沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩194

2010年09月27日 14時21分14秒 | 政治論
 日琉同祖論は願望でもこじつけでもなく遺伝学的に証明された事実といえる。アメリカの日琉異種論は科学的に覆されている。従って、彼らの敗戦後の沖縄施策は根底のところで間違っている。となると吉田と天皇の意思がアメリカの沖縄分離施政の根拠となっていると考えるのが筋であろう。現在も続行している沖縄差別にかかる基地負担不公平は完全に憲法違反であり、そもそも日米同盟の沖縄偏向は沖縄の住民に対する完全な人権侵害である。第一に普天間の危険性は国が国民の住環境を保障する内実で建築制限等の対策を講じるべきだったのであり大いに国の責任を問われるところだが、辺野古に新たな基地を作るという理不尽な暴挙は今回の中国の領土主張に似て実にふざけた住民軽視である。こういう滅茶苦茶な日米政府の沖縄施策について、何故日本国民は声を大にしてその差別的体質に抗議しようとしないのか。対岸の火事はやがて確実に自分に降りかかるのに。もっとも自分の周辺に影響が及ばなければ誰も声を挙げようとはしないのが人情だ。偏狭なナショナリズムから中国の脅威を煽り、日米同盟強化の視点から、なしくずしに辺野古強行がされるとすれば、自国国民を差別的に戦時的危険性に叩き込む日米両政府の非人道的姿勢は必ず国際輿論の非難を受けることになる。

詩193

2010年09月27日 00時01分06秒 | 政治論
 中国の理不尽な外交姿勢を戦略と捉えるなら、あらゆる明瞭でない不合理な外交について対抗して論陣を張る根拠がなくなる。戦略という名の実戦的現場を一般人がどう評価しようというのか。字面を追っても解決法がないことを知るべきだ。彼らが外交という舞台で役割を演じているという誤解を捨てる必要がある。今あるせりふもしぐさも台本はないのだから。そこであらゆるメデアマスコミ報道関係は、戦略的外交の報道ではなく、基調としてある事実関係のみを忠実に伝える努力をすべきだ。つまり表面上理不尽と捉えられる一切を生々しい「過程」として押さえ、外交論理に添って結果報道に徹するべきだ。何故そういうかというと今やあらゆる媒体を通じてリアルタイムに現況報道が万人に伝達される現状では、一種のパニック症状を群集心理と相俟って生じること疑いようのない実態があるからだ。