癌と生きる 依存症と生きる

命がある限り希望を持つということ


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依存症と脳の話 (1) はじめに

2015-07-29 14:53:46 | 依存症
前に書きましたが
ここ半年ほど、人間の脳の働きについて勉強していました。

私が依存症と脳の関係に興味を持ったきっかけは
「行動分析学入門」(杉山尚子著)という本の中で
次のような文を読んだからです。

「心理学でいうところの「心」とは、英語ではmindであり、それはむしろ
 頭の働きを意味する。日本語で「こころ」という時は、自分の胸を指
 さすが、英語を話す人が自分の頭を指さしながら「mind」と言うのを
 私は何度も見ている」

「今さら」と思われる方もおられるかも知れませんが
私にとっては、これは結構衝撃的な指摘でした。
「心」という言葉は、あらゆる場面で使われていて
私もさんざん「心」という言葉を書いてきました。

けれどよくよく考えたら、これほどあいまいな言葉もありません。
確かに日本人は、心というものは何となく胸のあたりにあると
イメージしている人が多いのではないかと思いますが
そこにあるのは心臓であって
心と総称される人間の感情、気持ちの本体は脳なのだということに
おそまきながら気がつきました。

よく依存症は、性格の問題ではないとか
意志の力では治らない、治せないなどとと言われます。
これまた「意志」という、とても抽象的な表現が使われていて
最初は何となくそうなのかなあと思っていましたが
それではなぜ性格の問題ではないのか
あるいは意志の力ではどうして治らないのか
そこがよく分るように説明されているものを
見つけ出せなかったので
ずっともやもやしていたわけです。

これは例えばスマホやネット依存症への対処法として
叱責や禁止は意味がない、むやみに怒ることは
依存を強化して逆効果になると言われていますが、
なぜそうなのかを丁寧に説明されているものは
あまりないというのと同じです。

このブログにも書きましたが
依存症になると、脳内物質の出方に変化が起きて
その変化は元には戻らないので、依存症は治らないという説明もありますが
一方では、最近依存症は治ることもあるというお医者さんの発言もありました。

依存症を巡る話は、こんなふうに根拠が明示されていない
「依存症は治ることもある」
「依存症は治らない」
「これをやれば回復できる」
「これはやっても意味がない」という話が山のようにあるわけです。

それには理由があって、実は脳の構造や機能については
まだ100%解明されているわけではないという点です。
だから専門家の方は、根拠の部分については明言を避けられるし
一般の方は、主に自分の経験をもとに
科学的な根拠などはないまま、情報を発信されています。

それで私はといえば、自分のガンについてもそうですが
理屈で納得できないことは、自分もできないし、人にも勧められないという
とても面倒くさい、困った性分なので
身の程知らずなのは十分承知の上で
依存症と脳の関係について、勉強したり、あれこれ考えてみたわけです。

依存症には本当に様々な種類があり、症状も、進行の度合いも様々です。
脳の働きがどうとか、そんな悠長なことは言っておられないという
せっぱつまった状況のご家族もたくさんおられるだろうと思います。

今すぐにでも何とかしなければならないという状況ならば
どうかこのブログでもリンクをしている
本人のための自助グループや家族の自助グループ
あるいは、色々な依存症の相談に乗ってもらえるジャパンマックなどの
信頼がおけて大きな金銭的な負担のない相談機関に
参加するか、相談されてください。

依存症の問題を、少しでもよいほうへ向けていくためには
自分ひとりで抱え込んでなんとかしようと思わずに
経験や知識のある、自助グループや相談機関のメンバー
あるいは依存症の治療に対応できる医療機関で
話を聞いてもらうことで、少しでも先が見えてくることもあると思います。

そして、もし「ああ、脳の話?聞いてやってもいいよ」という
奇特な方がおられましたら、またしばらくの間お付き合いください。
とはいうものの、暑さでそれこそ脳が溶けてしまいそうです。
実は、引っ越して、やっとクーラーをつけたのですが
どうもクーラーは若い頃からあまり合わないらしく
数日前肩こりと頭痛で
久々にひどく具合の悪い日がありました。
「ん、脳に転移したかな」と思いましたが
ピップエレキバンで治りました。

下手の横好きで、若い時からとにかく書くことが好きで
ガンでニートになれたのを幸いに
毎日あれやこれやと書くことに余念がありませんが
もしも脳に転移したら、そこでタイムアウトだろうなと思います。

乳がんの治療については、薬の種類が増えたことなどもあって
ステージⅣであっても生存期間中央値
(100人の患者さんが治療(標準治療)を始めてから
半数の50人が亡くなるまでの期間)が
2年から3年弱と少し伸びてきているようですが
すでに2年は超えているので
いつ何があってもおかしくはないという状況ではあります。
まあそんなこともあって
私が知りえた知識などたかが知れているのですが
それでもこうしたことができるうちに
少しでも形にしてお伝えしたいと思っています。







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通院日 夜はヤフオクドームへ

2015-07-24 11:34:54 | 癌のこと
ガンについての記事はたまにしか書かないので
「ガンはどうした」と思われる方も多いと思いますが
今週火曜日は通院日でした。
患部の診察とお薬という通常コース。

先生の見立てでは「患部はごくわずか、1センチ弱ほど増大してるけど
一応今のホルモン剤が一定の効果があると判断できるので
このままアロマシンでいきましょう」ということで
私もまったく同じように考えています。

ただ腋のリンパ節と肝臓にも転移はあるので
次回は血液検査をしてもらえるようにお願いしました。
「たまに検査してもらわないと子どもがですねぇ」というと
先生「なるほど、家族対策ですね」と笑っておられました。
肺とか脳とか他のところに転移すれば
それなりに自覚症状もでるでしょうし
どうするかはその時にまた考えることになると思います。
というわけで、アロマシンと胃薬、塗り薬を処方してもらって終わりでした。

自己申告で「ギャンブルはしていない」というダンナ。
実は「次はアルコールか」という気配があるのですが
それともう一つ
ネットで何やかやとポイントを集めるのに凝っていまして。
たまったポイントで、たまにこっそりtotoの宝くじを買ったりしているようで。
たぶん私が知ってるとは思っていない。

ギャンブル依存症MAXだった頃に
出会い系やら職場不倫やら、はちゃめちゃだったのも
ずいぶん長い間、私にはバレてないと思っていた(笑)
こうしたことがギャンブル依存症と連動しているのか
そのあたりは、最後はダンナ自身の問題なので
私があれこれ指示しても始まらないわけです。
そうしたいわゆる「クロスアディクション」については
知識としては、たまに話はしています。

そのポイントがらみで、ホークス戦の
スーパーボックスというプレミアチケットをゲット。
なので夜はダンナとヤフオクドームへ。

前に書いたように、私は勝ち負けということに
どんな興味も関心もない人間です。
本音を言えば、誰かが金メダルを取ろうが
なでしこさんがW杯で優勝しようが「ふーん」という感じです。
そして多分それは、幼児期から学齢期を通じて
「勝ってうれしい」という感覚を体感したことがないのが一つの原因です。
そこには親の価値観の影響とか
尋常ではない運動神経の欠如とか、まあ色々あるわけですが。

対照的にダンナは、興味を持てるのがそういうものだけ。
何十年と、火星人と冥王星人が一緒に暮らしているようなもので
お互いに共感できる接点がどこにもないし
そのままでは会話もまったくありません。

子どもたちが独立して二人で暮す生活で
そこに私の病気もありで、盛り上がる要素が何もない。
これではさすがにあんまりだろうと
私のほうが、野球とかサッカーとか観ることができるように
気持ちをスイッチしました。
「スポーツを集中して観れるようになる」とか
「どこかに面白いと思えるところを探す」とかの訓練です。
今では、終日TVで野球がついていても
イライラするようなこともなく
スポーツをネタに会話ができるところまで成長しました。

ただ、いまだにホークスが、パリーグなのかセリーグなのか
覚えることができていない。
人間関心がないことを記憶するのがどれだけ大変かを
身を持って実感しています。
映画のワンシーンとか、小説のフレーズとかは
結構前に見たものでも割と覚えているのに。

なので一緒に野球観戦へ。
私の人生で、ナイター観戦は二度目です。
最初はおととしでした。
最近私のほうも「ダンナはこんな映画は見ないだろうな」みたいな
先回りする考え方を止めて
自分が観たい映画にダンナを誘うようにしていて
(まあダンナを連れていけばいつでも1100円で観れるという
大きな利点もあるのですが)
遅まきながら、そんなささやかな努力で、火星人と冥王星人でも
なんとか共感できる環境を作ろうとしているわけです。

で感想は、三万何千人中千人くらいしかいないロッテファンの応援が
めちゃくちゃ気合いが入っていたのにびっくり。
オプションでついてた料亭の懐石風のお弁当が、すごくおいしかった。
そしてホークスが勝って、何はともあれめでたしめでたし、でした。



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「力による支配」という価値観

2015-07-20 17:17:47 | 社会・生活
いじめと同様に、加害者と被害者という関係性ができて
被害者がとても辛い、悲しい思いをするのは
虐待やDV、パワハラ、モラハラなども同じです。

DVの、加害者向けの更生プログラムを指導されている
NPO法人女性・人権センターステップの栗原加代美さんという方のお話があります。

DVの加害者に、「DVとは何か」と聞いたら
「殴るとか蹴るなどの暴力行為」だと考えている人がほとんどなのだそうです。
実際にはDVには、そうした身体的な暴力以外にも
大声で怒鳴ったりののしったり
あるいは相手の話を無視するという心理的な暴力や
生活費を渡さないなどの経済的なもの
相手の行動を過度に制限するものなど
相手が安心して、自由に、自信を持って人間らしく生きる権利を
奪うもの全てを指します。
またDVとストーカー行為も、基本的には同じことです。

このDVの定義は、いじめや虐待にも、パワハラやモラハラなど
全てのものに当てはまると思います。
「暴力は振るってないから、いじめではない」ということは
ありません。
被害者が、恐怖や苦しみを感じるもの
人間らしく生きる権利=人権を侵害したり奪ったりする
行為や圧力は、基本的に虐待であり、いじめです。

栗原さんは、なぜDVが起きるのかについて
DVは行為ではなく、歪んだ価値観が起こす
誤った関係性なのだと言われています。
なぜ、そうした歪んだ価値観、考え方が生まれるかというと

① 社会にそういう価値観があふれている

 これは「力による支配」を容認する空気があるということで
 具体的には、上司と部下、先生と生徒、スポーツ界で言えば
 コーチと選手などの関係です。

② 暴力容認の価値観

③ 男らしさ、女らしさに対する誤った価値観
   
  これには昔の「男尊女卑」などの影響もあると思われます。

④ 育った環境のトラウマ

  両親の間にDVがあったとか、加害者が虐待されていたなど

いじめも虐待も、DVやパワハラも、現代になって
新しく出てきた現象ではありません。
世界的には人種差別の問題もそうですし
封建社会での階級制度や、軍隊でのしごきや
家庭内での嫁姑問題など
人間の歴史は、そのまま様々な差別と偏見と虐待の歴史でもあります。

近代になってやっと自由とか平等とか人権という
誰もが人間らしく生きる権利という考え方が根付いてきたのですが
社会の中では、今までの価値観が未整理のまま
ごちゃごちゃに存在しているので
「力による支配」の考え方を容認する空気はいまだに根強いわけです。

DVの加害者の9割が、小さい時に虐待を受けているという
数字は衝撃でした。
前に、異常な犯罪の背景には、ほぼ間違いなく幼児期の虐待があると
書きましたが、DVの加害者も同様で
「愛されている」と感じられずに人生の土台が作られてしまうと
「人を信じられない」といった歪んだ考えを持つようになるのです。

その、人間に対する不信感や不安が
「自分が正しい、自分が偉い→相手が間違っている」という
歪んだ考え方になり、力による支配に結びついていきます。

また「DVの加害者は変わることができるのか」という問いに対して
「変えることができないのは他人と過去であり
変えることができるのは自分と今だと理解すること」という
とても心に残る言葉がありました。
これは、もともとはエリック・バーンという精神医学の先生の言葉で
DVに限らず、様々な精神的な問題で苦しむ人たちへのアドバイスとして
カウンセリングなどの場でも用いられているということです。

ここで言われている「他人」とは、自分以外の
親や子供や配偶者も含めての、すべての他者を指すと
私は理解しています。

変えることが不可能な過去に捉われて苦しむことや
自分以外の人間を、自分の思い通りに
支配しコントロールしようとすることは不可能なことなのに
それを変えようとするところに葛藤や悲劇が起こる。

けれど、自分自身のそういう間違った考え方は、自分で変えることができるし
自分が変わることで今、あるいは現在から伸びる未来を
変えることは不可能ではないということなのだと思います。

知れば知るほど、こうした間違った関係性の根っこにあるものは
実はとてもよく似ているように思えてなりません。
本当なら、これだけ文明が進んだ社会で
そういう原始的で、動物的な価値観は衰退してもよさそうなもののですが
個人のみならず、国家と言うようなマクロな単位でも
むしろ増えているように見えるのには
また別の要因があるのかもしれません。

いや、単純に、人間は
みんな平等で、みんな平和で、みんな幸福という状況が
嫌いで、許せないという
ただそれだけのことなのかもしれませんが(THE マイナー思考)






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いじめと不登校の問題

2015-07-14 10:54:48 | 社会・生活
岩手で、いじめにあった中学2年生の生徒さんが
自殺をした事件で、マスコミでは
学校や校長、担任など教育現場の責任を問う論調が主流であり
ネットでは、加害者や担任の個人の氏名を特定しようという
報復的な空気が支配しているように思われます。

この雰囲気は2011年の、大津で起きたいじめによる自殺の時も
だいたい同じような感じだったと思います。
同様なことが何回起きても、具体的な解決策や対処法がないまま
また悲劇が繰り返されているように感じます。

今回の事件の経緯を見ていると
何か起きれば、校長の責任、あるいは担任の責任が重視されるために
いじめを出したら、校長や担任がダメと評価されることを恐れて
教育現場の人たちが、いじめを無視したり、隠蔽したり
あるいは先生同士で相談したり、情報を共有するということが
かえってできなくなっているのではないかと危惧しています。


それで、もうすこし客観的に、いじめを解析しているデータを探していたら
有識者の方が運営されている「ストップいじめナビ」という
サイトがありました。
ここには平成22年くらいまでですが
小中高校におけるいじめの実態、現状について
かなり詳細な分析がされていて
解決の方法もある程度は提示されています。

本当は、そのサイトを見ていただけるのが一番良いのですが
いくつか、なるほどと思った点をあげてみます。

まず第一に、いじめがもっとも多くなるのが
小学校の高学年から中学2年生にかけてであること。
多発する時期が、5月から6月にかけてと
10月から11月にかけてであること。
(夏休みや冬休みは、登校日が減るので一時的に減る)
いじめが行なわれる場所は、教室内
加害者は同性のクラスメイトが多いことなどです。
なぜこの時期の、特に中学生にいじめが多発するのかについて
もっともっと突っ込んだ子どもの気持ちの分析が必要だと思います。
そして実は、いじめが原因の不登校が相当数ある可能性についても
言及されています。

前のブログで、最悪の場合は学校に行かないことも選択肢の一つと書きましたが
おそらく現実にそういう選択をしている、あるいはせざるを得なくなった
子どもさんもかなりおられるということが分かります。

これは、いじめによって尊い命が奪われるという重大な事態以外にも
いじめによって「教育を受ける権利が奪われている」という
深刻な問題がたくさん起きているということです。
学校にこなくなったから問題がなくなった
いじめも解決したというような
安易な認識がまかり通っているとしたら、とんでもない話です。

いじめは日本固有の問題ではなく
最近始まったことでもありません。
また子どもの社会に特有というわけでもありません。
現実には大人の社会にも蔓延するいじめやいじめまがいの行為を
撲滅するなどということは不可能なことです。

極端かもしれませんが「いじめがないことが良いことで
だからいじめをなくそう」という向き合い方ではなく
そもそも何十人もの子どもたちが、同じ場所で長い時間過ごしていれば
「基本的にいじめはある」という前提で
自分たちが日常にやっている行動の中で
どういう行為がいじめにあたるのかをしっかりと認識させる
そういう初歩的なところから取り組む必要があると思います。

「友だちをいじめたらだめじゃないか。やめなさい」といえば
たいていの子どもは表面上は「はい、わかりました。やめます」というでしょうが
それでいじめが止まることはありません。
それはなぜかというと、実は自分たちがやっていることを
いじめだとは思っていないからです。
それはどういうことなのか。

「ストップいじめナビ」に、社会学者デイヴィット・マッツァという人の
自分の行為を正当化する「中和の技術」について書かれていて
その5つの類型を、いじめに当てはめると次のようになります。

「自分がやりだしたんじゃない」(責任の否定)
「これはいじめではなくふざけていただけだ」(危害の否定)
「この子が生意気だからこらしめていただけだ」(被害者の否定)
「そんなことを注意される筋合いはないし、そもそもお前は人に注意できる立場か」(非難者への非難)
「クラスのノリを乱すのがいけないんだ」(高度の忠誠への訴え)といった具合です。

いずれも、いじめを正当化するための言い訳なのですが
こういう論理が、いじめが悪だという考え方をあいまいにしてしまいます。
「そのくらいのことはいじめじゃない」
「男ならやられたらやりかえせ」
「やられる側にも問題がある」というのは論理のすり替えなのですが
驚いたことに、先生にもそういう考えの方が結構おられるということは
これもトリーさんの書かれた記事で知りました。

こういう考え方が一般的に通用することが
「やられた人間が弱いから、適応できないからしかたないんだ」と
不登校の生徒を切り捨てることにもつながっているように思います。
先生とか親とか、少なくとも大人は
これらの考え方が間違っていること
そういう考え方が、いじめの事実をあいまいにし
いじめを助長する空気を許してしまうことを知っていただきたいです。

不登校を選択したら、いじめからは逃れることができても
親子共に乗り越えなければならない別の試練がたくさん出てきます。
今回の事件を契機に、学校や先生や父兄の皆さんが
不登校の背景にあるいじめの問題にも
少しでも目を向けてくださることを願ってやみません。
一度に全てを解決できる方法などあるわけがないですから
まずは身近にある問題から目をそむけたりごまかしたりせずに
ひとつづつ地道に真剣に取り組んでいただきたいと思います。

いじめがない学校がいい学校なのではなく
いじめの問題にきちんと対応し、一定の成果をあげた学校や先生を評価し
成功した具体的な事例から積極的に学ぶ
といった考え方に変わっていただきたいです。
「命の大切さを知る」とか「生きる力を育てる」などという
抽象的できれい事のキャッチコピーを振りかざすことに
どんな意味もなく、効果も期待できません。

子どもの心と命を守るために、学校に行かない決断をする
そんな社会は、まともではありません。




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苦しんでいる子どもたちを救うために

2015-07-09 10:07:14 | 社会・生活
先日中学生の問題について書いた矢先でしたが
またとても痛ましい事態が起こってしまいました。

もう十年以上前のことになりますが
自分の体験を交えて考えてみようと思います。
実は上の子の中学校の卒業式の日に
一人の生徒が卒業証書を受け取った壇上で
「自分はイジメにあっていた」と訴えました。
同じクラスの生徒だったので
子どもに聞いてみましたが「そんなことはない」という答えでした。

上の子はスポーツの部活をしていて
運動部の中では、親の目からみたら
いじめとぎりぎりのラインのことが、わりと普通にあると感じていました。
そういう行為は小学校の頃でもあって
地域でのドッジボールやソフトボール大会の練習風景では
運動の苦手な子や、友だちとコミュニケーションを取るのが苦手な子は
特にリーダーシップを取っている子のグループから
嘲笑されたり無視されたりという光景はしばしば見ました。

暴力を振るったりすれば、注意をすることもできますが
際どいところなので、どんな風に言えばいいのかとても難しいのです。
スポーツは、勝ってなんぼの、実力主義の世界なので
幼児と違って「○○ちゃんも一緒に混ぜてあげなさい」
というわけにもいきません。

そういう結構シビアな子ども社会の状況は
今に始まったことではなく
もともと子どもとはそういうもので
やる側もやられる側も段々そういう状況に慣れていき
うまくその状況をかわす能力を身につけることができれば
子どもの社会の中で、居場所を確保することができるように思います。

けれどそうやって保身を身につけた子どもは
今度は、他人の痛みとか苦しみ、悩みに対して鈍感になっていきます。
卒業式の日に「いじめられた」と訴えた子どもは
つもり積もった自分の苦しみを、最後の最後に訴えずにはいられなかったのであり
それを聞いて青天の霹靂みたいな反応だった他の子どもは
「別にそれくらい当たり前のことやろ。誰でもやったりやられたりしてるし」という
大きな認識の違いがあったように、私には思えました。

そして十数年前からしたら、今は状況がいっそう厳しいものになっています。
いじめを主導する子、それに加担する子、周囲で見て見ぬふりをする子
おそらく誰もが、自分たちがそれほど悪いことをしているという認識がありません。

小学校の高学年から、中学高校と
子どもたちは、家庭や学校といった自分たちの生活圏で
人知れず、日々色んなことに傷つけられたり、苦しい思いをしていて
それを誰にも話したり、慰めたりしてもらえず
ストレスとして抱え込み、蓄積させているのではないかと思うのです。

その鬱屈した感情を、自分よりも弱い立場の者にぶつける。
相手が嫌がる、悲しむ姿を見て、偽りの優越感を味わう。
ものすごく屈折してますけど
実はこれ、現在大人の社会が抱えている様々な問題
虐待だとか、パワハラ、DVなどと根っこは同じだと思います。
どうしてこういう負の無限ループになっていくのかを
簡単に説明することはとても難しいので、それはまたの機会にします。

現実の問題として、どうすればこういう悲劇を少しでも回避できるのかを
この時期の子どもの心理に即して考えてみます。
前に書いたように、十代の子どもたちは、とても視野がせまいです。
自分のわずかな知識や経験の中でしか、対処法を考えることができません。

「学校に行ったら、毎日嫌なことを言われたりされたりして、辛くてたまらない。
もう学校に行きたくない」
「でも親や先生に言ったら、すぐに相手や相手の親に言われてしまう」
「それで、相手がいじめをやめるはずがない。もっとひどくなるかもしれない」
「他の友だちにも、あいつチクリやがってと軽蔑されてしまう」
「親に言ったら、心配をかけてしまう」
「親に言っても、お前がやられてばかりいるからだと言われそうだ」
 こういう感じのどこにも出口のない堂々めぐりを繰り返しているうちに
「学校に行かないためには死ぬしかない」という結論に行きついてしまうのです。

一番大切なことは、まずは子どもの話を、他言しないと約束すること
そして、すぐに解決策を提示したり、批判をしたりせずに
ひたすら黙って聞いてあげることです。
そして、どういうことがあったのかを正確に把握することです。

学校でこれが徹底できれば、それにこしたことはないでしょうが
学校には学校内部の、何かと面倒な事情があるようです。
学校という組織の中で、校長先生を含めて
マニュアルで動かなければならない先生にできることには限界があります。

ほとんどの場合、加害者になる子のほうも
いろいろ問題を抱えているものですが
例えば、加害者の生徒の親の教育方針や、問題のある家庭環境などに
先生が、過度に立ち入って命令や指導をするようなことはできません。
本質的な原因を解決できる手段がないから
加害者やその親を「指導」しても無駄なのであり
いじめはなくならないということを
子ども自身が知っているから絶望するのです。

ですから先生に対応してもらうのが無理な場合
(特に子どもが先生に話すのをひどく嫌がるような場合)には
親が子どもの気持ちの受け皿になることが一番なのですが
他に、例えば保健室の先生だけは秘密厳守を前提で
子どもの話を聞いてもらうといった方法もあるかと思います。

けれど基本的に先生は、いじめている側の子どもや親に事実を伝え
いじめをやめるように指導をすれば、いじめはなくなるという考え方です。
ですから、たとえ保健室の先生が受け皿になってくれたとしても
その先生がそれをただ担任に伝えるだけでは、意味がありません。
もういい加減で「加害者の側を指導する」ことに
ほとんど効果がないことを知ってほしいと思います。
加害者側を何とかしようとする前に
まずはどうしたらいじめられている子を守れるかを考えてほしいです。

いじめられている子どもが、いじめから逃れるためには
どういうことができるか、どうすればよいのかの具体策を
子どもと、親と、先生とで話し合っていくことがとても大切です。

このあたりは先日、ネット依存アドバイザーのトリーさんが
ご自身の実体験を「ネット依存、スマホ依存から小中学生を守るために」で
ていねいに書いておられ、親が子どもの気持ちに寄り添うことが
どれほど大切で、子どもを救うことになるかを痛感しました。

この問題では、すぐに学校という組織の問題点ばかりが指摘されて
何だか話がどんどんそれていってしまい
ほとんど改善も解決もされないままで、また同じ悲劇を繰り返しています。
いったい何をどうすれば、子どもたちが救われるのかを
子どもと同じ目線で、子どもの身になって真剣に考えていただきたいと思います。

それでもどうしても有効な解決法が見いだせない時は
「学校に行かない」という選択肢を、親が認めてあげる必要も出てきます。
「学校に行けなかったら、もう○○高校にには行けない。人生は終わりだ」というような
視野の狭い考え方をしないでください。
たとえ○○高校に行ったとしても、人生が終わるような状況は
生きていれば何度でも出てきます。(それはあなたの話でしょと突っこまないで 笑)

ちなみに、私も自分の子どもで、中学三年の秋から
翌々年の春まで、一年半の不登校を経験しています。
原因はいじめではありませんでしたが
中学時代が一番大変だということは経験しています。
そして、友人にも何人か、子どもの不登校を経験した友だちがいます。
みんな、普通に社会に出て働いています。

人生の入口の、中学校でやられたいじめは
人生に無数にある試練の一つです。
生きるということを、客観的に柔軟に捉えることができれば
乗り越えることができる方法は必ず見つかります。

けれど、子どもや若者は、ひとりきりではそれができないことも多いのです。
身の回りにいる誰かひとりでも、かばって、守って
支えてあげることができれば
必ず違う結末を導きだせるのではないかと思います。






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伊藤計劃とゲームの世界

2015-07-04 15:28:00 | 伊藤計劃
このブログの検索ワードで、意外に「伊藤計劃」があることに
ちょっと驚いている。
前回は伊藤計劃さんの作品との出会いについて
ざっくりと書いたが、今回は少し違う角度から書いてみたい。

私が子育てをした頃、ちょうど子どもが小学校に上がる頃に
ファミコンが発売された。
私は自分が子どもの時、家にテレビがないことや
自分の家庭環境がちょっと人とは違うことなどもろもろで
それなりに悲しい思いや辛い思いをした。

親の教育方針や理想主義は分からないではないが
周囲からの孤立を感じながら成長すると
それはそれで、マイナス面もあることを実感している。
だから自分の子どもたちは、あまり極端ではなく
普通に育ててやりたいと思って、ファミコンも買った。

当時のゲームは「スーパーマリオ」に代表されるように
キャラクターも子ども向けだし
放課後や休日に友だちがおおぜい集まって
わいわい遊んでいたから、それほど親子でもめた覚えはない。

ただ私自身は、ゲームに限らず、勝ち負けというものに
まったく興味が持てず、2匹目のクリボーで死んでしまうというくらい
コンピューターゲームに関しては、才能のかけらもなかったので
ゲームだけは自分の人生には完全に無縁のものと信じていた。

それが伊藤計劃という作家さんに出会って
伊藤さんが、ゲームデザイナーの小島秀夫さんの大ファンであり
自ら「小島原理主義」と呼ぶほど、小島さんに傾倒されていたことを知った。
作家デビューされて、小島さんのゲーム「メタルギア」の
ノベライズを依頼されたことや小島さんとの交流が生まれたことに
とても感激されて、心から喜んでおられたことが、小説の後書きからも伝わった。

そのノベルス「メタルギアソリッド」
ゲームにまったく無縁だった自分に果たして読めるのかと思ったが
意に反して、なかなか面白かった。
ノベライズになると、映画もゲームもそれほど変わらない。
「メタルギア」は、伊藤さんのオリジナルである「虐殺器官」や「ハーモニー」
に比べると、ずっと饒舌な感じがする。
作品世界や登場人物への愛にあふれていると言ったら怒られるだろうか。

毎日ゲームをやっていたら、ゲームが好きだったら
こういう小説が書けるのかといえば、そんなことはない。
小島秀夫さんは例えば「スナッチャー」というゲームでは
映画「ブレードランナー」の世界観を土台にしていると自ら語られ
ゲームのストーリーの根底には、反戦反核がテーマとしてあるというように
映画や小説の創造者のような感性の持ち主であり
そこに伊藤さんが強く魅かれるものがあったのだろうと思う。

伊藤さんは、自らオタクであり非モテであると自認され
それをブログなどで自虐的に書かれることもあるが
そうしたマイノリティとしての自分の生き方には
強い誇りを持っておられたと思う。
そしてその自信や誇りは、中学時代から読んだというSF小説や
学生時代以降観られた大量の映画や本や
他にも音楽や美術や、日々取り込んできた様々な要素が
有機的に結合して小説という実を結んだことによるものだろう。

もとより伊藤さんに影響されて
いまさらゲームをやってみるというようなことではない。
実は私が今小説を投稿している某サイトでは
異世界へ転生とか、ゲームのノベライスみたいなのが
大流行していて、ネット小説の主流となっている。
書き手のほとんどは、十代から三十代くらいまでの若者で
現実社会では何一つ思い通りにいかないから
異世界やゲーム世界で、自分とは正反対の
強くて、カッコよくて、モテモテキャラで大活躍みたいな
ストーリーが、読み手にも書き手にも大人気なのだ。
伊藤さんが描いた「メタルギア」の世界観とは全然違う。
こんなことを書いたら反発をくらうかもしれないが
なるほどゲームだけやってたら、こういう思考になるのかなと思う。

一年ほど前にある方から、かわいらしい日記帳をもらった。
私の病気のことを知って、日々の思い出を書いて
家族に残してほしいという思いがあったのかも知れない。
その日記帳に、伊藤計劃さんのブログ「第弐位相」の
自分が共感できる文章を、せっせと書き写している。
「第弐位相」は一部分しか書籍化されておらず
いきなり閉鎖なんてことになったら泣くに泣けない。

現実に叩きのめされて、出口が見えなくなっていた私に
伊藤さんが教えてくれたこと。
それは「この世の中がデタラメで、圧倒的で、辻褄が合わない場所だ」ということ。
それでも人は「戦えばなんとかなるんだ。むしろ戦うべきだ」と考えていて
人間というものは「無力であることに堪えられないんだろう。
わけのわからないことが嫌いなんだろう」と結ばれている。

まさにと思う。
「わけの分からない、どうしようもない」ものを、そういうものとして
受け入れることで、そこから見えてくるものがあるのだ。
どうしようもない世界をどうにかしようと考えるのではなく
どうしようもない世界でどう生きるのか、あるいはどう死ぬのか。
伊藤さんが描くのはそういう世界で
それが何となく分かったことで
今更ながらSFというものの面白さが分かったように思う。

あなたの考えることのほうが、わけが分からないと言われそうですが
私自身も期限つきの人生ですから
時には自分が思うことを正直に書きます、
ですから、伊藤さんについては、また折々に書くと思います。




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