沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩176

2010年09月08日 13時10分58秒 | 政治論
 日本はどうしてこの屈辱的な道を選んだのか。敗戦に到るまでの日本の近代史を作ってきたこの国の為政者が必然に持っていた欧米に対する劣等感とアジアに対する優越感、多分一国の頭脳の頂点が陥る最大の罪過であるこうした精神的脆弱こそ引き継がれた負の遺産ではなかったかと思われる。単純すぎる施策こそ十分に論議されるべき国家的決断だ。吉田ドクトリンなどと聞こえはいいが所詮単純極まりない発想である。ここに日本の優等生たちが簡単にはまる陥穽がある。日米安保は国家が優先的に選択したいわば問答無用の封建的専制事案だった。そこに国民の積極的意思はない。後付論的に懐柔されて国民は黙認したのだ。ところが沖縄では事情は違っていた。基地負担を不公平に押し付けられたのである。しかも戦後30年近く占領地植民地状態を継続させられた。いや事実上戦後65年間まぎれもない占領植民地状態にあった。そこで浮上した普天間危険物の移設地をまたしても沖縄辺野古にしようという、この異常な専制的行為を普通に考えて誰が受け入れられるか。彼ら為政者たち、日本の優等生たちが安保の非現実性から眼を背け、アメリカのいうがままに国民無視の情けない決定をするから、中国韓国ロシアに馬鹿にされ、領土を脅かされるのだ。保守政治の非論理性ここに極まれりだ。彼らのしていることは彼ら自身がいう亡国的行為そのものじゃないか。日本はどうしてこの屈辱的な道を選んだのか。敗戦によって失ったものは敗北感そのものだ。国民がそれと何の関係があろうか。為政者こそこの敗北感を取り戻さねばならない。実は明治維新のとき日本は一度敗北している。欧米に。ここから出発すべき近代化において小ざかしくも単純な富国強兵により欧米に追いつき追い越せから敗戦まで一直線だ。

詩175

2010年09月08日 11時33分16秒 | 政治論
 徐々に日本列島共通の問題であるはずの普天間は民主政権の沖縄包囲網により一地域(辺野古)の矮小な事案へと霞んでいく。そして相変らず非論理的な右翼の街宣がこのくそ暑い炎天に性懲りもなくがなる。65年の戦後史はますます強固に沖縄負担を継続する道を選んだ。興南高校が夏の甲子園を制し沖縄県に真紅の大優勝旗をもぎ取ったとき、沖縄の可能性は無限大かと思われたのに、その「歴史的快挙」の深い意味など意に介さないこの日本列島はいよいよ空白の20年と共に、滅亡への道をひた走りに走る。中国はこうした日本の亡国的歩みの足元を見透かすように尖閣で好き放題をやり韓国も竹島で勝手し放題というわけでアジアの盟主は完全にその名誉を失墜し3流国へ転落する。誰もこの凋落は止められない。堕ちるところまで落ちるがいい。アメリカの属国は反米反基地闘争を通じてしか自己のアイデンテテイを発揮し得ない。その道は茨の道だが属国に終始するよりましだ。同じアジアの民族なのに何故仮想敵を同盟的に措定しなければならないのか。戦勝国アメリカの片棒をかつがなきゃならないのか。そのことに何故屈辱と不甲斐なさを感じないのか。精神論を言う気はない。だが彼らがやろうとしていることは間違いなく属国並みの隷従政策だ。安保の本質は自己の醜態に気づかない犬が盛んに尻尾を振って相手に媚びるそれに似ている。決して抑止力など信じてはいないくせにただアメリカがこわいからしたがっているのだ。弱い犬ほどよくほえる。