先週の日曜日は、20数年前に同じアパートで子育てをした
仲良しグループの人たちが、熊本や宮崎からまで集結してくれて
皆私の体を気づかってくれて、近場の原鶴温泉に一泊し
初秋の秋月をのんびり散策する小旅行をしてきました。
最後に顔を合わせてから、長い人ではももう十年以上が経っていましたが
そこは子育てが一番大変だった時期に
お互い助けたり助けられたりして支えあってきた者同士
まるで血のつながった姉妹のように
にぎやかなおしゃべりの花が咲きました。
ここまで別々に歩いてきた人生は、みんな決して平坦ではなく
四人四様の大変さがあり、それぞれの子どもたちもまた十人十色の多様さですが
誰が幸せで誰が不幸せというのではなく
「ああ、みんな本当にがんばってきたんだなあ、一生懸命に生きているんだなあ」
という思いで、胸が一杯になりました。
この旅行のきっかけは、多分私の病気だったのですが
それでも私以外はみんなそれぞれの親御さんの介護を抱えていて
むしろ今はのほほんと暮らしている自分が申し訳ないような気がします。
「次は来年、みんな還暦になったら、また旅行しようね」と
いう相談までまとまりました。
そして昨日はダンナと一緒に念願の「猿の惑星ライジング」を観てきました。
やはり前作の「猿の惑星ジェネシス」から通してみると
とても見ごたえのある面白い作品だと思いますが
映画の感想についてはもう少し考えがまとまってから書こうと思います。
実は今年の春先に、このブログのタイトルを「癌と生きる依存症と生きる」に
した時に、何となく「治らない癌と依存症って似てるな」とも思ったのです。
癌は人間の細胞の遺伝子に起こる変化で
原因も医学的なメカニズムも、病気が進行してからの治療法も
まだ完全に分かっているわけではありません。
同じように依存症も、アルコールにせよ、ギャンブルにせよ、薬物にせよ
前回のブログに書いたように、脳内物質の働きが異常になる
病気のメカニズムも、治療の方法もはっきりとは分かっていません。
進行した癌も、依存症も治らないというその一点では同じです。
けれど決定的な違いがあります。
癌という病気は、もちろん病気の症状はありますが
こうして仲のいい友達や家族の優しさ、温かさ、思いやりに幸せを感じることができ
風景の美しさや面白い映画に感動することもできます。
けれど依存症になると、そうした人間らしいすべての感情が失われます。
昨日の映画にはとてもシンプルだけど
大切なキーワードがいくつか出てきました。
Home(家)Family(家族)Friend(友人)Future(未来)
どれも人が人として生きていくための大切な価値観です。
(映画の中では、高度に頭脳が発達した猿のシーザーの口からこれらの言葉が
発せられます。明らかにオイオイ人間完全に猿に負けてるぞという感じです)
依存症になるということは、依存対象の奴隷になって
こうした人が生きていく上で大切にしなければならない
大切にすることによって生きる価値のある生を生きることができる
全てを失うということなのだと思います。
前回薬物依存の問題についてはかなり極端な書き方をしました。
全部が事実だとは私自身も思っていません。
けれど薬物依存によって起きる脳のダメージの大きさ
無関係の人間を巻き添えにするリスクの大きさが
薬物の場合は、他の依存物質よりも甚大で深刻ですから
薬物のことを書くときは思い切って極端なことを書いています。
覚せい剤が怖いものだということは、ある程度社会に浸透しています。
けれどドラッグは最近まさに日進月歩の進化をしていて
私たちの認識がそれに追いついていない、ついていけなくなっています。
だから、とにかくそれがどういうものかを知ってほしい
そして恐ろしいものだ、絶対にやってはいけないものだ
とわかってほしいというしかないのです。
私の場合やはり病気が病気ですから、たまに不意に
自分の命の期限というものを意識する瞬間があります。
子どもの時から映画館で映画を観るのが大好きでしたが
子育てに追われ、ダンナのギャンブルと借金に振り回されて
つい最近まで映画どころではありませんでした。
(それでもレンタルで結構観てはいましたが)
それがここにきて、皮肉にも癌になったおかげで少し経済的な余裕が出来て
こうしてたまに映画館で映画を観ることも出来るようになりました。
それで昨日の帰り道ふと「あと何回こうして映画を観れるかな」と思ったのです。
そして先日子どもに「お母さんにはもう自分の好きなことをやっていてほしい」と
言われた時には、内心柄にもなくほろりとしました。
「いやいや、そうやってみんなで甘やかすと
引きこもって、映画と本と音楽三昧のダメ人間になるから」と笑いましたが
病気がなかった頃よりも「今日」という一日の重さ
「今」という時間の大切さを身にしみて感じているのは確かです。
そしてそれを、家族や仲のいい友人たちが温かくサポートしてくれています。
良いことも悪いことも、さんざんいろんなことがありましたが
「生きていることもそんなに悪いことではないな」と
最近心からそんな風に思えます。
仲良しグループの人たちが、熊本や宮崎からまで集結してくれて
皆私の体を気づかってくれて、近場の原鶴温泉に一泊し
初秋の秋月をのんびり散策する小旅行をしてきました。
最後に顔を合わせてから、長い人ではももう十年以上が経っていましたが
そこは子育てが一番大変だった時期に
お互い助けたり助けられたりして支えあってきた者同士
まるで血のつながった姉妹のように
にぎやかなおしゃべりの花が咲きました。
ここまで別々に歩いてきた人生は、みんな決して平坦ではなく
四人四様の大変さがあり、それぞれの子どもたちもまた十人十色の多様さですが
誰が幸せで誰が不幸せというのではなく
「ああ、みんな本当にがんばってきたんだなあ、一生懸命に生きているんだなあ」
という思いで、胸が一杯になりました。
この旅行のきっかけは、多分私の病気だったのですが
それでも私以外はみんなそれぞれの親御さんの介護を抱えていて
むしろ今はのほほんと暮らしている自分が申し訳ないような気がします。
「次は来年、みんな還暦になったら、また旅行しようね」と
いう相談までまとまりました。
そして昨日はダンナと一緒に念願の「猿の惑星ライジング」を観てきました。
やはり前作の「猿の惑星ジェネシス」から通してみると
とても見ごたえのある面白い作品だと思いますが
映画の感想についてはもう少し考えがまとまってから書こうと思います。
実は今年の春先に、このブログのタイトルを「癌と生きる依存症と生きる」に
した時に、何となく「治らない癌と依存症って似てるな」とも思ったのです。
癌は人間の細胞の遺伝子に起こる変化で
原因も医学的なメカニズムも、病気が進行してからの治療法も
まだ完全に分かっているわけではありません。
同じように依存症も、アルコールにせよ、ギャンブルにせよ、薬物にせよ
前回のブログに書いたように、脳内物質の働きが異常になる
病気のメカニズムも、治療の方法もはっきりとは分かっていません。
進行した癌も、依存症も治らないというその一点では同じです。
けれど決定的な違いがあります。
癌という病気は、もちろん病気の症状はありますが
こうして仲のいい友達や家族の優しさ、温かさ、思いやりに幸せを感じることができ
風景の美しさや面白い映画に感動することもできます。
けれど依存症になると、そうした人間らしいすべての感情が失われます。
昨日の映画にはとてもシンプルだけど
大切なキーワードがいくつか出てきました。
Home(家)Family(家族)Friend(友人)Future(未来)
どれも人が人として生きていくための大切な価値観です。
(映画の中では、高度に頭脳が発達した猿のシーザーの口からこれらの言葉が
発せられます。明らかにオイオイ人間完全に猿に負けてるぞという感じです)
依存症になるということは、依存対象の奴隷になって
こうした人が生きていく上で大切にしなければならない
大切にすることによって生きる価値のある生を生きることができる
全てを失うということなのだと思います。
前回薬物依存の問題についてはかなり極端な書き方をしました。
全部が事実だとは私自身も思っていません。
けれど薬物依存によって起きる脳のダメージの大きさ
無関係の人間を巻き添えにするリスクの大きさが
薬物の場合は、他の依存物質よりも甚大で深刻ですから
薬物のことを書くときは思い切って極端なことを書いています。
覚せい剤が怖いものだということは、ある程度社会に浸透しています。
けれどドラッグは最近まさに日進月歩の進化をしていて
私たちの認識がそれに追いついていない、ついていけなくなっています。
だから、とにかくそれがどういうものかを知ってほしい
そして恐ろしいものだ、絶対にやってはいけないものだ
とわかってほしいというしかないのです。
私の場合やはり病気が病気ですから、たまに不意に
自分の命の期限というものを意識する瞬間があります。
子どもの時から映画館で映画を観るのが大好きでしたが
子育てに追われ、ダンナのギャンブルと借金に振り回されて
つい最近まで映画どころではありませんでした。
(それでもレンタルで結構観てはいましたが)
それがここにきて、皮肉にも癌になったおかげで少し経済的な余裕が出来て
こうしてたまに映画館で映画を観ることも出来るようになりました。
それで昨日の帰り道ふと「あと何回こうして映画を観れるかな」と思ったのです。
そして先日子どもに「お母さんにはもう自分の好きなことをやっていてほしい」と
言われた時には、内心柄にもなくほろりとしました。
「いやいや、そうやってみんなで甘やかすと
引きこもって、映画と本と音楽三昧のダメ人間になるから」と笑いましたが
病気がなかった頃よりも「今日」という一日の重さ
「今」という時間の大切さを身にしみて感じているのは確かです。
そしてそれを、家族や仲のいい友人たちが温かくサポートしてくれています。
良いことも悪いことも、さんざんいろんなことがありましたが
「生きていることもそんなに悪いことではないな」と
最近心からそんな風に思えます。
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