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命がある限り希望を持つということ

「1984年」という小説が暗示した世界

2017-08-23 10:16:47 | 社会・生活
「1984年」は、1949年に
イギリスの作家ジョージ・オーウェルが書いたSF小説の古典の1冊です。
全体主義の恐怖を描いた小説として
トランプさんが大統領に就任した際には
アメリカでベストセラーになり、話題になりました。

これも伊藤計劃さん経由で知った本で
伊藤さんの影響で読んだ何冊かのSFの中では
一番衝撃を受けた本でもありました。

どういうお話かというと
「核戦争後の1984年、世界はオセアニア、ユーラシア
イースタシアの3つの超大国に分かれている。
オセアニアの、ロンドンに住むスミスは、党の役人として
日々歴史を改変する作業に従事していた。

オセアニアは、ビッグ・ブラザーという指導者に統治されていて
国民は、党中枢、党外部という、支配者に属する層と
それ以外の、国民の85%を占める、プロールと呼ばれる
下層階級の労働者層に分かれていた。

プロールと呼ばれる下層階級に対する政治教育は行われておらず
党が許す範囲での娯楽(酒、ギャンブル、スポーツ)や
党が制作した映画、音楽、ポルノなどが提供されている」という世界です。

これはWikipediaからの要約ですが
この小説で描かれる全体主義は
最近しばしば話題になっているアノ国の全体主義とは、かなり様相が違います。
ほとんどの国民に対する、厳しい思想の統制などは行われていないのに
全体主義が成立する社会というのが、まず衝撃的でした。

本の中に、こういう一節があります。
「きつい肉体労働、家庭と子どもの世話、隣人とのつまらぬいざこざ
映画、サッカー、ビール、そして何よりもギャンブル
それがかれらの心を占めるすべてである。
かれらをコントロール下に置くことは難しくない」

サッカーという表現は、イギリスならではなのでしょうが
映画をテレビに、サッカーをスポーツ全般に置き換え
ギャンブルに、スマホやオンラインゲームを加えれば
今、私たちの多くが送っている日常と大差ないような気がするのです。
大衆を制御するには、ギャンブルが不可欠という発想には
「う~ん」と思わざるをえません。
どんな底辺の人間でも、ギャンブルやスポーツによって
偽りの勝利感や達成感を味わえるからでしょうか。

もう一つは「ニュースピーク」という、言葉の単純化です。

「<良い>という単語がありさえすれば、<悪い>という単語の必要が
どこにある?<非良い>で十分間に合う。(中略)
<素晴らしい>とか<申し分のない>といった語をはじめとして
山ほどある曖昧で役立たずの単語など存在するだけ無駄だろう。
そうした意味は<超良い>で表現できるし、もっと強調したいなら
<倍超良い>を使えばいいわけだからね」

つまり「良い」という言葉と、その変化形だけが用いられて
「悪い」「素晴らしい」「申し分のない」などは排除され、消滅します。
その結果、人の思考はどんどん簡略化され、単純になって
政治や思想を表現できるような言葉はなくなって
文学などは「ニュースピーク」を用いて書き換えられた結果
本来の意味とは似ても似つかぬものになるというわけです。

私が読んだ「1984年」は、高橋和久さんの新訳で
<超良い><倍超良い>という訳し方に
思わず笑ってしまいましたが、なかなかの名訳です。

最近、お友達と「気になる表現」についてやり取りしました。
生活の中でも、メディアなどでも
何となく違和感を感じる言葉を耳にすることが増えました。
<超良い>とか<倍超良い>みたいな表現も
「超~」「マジで~」などと普通に言ってますし
130字のツイッターはいまや長いほう
ラインなどはワンフレーズとか絵文字のみでもO.Kとなれば
もはや言葉は必要ないんじゃなかと思います。

私のように、ブログ書くのに、うだうだぐだぐだ言葉を連ねるのは
「ウザい」「ダサい」「暗い」「重い」の見本みたいなものです。
けれど「1984年」を読むと、全体主義の社会というのは
必ずしも、悪魔のような独裁者が、すべての国民を統制し、力で服従させなくても
人々から、物事を考えることができる言葉を奪い
不平不満のガス抜きのために
安手の娯楽や、スポーツや、ギャンブルを与えておけば
日々の暮らしに追われ、疲れて、考えることを放棄した人々を
権力者の思うようにあやつることができる、そういう社会だと暗示されています。

これが、今私たちが生きている社会と、あまり大きく違わないように感じるのは
私の被害妄想なのでしょうか。
ひと月に一冊も本を読まない人が3割になり
「本を読まなければいけない理由がわからない」という人もいて
言葉なんかいらない、ひいては人間が2千年ちかい時を費やして考え続け
築いてきた、あらゆる文化的なものが消滅していくような時代で
本当に大丈夫なのか、結果やっぱり人類は消滅するんじゃないのか。
だからこそ「1984年」は、SF小説の傑作なのでしょう。

ちなみに「1984年」は、漫画版も出ています。
こういうSFは、中高生の間に読んだほうがいいと
伊藤計劃さんも、推奨しておられました。
「この世界がまったく理不尽な場所で、わたしたちは
それをどうしようもないのだ」ということを知るために。



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お盆と新種のゾンビの話

2017-08-17 16:11:00 | 社会・生活
介護の仕事をしているダンナは
お正月やお盆はほぼ通常勤務で、お休みはありません。
福岡は、去年も暑かったですが、今年も連日34度とかの猛暑で
私も、通常のスケジュールを何とかこなすのがやっとという状態なので
ダンナの実家へのお参りも、子供たちに会うのも
もう少し涼しくなってからということにしました。

長男一家は、7月にふらりとお昼ご飯を食べにきたし、
娘とは2週間に一回くらいは顔を合わせるので
「お盆だから実家に」という話は、今回も免除してもらいました。

で、家にある私の実家のほうのご先祖様の仏壇に
こじんまりお盆の飾りつけをして
日本酒と、父の好物だった黒ビールをお供え。
取りあえずお酒さえ供えておけば、祟られなさそうな仏様です。
しかし、遠路はるばる来られるのに
2泊3日は、ちょっと短いんじゃないか
せめて1週間くらい逗留してもらえばいいのにと
相変わらず、しょうもないことを考えながら手を合わせていました。

ルナは、猫だからお盆は関係ないのか
そもそも、あのものぐさな猫が
わざわざ遠くから来るとも思えないし、来たら来たで
そのまま居座ってそうなのですが、まあそこは気持ちの問題で、
新しいペットフードとお刺身なんかを供えておきました。

お昼ご飯を食べて、2時ごろダンナが出勤し
それから近くのスーパーに買い出しに行って
そのあとの2,3時間が、映画を観たり、ブログを書いたりする自由時間。

7月に亡くなられたゾンビ映画の巨匠ジョージ・A・ロメロ監督の
大ヒット作「ゾンビ」久しぶりに見ましたが、面白かったです。
ゾンビ物には、不動の固定ファンがいて、映画もドラマも
いまだに新作が作られるのも、わかる気がします。

ところで「歩きスマホ」のことを
英語で「スマートフォン・ゾンビ」というらしいです。
新聞記事ですが「スマホ断食」の著者藤原智美さんは
「人間は、歩いているとき、周囲の状況に目を配り
頭の中ではさまざまな思いや考えをめぐらす。そんな二足歩行を
始めて以来のあり方が変わってしまった」と書かれています。

映画「ゾンビ」では、ショッピングセンターに立てこもった人間たちと
センター内を徘徊する、ものすごい数のゾンビたちとの攻防戦が繰り広げられます。
人間は、ショッピングセンターの中にある、高級な服や装飾品
上等な食べ物、武器やお金などに目を輝かせ、飛びつきますが
ゾンビは、そういう何物も目に入らないし、反応もしません。
ゾンビが求めるものは、ただ一つ。生きた人間を捕らえて食べること。

「歩きスマホ」をゾンビに例えるのは
ひたすらスマホを見つめ、ゆらゆら歩いていく姿が
人間らしい思考も感情もなく
うつろな表情で集団で動き回るゾンビたちの姿とかぶるからなのでしょう。

スマホやネットの浸透は、人間の歩行のあり方を変えただけではなく
24時間、わずか手のひらほどの液晶画面に人間の脳が支配され
脳の機能に大きな影響を及ぼしているかもしれません。
スマホやネットやゲーム以外の何物にも興味を示さず
感情を動かすこともなくなったとしたら
それは、生きながらにしてゾンビになったのと何も変わりがありません。

私が、ホラーやSFに魅かれるわけ。
それは多分、人間にとって、あるいは社会にとって
本当に怖いことと、恐怖とは何なのかを
極めて暗示的に見せてくれるからなのだろうと思います。

普通に街を歩いている人の、8割とか9割とかが
ゾンビ化していると、想像しただけでもかなり怖いことです。
意味不明の落ち武者の幽霊とか生首なんかより数段恐ろしい。
そういう自覚がない人は
ロメロ監督の名作「ゾンビ」で
徘徊するゾンビたちに、自分の姿を重ねながら
一回じっくり観てみるのもよいかもしれません。



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通院日 そして相変わらずの

2017-08-10 16:01:26 | 癌のこと
今週の火曜日は通院日でした。
ただ先週も、火曜日に熱が出て、またリンパ管炎になってしまい
急患で、抗生剤を処方していただきました。

前回のCTが3月だったので、今回CTをお願いしていました。
結果は、左胸の患部は増大、肺は異常なし、肝臓の転移はやや増大でした。
主治医の先生が「急にお腹がいたくなったりしたら、肝臓の異常もあるので
電話して、受診してくださいね」と言われたので
「あの、肝臓の痛みというのは、どのへんが痛いんでしょうか」と聞いてみました。
「そうですね。みぞおちの当たりとか、だいたい真ん中のところが
ものすごく痛かったりしたら、来てください」

あとはいつものお薬セット。
主治医は、痛み止めの飲み方なんかも
体の感覚で調整していいという感じなので
今は、朝ロキソニン1錠、昼ワントラム1錠、夜タペンタ1錠で
患部の痛み、背中の痛みはおおむねコントロールできています。
それに、ホルモン剤のフェマーラ。
便秘にならないための、酸化マグネシウムと漢方薬。
そして塗り薬で、臭いを抑えるロゼックスゲルと
患部の痛みを軽減するキシロカインゼリー。

私の場合は、初発から肝転移あり、手術不能で
ガンが自壊しているというステージ4。
こういうケースは、乳がん患者さんの5%くらいなのだそうです。
乳がんの闘病ブログをいろいろ読ませていただいて
ほとんどの方は、初発ではステージ1とか2とかで
手術、抗がん剤、放射線などの標準治療を受けられて
その後、肺や肝臓、骨などへの転移が見つかったという
再発乳がんでステージ4という経緯をたどられているので
同じ乳がんステージ4といっても
かなり状況が違うのだということが分かりました。

ここまで、アリミデックス→アロマシン→フェマーラと
ホルモン剤を乗り継いで、実質5年目に入り
患部は徐々に増大して、わきから背中のほうに広がっていますが
今の病院の緩和ケアに来て最初の主治医の先生が
「何もなければ右肩下がりに悪くなるところを
ホルモン剤の効果で、ゆるやかに下降している感じだと思います」と
言われた通り、この進行は自然の経過と受け止めて
迷わず、悩まず、このままいくつもりです。

今回は、出勤するダンナに病院まで乗せてもらって
帰り道は一人でしたから、久しぶりのブックオフへ。
kindleのコレクションは、70冊を超えて
「まだ買うか」という感じなんですが
寝る前に読んでいる、ミステリーとか警察小説などは
そうそう何回も読み直すものではないので
kindleで700円超えは、さすがにもったいないかなと
貧乏性は、なかなか抜けません。

最近ハマっているのは堂場瞬一さんの警察物
それと横山秀夫さんの「ルパンの消息」
あとは小野不由美さんの「残穢」をゲット。
「残穢」は先日映画を観て「映画よりも本が怖い」という話を見かけて
映画もわりといい線いってたし
「そんなに怖いなら、読んでみた~い」と。
私の場合は、おそらくこれが生きるエネルギーになっているのでしょう。

映画のほうは、先日亡くなられたジョージ・A・ロメロ監督の
追悼で「ゾンビ」が放送されたので、30年ぶりくらいに「ゾンビ」を観ました。
タイムリーにWOWOWが「息もできない真夏のホラー特集」で
「のぞきめ」とか、これも久々の「エルム街の悪夢」とか
まさにホラー三昧の日々です。
いや、ほんと「ホラーの何がそんなに。なんでホラーなん?」という話なのですが。



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