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癌と生きる 依存症と生きる

命がある限り希望を持つということ

原鶴への小旅行そして「猿の惑星ライジング」

2014-09-30 09:18:39 | 社会・生活
先週の日曜日は、20数年前に同じアパートで子育てをした
仲良しグループの人たちが、熊本や宮崎からまで集結してくれて
皆私の体を気づかってくれて、近場の原鶴温泉に一泊し
初秋の秋月をのんびり散策する小旅行をしてきました。

最後に顔を合わせてから、長い人ではももう十年以上が経っていましたが
そこは子育てが一番大変だった時期に
お互い助けたり助けられたりして支えあってきた者同士
まるで血のつながった姉妹のように
にぎやかなおしゃべりの花が咲きました。

ここまで別々に歩いてきた人生は、みんな決して平坦ではなく
四人四様の大変さがあり、それぞれの子どもたちもまた十人十色の多様さですが
誰が幸せで誰が不幸せというのではなく
「ああ、みんな本当にがんばってきたんだなあ、一生懸命に生きているんだなあ」
という思いで、胸が一杯になりました。

この旅行のきっかけは、多分私の病気だったのですが
それでも私以外はみんなそれぞれの親御さんの介護を抱えていて
むしろ今はのほほんと暮らしている自分が申し訳ないような気がします。
「次は来年、みんな還暦になったら、また旅行しようね」と
いう相談までまとまりました。

そして昨日はダンナと一緒に念願の「猿の惑星ライジング」を観てきました。
やはり前作の「猿の惑星ジェネシス」から通してみると
とても見ごたえのある面白い作品だと思いますが
映画の感想についてはもう少し考えがまとまってから書こうと思います。

実は今年の春先に、このブログのタイトルを「癌と生きる依存症と生きる」に
した時に、何となく「治らない癌と依存症って似てるな」とも思ったのです。
癌は人間の細胞の遺伝子に起こる変化で
原因も医学的なメカニズムも、病気が進行してからの治療法も
まだ完全に分かっているわけではありません。
同じように依存症も、アルコールにせよ、ギャンブルにせよ、薬物にせよ
前回のブログに書いたように、脳内物質の働きが異常になる
病気のメカニズムも、治療の方法もはっきりとは分かっていません。
進行した癌も、依存症も治らないというその一点では同じです。

けれど決定的な違いがあります。
癌という病気は、もちろん病気の症状はありますが
こうして仲のいい友達や家族の優しさ、温かさ、思いやりに幸せを感じることができ
風景の美しさや面白い映画に感動することもできます。
けれど依存症になると、そうした人間らしいすべての感情が失われます。
昨日の映画にはとてもシンプルだけど
大切なキーワードがいくつか出てきました。

Home(家)Family(家族)Friend(友人)Future(未来)

どれも人が人として生きていくための大切な価値観です。
(映画の中では、高度に頭脳が発達した猿のシーザーの口からこれらの言葉が
発せられます。明らかにオイオイ人間完全に猿に負けてるぞという感じです)
依存症になるということは、依存対象の奴隷になって
こうした人が生きていく上で大切にしなければならない
大切にすることによって生きる価値のある生を生きることができる
全てを失うということなのだと思います。

前回薬物依存の問題についてはかなり極端な書き方をしました。
全部が事実だとは私自身も思っていません。
けれど薬物依存によって起きる脳のダメージの大きさ
無関係の人間を巻き添えにするリスクの大きさが
薬物の場合は、他の依存物質よりも甚大で深刻ですから
薬物のことを書くときは思い切って極端なことを書いています。

覚せい剤が怖いものだということは、ある程度社会に浸透しています。
けれどドラッグは最近まさに日進月歩の進化をしていて
私たちの認識がそれに追いついていない、ついていけなくなっています。
だから、とにかくそれがどういうものかを知ってほしい
そして恐ろしいものだ、絶対にやってはいけないものだ
とわかってほしいというしかないのです。

私の場合やはり病気が病気ですから、たまに不意に
自分の命の期限というものを意識する瞬間があります。
子どもの時から映画館で映画を観るのが大好きでしたが
子育てに追われ、ダンナのギャンブルと借金に振り回されて
つい最近まで映画どころではありませんでした。
(それでもレンタルで結構観てはいましたが)
それがここにきて、皮肉にも癌になったおかげで少し経済的な余裕が出来て
こうしてたまに映画館で映画を観ることも出来るようになりました。
それで昨日の帰り道ふと「あと何回こうして映画を観れるかな」と思ったのです。

そして先日子どもに「お母さんにはもう自分の好きなことをやっていてほしい」と
言われた時には、内心柄にもなくほろりとしました。
「いやいや、そうやってみんなで甘やかすと
引きこもって、映画と本と音楽三昧のダメ人間になるから」と笑いましたが
病気がなかった頃よりも「今日」という一日の重さ
「今」という時間の大切さを身にしみて感じているのは確かです。
そしてそれを、家族や仲のいい友人たちが温かくサポートしてくれています。
良いことも悪いことも、さんざんいろんなことがありましたが
「生きていることもそんなに悪いことではないな」と
最近心からそんな風に思えます。



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自衛できることは自衛する(薬物)

2014-09-28 07:57:09 | 薬物依存症
昨日厚労省の調査をもとにした「危険ドラッグ若者に急拡大」のニュースが出ました。

それによると、薬物を一度でも使ったことがあると答えた人は
▽シンナー1.9%
▽大麻1.1%
▽覚醒剤0.5%
▽危険ドラッグ0.4%で

これを基に全国の15~64歳の使用者を推計すると
▽シンナー約183万人
▽大麻約107万人
▽覚醒剤約52万人
▽危険ドラッグ約40万人--となる。

使用者の平均年齢は
▽シンナー43.8歳
▽大麻40.7歳
▽覚醒剤40.1歳--に対し、
危険ドラッグは33.8歳と最も若かった。。
調査対象者の約4割は、危険ドラッグを一度使っただけで呼吸困難に陥ったり
意識を失ったりする恐れがあることを知らず、他の薬物より危険性の認識が低かった 
となっています。とにかく推定にせよ覚せい剤と危険ドラッグの使用経験者が
すでに100万人にせまる数字というのは、かなり深刻な状況です。

アメリカの犯罪ドラマを見ていると、登場人物の8割くらいが
ドラッグ経験者であったり、中毒者であったりして
社会へのドラッグの浸透ぶりに背筋が寒くなりますが
決して他人事ではありません。
先日ニューハンプシャー州では二日間で30人を超す中毒者が出て
非常事態宣言が出される事態にまでなっています。

「パーソンオブインタレスト」というドラマでは
ロシアの秘密組織が、輸入した工業用の化学薬品をドラッグにして売る話があって
それに手を貸すのがニューヨーク市警の悪徳警官の組織HRというあたりまで
描いているのは、さすがアメリカだと変なところで感心してしまいました。

自分がガンになって少し詳しくなりましたが、普通薬を作る場合には
動物実験をして、慎重に臨床試験をし、十分に安全性を確認してからでないと
販売できない仕組みになっていますが
しかし最近流通しているドラッグの場合は
覚せい剤に似た作用などを起こすものであれば
工業用であろうが何だろうがおかまいなしで
たいして設備もない隠れた場所で、ほとんど何の知識もない人間が
適当に調合して作っているという、毒物以外の何物でもありません。

ですから、使った人間が一発アウトで死亡したり
生涯寝たきりの重い障害が残ったり
誰かを殺したり傷つけたりという、どんなことでもおこりうる
とんでもない状況になってきているのだと思います。

こうした危険な毒物が、急速に広がり始めたのは
やはり価格が安いということが大きな理由だと思います。
これまでのドラッグの代表的なもの
覚せい剤、コカイン、ヘロイン、大麻などは
販売される時にはかなり高価なので
継続的に使うとなると、それなりにお金持ちでなければ手を出せませんでした。

ところが危険ドラッグは、従来のドラッグに比べて
何分の一、数千円で手に入るから
極端に言えば中学生でも買うことができるような値段です。
しかも使い方も、かつての「注射器で」といった
おどろおどろしいのでなく、普通の錠剤やお香のような
アブナイ空気を感じさせないものになっています。
さらにこうしたドラックの一番怖いところは
他とは比べ物にならない依存性の強さで
一度やったらほぼ間違いなく薬物依存症になります。

なぜならドラッグの場合は、薬物の科学的な作用で直接かつ即時に

<A10神経付近にドパミンの過剰な充溢を起こし、当該部位の
ドパミン受容体に大量のドパミンが曝露することで覚醒作用
や快の気分を生じさせる>つまり快感物質ドーパミンが
ドバドバ出るという異常な状態を作り出して、それを体感してしまうと
まさに「一度やったらやめられない」ということになるからです。
つまりドラッグの場合は
一回でもやったら、引き返すことができなくなります。

そしてドラッグを買うお金がなくなると、最悪の場合は
売る側に回らされる可能性もあります。
すでに依存症になっていますから
ドラッグを手に入れるために、薬物欲しさに
他人にドラッグを売るようになります。
こういう図式ができてしまったら
汚染はネズミ算式に拡大していくと思います。

しかも「これは危険ドラッグですよ」などとはもちろん言いません。
「疲れが取れる「元気が出る」「痩せる」などと
あたかも健康食品のような勧め方をされれば
若者だけでなく、サラリーマンでも主婦でも誰でもがだまされてしまいます。
中でも、今の社会の怖さを知らず、好奇心が旺盛な
学生や若者は特に「軽い気持ちで」手を出す可能性が大きいです。

前にネットの問題で、専門家の方がネット教育は
ネットやスマホ(携帯)を使い始める前
できれば小学校低学年のうちからと提言されていましたが
同じようにドラッグの場合も
最低でも中学生になったら、リアルにドラッグの怖さを
理解させる教育が必要なのではないかと切実に感じます。

面白半分にドラッグを使った多くの人の認識が
「覚せい剤よりは安全だと思っていた」というのを見ても
未だ同じように考えている人が多いだろうし
ああいうものは、こわもてのお兄さんが繁華街の暗闇なんかで
こっそり売っているもので
子どもが手を出せるようなものではない
全然別の世界の話などと考えている人も
日本では多いような気がしますが
決してそんな安易な話ではありません。

いまや完全に得体の知れないものに変貌して
しかも規制の届かないネットなど水面下でも流通するようになったドラッグは
一度やっただけで

死ぬかもしれない
一生寝たきりになるかもしれない
精神を完全に破壊するかもしれない

トンデモナク危険な代物なのだということを
特に中、高、大学生などをお持ちの親御さんはしっかり理解していただいて
その危険性を子どもさんにちゃんと理解してもらう機会を
作ってもらえたらと切実に思います。

ギャンブル依存症の例でも分かるように
国が何かしてくれる、自治体や警察がどうにかしてくれるといった
他人まかせでは正直もう無理なのだと思います。
ドラッグの成分を分析して、危険薬物に指定したら
次の週には、もう新しい危険ドラッグが出てきているというような
もぐら叩きのような状態で対応できるレベルはもうとっくに超えています。

ギャンブル依存症にしても、ネット依存症にしても、薬物依存症にしても
自分でできる限りの情報を集めて
できそうな対策はやってみるという、自衛の時代、自衛の社会に
なってきているのではないかと思うのです。
極端な言い方をすれば、種類を問わず
「依存症」というものについての正しい知識、対処法を理解しなければ
「今そこにある危機」を回避できない
そういう世の中になっているのだと思います。
一人でも多くの人が、この問題について真剣に知ろうと
思うようになってくださることを願ってやみません。




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自分のための小さな物指し

2014-09-20 08:41:46 | 依存症
ずいぶん長いこと映画館で映画を観てないので
実は昨日封切られた「猿の惑星 ライジング」を観にいこうかと
こっそり企んでいます。

そのためにはどうもまず前作の「猿の惑星ジェネシス」を観る必要がある
みたいなので、一昨日ケーブルのオンデマンドで観たら
どうやら昨夜民放でも放送があったようです。

今回もなかなか感動しました。エビ型エイリアンの次は猿かいと
言われそうですが、たかが猿となめてはいけません。奥が深いです。

実験動物として高い知能を持ち
人間に育てられたシーザーというチンパンジーが
育ててくれた家のおじいちゃんを守ろうとして暴れ
収容施設の狭い檻に入れられて、檻の壁に
自分が可愛がられて幸せに育った家の窓と同じ形の図形を描くシーン。

その後「自分は人間とは違うのだ」ということを
次第に認識し、さらに収容施設に入れられている猿たちこそが
自分の仲間なのであることを理解して「うちに帰ろう」と
迎えに来てくれたウィル(育て親)の前で
自ら檻の扉を閉ざして拒絶するところ。

映画のラストで、子どもの頃よく遊びに来たアカスギの森の中で
再び「うちに帰ろう。俺が守るから」というウィルに
「シーザー、ここが家」と訣別するシーン。
こうした子育てと、子どもの自立(子離れ)を暗示するような場面で
うるっとさせられるのは母親というものの性なのかもしれません。

まあこの映画については、たとえば癌の治療なんかとも関係して
感じたことは山ほどありますが、きりがないので今日のところは
さわりだけにします。

前のブログで<依存症になると性格が変わる>で半分書きましたが
その他に

   ・ストレスに弱くなる、ささいな負荷が重荷
   ・自信喪失、自尊心の低下、自己評価の低下
   ・猜疑心、被害妄想、自己憐憫、悲劇のヒロイン

などもあげられています。これらは、依存症の症状というだけでなく
他の心の病を抱える人たちにも共通するところが多いように思います。
そしてこうした人間の心の動きはお互いに深く関係しあっています。

自信のなさや自己評価の低さが、ちょっとした失敗にもめげてしまうという
ストレスに対する弱さになり、さらに依存しているお酒とかギャンブルなどに
のめりこんだり、あるいはそんな自分自身を守ろうとして
悪いのは自分ではない、回りなのだという被害妄想や
自分は不幸なのだ、自分なんていないほうがいいのだという自己憐憫や
自己否定に陥るという負の連鎖になっていくのです。

そうなる原因の一つとして
<心の空白を埋めたい、無条件に愛して欲しい>という思いがあります。

この<心の空白を埋めたい>という思いの根っこには
「達成感がない」「がんばっているのにうまくいかない」という
人間ならほとんどの人が抱えている焦燥感があるように思います。
多くの人がそう感じる背景には、今の社会が抱える「格差」の問題が
これはもう解決できない巨大な壁としてあると思いますが
そこに踏み込んでも何も建設的な話は出てこないのでスルーしようと思います。

けれど入れ物が変わらなくても中身は変わることができます。
大げさな言い方をすれば社会は変えられないけれど
人は変わることができる。
一つの方法は、自分にあった物指しで物事を考えられるようになるということです。
これは自己評価の物指しが外側にあると
そこに届かなかった時は「できなかった」という挫折感になるからで
今の社会は、社会自体が勝ち負け思考ですから
できない人間はだめ、負けたと決め付けられてしまいます。

「望めば必ずかなう」「心を強くもって」「目標を高く」
こういう言葉は、いわば宗教の教えと同じで
本人が心の底からそう信じることができる場合のみは有効ですが
外からの物指しとして与えられるとただのプレッシャーです。

たとえば私のガンにしても、私は基本マイナー思考でひねくれていますから
「気持ちを明るく強く持って」「なるべく楽しいことを考えて笑おうよ」
という風に元気づけられても内心は「いや、それは無理やし」と
最初から挫折しています。それでも相手の気遣いは十分過ぎるほど分かるので
自分から「未来」を話題にしたりして、一応がんばってはいますが。

前のブログで「自分で考えて決めて実行する」ことの大切さについて書きましたが
「自分に合った自分の物指しを持つ」ということも、それと共通しています。
挫折を経験して「自分はだめだ。何もできない」と投げ出してしまったら
別の意味で生きていくことがとても難しくなります。

だから小さなことでいい、何とかこれならできそうだという目標を自分で決めてやってみる。
自分の物指しだから、うまくいかなくても誰かに批判されたり非難されたりする
筋合いのものではない。要は自分でできたか、できなかったかだけ。
その代わりうまくいったからといってほめてもらえるというわけでもないので
これぞまさしくTHE自己責任。
私のガンの治療に関する選択なんかもまさにそれだったわけです。
でも私の場合は「なるようになるさ」的なほとんどやけくそみたいな性格も混在してて
それも周囲にはバレていますから、こういう風にきれいごとを並べても
あまり信用してはもらえません。

もともと私はこうした心の問題に「これなら絶対に大丈夫ですよ」といった
万能処方箋みたいなものはないのではないかと思っていて
こうして色々書いていても、また他のブログなどを見ても
そういう風に断定的な表現がされているものには少々疑問を感じます。
だからこのブログを読まれる方にも
私がここで書いていることは、自分の経験から感じた私個人の意見であり
考え方であって「ああ、こういう考え方もあるんだなあ」と言う風に
理解していただければとてもありがたいです。

生まれも育ちも様々な人間がいて、家族があって
その家族が置かれている状況があって
そのそれぞれが抱える問題については
ひとりひとりが、少しでもその状況が生きていきやすいようになるために
情報を集めたり、考えたり、誰かに相談したり
自分や自分たちの状況にあったできそうなことからやってみる。
何もせずに、ただ嘆いたり苦しんだりするだけではなく
そこにも小さな物指しを置いて、今日一日できることをやってみる
ダメならダメで、また他の方法をさがせばいい
あるいはもう一度やり直したらいいじゃないかと。

依存症の場合、まずは完全に止めるというのが前提になりますが
私は最近は本人が「このままではだめだ」ということを心から自覚して
止めるという行動に取り組むことができれば
それは自覚がない状態よりもかなり大きな前進ではないかと思えるようになりました。

回りから命令や指示をされたのではなくて
本人がまずは「今日はやらない」と決心し実行する
それもまた自分の小さな物指しを持つということなのではないでしょうか。
(ただし薬物の場合はこの考え方はちょっと安易かもしれません。これに
ついてはまた改めて書いていくつもりです)





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人と人との理想的な関係

2014-09-14 10:28:35 | 依存症
これまでにも何回か書いていますが
後藤恵先生の「動機づけ面接法」という
アルコール依存症のお話を中心とするセミナーの中で
こんなお話がありました。

<依存症になると性格が変わる>というテーマで

・待てない、我慢できない、待たされると怒る
・切れやすい、怒りっぽい、暴れる、殴る
・パワーゲーム、勝ち負け思考、黒白思考、完璧主義
・自己中心的、操作的、利己的、わがまま

他にもありますが、あまり話を広げると
私自身がまとめきれなくなりそうなので、これくらいで。

こうして並べてみると、乳幼児や子ども、思春期の若者とも共通するところが
たくさんあります。

依存症には、相手をコントロールしようとする面もあって
相手が思い通りにならないと不満を感じます。
子どもを思い通りにしようとする考え方は、子どもに依存していることで
配偶者に対して、自分だけ見て、自分を分かって、自分を保護してというのは
配偶者に依存しているということになります。

さらに、親子であれ夫婦であれ、片方が正論で言い負かすと
依存症者は「子ども」のままです。
そうなると、自分が病気なのは相手のせいだと考えて
自己責任から逃れてしまい、ただ相手の言うことを聞いていればよい
困ったときは相手が何とかしてくれると期待し
自分の行動にいっさい責任を取らない「コドモ」になります。

そこから回復するために、動機づけ面接で用いられるのが
相手の言葉に耳を傾ける傾聴であったり、相手を認めてほめてあげるという
手法であったりします。

この<認めるほめる>では

ほめられると良い関係になる
ほめられると自信が増して落ち着きがでる
落ち着くと、自由に考える余裕がでる
ほめてくれる人の提案は聞き入れやすい    などの効果があるのですが

聞いていた私は、何だか子育てのコツみたいだなと感じました。
相手が可愛い盛りの子どもだったらやれそうですが
60過ぎたオッサン相手に、こういう心構えで接すると思うと
正直ゲンナリしますが。
それはともかくとして、要するに依存症からの回復というのは
幼児からの生き直しのようなものなのだなと理解したわけです。

「落ち着いて自由に考える」というのはつまり「自分の頭で冷静に考える」ことです。
そこで「○○を止める」「止めたい」という答えが出るのが理想ですが
現実には「止められそうにない」という場合も多いわけです。

それでいきなり「では○○をしましょう」というのはNGで
いきなり提案しても、相手は理解できない
理解しても実行が困難なことが多いのです。
さらに相手が「嫌だ」と抵抗する場合も、抵抗に抵抗しないことが大事です。
相手は負けたくないので言い合いになり
こちらの言うことを聞くと「負けた」と感じて、よい結果にはつながりません。

そこで「どうしたら良いと思いますか?」と質問するわけです。
つまり一にも二にも自分の頭で考えるということが基本になります。
自分で提案したことなら、実行しやすいということもあります。

それでも一度でうまくいくという訳でもありません。
うまく行かなかったら、また次を考える。
依存症の人の場合は、自分で考えた方法でうまく行かなかったら
「GA(AAやNAなど)に参加してみましょうね」という風に
援助をしている専門職の人が誘導をして、回復のための機関につなげる
というのが、動機づけ面接を使った回復への流れになります。

今子どもさんのネット依存で頭を悩まされている親御さんで
こういうプロの技法、考え方の一部でも参考になると感じ
頭の隅にとどめていただけたら、こんなにうれしいことはありません。

かつて私自身が「人間とは」「親とは」的な正論でダンナを変えようとし
変えることができるはずとも信じて、ずいぶん不毛な努力を繰り返しました。
ダンナが、表向きは分かったような振りをして
実はそれらの言葉がひとつもダンナの心に届かなかったことも痛感しました。

「自分のことは自分で考えて、自分で決めて、自分で行動して、責任を取る」
お互いにそう考えることが、依存者にとっても
依存を助け続けた共依存の家族にとっても、回復への大きな一歩ですが
それでも家族として助け合い、生活していく上での理想は
依存し合わない「お互い様」の関係をどれだけうまく作れるか
ということなのだそうです。


「依存は悪いことではない。誰にでも依存はあるし
依存しない自立は孤立」という言葉も心に深く響きました。
これは依存症だけの問題ではなく、親子でも、夫婦でも
はたまた職場の同僚でも、友人でも
人と人とが関わる上で、いつも心にとめておかなければならない
大切な基本であるようにも思います。



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大切なのは前頭葉?

2014-09-13 13:06:48 | 依存症
本当は映画の話なんかをつらつらと書いているほうが
だんぜん楽しいし、体のためにもいいような気もしますが
まあ、そんなことばかりも言ってはいられません。

ギャンブル依存症の増加(7年で2倍以上)も、アルコール依存症の増加も
とても深刻で大変な問題だということは言うまでもありませんが
私が今一番危機感を持っているのはやはり青少年のネット依存の問題と
薬物の依存症の広がりです。

7年前に私はダンナがギャンブル依存症という病気であり
この病気は、ギャンブルの強烈な刺激によって
ドーパミンとかセロトニンといった脳内物質の分泌の仕方に
変化が起こり、その変化はもとには戻らないから
ギャンブル依存症は治らない病気なのだということを知りました。

それまでは、ギャンブルにはまってしまって抜け出せないのは
内向的でストレスを発散するのが下手な性格のせいなのか
やめることができないのは意思が弱いためなのかなどと
ああでもない、こうでもないとあれこれ悩んでいましたが
ギャンブル依存症の、科学的なメカニズムが分かったことで
なぜ依存症が治らないのかという理屈は取り合えず分かりました。


そしてこの脳内物質に変化が起こる依存症のメカニズムは、
ギャンブルだけではなく、アルコール依存症にも、薬物依存症にも、
ネットの中でも特にオンラインゲームや動画などのコンテンツに
長時間依存をして日常生活が困難になるタイプのネット依存症にも
共通する性質だと思われます。

脳内物質のドーパミンは、人間の脳の
大脳皮質の中では、前頭葉の部分にもっとも多く分布しています。
そして前頭葉の最も特徴的な働きは、意欲、創造、実行。

つまり  考える 
     我慢する
     人の気持ちを感じ取る
     意思決定する

といった、人が人らしくあるための、とても高度な情報処理を
行なっている器官が、前頭葉なわけです。
そしてこの前頭葉が効率よく働くためにはドーパミンが
「最適なレベル」にある必要があります。
けれど依存症になってしまうと、そのバランスが崩れて
前頭葉が働かなくなってしまうわけです。

その結果、正常な思考が働かなくなる、キレやすくなる、他人の気持ちが
分からない、人間らしい感情がなくなる、判断力がなくなるといった
様々な依存症の症状が起こります。ひと言で言えば
この前の「頭壊れちゃってる」状態です。

そんなことが、まだ子どもの時から起こって
しかもそれが一生治らないなどということになったら
想像を絶するような大変な話になります。

ただ現在治療を受けなければならないほど重症の状態になっている
ネット依存症(不登校、引きこもり、暴力、幻覚幻聴など)の場合は別ですが、
単純にネットをやっている時間が長いというような場合は
過剰に病気の心配をして、強制的にネットを止めさせたりして
親子のコミュニケーションが取れなくなるよりは
脳を活性化させる、つまりバランスよく脳を使うことができる行動や活動を
積極的に日常の生活の中に取り入れるように心がけるほうが
より建設的だし、効果的なような気がします。

特に「前頭葉が」と難しく考えなくても
たとえば友だちと遊びにいく、スポーツをする
読書をする(内容にもよりますがマンガだっていいと思います)
音楽を聴く、掃除や洗濯、買い物、料理などの家事を手伝う
これも内容にもよりますが、映画やドラマを観る
勉強、成績、友だち関係、ネットなどという、説教や指示、命令に
なりがちな話題ではなく、親子で他の話題で話すようにする
というように、ネット以外で頭や体を動かす時間を作るということです。

親としては勉強以外のことをしていたら
つい小言を言いたくなる気持ちは分かりますが
日常のいろんな行動が、前頭葉の正常な働きをうながすわけですから
長い目で見れば能力アップにもつながることになります。

また中学生くらいの子どもさんで、親子でちゃんと話ができる場合は
依存症によって起こる脳の変化、その怖さということも
説明すればある程度は理解できるのではないかと思います。

ネットの依存症については、おそらくまだ脳の変化とか脳内物質とかの
まとまった学問的なデータはないでしょうから
こういう話が出てくるのは3年とか5年くらい先のことになりそうですが
やはりそれでは遅すぎます。

それにどの依存症にしてもそうですが
それぞれの業界の利益や利権に影響しそうな話は
日本ではあまりおおっぴらにはならず、いつの間にかうやむやになるのが常で
そのことが、依存症に対する圧倒的な情報の不足につながっています。
ですから子どもたちのネット依存が、ギャンブル依存症のような現状にならないためには
問題意識を持った人間が情報を発信して、ひとりひとりができそうなことから
予防に取り組むしかないのだと思います。

脳の問題、心の問題というと何か難しいようですが
要は私たちを取り巻く社会や、家庭の環境が激変して
かつての、人間が五感をフルに使わなければ生きていけなかった状況や、
夫と妻、親と子、友だちといった、人と人が
もう少し自然に密接に関わりあっていた環境が失われて
代わりに様々な人工的な機器が生活の中に入ってきたことで
私たちの暮らしが未知の領域に入ったということなのだろうと思います。

余談ですが、今度引っ越した家は「お風呂がわきました」と
家がしゃべります。私は人間がアナログですから
こういうのにはなかなか慣れません。何か違和感があります。
こんなに至れりつくせりにする必要があるのかとも思います。
ただでもお粗末な脳が退化していくはずです。
こんな具合で、これから十年先、二十年先がどうなるのかは予測もできません。

しかし前にも書きましたが、これからは大学で勉強するのにも
自分のPCを持つことが必要とされる時代です。
依存症が怖いから、IT機器とは縁を切るという訳にはいきません。
そういう意味では、事故のリスクを抱えながらも
なくすことはできない自動車なんかと同じです。

多くの危険をしっかりと理解しながら
なおかつ上手に付き合わなければいけない
私たちは、そういう難しい課題と時代に向き合っているのだと思います。




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