昨日お豆を煮たので、おこわを1升5合蒸かしました。
秋口に乾燥させ過ぎたという餅米をいただいてあって、年内にそれを消費したいのでした。
さすが・・・・です。いつもなら1胴50分位ですが、1時間半位時間がかかりました。
息子ファミリーのほかに、友人知人に、大豆や赤かぶの漬物と共にお届けしました。
90歳近い、私の元同僚の奥様。一人暮らしをしています。とっても大変そうなのに、我慢をしつつ暮らしていると、要介護にも要支援にもなりません。
最近は素材よりも、すぐ食べられる物が喜ばれるので、時々様子を見ながらお届けしています。
顔を見るなり、しばらく来なかったから体調を崩したかと心配したと。
えー、たぶん月初めには伺っていたハズ・・・・。
人恋しくなってきているのかも。
私も豆仕事で余裕がなかったから間があいたのかもしれません。
明日は11月22日・・・いい夫婦の日ですね。
信濃毎日新聞の斜面もこれを取り上げていました。
大手生保会社の調査からです。
今の夫婦生活を漢字で表すと、男性の1位は「愛」女性は「忍」
ちなみに男性の「忍」は2位。女性の「愛」は6位だとか。
生まれ変わっても同じ人と結婚したいか、という質問に「する」は男性49パーセント、女性39パーセント。
ここまで読んで、はて私はと、目の前で新聞を読んでる夫と姑を前に考えました。
夫と私はともに23歳で結婚しました。
世の中のことなんかなんにもわかっていなかったわ・・・。
実家の母は姑に仕えたのは2~3年のこと。舅にも20年弱だったでしょうか。
母から姑づとめについての苦労話は聞いたことがありませんでした。
まるっきりそういうことを知らない訳ではありませんでした。本や新聞で読んでいましたから、でも現実は知りませんでした。
たしか、農家の長男は避けたいという時代でもあったことは事実ですが・・・・・私は何の抵抗も心配せずに嫁ぎました。
結婚したというより嫁に行ったという言葉がぴったり。
夫に気遣うことなんてことありませんでした。
嫁です。
本当にただただ嫁なんです。
3年で結論が出ました。
この姑がいると知ったら嫁にはこなかったと(笑)
嫁とは姑が白が黒と言ったら、白でも黒、というものだ…嫁ぐ前の父親の言葉でした。
ただただ自分を殺してきました。
口答えなんてできないから・・・・妻も母もなくして嫁優先で。
7~8年前でしょうか。いい嫁を止めようと思いました。
とはいっても現実はね。
でも70歳になって、まだ嫁を続けて行くのはやはりしんどいと思うようになりました。
一人の人間と人間ということなら別でしょうが。
姑の中には常に「いい嫁像」があるのですね。
先日知人がご自分の友人の話をしてくれました。
「孫も生まれるのに、いつまで嫁をさせるのですか」と、姑と喧々諤々したそうです。
話し合いの末、姑は施設に入られたとか。
複雑な背景もあったのでしょうね。ここまでのことできる人は稀でしょう。
我が家の姑も「私は姑を看た」とがんばる時がありました。
いい嫁を止めた私は、その時「お母さんはその時何歳でしたか」と聞きました。
姑は黙りました。だってその時の義母は46歳か47歳だったのですもの。
話長くなりましたね。
生まれ変わってもまた同じ人と結婚するか、
夫として、父親としては最高な夫、絶対結婚したいです。
でもねえ、嫁生活は飽きました(笑)
時分の中の「忍」にもね。
お読みいただきありがとうございました。
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いいお話です。
>生まれ変わってもまた同じ人と結婚するか 絶対結婚したいです。
人生で最高の幸せですよね。
私も・・・
結婚して もう54年になります。
毎日楽な生活です。
この人で良かったって思います。
54年ですか・・・・すごいですね。
先の調査によると、「円満」と答えた人は40代で7割を切ったが、70代は84パーセントだそうです。
ここまでくれば、心穏やかに共に生きたいですものね。
コメントありがとうございます。
よく頑張っておられますね。
嫁として長いですね。お互いに
私は姑から随分と可愛がられて来ました。
今は認知症になって可愛いとこや大変な所もあります。
でも苦労してきた姑だから私も頑張ってお世話してますが
でも綺麗事では済まされない事実もあります。
10年近く旅行も行ってない、デイサービスの帰りの時間気にしながらのところ
色々諸々ありますね。
自分も歳をとって辛くなる時もあります。
車椅子生活オムツ交換(しんどいです)
でも主人が優しいから頑張れる。
我が家は農家(筍、お米の生産)主人は京都府庁にお世話になっており定年になっても週3民間ですが勤めてます、
色々と有りますがご主人様が素敵な方とお見受けしました
頑張らなくても良いと思います、我慢しなくても良いと思います。
辛いこともおありでしょう
きっと良い事があると思います。
長々とごめんなさい。
ミー様のブログを読ませていただく度にエライなーって思っています。
今まで「忍」のまま抑えてきて、私の中ですこしも解決も解消もしてこなかったことが、時たま噴き出てきます。
ミー様は姑様に大事にしてもらった、と。
その気持ちがあれば介護も救われますね。
私は介護の入り口に立ったところ、これからが本番だと思います。
介護とは自分の時間を奉仕することだと、最近胸に落ちました。
介護は介護される人より自分が先に逝くかというところまでいかねば終わらない、という時代もありましたが、今は介護保険があるからそこまではいかないでしょうが、どちらにしても体力勝負ですね。
ミー様ありがとうございます。少し涙が出ました。
世間をしらないということは、幸せでしたね (*^^*)
あのころの私にあったら、なんていうのかなぁ~・・・
義理の両院と暮らしたことはなかったのですが、
義兄嫁にはただただ感謝しております。
姑のことは夫の前では姑のことはあれこれ言ったことはないのですが、
姑が亡くなり、思い出話をしたときに
”あなたにとってはとてもいい母親だったと思うけれど、
わたしにはしっかりと姑できびしかったですよ。”
夫は驚いておりました。
なにしろ いい嫁を演じておりましたから・・・
ここまで一緒に過ごせたのはそれなりの縁があったということで・・・(*^^*)
でもね・・・この次もかどうかは・・・その時の縁にお任せいたします。
娘には
そのせいかのびのびしているようで、娘の姑さんには と思うこともあります。
娘にも親のいるところに嫁に行くべきだと説いていました。
でもねえ、体力なのですね。
いつになっても年齢は逆転しませんから、疲れてきてしまうのですね。
いつか自分の時代が来て好きに生きれるものだと思っていたのかもしれません。
夫も結婚した当初とてもいい関係だと思っていたようです。
10年間位枕カバーを外すと涙の後がいっぱい残っていました。ほんと泣きましたね。
義父が立派な方でこの方の前でわがままは言えないと思っていました。
その義父が6年前に亡くなり、私の人生観が変わりました。
もうそろそろ自分を大事にしたいと思うようになりました。
いつもありがとうございます。