塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

スパイクは今後、より細分化されるのではなかろうか

2019-04-29 01:44:12 | 日記
 かつてNBAのフェニックス・サンズに在籍していたポイント・ガードのケビン・ジョンソン。

 スラムダンク愛読者ならご存知ですが、井上雄彦先生は宮城リョータのモチーフにジョンソンを選んだとされています。

 彼がコンバースを履いていたのは、ジョンソンがコンバース契約選手だったためでしょうね。

 バッシュ好きならば、ケビン・ジョンソン専用バッシュがフィラ、しかもイタリア製で発売されていたことを御存じでしょうが、実際はコンバースを長きの渡って愛用します。

 コンバースは一番最初に「アクセレレイター」というバッシュを提供するのですが、これがポイント・ガード、つまり軽くて足首の動きを妨げないデザインが相応しいはずなのに

 「異様にゴツイ、ハイカットのバッシュ」

 だったんですね。

 以後はランスラム、パンデモニウム、ドクターJ2000とポイント・ガードらしいクイックネスを支えるバッシュを履くのですが、ランスラムは特に人気があった品です。

 ナイキも「エア・バリスティック・フォース」と言うベルクロ付きのハイカットを、センターのデビッド・ロビンソンとポイント・ガードのジョン・ストックトンに提供します。

 まだこのころは、ポジション別にバッシュのデザインを変更する黎明期でもあったので、イレギュラーな面が各ブランドであったように感じます。

 サッカーでもウールシュポルトに代表される、GK専用スパイクとキーパー・グラブがあります。

 最近ですとガビックがスパイクに続き、キーパー・グラブを発売しました。

 今後はGKだけでなく、フィールド・プレーヤーでも、センター・フォワード向け、ウイング向けなどより細分化した形でスパイクのデザインと機能がなされるように思います。

 過密日程の肉体的負担をスパイクが助ける、と言う塩梅ですね。
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改めて振り返る1993年5月15日

2019-04-29 01:34:15 | 日記
 やべっちFCにおいて、1993年5月15日に行われたJリーグ開幕戦、ヴェルディ対マリノスの一戦を再確認できました。

 川渕さん、松木さん、そしてカリオカにしても皆本当に若いですね。

 マリノスには木村さん、水沼さんの姿が当然確認できるわけですが、当時のハンス・オフト日本代表監督は、怪我が多くなってきたカリオカの代役として木村さんを招集対象にしなかったのか。

 ふとダイジェストを見ながら考えてみました。

 当時のヴェルディは松木さんの考えなのか、フロントの強化方針なのか定かではありませんが、ヴェルディが持つ南米らしさを更に強固にすべく、マイヤーやロッサムといった

 「オランダ出身の選手たち」

 を獲得します。

 南米が持つ技術の巧みさに、欧州の力強さを混ぜ合わせることが、Jリーグ初代王者への方針になると考えたのでしょうが、この強化策は頓挫し、従来の南米路線で戦い抜きます。

 一方のマリノスは、ディアス、エバートン、ヴィスコンティとアルゼンチン出身の外国籍選手で統一していました。

 その基本路線はアコスタやサパタ、ゴロシートなど93年以降の加入する選手、95年に招聘されたホルヘ・ソラリ氏に受け継がれてゆきます。

 ヴェルディはオランダからやってきたマイヤーのゴールで先制しますが、最終的には1-2で敗れます。

 しかし、開幕戦の中身としては本当に相応しいものだったと言えますよね。

 当時はカルビーのJリーグ・チップスが爆発的な売れ行きを見せ、僕も高校生ながらよく購入したものです。

 エポック社が日本代表カード、Jリーグカードを発売するなど、ホビーの面でもサッカーの面白さが伝わる契機となったのも、やはりプロ化が一番という点で間違いないと言えます。
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