そのロタール・マテウスは、父親がプーマ者に勤務していたこともあり、プーマ契約選手としても知ら手ています。
長谷部誠もやはりプーマ契約選手ですから、リベロというポジション以外でも、マテウスはどこかで親近感を感じていたのでしょうか。
当時のドイツ代表は、フランス代表同様に招集選手はアディダスを履くという義務があり、マテウスはさぞかし窮屈だったと思いますね。
プーマは反骨精神を発揮する選手を好み
エウゼビオ ポルトガル代表 ルーツは植民地であったモザンビークであり、SLベンフィカからの移籍すら困難であった
ヨハン・クライフ 1974年ワールドカップの象徴であり、その発言力は人を虜に氏、同時に不愉快にもさせる
三浦知良 中学時代、卒業進路のアンケート用紙に「ブラジル」と記入し、教師から叱られる
というように、興味深い話がいくつもあります。
セルヒオ・アグエロは、今のように知名度がまだたかいわけではないマンチェスター・シティの礎を築き、ネイマールはお金にだらしないとはいえ、先天的な才能は素晴らしいわけです。
逆に長谷部誠と契約したのは、彼等との対比で尊重すべき存在だっったためでしょうか。
当然プーマ最大の契約選手は「ペレ」でしたが、ペレはプーマだけでなく、アンブロとポニーも履きましたし、一筋ではありませんでした。
アディダスとの「ペレ協定」をプーマは度外視して契約したわけですから、アンブロとポニーの事を批判できないことも確かでしょうがね。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます