犀川の河川整備を考える会

犀川の辰巳ダム建設を契機に河川整備を考え、公共土木事業のあり方について問題提起をするブログ。

原発>河野太郎ではなくて、浦島太郎のその後

2011年11月26日 | 雑談など
うちの家内は関心をもつとつぎつぎ質問してきます。当方の断片的な説明では、イメージがわかないということらしい。
まるで、ホームズかコロンボです。
子供の時に、浦島太郎の結末を聞いて、その煙はなんだろう、どこへ行ったんだろうなどと母親に聞いて嫌がられたとか。
煙の中身は一体何だったのでしょうか........
河野太郎の講演会でその答えがありました。

【ブラックジョーク】
河野太郎ではなくて、浦島太郎のその後

 浦島太郎は絶対開けてはいけないと言われて持ってきた玉手箱の中をどうしても見たくてとうとう開けてしまいました。開けると一瞬に煙が立ちのぼり、この煙をあびてたちまち髪の毛は白くなり、顔は皺だらけとなり、老人のようになりました。
 これを遠巻きにして見ていた村の人たちの中に物知りがいて、「まるで10万ミリシーベルトの放射線を浴びたみたいだ。」とつぶやいたのでした。
呆然とした浦島太郎の前にころがっている玉手箱、その箱の裏には、おぼろげながら、アルファベットの大文字でT,E,P,C,Oというしるしが見えたそうです。T E P C O 、テプコとも読めます。この意味はだれもわかりませんでしたが、危険を知らせるために刻まれていたことだけはみんなにもわかりました。
 なお、TEPCO、テプコは、たまたまTokyo Electric Power COmpanyの頭文字を合わせたものと同じですが、東京電力とはまったく関係がありません!
2011Nov22,能登原発35㎞圏住人

追伸
21世紀の科学技術という玉手箱から原子力という煙がでてきたということでしょうか。
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