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韓国旅行vol8慶州(仏国寺1)

2010-02-19 19:54:34 | 
慶州2日目。
ここはその昔,金城(クムソン)と呼ばれていた。
その金城で栄え、滅び、復興された世界遺産の佛国寺(ブルグッサ)に行ってきました。

吐含山の麓にあり、新羅第35代景徳王10年(751年)に時の宰相 金大成によって設計・創建された。
最盛期の8世紀には60余棟の伽藍があったという。

1592年、朝鮮で言う「壬辰倭乱」、日本では「文禄の役」と「慶長の役」と呼ばれ二度来襲している。
このときに、この佛国寺は焼け落ちている。
残念ながら日本側にはこのときの資料はない。

慶長の役では、秀吉軍はかなりの苦戦を強いられた。諸大名はこの理由のない侵略戦争を倦み、戦意が無かったという。
もう一つの理由に、新羅軍には強大な明軍が加わっていた。
明軍は慶長2年、この地慶州に大集結した。
このとき、この佛国寺はすでに焼け落ちていたのか、それとも新羅時代の伽藍を留めていたのか・・・は、誰にもわからない。
ただ、今の韓国では、この戦いのときに加藤清正によって焼かれてしまった、と言い伝えられている。
元々、李氏朝鮮は儒教を国教とし、仏教を弾圧したので仏寺はほとんど残っていない。
しかし、この佛国寺はよほど大事にされたのか高麗・朝鮮時代に王命によって補修復元をされ、その後の改修と相まって今日に至っている。

寺内は大きく三つの区画に分かれていて、「法華経」「無量寿経」「華厳経」の世界が表されている。

朝9時過ぎ佛国寺に着いた。
平日でもあり、冬でもあるせいかバスから降りたのは私たちだけ。
入場料(4000w)を払い入場門から入る。



この門が当時から存在していたかは疑問だが、ここの門前にも売り込みする人たちがいた。

ちょうど少人数の日本人を引率してきたガイドさんがいて説明を始めた。この後も要所要所でそのガイドさんの説明が聞こえてきた。
このガイドさんも佛国寺は清正に焼かれたと説明していた。

入場門をくぐって進んでゆくと池があった。凍結していた。
凍っている池や水たまりを見ると人は訳もなく石を投げてみたくなるらしい。
ここでも例外なく沢山の石が氷の上に転がっていた。中でも写真の中で一番大きく見える石は、枕ほどもあるもので、何もここまで大きな石を投げなくても、、、と思ってしまった。


この池の先に天王門がある。
オチャメな四天王が迎えてくれた。



迎えられて喜んでいる人もいた。。。

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