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塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

胸のつかえを語り、そして後世に伝えたいと思う事

2021-08-05 07:04:30 | 日記
 僕の母は長野市松代に生を受けました。

 母が僕と弟を連れて実家に行くと、他界した祖父母は本当に喜んでくれて、帰り際にはお小遣いもくれて、というかつての日々を最近よく思い出します。

 その記憶の中で僕が悔やんでいることは、祖母の言葉に耳を傾けなかった点があることです。

 まもなく終戦記念日、つまり靖国神社やA級戦犯の処遇、そして米国が原爆を投下して戦争を終わらせたことなど、僕たちが考えねばならない、資料を読むべき事柄があることがわかります。

 祖母がかつて僕に

 「松代大本営まで行ってみんか」

 と話しかけたことがありますが、それも祖母がいつも

 「孫たちにかつての記憶を伝えねばならない」
 「戦争はただただ、悲惨な出来事」

 という胸のつかえを感じていたためでしょうか。

 ただ、祖母の家は松代大本営の近所、というわけでもなく、恐らく徒歩で相当歩くはずです。

 それでも「語り継がねばならない出来事」「後世の人間が知っておくべきこと」という気持ち、思いが、遊びたい盛りの僕には通じなかったわけです。

 今ではすごく後悔していますが。

 父の母、つまり同居していた祖母も、日ごろから戦争を語ることが多く

 「ばあちゃん、何度同じをしているんだい」
 「もう止めたらどう」

 と父がたしなめたことです。

 父は1943年生まれで、1945年8月15日の事はさっぱりわからないはずですし、むしろ以後の食糧難や高度経済成長の方を身をもって感じています。

 ですから、空襲や徴兵検査、赤紙など当時の世相を知る人間は、本当に少ないはずです。

 1997年、日本代表がワールドカップに出場できたのは、イラン代表をジョホールバルという中立地で破ったためです。

 ただそれ以上に

 「ドーハの時はこれがいけなかった」
 「今の代表には当時なかったこれだけの強みがある」

 と当事者たちが語り、岡田監督と選手たちを励まし続けた事にある。

 つまり2-2で敗れたイラク代表戦の教訓を、最後まで忘れなかったことが影響大なわけです。

 僕のような40代は、課せられた出来事が凄く大きい気がします。
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