4月29日、東京大学大学院教授の小佐古敏荘氏が
4月30日付で内閣官房参与を辞任する意向を表明した。小佐古氏は
チェルノブイリ原発事故の研究家としても国際的に認知されている方で
3月16日に原子力災害の収束に向けた問題に関して、菅直人首相を
補佐するために内閣官房参与に任命された。
小佐古氏の辞任の大きな理由は、原発事故への政府の対応に対する抗議で
ある。同時に辞任の理由が文書で公表された。少し長いが一部を下記に
引用する。
「この1ケ月半、様々な「提言」をしてまいりましたが、その中でも、とりわけ
思いますのは、 「原子力災害対策も他の災害対策と同様に、原子力災害対策
に関連する法律や原子力防災指針、原子力防災マニュアルにその手順、対策
が定められており、それに則って進めるのが基本だ」ということです。
しかしながら、今回の原子力災害に対して、官邸および行政機関は、そのこ
とを軽視して、その場かぎりで「臨機応変な対応」を行い、事態収束を遅らせ
ているように見えます。
とりわけ原子力安全委員会は、原子力災害対策において、技術的な指導・
助言の中核をなすべき組織ですが、法に基づく手順遂行、放射線防護の基
本に基づく判断に随分欠けた所があるよう見受けました。例えば、住民の
放射線被ばく線量(既に被ばくしたもの、これから被曝すると予測される
もの)は、緊急時迅速放射能予測ネットワークシステム(SPEEDI)によりな
されるべきものでありますが、それが法令等に定められている手順どお
りに運用されていない。法令、指針等には放射能放出の線源項の決定が
困難であることを前提にした定めがあるが、この手順はとられず、その
計算結果は使用できる環境下にありながらきちんと活用されなかった。
また、公衆の被ばくの状沢もSPEEDIにより迅速に評価できるようになっ
ているが、その結果も迅速に公表されていない」
(引用ここまで)
TVでは小佐古教授の涙ながらの会見の模様が報道された。
これに先立って国際放射線防護委員会(ICRP)が、3月21日
に緊急的に日本人の、一般人の年間被ばく限度を20~100ミ
リシーベルトの範囲に引き上げるよう勧告を出したという経緯がある。
ICRPの勧告では原発事故が収束したとしても、原発周辺地域
に汚染が残るという分析から地域住民がふるさとを捨てず、住み
続けることができるよう、線量限度を20~1ミリシーベルトの
範囲で設定し、長期的に1ミリシーベルトを目標とすることを提案した。
これを受けて政府がこの数値を乳児、幼児、児童にもあてはめて
拡大解釈したことを小佐古氏は「とうてい容認できるものではない」
と厳しく非難しておられた。
すでに緊急時ということで原発での作業に従事する人たちの規定値も
大幅に引き上げられている。規制を緩和しなければ作業がすすまない
からであり、それではいつまでたっても終息が見込めないからだ。
一般の人の被爆量にしても、福島県内は事故後だいたい線量が
2~3マイクロシーベルト/時で推移しているので単純な積算
(一日24時間屋外にいたとしての計算)では線量は
一年で17ミリシーベルトに達してしまう。福島県民がすべて県外に
避難することは現実的に困難だし、子どもだけ避難させることも無理が
ある。そこで規定値のほうを大幅に引き上げることになってものと思う。
政府はICRPのお墨付きがあるから後々責任を負わなくていい。
そういう図式なのだろうと思う。しかし平常時が年間1ミリシーベルトと
いう規制値をいきなり20倍までO.Kにして、1~2週間ならともかく
長期にわたってこどもにまで適用することの異常さを小佐古氏は
国民に訴えられたのだと思う。
それでなくても関係者が繰り返す「直ちに」という言葉が、すべての
責任の免罪符になっている感がある。「十年後、二十年後は知らないよ。
でもいますぐ死んだりはしないから」ということなのだろう。
前からこのブログで書いているSPEEDI(スピーディー)については昨日
改めてニュースでも報じられ、やっと公開もされたらしい。
ギャンブル依存症の問題を通じて、この国の上の人間たちは実は
国民のことなんか真剣に考えてはいないんだと鬱病の妄想を書き続けて
きたが、今回の原発事故とその後の経緯は、もしかしたらそれは妄想
ではないのかもしれないと今ぼんやりと思い始めている。
4月30日付で内閣官房参与を辞任する意向を表明した。小佐古氏は
チェルノブイリ原発事故の研究家としても国際的に認知されている方で
3月16日に原子力災害の収束に向けた問題に関して、菅直人首相を
補佐するために内閣官房参与に任命された。
小佐古氏の辞任の大きな理由は、原発事故への政府の対応に対する抗議で
ある。同時に辞任の理由が文書で公表された。少し長いが一部を下記に
引用する。
「この1ケ月半、様々な「提言」をしてまいりましたが、その中でも、とりわけ
思いますのは、 「原子力災害対策も他の災害対策と同様に、原子力災害対策
に関連する法律や原子力防災指針、原子力防災マニュアルにその手順、対策
が定められており、それに則って進めるのが基本だ」ということです。
しかしながら、今回の原子力災害に対して、官邸および行政機関は、そのこ
とを軽視して、その場かぎりで「臨機応変な対応」を行い、事態収束を遅らせ
ているように見えます。
とりわけ原子力安全委員会は、原子力災害対策において、技術的な指導・
助言の中核をなすべき組織ですが、法に基づく手順遂行、放射線防護の基
本に基づく判断に随分欠けた所があるよう見受けました。例えば、住民の
放射線被ばく線量(既に被ばくしたもの、これから被曝すると予測される
もの)は、緊急時迅速放射能予測ネットワークシステム(SPEEDI)によりな
されるべきものでありますが、それが法令等に定められている手順どお
りに運用されていない。法令、指針等には放射能放出の線源項の決定が
困難であることを前提にした定めがあるが、この手順はとられず、その
計算結果は使用できる環境下にありながらきちんと活用されなかった。
また、公衆の被ばくの状沢もSPEEDIにより迅速に評価できるようになっ
ているが、その結果も迅速に公表されていない」
(引用ここまで)
TVでは小佐古教授の涙ながらの会見の模様が報道された。
これに先立って国際放射線防護委員会(ICRP)が、3月21日
に緊急的に日本人の、一般人の年間被ばく限度を20~100ミ
リシーベルトの範囲に引き上げるよう勧告を出したという経緯がある。
ICRPの勧告では原発事故が収束したとしても、原発周辺地域
に汚染が残るという分析から地域住民がふるさとを捨てず、住み
続けることができるよう、線量限度を20~1ミリシーベルトの
範囲で設定し、長期的に1ミリシーベルトを目標とすることを提案した。
これを受けて政府がこの数値を乳児、幼児、児童にもあてはめて
拡大解釈したことを小佐古氏は「とうてい容認できるものではない」
と厳しく非難しておられた。
すでに緊急時ということで原発での作業に従事する人たちの規定値も
大幅に引き上げられている。規制を緩和しなければ作業がすすまない
からであり、それではいつまでたっても終息が見込めないからだ。
一般の人の被爆量にしても、福島県内は事故後だいたい線量が
2~3マイクロシーベルト/時で推移しているので単純な積算
(一日24時間屋外にいたとしての計算)では線量は
一年で17ミリシーベルトに達してしまう。福島県民がすべて県外に
避難することは現実的に困難だし、子どもだけ避難させることも無理が
ある。そこで規定値のほうを大幅に引き上げることになってものと思う。
政府はICRPのお墨付きがあるから後々責任を負わなくていい。
そういう図式なのだろうと思う。しかし平常時が年間1ミリシーベルトと
いう規制値をいきなり20倍までO.Kにして、1~2週間ならともかく
長期にわたってこどもにまで適用することの異常さを小佐古氏は
国民に訴えられたのだと思う。
それでなくても関係者が繰り返す「直ちに」という言葉が、すべての
責任の免罪符になっている感がある。「十年後、二十年後は知らないよ。
でもいますぐ死んだりはしないから」ということなのだろう。
前からこのブログで書いているSPEEDI(スピーディー)については昨日
改めてニュースでも報じられ、やっと公開もされたらしい。
ギャンブル依存症の問題を通じて、この国の上の人間たちは実は
国民のことなんか真剣に考えてはいないんだと鬱病の妄想を書き続けて
きたが、今回の原発事故とその後の経緯は、もしかしたらそれは妄想
ではないのかもしれないと今ぼんやりと思い始めている。