凡な戸籍係は、「同僚から押し付けられて仕方なく買った宝くじ」が当たる。それを誰にも知らせずに、修理不能と宣告されたラジオを買い換える資金とする事を決意する。戸籍係のカウンターで無表情に仕事をしながら、頭の中は帰宅途中にラジオ屋に立ち寄り、何の予告も無く家にその宝物を持ち帰る風景でいっぱいになる。居ても立ってもいられないほど、心はわくわくと波立つけれど、黙々と定時まで受付業務に勤(いそ)しんでいる。
 そして、待ちに待った終業時刻となって、机の上をてきぱきと片付ける津島戸籍係の前に、出産届を出しに来た女性が現れる。そんな短編小説のアイデアが固まってみると、太宰の頭には一つの真理が煌(きらめ)いていた。


……私にこの小説を思いつかせたものは、かの役人のヘラヘラ笑いである。あのヘラヘラ笑いの拠って来(きた)る根源は何か。所謂「官僚の悪」の地軸は何か。所謂「官僚的」という気風の風洞(ふうどう)は何か。それをたどって行き、家庭のエゴイズム、とてもいうべき陰鬱(いんうつ)な観念に突き当たり、そうして、次のような、おそろしい結論を得たのである。
 曰(いわ)く、家庭の幸福は諸悪の本(もと)。


■こんな風に、筋もオチも全部書いてしまっても、原文を読む楽しみと喜びがぜんぜん減じないのが名作の名作と言われる由縁である。何度読んでも、痛快で太宰特有のスピード感を楽しめる。そして、読後には奇妙に慰(なぐさ)められたような気分にもなれる。
 作中の「官僚」を、「新聞記者」「悪徳企業家」「道路公団職員」「郵政公社のファミリー企業職員」「グリーンピア職員」、或いは「ワイド・ショーのレポーター」「同じくコメンテーター」、「新興宗教の教組」、「オレオレ詐欺の元締め 」、「政権と一生縁の無い無駄な国会議員」等等、時に応じて入れ替えても楽しめるお得な短編でもある。