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塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

セレッソの柿谷、その才能の豊かさ

2013-03-03 18:20:09 | 日記
 本人はそんな気持ちを抱いたことは無いでしょう。

 しかし僕個人が勝手な気持ちを彼にぶつけるならば、「天才覚醒」という言葉を突き詰めるでしょうね。

 セレッソの背番号8柿谷曜一郎。

 昨日のアルビレックス新潟との開幕戦でゴールを決めるも、自身はまだまだ改善の余地を残すと感じており、この貪欲さが
きっと今季の柿谷の原動力になるでしょうね。

 使い古された言い方ですが、自由には責任が伴います。

 恐らく徳島ヴォルティスに放出される前の彼は、この自由を

 「自分の意思でなんでもやって良い
  言われた事だけをやっていても仕方が無い」

 とその目標設定に誤りがあったのでしょう。

 僕も本屋で働いている際、上司に

 「今日、実はこういう作業をしたいのですが、時間を頂けますか」
 「こんな企画がありますがどうでしょうか」

 と伝えることなく、自分で行動していましたが改めて考えますと、言われた事(サッカーで言えば戦術)を遂行すらしない
のに、行動(サッカーで言えば閃きに従ったプレイ)を周囲が認めるはず在りません。

 「最近の若い世代は言われたことしかやらない」

 と随分言われていたので、僕自身自分で「これではいけない」と判断したその判断が、実は誤りだったのです。

 ですから柿谷もどこか思い違いがあり、それを周囲がうまく諭せなかった、もしくは彼がうけいれなかったかもどちらかが
目立ったしまったのでしょうね。

 柿谷自身も移籍前は随分と遅刻が多く、練習に身が入らなかったことを認めています。

 ですから自由(閃き)の中には責任(調子の波を無くし、コンディションを整える)事が不可欠と知った今、柿谷はきっと
サッカーが楽しくて仕方ないでしょうね。
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