■とても小さなニュースですが、年末に報道されて気になって仕方が無い出来事がありました。世界中でキリスト教徒もそうでない人も、2000年余り前に生まれた大工さんの息子の誕生日をお祝いするクリスマス。本当は野蛮?だった欧州に布教していく中でケルト民族の土着宗教を取り込んで「冬至」の翌日に太陽の復活を祝う行事をパクったという説が有力なようですが、とにかく神様が世界を祝福しているんだ!という気分を味わう「メリー・クリスマス」であります。
■少なくとも農業を営む長い歴史を持っている所なら、エジプトだろうがメソポタミアだろうが、徐々に弱まる太陽の光が「復活」するのは来年の豊作を予感させてくれるのですから、何らかの宗教儀式を考案して祝ったもののようです。味も素っ気もない新暦の「ア・ハッピー・ニュー・イヤー」の御挨拶よりも、太陽の復活の方が人類の平和には相応しい祝い事のような気もしますなあ。イエスという人がいつ何処で生まれたのかはよく分からないようで、中にはその実在時代を疑う説まであるようですが、1000年以上も続けば多少の疑義も昇華されてしまうものです。
■『聖書』の記述を信じればイエスという人は今のパレツチナ、ベツレヘムという町で恐ろしい王様の魔手を逃れて生まれたという事になりまして、戦前はヨルダン王国、最近まではイスラエル共和国の領土でしたが、世界最大のキリスト教巡礼観光地であり続けました。旅限無がお邪魔したのは四半世紀も前のことですが、住人の圧倒的多数はイスラム教徒のパレスチナ人ですが、教会関係者と巡礼観光の外国人とは概ね良好な商売関係を結んでいたような印象が強かったのを覚えています。
AP通信によると、イエス・キリスト生誕地に建てられたとされるヨルダン川西岸ベツレヘムの聖誕教会で27日、ギリシャ正教会とアルメニア教会の司祭らが清掃中に乱闘となり、4人が顔などに軽傷を負った。聖誕教会は、ギリシャ正教会、アルメニア教会、カトリック教会の3者が共同で管理。この日、清掃中にギリシャ正教会の司祭らがアルメニア教会の管理区域に立ち入ったことをきっかけに、双方の計約80人が司祭服姿で取っ組み合いをしたり、ほうきを振り回す騒ぎになった。パレスチナの警察官が盾などを持って両者の間に割って入り、騒ぎを収めたという。
■話は実に他愛もないものですが、イエス様の誕生日から2日後に、「汝の敵を愛せよ」と諭したとされる神の子に仕えている司祭様たちが、不良の魔女みたいに箒を武器に大喧嘩!それを止めに入ったのがクリスマスとは(ほとんど)何の関係もないイスラム教徒のお廻りさんと言う図が、今の中東と世界の姿を陰画にして示しているようで、非常に面白いと思います。この大喧嘩を実際に見たキリスト教徒の巡礼者達は、一体、どんな感想を持ったのでしょうなあ。
■とかく宗教には熱狂が付き物で、そこに経済的かつ政治的な縄張り意識が混入して膨れ上がると、仏教のお坊さんであろうとヨガの行者であろうと、俗人と変わらないファイティング・スピリットを発揮するものです。かつては日本の叡山には元気な荒法師が居ましたし、チベットのお坊さんも時と場合によってはワイルドな行動に出るようですからなあ。イスラム原理主義の自爆テロばかりが注目される昨今の宗教問題ですが、基本的には同じ信仰を持っているはずの別派間の摩擦と憎悪には実に根深いものがあります。妙に信心深い米国の大統領は、神にアルコール中毒を直して頂いたとかで、かつてのウルバヌス教皇を真似て十字軍を結成して中東に殴りこんだようですが、米国内のキリスト教会もいろいろで、ブッシュ大統領の信仰心には同調できない向きも多いと聞きます。
■グローバル・アメリカン経済の博打に翻弄されてクタクタになった人の多くが宗教に心の安らぎと救いを求めたくなる傾向が、今年はいっそう強まりそうですが、もっとも聖なる場所とされる場所でも宗教者が子供みたいな大喧嘩をするものだという事実を知っておくのも悪くはないでしょう。記事に出ているギリシア正教会とアルメニア教会との関係は、東ローマ帝国の長い歴史をちょっとばかり読み齧っただけでも、あまり仲良くは出来ないのも分かりますが、その帰属問題が中東問題の核心とも言われるエルサレムも、東半分の旧市街は、ムスリム地区・キリスト教徒地区・ユダヤ教徒地区・アルメニア人地区に見事に四分割されていて、住人同士は気を使いながらも大喧嘩もせずに暮らしています。
■アルメニアは非常に古いキリスト教の伝統を持っていて、4世紀初頭には国教化されていたほどですから、聖地エルサレムでも自分達の存在を頑固に主張し続けていますなあ。イエス様は神そのもので人間ではない!という「単性説」を守り通しているそうですから、他の教派とは一線を画しておかないと大変な事になるのでしょう。451年に開催された「カルケドン会議」という宗教会議で、正教会側から異端として否定された歴史が有りますから、いざとなったら司祭様達が戦闘モードになってしまうのも、歴史の重みというものでしょう。異文化間の交流だとか、宗教の究極の目的は同じだとか、美しい言葉も聞かれる一方で、異教徒の目からすれば大した違いはないように思えても、当事者間では決定的な違いだ!という話は多くの宗教が抱え込んでいる問題です。
■欧米仕込のヒューマニズムや民主主義礼賛ばかりを推し進めると大変な事になるという、至極当たり前の事を思い知らされて21世紀が8年目に入ってしまいました。乱暴で単純なグローバリズムの時代を反省して、互いの違いをきめ細かく認識する時代になるべきだとベツレヘムの司祭様たちが身を以って教えて下さったのだとしたら、なかなか味わい深いお話ではありますなあ。
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雲来末・風来末(うんらいまつふうらいまつ) テツガク的旅行記
五劫の切れ端(ごこうのきれはし)仏教の支流と源流のつまみ食い
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チベット語にな
■少なくとも農業を営む長い歴史を持っている所なら、エジプトだろうがメソポタミアだろうが、徐々に弱まる太陽の光が「復活」するのは来年の豊作を予感させてくれるのですから、何らかの宗教儀式を考案して祝ったもののようです。味も素っ気もない新暦の「ア・ハッピー・ニュー・イヤー」の御挨拶よりも、太陽の復活の方が人類の平和には相応しい祝い事のような気もしますなあ。イエスという人がいつ何処で生まれたのかはよく分からないようで、中にはその実在時代を疑う説まであるようですが、1000年以上も続けば多少の疑義も昇華されてしまうものです。
■『聖書』の記述を信じればイエスという人は今のパレツチナ、ベツレヘムという町で恐ろしい王様の魔手を逃れて生まれたという事になりまして、戦前はヨルダン王国、最近まではイスラエル共和国の領土でしたが、世界最大のキリスト教巡礼観光地であり続けました。旅限無がお邪魔したのは四半世紀も前のことですが、住人の圧倒的多数はイスラム教徒のパレスチナ人ですが、教会関係者と巡礼観光の外国人とは概ね良好な商売関係を結んでいたような印象が強かったのを覚えています。
AP通信によると、イエス・キリスト生誕地に建てられたとされるヨルダン川西岸ベツレヘムの聖誕教会で27日、ギリシャ正教会とアルメニア教会の司祭らが清掃中に乱闘となり、4人が顔などに軽傷を負った。聖誕教会は、ギリシャ正教会、アルメニア教会、カトリック教会の3者が共同で管理。この日、清掃中にギリシャ正教会の司祭らがアルメニア教会の管理区域に立ち入ったことをきっかけに、双方の計約80人が司祭服姿で取っ組み合いをしたり、ほうきを振り回す騒ぎになった。パレスチナの警察官が盾などを持って両者の間に割って入り、騒ぎを収めたという。
■話は実に他愛もないものですが、イエス様の誕生日から2日後に、「汝の敵を愛せよ」と諭したとされる神の子に仕えている司祭様たちが、不良の魔女みたいに箒を武器に大喧嘩!それを止めに入ったのがクリスマスとは(ほとんど)何の関係もないイスラム教徒のお廻りさんと言う図が、今の中東と世界の姿を陰画にして示しているようで、非常に面白いと思います。この大喧嘩を実際に見たキリスト教徒の巡礼者達は、一体、どんな感想を持ったのでしょうなあ。
■とかく宗教には熱狂が付き物で、そこに経済的かつ政治的な縄張り意識が混入して膨れ上がると、仏教のお坊さんであろうとヨガの行者であろうと、俗人と変わらないファイティング・スピリットを発揮するものです。かつては日本の叡山には元気な荒法師が居ましたし、チベットのお坊さんも時と場合によってはワイルドな行動に出るようですからなあ。イスラム原理主義の自爆テロばかりが注目される昨今の宗教問題ですが、基本的には同じ信仰を持っているはずの別派間の摩擦と憎悪には実に根深いものがあります。妙に信心深い米国の大統領は、神にアルコール中毒を直して頂いたとかで、かつてのウルバヌス教皇を真似て十字軍を結成して中東に殴りこんだようですが、米国内のキリスト教会もいろいろで、ブッシュ大統領の信仰心には同調できない向きも多いと聞きます。
■グローバル・アメリカン経済の博打に翻弄されてクタクタになった人の多くが宗教に心の安らぎと救いを求めたくなる傾向が、今年はいっそう強まりそうですが、もっとも聖なる場所とされる場所でも宗教者が子供みたいな大喧嘩をするものだという事実を知っておくのも悪くはないでしょう。記事に出ているギリシア正教会とアルメニア教会との関係は、東ローマ帝国の長い歴史をちょっとばかり読み齧っただけでも、あまり仲良くは出来ないのも分かりますが、その帰属問題が中東問題の核心とも言われるエルサレムも、東半分の旧市街は、ムスリム地区・キリスト教徒地区・ユダヤ教徒地区・アルメニア人地区に見事に四分割されていて、住人同士は気を使いながらも大喧嘩もせずに暮らしています。
■アルメニアは非常に古いキリスト教の伝統を持っていて、4世紀初頭には国教化されていたほどですから、聖地エルサレムでも自分達の存在を頑固に主張し続けていますなあ。イエス様は神そのもので人間ではない!という「単性説」を守り通しているそうですから、他の教派とは一線を画しておかないと大変な事になるのでしょう。451年に開催された「カルケドン会議」という宗教会議で、正教会側から異端として否定された歴史が有りますから、いざとなったら司祭様達が戦闘モードになってしまうのも、歴史の重みというものでしょう。異文化間の交流だとか、宗教の究極の目的は同じだとか、美しい言葉も聞かれる一方で、異教徒の目からすれば大した違いはないように思えても、当事者間では決定的な違いだ!という話は多くの宗教が抱え込んでいる問題です。
■欧米仕込のヒューマニズムや民主主義礼賛ばかりを推し進めると大変な事になるという、至極当たり前の事を思い知らされて21世紀が8年目に入ってしまいました。乱暴で単純なグローバリズムの時代を反省して、互いの違いをきめ細かく認識する時代になるべきだとベツレヘムの司祭様たちが身を以って教えて下さったのだとしたら、なかなか味わい深いお話ではありますなあ。
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