京都の旅・・・・④

2018年11月17日 | 
 2日目の夕食は一人です。夫が見つけておいてくれた、おばんざい料理の居酒屋さん。妙心寺の周囲は住宅街で本当にお店が少ないのでした。

 この居酒屋さんが、私の舌にフィツトしておおいに満足したのでした。

 私の料理ってまさしく「おばんざい」なのだと納得です、ただ甘味が濃いだけ。

 なるほどなるほどとカウンターに並んでいる料理のほとんどを制覇したのでした・・・・・もちろん少な目の盛り合わせにしてもらって。

 3日目の朝早くに研修に出かけた夫です。私は朝食までの時間を「真田太平記」の最終巻を読んでいました。

 武田氏滅亡から始まった、真田家のお話しですが、この本に出てくる人間の数は半端ではありません。研究したらおもしろいかも。

 この本を読んで、この時代のことが自分の中で整理ができました。

 大阪方についた、昌幸と幸村が亡くなったあと、徳川側に付いた信之が上田から松代に国替えする場面で最終章で終わっています。

 信之は家康・秀忠・家光・家綱の時代も生き、93歳の長寿を全うしたのでした。


 16巻の後書まで読んで、私の頭の中は、真田家でいっぱいでした。

 朝食の後、一人妙心寺の見学に出かけました。

 多くの塔頭の中で開放されていた「大法院」に。

 ボランティアガイド氏が説明をしてくれました。

 偶然にも、この大法院が真田信之の菩提寺でした・・・・・もうただただびっくりです。

 仏間には真田の六文銭と徳川の葵の紋章がありました。

 境内には墓地もありました。

 パンフレットから「大法院の由来」を。

 1682年、松代藩主であった、真田信之の孫、長姫が信之の遺命で菩提寺として創建した。

 長姫は妙心寺第176代絶江紹堤に参禅信仰しており、その法嗣・淡道宗簾を開祖とした。
 
 院号は真田信之の法名「大法院殿徹岩一洞大居士」に因む。

 松代藩、真田家から毎年五十石が施入され、藩寺として外護された塔頭でもある。

 この松代藩、八代藩主・真田幸貫の儒臣であったのが佐久間象山であり、攘夷派に暗殺された象山の墓が当院に設けられている。

 方丈の襖絵は、江戸中期に絵師・土方稲領が描いた作で「叭叭鳥図」という。「長空鳥飛ぶに任す」、即ち「自らの心境の思うがまま、自由自在の有様」の意を表現したものと伝えられている。

 以上引用終わり。

 露地庭園は紅葉の時期には早めでしたが、庭園を見ながら栗の蒸し菓子でお茶をいただきつつ、赤と白の山茶花の花をめでたのでした。

 なんという偶然なのだろうと。

 真田信之、その息子、長姫のお墓にお参りし、さらに佐久間象山のお墓と千代の富士の記念碑にも。

 武原はんさんの書もあったりで見どころいっぱいでしたが、書いている時間が無くなりました。
 依田美恵子
       軽井沢・佐久で建てる外断熱・省エネ住宅 中島木材の家


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