旅限無(りょげむ)

歴史・外交・政治・書評・日記・映画

猥褻(わいせつ)を考える 其の壱

2005-06-29 12:10:00 | 日記・雑学
■またまた「裁判員制度」の導入を考えてしまう判決が出ました。「猥褻図画頒布(わいせつずがはんぷ)」という新聞記事では平仮名混じりで書かなければならないヤヤコシイ名前の有罪・無罪を争いが続いています。東京地方裁判所では執行猶予付きの懲役刑が言い渡されて、今回は高等裁判所での判決だったようです。昔は「ポルノ映画」の表現手法をめぐって興味深い騒動が起こったものでした。当時は、学生運動花盛りの頃でもありましたから、「猥褻だ!」と弾圧する体制側に対抗して、「表現の自由だ!」というのが反体制側で、小説・映画・写真の裁判が続いて起きたのでした。「猥褻じゃない!」という主張は少なかったようで、反撃する側が摘発逃れや権力側を挑発する工夫を凝らした作品を発表したりして、なかなか面白かったようです。

■長く続いている小沢昭一さんのラジオ番組『小沢昭一的こころ』で社会勉強をさせて貰った世代としては、小沢さんが猥褻裁判を話題にした時の興奮気味の口調が懐かしく思い出されます。今も語り続けておられる小沢さんですが、最近では猥褻について熱く語る機会もぐんと減ったのではないでしょうか?以前、こんな話を小沢さんが紹介していたのを覚えています。


アパートの一室で語り合う若い男女。ふと言葉が途切れる。見詰め合う二人、カメラはぐぐっと寄ってカット。次のカットは、女性の潤んだ瞳のアップと思い詰めたような男の表情が交互に繋がって、再び画面は見詰め合う部屋の二人になって、音楽が盛り上がる。ひっしと抱き合った二人が、ワザとらしく画面の下に写り込んでいるテーブルの蔭に消えて、カメラは動かずに、二人の姿が消えて現れる窓辺に置いた小さな花瓶にズーム。そこで、一輪挿しの花びらが一枚、風も無いのに落ちると……。

「猥褻だア!裁判だア!有罪だア!」ということになったのだそうです。どこからが猥褻なのかは明らかではないのですが、最後の花びらは確実に「猥褻」なのだそうです。何だか、風情の有る話ですなあ。

■日本製の作品は裁判が圧力になりましたが、海外作品となると敗戦国としては対応が難しく、「映倫」という小さな小さなお役所が鋏(はさみ)を振り回して、「猥褻」箇所を切り捨ててしまったので、何が何だか分からない映画が封切られたりしたそうです。それでは客が怒るだろうという事で、次に考えたのが「黒いちょうちょ」と「極端なピンボケ加工」、猥褻箇所というのは性器や陰毛が見える所という判定が決ってからは「モザイク処理」が登場したという歴史があるようです。伏字(ふせじ)やら一部黒塗りなどは、逆に観客の注意を引いて逆効果なのですが、お役所は律儀にこれを行なわねばなりません。こうした仕事をしているお役人を主人公にした喜劇映画を松竹が作ったことがあったらしいのですが、未見です。主演はフランキー堺さんだったようですなあ。何でも、映倫のお役人さんが、来る日も来る日も、猥褻作品の検閲作業に追われている内に、自分の夫婦関係に不具合が発生して悩んでしまうというテーマだったようです。

■今回、東京高等裁判所まで縺(もつ)れ込んだ猥褻物は、『密室』という漫画らしいのですが、これも見ていないので、「どれほど猥褻なのか」の判定は出来ませんが、田尾健二郎裁判長さんの目には、罰金150万を支払わねばならないほどの「猥褻」さだったようです。東京地方裁判所では、「懲役1年執行猶予3年」との判決だったそうですから、今回の控訴審の結果は減刑ということになります。こういう裁判が報道されると、商品の宣伝効果が生じて、ネット・オークションあたりでは高値を呼んでいるのではないでしょうか?儲けた人は、裁判様様でしょうなあ。買った人はどうだったのでしょう。

■興味深いのは、弁護側の主張です。要するに、様々の映像作品が氾濫していて、この作品だけが取り立てて猥褻とは誰も思わない、という時代と世相を味方に付けた主張で闘った模様です。ところが、裁判所側では、1951年に最高裁判所が示した定義を墨守(ぼくしゅ)して世の中の変化を一切視野に入れない姿勢を崩さなかったことが判明しました。この定義が無形文化財に指定したいほどの輝きを持っているのですなあ。


①いたずらに性欲を刺激し②普通人の正常な性的羞恥心を害し③善良な性的道義観念に反するもの

この定義に照らすと、今回の猥褻容疑を受けた作品は、


大半が性描写に費やされており、平均的読者がこの漫画から一定の思想を読み取ることは困難……性的刺激を緩和する思想的、芸術的要素もない


これが有罪の理由です。

■思想や芸術が問題になるのは、『チャタレー夫人の恋人』や『四畳半襖(ふすま)の下張り』という小説が猥褻裁判に持ち込まれた時に、弁護側に芸術家や知識人が集まって論陣を張ったことから、裁判所もその論争に負けないように採用した用語です。こうして話は泥沼化して、裁判所の外では「ヘア解禁」だの「ヘア・ヌード」だのと、女性の陰毛を言い換えた商品が出回って、何が猥褻なのかさっぱり分からなくなり、ビデオという恐ろしく手軽な機械が普及してしまえば、個人用か商売用かの区別も付かなくなりましたから、猥褻裁判は消滅してしまったとばかり思っていたのですが、ドッコイ猥褻罪は生きていたのでした。

其の弐に続く。

裁判員制度を考えてしまう話

2005-06-29 07:01:00 | 社会問題・事件
■重大事件の刑事裁判に民間人を強制的に関わらせようと、一体どこの誰が言い出したのか判らないまま、しばらくすると実施の運びとなるようです。この乱暴な裁判改革の元には、奇妙な判決が続出しているという大問題が隠されているらしいのですが、一般国民を巻き込む前に、変な裁判官を排除する仕組みを作ったり、マトモな裁判官を養成する制度改正が先だと思うのですが、明治以来の伝統を変えるより、目先を変えて国民の「常識」を注入して外堀から埋めて行こうという作戦のようにも思えます。

■基本的には、こういう逃避的で後ろ向きの「丸投げ」政策には反対なのですが、裁判官を裁判する制度が無い限り、こうした手法も止むを得ないのかも知れない、と考えさせられる判決が出る事がありますなあ。福島地方裁判所でも、トンデモない判決が出たのですが、読者の皆様はどんな感想を持つでしょう?旅限無は怒っております。


2000年
8月30日 女性が会津署に目黒哲郎さん(65)から「わいせつな行為をされた」と虚偽の告訴
9月 4日 会津若松署が目黒さんを強制わいせつ容疑で逮捕
9月22日 地検会津若松支部が嫌疑不十分で釈放
10月   目黒さんが女性に300万円の損害賠償を求めて地裁会津若松支部に提訴

2001年
9月  目黒さんが経営する建材会社が廃業
11月 地裁会津若松支部が女性に150万円支払い命令

2002年
9月  目黒さんが虚偽告訴容疑で女性を会津若松署に逆告訴

2003年
8月4日  虚偽告訴事件の初公判。女性は起訴事実を認め「夫の気をひくためにやった」と証言
8月25日 女性に懲役1年の判決。女性は量刑が重いと控訴
9月3日  目黒さんが国と県を相手に損害賠償求めて提訴

2004年
1月29日 虚偽告訴事件の控訴審で仙台高裁が女性の控訴を棄却。
5月   最高裁も上告を棄却して刑が確定


■要するに、24年間も地道に建材会社を経営していた目黒さんという地方の紳士が、一度会っただけの取引相手の奥さんに「強制わいせつ」で告訴されて、逮捕拘留19日間の内に噂が噂を生んで会社の取引が不調になり、とうとう倒産に追い込まれてしまったという事件です。事実は、「強制わいせつ」はトンダ濡れ衣の冤罪(えんざい)で、夫婦の不仲を解消しようと、女の浅知恵(女性蔑視ですが、この場合は他の表現を知りません)で、旦那にヤキモチを焼かそうと仕事上の接触で一度だけ会った目黒さんを生贄(いけにえ)にしてしまったというわけです。

■他人の夫婦喧嘩のトバッチリで、24年間!の信用が吹き飛ばされてしまった後始末をどうするのか?県=県警、国=検察庁・裁判所のミスではないのか?と問うた訴訟に対する福島地方裁判所の判決が6月14日に出たのですが、「同じ穴の狢(むじな)」の会見互いの庇(かば)い合いとしか思えない驚嘆すべき判決内容に、地元ばかりでなく冤罪で苦労している全国の被害者からも「断固闘うべし!」の激励が集まり始まっているそうです。裁判所は、県と国の言い分を全面的に支持して、目黒さんには「運が悪かったね。うふっ」ぐらいの気持ちしか表わしておりません。

■県警は、


「女性の供述は多少の変遷(へんせん)はあるが一貫性があった。性犯罪は通常強制捜査で臨む。逃走と証拠隠滅(いんめつ)を防ぐために逮捕は必要だった」

と主張して、これを地裁は全面的に支持しました。まるでカフカや安部公房の不条理小説のように、突然現れた警察官に「お前は○○さんにイヤラシイことをしただろう。」と言われて、「えっ、それは誰ですか?」「しらばっくれるな!ちょっと来い!」「ちょちょっと待って下さいよ。仕事の途中ですから……」「うるさい!シラを切ろうってのか?トンデモナイ野郎だ。」というお決まりの遣り取りが有って、しょっ引かれたらお仕舞いです。

■女性が空想で組み立てた作り話を信じた警察が、どんなイヤラシイ物語を組み上げたのか、興味津々ですなあ。警察の皆さんが、どんなイヤラシイ小説やテレビやビデオを鑑賞しておられるのか、判定するのも一興でしょう。双方の供述が取れて、裏付け捜査も終了しているので、後は裁判を待つばかり、弁護士に付いて貰って被害者の「作り話」のアヤフヤな点を突いて、矛盾点を崩して行けば無罪になる可能性が有りますが、「逮捕・拘留」となれば、世間の噂は化け物じみた成長をしてしまうのは常識です。「19日間」というのは、噂に水と栄養をたっぷり与えるのに十分な時間ですから、後からこの化け物を根絶やしにすることなど絶対に不可能です。熱心に化け物を配達して歩いた「気の良い噂好き」の人々は、絶対に後始末などしないものですし、尻尾を捕まえて追求しても「善意の第三者」か、他の人から嘘を教えられた「被害者」になってしまいます。

■ところが、検察側にはこの世間の常識は通じないようなのです。


「性犯罪は被害者の供述が唯一の直接証拠となるのが通常。女性が初対面の原告を虚偽告訴する理由はなく、直ちに虚偽と判断できなかったため、拘留請求は必要だった。両者の供述は真っ向から対立しており延長請求も不可欠だった」

と主張して、これも裁判で全面的に認められてしまいました。つまり、どんなに辻褄(つじつま)の合わない訴えでも、女性側が「やられた」と言い張れば、名差しされた男は「やった」ことになってしまうのですなあ。性暴力は許されない犯罪ですが、告訴には常に「虚偽」や「狂言」の可能性が有るものですから、か弱い女性の訴えであっても、この可能性を最初から捨てて捜査したら大変なことになります。

■もっと恐ろしいのは、この狂言わいせつ事件にすっかり乗せられた裁判所が、「逮捕状請求・拘留決定」の権限を行使したことも裁判所の責任では無いという判断が下されたことです。


「賠償責任が生じるのは、裁判官が違法または不法な目的をもって権限を行使したと認められるような場合。」

つまり、裁判官はどんなに無能で非常識で気紛れでも、一切の責任を追及されないのですぞ!日本の法律は、被告人に個人的な恨みを持ってトンデモナイ判決を下す可能性を考慮している!そんな恐ろしい裁判官が出現する心配など誰がしているのでしょう?そんな滅茶苦茶な心配をしながら社会生活をしていたら、家から一歩も出られやしませんぞ!擦れ違っただけ、電車で隣り合っただけの女性から訴えられたら最後ですなあ。

■この判決を下したのは森高重久という裁判官です。目黒さんは、県と国に対して1000万円の損害賠償を求めて認められなかったわけですが、仮に認められたとしても、半額が良いところでしょうから、虚偽告訴した女性からの150万と合わせて650万円。この金額で、会社を再建して馬鹿げた噂を消し去って、元通りの社会生活を取り戻せるはずは有りません。悪い噂というものは、広まる時には嫌になるくらいに多くの耳が集まって来るのもですが、訂正しようとすると、面白いように聞いてくれる人が集まらないものです。「あれは嘘だったんだってさ」というメッセージが永久に届かない人は長期間生き残るもので、「えっそうだったの?あれは嘘だったの?」と気が付いた時には何十年も経っていたなんていう事も有ります。

■目黒さんはテレビ・カメラの前で、とても冷静に「まあ、これからも戦い続けますがね……」と語っていたようです。まともな裁判官に巡り合えるかどうかが運命の分かれ道なのだと、目黒さんは達観しているかのようです。森高裁判長の頭の中には、「警察は正しい、検察庁も正しい、裁判所も正しい、だって、僕が正しいんだから」という、どうしようもない堂々巡りのリングが嵌(は)め込まれているのでしょうなあ。今の制度では、「アンタは正しくないよ」と言われる心配が無いのですから、やはり、この一言を裁判官に向って言える「裁判員制度」は必要なのかも知れません。頑張れ!目黒さん!そして、全国の男性の皆さんは、福島県に来る時には、余り女性と気軽に接触しては行けませんよ。その女性が、夫や恋人の気を引こうとして、あなたもダシに使われるかも知れないし、その作り話に騙されても平気な警察と検察が待ち構えているのですぞ!ご用心、ご用心。