「猿の惑星 聖戦記」を、先週の金曜に観てきました。
セミナーはパスするのに映画は行くんかいと突っ込まれそうですが
2014年に「猿の惑星 創世記」と「新世紀」を観て
かっこいい猿のリーダーシーザーに激ハマりしました。
「新世紀」が公開されたあとに、この「猿の惑星」シリーズは三部作で
2017年に完結編が公開される予定というニュースを見ましたが
その時は「さすがに三年後は無理だろうな。来年くらいに
公開してくれたらいいのに」と無茶なことを考えていました。
けれど、どうにかこうにか三年が経ち
先日「聖戦記」が封切られたことを知って
「これは、もう何としてでもいかねば」と劇場へ。
もともとこのシリーズは、1968年に公開された
「猿の惑星」の前日譚という位置づけで
「地球はなぜ猿の惑星になったのか」を解き明かす物語とされていました。
映画の感想は、映画ブログのほうに書いていますが
今回の「聖戦記」は、エンタメ色が強かった前二作と比べると
全体に、暗く重い雰囲気に包まれています。
シリーズ全体を通じて、人類VS猿の対立が軸になりますが
この「聖戦記」では、猿同士も敵味方に分かれ
人間たちにも深刻な対立がある。そして終わりのない憎悪と争い。
映画に行った2日後は選挙でした。
権力争いや、いろんな策謀や、怒りや憎しみ。
人間世界も「猿の惑星」ワールドと何ら変わりません。
というより、もともとSFというジャンルが
人類の未来を予見するだけではなく
現実世界のメタファーという意味合いがありますから
当然と言えば当然なのですが。
偉そうに書いてますが、それを知ったのはここ5年ほどです。
多少視野が広がったとしても、知らないことがまだ山ほどあります。
もっと若い頃に、そういうことに気づいていたら
もっともっと時間を有効に使えたのではないか
なんか無駄に年を取ったんじゃないかと、たまに落ち込むことがあります。
終わりが見えてくると、人生は意外に短いです。
ともあれ、あのちっちゃくて可愛かったシーザーが
青年になり、壮年になって
「聖戦記」では、見た目にも、表情や話し方にも
微妙に老いを感じさせるようになった
(ていうか今作の、苦悩するシーザーは、もはや人間にしか
見えませんでしたが)そのシーザーの人生(猿生?)に
最終章まで寄り添い、見届けることができたことは本望です。
ここへきて、世界中至る所で、様々な形の争いが頻発しています。
怒りには怒り、憎しみには憎しみという発想しかなければ
当然ですが、戦いという結論しか出てきません。
本来は、人間であれば、もっと多様な選択肢を設定できるはずなのに
なんだか、どんどん選択肢が狭まっている気がします。
このままいけば一連の「猿の惑星」ワールドが描いた
人類滅亡が、フィクションでなくなる未来が来るかもしれません。
私の目には、権力とか名声とか利権とかを手に入れようと
声をからして、選挙運動に狂奔する候補者さんたちよりも
苦悩するリーダーシーザーのほうが
数段思索的で崇高な生物に見えましたよ。
さよならシーザー、よくがんばったね!
セミナーはパスするのに映画は行くんかいと突っ込まれそうですが
2014年に「猿の惑星 創世記」と「新世紀」を観て
かっこいい猿のリーダーシーザーに激ハマりしました。
「新世紀」が公開されたあとに、この「猿の惑星」シリーズは三部作で
2017年に完結編が公開される予定というニュースを見ましたが
その時は「さすがに三年後は無理だろうな。来年くらいに
公開してくれたらいいのに」と無茶なことを考えていました。
けれど、どうにかこうにか三年が経ち
先日「聖戦記」が封切られたことを知って
「これは、もう何としてでもいかねば」と劇場へ。
もともとこのシリーズは、1968年に公開された
「猿の惑星」の前日譚という位置づけで
「地球はなぜ猿の惑星になったのか」を解き明かす物語とされていました。
映画の感想は、映画ブログのほうに書いていますが
今回の「聖戦記」は、エンタメ色が強かった前二作と比べると
全体に、暗く重い雰囲気に包まれています。
シリーズ全体を通じて、人類VS猿の対立が軸になりますが
この「聖戦記」では、猿同士も敵味方に分かれ
人間たちにも深刻な対立がある。そして終わりのない憎悪と争い。
映画に行った2日後は選挙でした。
権力争いや、いろんな策謀や、怒りや憎しみ。
人間世界も「猿の惑星」ワールドと何ら変わりません。
というより、もともとSFというジャンルが
人類の未来を予見するだけではなく
現実世界のメタファーという意味合いがありますから
当然と言えば当然なのですが。
偉そうに書いてますが、それを知ったのはここ5年ほどです。
多少視野が広がったとしても、知らないことがまだ山ほどあります。
もっと若い頃に、そういうことに気づいていたら
もっともっと時間を有効に使えたのではないか
なんか無駄に年を取ったんじゃないかと、たまに落ち込むことがあります。
終わりが見えてくると、人生は意外に短いです。
ともあれ、あのちっちゃくて可愛かったシーザーが
青年になり、壮年になって
「聖戦記」では、見た目にも、表情や話し方にも
微妙に老いを感じさせるようになった
(ていうか今作の、苦悩するシーザーは、もはや人間にしか
見えませんでしたが)そのシーザーの人生(猿生?)に
最終章まで寄り添い、見届けることができたことは本望です。
ここへきて、世界中至る所で、様々な形の争いが頻発しています。
怒りには怒り、憎しみには憎しみという発想しかなければ
当然ですが、戦いという結論しか出てきません。
本来は、人間であれば、もっと多様な選択肢を設定できるはずなのに
なんだか、どんどん選択肢が狭まっている気がします。
このままいけば一連の「猿の惑星」ワールドが描いた
人類滅亡が、フィクションでなくなる未来が来るかもしれません。
私の目には、権力とか名声とか利権とかを手に入れようと
声をからして、選挙運動に狂奔する候補者さんたちよりも
苦悩するリーダーシーザーのほうが
数段思索的で崇高な生物に見えましたよ。
さよならシーザー、よくがんばったね!
ランキングに参加してみました。よろしければクリックをお願いします!