沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩192

2010年09月24日 02時00分45秒 | 政治論
 新聞読者人口の規模を知らないが、大方の一般家庭では標準的には何紙かの朝刊購読をしているものと思料される。こうした最も自然でありふれた読者を持つとりわけ本土の大新聞が、普天間問題の反戦性と基地問題により派生する軍事優先国家への嫌気といった、国民が最も健全にかつ未来志向的に把持し得る心情に訴えるいかなる企画も影を潜め、むしろ好戦的ともとれる記事を満載し、ここ数ヶ月は沖縄が普天間で注目されたあの半年は何だったのかと疑いたくなる様変わりである。どれもこれもアメリカの思惑への傾斜と政府の日米合意賛同かつ日米同盟無条件容認としかいえない論説で占められている。少なくとも沖縄に同情的な論調はなくむしろ「むずかしくなった」「地元同意はきびしくなった」系の一体何が言いたいのかわからないような冷めた見解で占められている。仲井真知事も「県外移設」に舵を切ったがこれを評価しようという論説は一切ない。地元紙も専ら当然の成り行きと見ているが、本土の有力紙がこれを「辺野古」絶望という捉え方で報じないのはどうかしている。