癌と生きる 依存症と生きる

命がある限り希望を持つということ

幸せの意味について考えてみた

2011-02-28 10:27:09 | 依存症
私がパートをしているお店の
社長のお母さんはそろそろ90才。
もちろんお店の仕事にはもう関わってなくて
体調のいい時は事務所でテレビを見たりしながら
過ごしているのだが
用事があって事務所にいくと
「生きていても何もいいことがない」
「もういつお迎えがきてもいい」みたいな愚痴を
絶えずこぼしている。

相手の年を考えれば寛容に応対してあげたいが
お金に不自由はしていないし
息子や娘、孫たちもほとんどが身近にいて
少し具合が悪いといっては病院や針灸に行く。
それで「不幸だ不幸だ」と言われたら
病気をしても病院に診せることもできない
十数年を過ごしてきた私にはコメントのしようはない。

店のお客さんにも年金を頼りに生活している人や
子どもたちが遠方で所帯を持って
夫婦二人だけ、あるいは一人暮らしのお年よりも多い。
客観的に見れば幸せなはずなのにその自覚がない。

ずっとそのおばあちゃんを見ていて
結局自分を幸せにできるのは自分自身
だけなんじゃないかと思う。
ドラマなんかでお金や地位や力があっても
必ずしも幸せではないみたいな話があるのは
そういうことなんだろうな。
つまるところ自分の心の持ちよう一つで
幸せにも不幸にもなるのが人間なんだろうと思う。

自分で幸せだということを認識できないと
今度は回りの人が自分を気にかけて優しくしてくれないことで
自分は不幸なんだという他者依存型になる感じなのだ。
こういう思考回路はおそらく年齢には関係がない。
でも他人が自分を愛してくれないから
自分は不幸と思っている人間は
他人を幸せにするという発想がないから
優しさや気配りや思いやりがなく
回りから疎まれるという悪循環になっていく。

お金がなくてギャンブルができないから
自分は人生に何も楽しいことがない
生きていても意味がないと考えるような
ギャンブル依存症の人も同様だ。
その思考回路を少しづつずらしていければ
人生が変わる可能性だってある。

いつも言っていることだが
自分も家族も体が健康でちゃんと働ける仕事があって
食べたり寝たり暮らしていけるお給料がもらえる
そのこと自体が人間として
十分幸せと呼べることなのだと心から思い定めることができれば
勝っても金負けても金、金以外に何もなくてしかも
わずかの金を手にするために全てを失うという地獄のような
無限ループから抜け出して
生きることがずいぶん楽になるのではないかと思うのだが。



人のつながりの大切さ

2011-02-20 08:07:03 | 依存症
先週二十数年来の友人が
仕事のついでに家に立ち寄ってくれた。
社会経験の豊富な彼女は三年前に
私の苦境を察知して任意整理のことを
私に教えてくれた人でもある。

経済的な面でも限界で
ダンナのパチンコ狂いもどうすることもできず
まさに「万策尽きて打つ手なし」の状況で
毎日仏壇の前に坐ると
ただぼろぼろ涙がこぼれるような
精神的にも極限の状態だった私に
打開できる方法があることを教えてくれた。

当時自分にまだ家庭を立て直す余力があるなんて
考えることもできなかった。
何度もダンナの借金を借り替えては返済し
いつの間にかそれがもとに戻って
際限なく借金が増えていくという
まさに蟻地獄のような無限ループの中にいたからだ。
そして何よりもどれほど説得しても
懇願しても私の言葉が何一つ理解できないかのような
ダンナに対して「人間がこんな風になるものなのか」と
絶望しきっていた。

彼女の勧めでダンナと一緒に司法書士さんを訪ね
任意整理を依頼したのは
これが本当に人生最後のがんばりと思い定めたからだった。

私の家庭の事情をあらかた知っている友達は
彼女を含めて五人ほどいる。
もう体裁をつくろったり見栄を張ったりすることなく
「今はこんな状況だ」ということを話すことができる。
そういう友達がいるということで
とても気持ちが楽になる。
昨年夏に猫の体調が悪かった頃
急を要する場合に猫のお葬式をするような
まとまったお金を用意できるあてがなかった。

猫の火葬費用一万五千円をどうするか。
それを考えると胃が痛くなる毎日だった。
たかが猫のことで馬鹿げてると思われるかもしれないが
なんだかたいしていいことのなかった私の人生で
今のたった一つの夢は
猫と一緒に私の父の眠るお墓に入ることなのだ。
私が仕事に出かけると本当に寂しそうにしている猫と
せめてお互い死んだらずっと一緒にいてやりたいと思う。

思いあまって近くに住む事情を知った友人に
その悩みを打ち明けると
「そんなことならいつでも言って」と
快く承諾してくれた。
実際は何があっても極力友人に迷惑をかけずに
乗り切ろうと思っているが
そういう悩みを打ち明けて受け入れてくれる
友達がいることが幸せなことなのだと思う。

心がくたくたに弱ってしまうと
普通の人から見れば本当に大したことのない悩みでさえ
もの凄いダメージになってしまう。
いじめで自殺するこどもや育児や介護に悩んで
家族を殺してしまったり
借金に悩んで家族を巻き添えに無理心中をしたり
という悲しいニュースを見るにつけ
誰かがほんの少し手を引いてやれば
あるいは曲がることのできる道があったのではないかと
胸が痛くなるのだ。

世界ゲーム革命(3)

2011-02-08 07:52:56 | 依存症
前のブログでギャンブル依存症の家族を抱える苦しさについて書いたが何がそれほど困難なのかというと、このブログで繰り返しているように
ギャンブル依存症というのはいつどの時点で発症したのかも定かではなく
脳医学の面からの解明もまだまだ研究に着手したというような段階で
しかも解明がどんどん進んでいるわけでもなく
それでも発症したら完治はしないと断言される
あまりにもあいまいでしかも未来にどんな希望も持てない病気だからだ。

「ココロの荷物のおろしかた」というサイトではその本質が
大変ていねいに説明されている。
このサイトはサイト主さん自身が自分の依存症に向き合って
自己分析も踏まえつつ話を進めておられるので
依存症が単にギャンブルとの関係だけで起こるものではなく
深く自らの心のありようにかかっていることを理解し
納得できるように書かれている。
本人がギャンブルに限らず何かの依存症で
そこからの回復脱却をしたいと願っている人は
一度目を通してもらいたいと思う。

そして「世界ゲーム革命」の続きだが
カナダのモントリオール郊外に「エンザイム」という会社がある。
ここは世界中の開発段階のゲームを評価する会社。
ゲームマニアのネットワークを通じて
これまた世界中の国から集められた250人のゲーマーたちが
終日開発中のゲームをテスティングしている。
テスターたちの行動はマジックミラーごしに観察されて
その反応や感想をまとめゲームを製作する会社にアドバイスすると同時に
テスターたちの脳波を観測し
集中力のデータを集約していわば人間をゲームから離さないための
研究が行われているのだという。

ここまでくれば私などの前近代的な感覚からすると
もはやSFの世界かと感じてしまうが
これが私たちを取り巻く現実なのだ。

「すべては売れるゲーム、すなわち巨万の富を生むために」

すでに日本で400万人の依存症患者が発生し
おそらく今も刻々と患者が増えつつあるギャンブル依存症の
背景にあるのもまったく同じ構図なのだから
この世界的な規模で進行している現実を否定することはできない。
そしてこの濁流のような流れをとめることも
もうできないだろう。
その結果が十年後二十年後にどのような形で現れてくるのか。

先進国による行き過ぎた文明と消費の結果が
地球の温暖化を加速する原因ともなって
世界規模での自然災害を引き起こしているのと同様に
目には見えない形で人間が変化していった果てにあるもの。
それは決して物語の世界なんかではないのかも知れない。

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