塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

バッジョとアンチェロッティ、そしてクレスポ

2014-08-10 01:54:07 | 日記
 ボローニャに移籍したのは当時ボローニャがバッジョと個人契約を結ぶディアドラがスポンサーだったこともあるのでしょうか。

 ただ、この都落ちと揶揄されたバッジョの移籍劇は、完全なるバッジョの勝利で終わり、22ゴールを記録したバッジョはチェーザレ・マルディーニ政権で再度アズーリに招集され

 「フランス行きの航空券」

 を手にします。

 もし、あの時カリスト・タンツィ(パルマのオーナー)に迎合し、本当は必要ないにもかかわらずバッジョをアンチェロッティが受け入れていたならば、バッジョの98年ワールドカップは無かったでしょう。

 「バッジョは不要です」

 アンチェロッティが魅せた毅然とした態度は、タンツィには不愉快だったかもしれませんが、彼とバッジョには吉とでました。

 バッジョはロシア代表コリバノフにシャリモフ、スウェーデン代表アンデションという、同僚に恵まれましたし、当時のパルマにかは若き日の

 「エルナン・クレスポ」

 が存在しました。

 パルマにはカンナバーロ、センシーニ、ブッフォンと守備の要が存在し、クレスポの相棒はイタリア代表のエンリコ・キエーザという、今とは異なる資本力に物を言わせた補強ができたのです。

 クレスポは自分を信頼し、起用するアンチェロッティに対し絶大な信頼を見せ、それは彼がチェルシーからミランにレンタル移籍した2004-05シーズンにも見られました。

 一方のバッジョは、指揮官のウリビエリとの相性はさほでも無かったのですが、結果、アンチェロッティが下した決断は、大きな実りをもたらしたという側面があったのです。
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