戦争(米国との戦い)に、正義も不正義もあるはずはない。
国の存亡を賭けて死力を尽くすだけだ。
戦後、連合国(米軍)によって「アメリカは正義の戦い、日本はアジア諸国を侵略した不正義の戦い」を強制された。
その戦勝国の名分(東京裁判判決)を受け入れることでサンフランシスコ平和条約が締結され、日本は再び独立国と承認された。
日本は不正義の戦いだったという判決は、単に政治的表現に過ぎないものだが、戦後、長らく、日本国民はこの観念に拘束されてきた。
戦後、79年が過ぎた。
いつまでも、戦勝国の立場を慮って日本国民が卑下している必要はないのは当然だ。
先日、パリオリンピックの卓球で銀メダルなどを獲得した早田ひな選手は帰国後にやりたいことについて尋ねられて、
「鹿児島の特攻資料館に行って生きていること、卓球ができることが当たり前ではないということを感じたい」
と答えた。
若者が気づき始めた。
特攻隊員は、未来の子孫のため、国の存亡に命を賭けて散華したのだ、無駄死にではないということを。
それでこそ、英霊も浮かばれよう。
国の存亡を賭けて死力を尽くすだけだ。
戦後、連合国(米軍)によって「アメリカは正義の戦い、日本はアジア諸国を侵略した不正義の戦い」を強制された。
その戦勝国の名分(東京裁判判決)を受け入れることでサンフランシスコ平和条約が締結され、日本は再び独立国と承認された。
日本は不正義の戦いだったという判決は、単に政治的表現に過ぎないものだが、戦後、長らく、日本国民はこの観念に拘束されてきた。
戦後、79年が過ぎた。
いつまでも、戦勝国の立場を慮って日本国民が卑下している必要はないのは当然だ。
先日、パリオリンピックの卓球で銀メダルなどを獲得した早田ひな選手は帰国後にやりたいことについて尋ねられて、
「鹿児島の特攻資料館に行って生きていること、卓球ができることが当たり前ではないということを感じたい」
と答えた。
若者が気づき始めた。
特攻隊員は、未来の子孫のため、国の存亡に命を賭けて散華したのだ、無駄死にではないということを。
それでこそ、英霊も浮かばれよう。