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癌と生きる 依存症と生きる

命がある限り希望を持つということ

映画「虐殺器官」とかその他諸々

2017-02-07 11:39:11 | 伊藤計劃
夜中にトイレに起きた時とか、朝起き上がる時は
体中の節々が痛くて(おそらくホルモン剤の副作用)
そのたびに「もう長くないんじゃないか」と妄想しますが
多少あちこち痛くても、無理やり体を動かしていると
そのうちに何とかなります。(同病の方は真似をしないでください)

そんなふらふらな体調はとりあえずスルーして
公開日の翌日、先週の土曜日に「虐殺器官」を観てきました。
トランプさんが大統領になってから、世界中がざわざわしているので
どこかで大規模なテロとか起きたら、公開自粛とかになりかねない。
もしも観られないなんてことになったら
本当に死んでも死にきれない、絶対に化けてでます。

しかしこれで伊藤計劃さんの長編2作「虐殺器官」「ハーモニー」と
円城塔さんとの合作の「屍者の帝国」の3作品すべてが長編のアニメ映画になり
伊藤計劃という作家を知らない人にも
観てもらえる可能性が増えたのは、嬉しい限りです。

「虐殺器官」と「ハーモニー」は
アニメとは言いながら、小説の雰囲気を最大限に生かす努力がされていたと思います。
これらのアニメを作られた人たちの、伊藤さんへの強い思いが感じられました。
「癌と闘病しながら凄い小説を執筆」とか「夭折の作家」というプロフィールから
悲劇の天才作家というようなイメージを持たれるかもしれませんが
私にとっての伊藤さんのイメージは「究極のオタク」です。

ご自身も多少自虐的に「旧オタ」というような言い方をされていますが
なぜ伊藤さんが旧世代のオタクかというと
母校の学園祭で後輩に会った時のブログにこう書かれています

「いまの子達はアニメとエロゲと漫画しか見ない。
映画の話ができる人はたぶんいない」

伊藤さんもアニメもエロゲも漫画も好きですけど
同じくらい大量の本を読み、映画を観、音楽を聴き、美術展に足を運ぶ方で
そういう突き詰め方をしなくなった若い世代に対する危機感があったのだと思います。
卑しくもオタクを自認するなら、サブカルチャーの全てを網羅するくらいの
誰にも負けない知識量と見識を持つべきではないかという歯がゆさが感じられます。

それからさらに10年近い時が流れた今
子どもたちが、ヒマな時間のほとんどをネットやスマホのゲームに費やし
人生の中で、わりに自由な時間がある学生時代に
本を読むことも、映画を観ることも、音楽を聴くことも少なくなった現状には
本当に心配なものがあります。

少し前に、伊藤さんが敬愛された
ゲームクリエーターさんの小島秀夫さんのインタビューを読んだのですが
小島さんの読書量というのも、これまたはんぱじゃない。
中学生で安部公房を読んで衝撃を受けたという話を読んで
「とてもじゃないけど全然かなわないわ」と、私のほうが衝撃を受けました。

「ゲームが好きだから、ゲームクリエーターになりたい」というので
高い学費を払って、専門学校に行ったはいいが
結局挫折して、奨学金の借金だけが残ったみたいなニュースを見ました。
ゲームが好きだから、ゲームをいっぱいやったから
ゲーム業界で仕事ができるというような、甘いものではないと思います。
アニメが好きだから、漫画家とかアニメーターにというのも同じです。

先日福岡で開催された、岡崎京子さんの「戦場のガールズライフ」という個展を観て
改めて、岡崎京子という漫画家の軌跡をたどった時にも
私たちに、人生が変わるほどの衝撃を与えるものを生み出す人というのは
目には見えない、土台のところに蓄積されているものが半端ないということを
改めて認識しました。

アルコールにしろ、ギャンブルやネットにしろ
一つのものに過度に依存するのは「人生のすりおろし」だと聞いたことがあります。
長いようで案外短い人生を、無意味にすりおろして、ただ捨てていくのではなく
特に若い人たちには、いろんなものを見て、知って、考えて、経験して
その土台の上に、自分の人生や未来を構築してもらいたいと思います。

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待ちに待った「虐殺器官」が公開

2017-01-30 16:19:12 | 伊藤計劃
2015年に公開が予定されていた
伊藤計劃さん原作のアニメ映画「虐殺器官」
制作会社の倒産などのアクシデントで伸び伸びになっていたのだが
スタッフの人たちの、執念ともいえる努力で完成し
今週2月3日(金)から公開されます。

はたして自分が生きているうちに観られるのだろうかと
去年はずいぶんハラハラしていましたが
無事に公開されることになって、こんなに嬉しいことはありません。
また「虐殺器官」の公開を記念して
早川書房さんが「ディストピア小説フェア」というのを企画され
全国の書店で展開されていて、キャッチコピーは「絶望を生きろ」だそうです。
ちなみにディストピアとは、ユートピア(理想郷)の反対の社会を意味する言葉。
フェアに参加している作品は
「虐殺器官」「ハーモニー」(伊藤計劃)
「動物農場」「一九八四年」(ジョージ・オーウェル)
「私を離さないで」(カズオ・イシグロ)
「高い塔の男」(フィリップ・K・ディック)
「華氏451度」(レイ・ブラッドベリ)など10点だそうです。

最近アメリカのアマゾンで「一九八四年」が
売り上げの一位になったというニュースが流れました。
1949年に発表されたこの小説は
全体主義による超管理社会の恐怖を描いたSF小説ですが
トランプさんの大統領就任と最近のアメリカの状況から
この小説を連想した人が多かったということなのでしょう。

それまでずっと読んできた社会派系の小説に限界を感じていた時期に出会ったのが
伊藤計劃さんの小説でした。
「虐殺器官」を読んで、こんな小説を書けるのはどんな人なんだろうと興味がわいて
伊藤さんのブログ「第弐位相」と「spooktale」を読み
映画、本、音楽、ゲームを始め、サブカルチャーと呼ばれる文化全般への
造詣の深さと、それらに対する優れた分析力、そして確かな文章力に驚きました。

「一九八四年」も「動物農場」も
ウィリアム・ギブスンの「ニュー・ロマンサー」やブルース・スターリングの小説も
私がまだ観たことがなかったたくさんの映画も、全部伊藤さんに教えてもらいました。
そして、現実の世界に対する逆説的な警告を表現するのにはSFという形が最適で
「今私たちの目の前にある世界」の「その先」を描くことができるのは
SFを置いて他にはないと思うようになりました。

「これがわたし
 これがわたしというフィクション
 わたしはあなたの体に宿りたい
 あなたの口によって更に他者に語り継がれたい」

人の命は有限で、だから人が生きたという証は
その人の魂や生き方に触れて共感した誰かが
その魂を語り継いでいくことにあるのでしょう。
少しでも多くの、特に若い人たちが、伊藤さんの作品に触れて
その世界観や、背景にある多くの面白い小説や映画にも触れて
「世の中にこんなに面白いものがあるんだったら
生きてるのもそんなに捨てたもんじゃない」と思ってくれたら
にわかSFファンで、伊藤さんについて
あれこれ書くのもおこがましいような私が
こうして一生懸命伊藤計劃さんをプッシュする意味もあろうかと思えるのです。


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「ハーモニー」来週公開です

2015-11-07 09:11:06 | 伊藤計劃
このブログで、伊藤計劃さんについて
書いた記事へのアクセスが案外多いことにちょっと驚いています。

当初の予定では「屍者の帝国」が10月公開
「虐殺器官」が11月、「ハーモニー」が12月と
年内に三作品すべてが公開されるはずだったのですが
製作会社の事情により「虐殺」の公開が延期になり
来週11月13日(金)から「ハーモニー」が繰り上げて公開されます。

実は私が、伊藤計劃という作家さんを心から「これはすごい」と思ったのは
この「ハーモニー」を読んだ時でした。
とても、簡単な要約で説明できるようなお話ではないのですが
小説の表現をお借りして要約します。

「半世紀昔<大災禍>によって、世界中に核弾頭が落ち
放射能によって、癌や未知のウイルスが蔓延し
人類が生存の危機に直面したことで
世界は、政府を単位とする資本主義的消費社会から
構成員の健康を第一に気づかう生府を基本単位とした
医療福祉社会へと移行した。

すべての人間は大人になるとWatchMeという個人用医薬情報システムを
体に埋め込み、体内の病原をやっつけるメディモル(医療分子)を
精製し、どんな病気でもたちどころに治すことができる。
肉体や精神の健康を維持するのに有害とみなされたものはすべて排除され
人々はお互いを慈しみ、支えあって
完全に調和のとれた理想の社会を実現させていた」

「ハーモニー」はそんな社会を拒絶し、NOを突きつけた三人の少女たちの物語。

核戦争の結果、人類が絶滅の危機に瀕しているという状況は
すでに1968年に刊行された「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」の時代から
たくさんの小説や映画やアニメ、漫画で使われたモチーフです。
テクノロジーが、全ての人間の夢や希望を実現し
あらゆる人間が平和で幸福に暮らせる未来が訪れるという幻想は
おそらく核兵器の登場で、大きく変貌したのだと思います。

一部の人たちは「これは実はとんでもないことだ」ということに気づきました。
核兵器のみならず、すべてのテクノロジーが
人間にとって、実はとんでもないものなのではないかと考えていて
伊藤計劃さんの小説もその延長線上にあります。
けれど例えとんでもないものであるにしても、それがなかった時代や社会に
時間を巻き戻すことはできません。
とても大きな枠組みでのセカイは、まさに
「どうしようもない」ものだということを描いているのがSFなわけです。
「A.I」や「猿の惑星」では、人類は絶滅しちゃいますし
今年私が激ハマりした「チャッピー」では
「もう、みんな人間やめちゃって、メカになって
幸せに暮らそうよ」という、やりっぱなしの結末です。
けれども「人間とはなにか」を問うているという一点では共通しています。


一番最初に「ハーモニー」を読んだ時は
自らが癌という病を得ている状況で、こういう小説が書けるという
その精神力に仰天しました。
けれどそれはとても表面的な理解の仕方で
伊藤さんの小説や、映画について書かれたもろもろの文章を読んでいくにつれて
伊藤さんの思考を構成している、ものすごく大量の要素に愕然としました。

私がお粗末な語彙や薄っぺらな知識で、伊藤さんはこういう人とか
伊藤さんの小説はこういうものなどと書いたら怒られそうです。
それでも私がしつこく伊藤計劃という作家と作品について書いているのは
特に、若い人たちに、こういう人がいる、こういう世界がある
ということを知ってほしい、気づいてほしいからです。

入り口は伊藤計劃という作家でも、彼の周りに広がる世界は広大です。
伊藤さんが何回も読んだと書かれていた「ニューロマンサー」を最近読みました。
SFの世界で、初めて電脳空間を扱った小説で
例えば「攻殻機動隊」や映画「マトリックス」へのつながりが分かります。
今自分たちが生きている世界が、どういう場所なのかを知ること
それを自分の言葉で分析し、どう向き合えばいいかを考えること
それはこれから長い人生を生きていくうえで、必ず何かの役に立ちます。
もちろん、アプローチの仕方はたくさんあります。
SFの世界というのは、その中の一つの選択肢です。イチ押しではありますが。

実は娘に「たぶんこれが一番読みやすいから」と
「ハーモニー」を貸した(押し付けた?)のですが
「難しかった」と返品されてしまいました。
けれどこの前一緒に観にいった「屍者の帝国」は
「時間が経ったら、だんだん良く思えてきた」とコメントされて、小躍りしました。
布教活動は、地道ないばらの道です。
けれど、今日はツイッターで
ジュンク堂に「SFフェア」のコーナーができたというのを見かけて
これまた「よっしゃ」と嬉しくなりました。
来てます、確実に来てます。時代はSFです(笑)

せめてあと三年早く伊藤計劃さんに出会えていたら
映画も本も、もっともっと観たり読んだりすることができたのにと思います。
そういう後悔をする人が、一人でも減るように、めげずに布教活動を続けます。

一つだけ前置きをすると、小説とアニメは別物です。
「屍者の帝国」もそうでしたが
アニメは、原作をまったく知らない人でも
それなりに楽しんで観れるような作りになっています。
それでもし興味が持てれば、小説へ
もっと興味が持てれば、脱出不能なSFの迷路へという重層構造です。

私の年になると、新しい情報を理解することが、日に日に難しくなりますが
若者の脳の機能やキャパは、ほぼ無限大です。
ですから、そういう時期にこそ、
人生が変わるような衝撃的な出会いをたくさんしてほしいと心から思います。



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「屍者の帝国」来週公開されます

2015-09-28 15:18:26 | 伊藤計劃
昨年アニメ化決定が報じられていた
伊藤計劃さんの小説「虐殺器官」と「ハーモニー」
今年前半は進展がなくてやきもきしていましたが
まずは伊藤さんと円城塔さんの共著である「屍者の帝国」のアニメ映画が完成し
いよいよ来週から公開されます。

「屍者の帝国」は、伊藤さんが残された30枚ほどの遺稿を
円城塔さんが書き継いで完成された作品です。

十九世紀末のロンドン。
死人に疑似霊素というものをインストールして屍者を作る技術が普及し
各国で、労働用や軍事用として
動く死体としての屍者が普及している世界。

ロンドン大学の医学生ワトソンは
大英帝国諜報機関の命を受けて
人間と同様の知能を持ち、言語を喋ることができたと言われる
人類最初の屍者「ザ・ワン」の謎を解明するべく
インド、ロシア、日本、そしてアメリカ大陸を駆ける。

フランケンシュタイン、カラマーゾフ兄弟、ヴァン・ヘルシンクetc
歴史や文学に出てくる有名人たちが大活躍します。
九割がた円城さんの筆による小説なので
「伊藤さんの作品とは違う」と言われる方もありますが
史実とか、あらゆる整合性をぶっとばして疾走する
壮大な与太話という大枠では、伊藤さんがめざした世界観と
それほどかけ離れてはいないように思えます。

そして何よりも、この「屍者の帝国」は
志半ばにして旅立たれた伊藤計劃さんに捧げられた円城さんの
オマージュであり、レクイエムなのだと思います。
「屍者の帝国」の終り近くにこんな一節があります。

「ほんの三年に満たない旅にすぎなかったが、かけがえのない
得がたい日々をあなたと過ごした。(中略)あなたの物語を
つなぐ手伝いを上手くできたか甚だ心許ないが、収支はまだ
先のこととしてもらえればありがたい。
せめてただほんの一言をあなたに聞いてもらいたい。
「ありがとう」」

これを最初に読んだ時は、泣きました。
ストーリーの中に織り込まれてはいますが
円城さん本人の、伊藤さんに対する思いがあふれています。

伊藤さんは「物語」というものに
強いこだわりを持っておられました。
「これがわたし
これがわたしというフィクション
わたしはあなたの体に宿りたい。
あなたの口によって更に他者に語り継がれたい」

こちらは伊藤さん自身の言葉です。
SF初心者、なんちゃってSFファンの私が言うなと怒られそうですが
伊藤さんの小説を含めて、SFの世界は
一般に捉えられているほど、難解で、理解不能なものではありませんでした。

小説の世界全体が、現実社会に対する壮大なメタファーの形を取っていますから
読み手の側で、どのように解釈するのも自由です。
現実社会に対する、相当に辛辣な風刺も批判もあるし
人間の未来についての予見もあります。

最近頭がすっかりSF脳になっていて
先日の安保問題の時も「ああ、今度アメリカとか中国とかが絡んで
戦争始まったら、もう地球滅亡、人類破滅のレベルだから
どっちにしても大して変わらないよ」と言って
家族の冷たい視線を浴びました。

「屍者の帝国」もちろん観に行きます。
「屍者の帝国」も「虐殺器官」も「ハーモニー」も
あれほど密度の濃いストーリーを
二時間という枠の中で全て表現できるとは思っていません。
けれど、どういう形にせよ
伊藤計劃という魅力的なSF作家の名前と
伊藤さんが語った物語は、映画を観た人によって
語り継がれていきます。
そしてそれが、伊藤さんが心から望んでおられたことなのではないかと思います。




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伊藤計劃とゲームの世界

2015-07-04 15:28:00 | 伊藤計劃
このブログの検索ワードで、意外に「伊藤計劃」があることに
ちょっと驚いている。
前回は伊藤計劃さんの作品との出会いについて
ざっくりと書いたが、今回は少し違う角度から書いてみたい。

私が子育てをした頃、ちょうど子どもが小学校に上がる頃に
ファミコンが発売された。
私は自分が子どもの時、家にテレビがないことや
自分の家庭環境がちょっと人とは違うことなどもろもろで
それなりに悲しい思いや辛い思いをした。

親の教育方針や理想主義は分からないではないが
周囲からの孤立を感じながら成長すると
それはそれで、マイナス面もあることを実感している。
だから自分の子どもたちは、あまり極端ではなく
普通に育ててやりたいと思って、ファミコンも買った。

当時のゲームは「スーパーマリオ」に代表されるように
キャラクターも子ども向けだし
放課後や休日に友だちがおおぜい集まって
わいわい遊んでいたから、それほど親子でもめた覚えはない。

ただ私自身は、ゲームに限らず、勝ち負けというものに
まったく興味が持てず、2匹目のクリボーで死んでしまうというくらい
コンピューターゲームに関しては、才能のかけらもなかったので
ゲームだけは自分の人生には完全に無縁のものと信じていた。

それが伊藤計劃という作家さんに出会って
伊藤さんが、ゲームデザイナーの小島秀夫さんの大ファンであり
自ら「小島原理主義」と呼ぶほど、小島さんに傾倒されていたことを知った。
作家デビューされて、小島さんのゲーム「メタルギア」の
ノベライズを依頼されたことや小島さんとの交流が生まれたことに
とても感激されて、心から喜んでおられたことが、小説の後書きからも伝わった。

そのノベルス「メタルギアソリッド」
ゲームにまったく無縁だった自分に果たして読めるのかと思ったが
意に反して、なかなか面白かった。
ノベライズになると、映画もゲームもそれほど変わらない。
「メタルギア」は、伊藤さんのオリジナルである「虐殺器官」や「ハーモニー」
に比べると、ずっと饒舌な感じがする。
作品世界や登場人物への愛にあふれていると言ったら怒られるだろうか。

毎日ゲームをやっていたら、ゲームが好きだったら
こういう小説が書けるのかといえば、そんなことはない。
小島秀夫さんは例えば「スナッチャー」というゲームでは
映画「ブレードランナー」の世界観を土台にしていると自ら語られ
ゲームのストーリーの根底には、反戦反核がテーマとしてあるというように
映画や小説の創造者のような感性の持ち主であり
そこに伊藤さんが強く魅かれるものがあったのだろうと思う。

伊藤さんは、自らオタクであり非モテであると自認され
それをブログなどで自虐的に書かれることもあるが
そうしたマイノリティとしての自分の生き方には
強い誇りを持っておられたと思う。
そしてその自信や誇りは、中学時代から読んだというSF小説や
学生時代以降観られた大量の映画や本や
他にも音楽や美術や、日々取り込んできた様々な要素が
有機的に結合して小説という実を結んだことによるものだろう。

もとより伊藤さんに影響されて
いまさらゲームをやってみるというようなことではない。
実は私が今小説を投稿している某サイトでは
異世界へ転生とか、ゲームのノベライスみたいなのが
大流行していて、ネット小説の主流となっている。
書き手のほとんどは、十代から三十代くらいまでの若者で
現実社会では何一つ思い通りにいかないから
異世界やゲーム世界で、自分とは正反対の
強くて、カッコよくて、モテモテキャラで大活躍みたいな
ストーリーが、読み手にも書き手にも大人気なのだ。
伊藤さんが描いた「メタルギア」の世界観とは全然違う。
こんなことを書いたら反発をくらうかもしれないが
なるほどゲームだけやってたら、こういう思考になるのかなと思う。

一年ほど前にある方から、かわいらしい日記帳をもらった。
私の病気のことを知って、日々の思い出を書いて
家族に残してほしいという思いがあったのかも知れない。
その日記帳に、伊藤計劃さんのブログ「第弐位相」の
自分が共感できる文章を、せっせと書き写している。
「第弐位相」は一部分しか書籍化されておらず
いきなり閉鎖なんてことになったら泣くに泣けない。

現実に叩きのめされて、出口が見えなくなっていた私に
伊藤さんが教えてくれたこと。
それは「この世の中がデタラメで、圧倒的で、辻褄が合わない場所だ」ということ。
それでも人は「戦えばなんとかなるんだ。むしろ戦うべきだ」と考えていて
人間というものは「無力であることに堪えられないんだろう。
わけのわからないことが嫌いなんだろう」と結ばれている。

まさにと思う。
「わけの分からない、どうしようもない」ものを、そういうものとして
受け入れることで、そこから見えてくるものがあるのだ。
どうしようもない世界をどうにかしようと考えるのではなく
どうしようもない世界でどう生きるのか、あるいはどう死ぬのか。
伊藤さんが描くのはそういう世界で
それが何となく分かったことで
今更ながらSFというものの面白さが分かったように思う。

あなたの考えることのほうが、わけが分からないと言われそうですが
私自身も期限つきの人生ですから
時には自分が思うことを正直に書きます、
ですから、伊藤さんについては、また折々に書くと思います。




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伊藤計劃という作家の生き方

2014-10-12 12:06:22 | 伊藤計劃
最近は書くことが、またブログの趣旨とはズレまくっているが
自分の頭の中がこうなのだから、それはそれでもいいかと開き直り始めた。

最初は、2012年に芥川賞を取った円城塔さんの「道化師の蝶」を読んだのが始まり。
「道化師の蝶」も、文学でこんなことができるのかと、かなり衝撃を受けたが
その円城塔さんつながりで「伊藤計劃」という名前を知った。

興味はあったが、SFというジャンルはあまりなじみがない。
いきなり長編を買い込んで読めなかったら困ると思い
「From the Nothing With love」という短編が収録されたSFのアンソロジーを
買って読んだら、これが見事にビンゴだった。
「虐殺器官」「ハーモニー」の長編二作と
ゲーム「メタルギア」のノベライズである「メタルギア・ソリッド」
短編集の「Indifference Engine」を立て続けに読み
伊藤さんのサイト「第弐位相」の記事も少しづつ読んでいる。

伊藤さんは2001年にガンが見つかり片足を切断された。
その後2007年に書かれた「虐殺器官」が小松左京賞の最終候補になり
惜しくも賞を逃したものの、同時に最終候補に残った円城塔さんの助言によって
早川書房に原稿を持ち込み作家デビューを果たした。

しかし2006年に再び転移が見つかり、治療に取り組むも
2009年3月肺ガンのため死去。享年34才の若さだった。
死後二作目の長編「ハーモニー」が刊行され
遺作の長編「虐殺器官」と「ハーモニー」は
2015年アニメ化されることが決まった。

サイトに残る「著者インタビュー」の中で伊藤さんは
「『虐殺』の最終ゲラチェックを行なったのは、胸を開いた手術の四日後という
すさまじいスケジュールでした」と述べられている。
またかなりのシネフィル(映画通)でもあって
Webデザインナーとして働くかたわら
闘病中も好きな映画やDVDの鑑賞や読書を欠かされなかった。
その伊藤さんの作品やブログや生き方を通じて
私が大きな衝撃を受けたのは「人間は生死が分からない大きな病気を抱えても
こういう考え方や生き方ができるのか」ということだった。

私自身がガンの告知をされたのは、伊藤さんの作品に出会ったから二年後。
今私がこうして日々生きている、その核になる部分を支えてくれているのは
確かにこの伊藤計劃という作家とその軌跡だと言っていい。

伊藤さんのブログ「第弐位相」の中で
自身の闘病について語られている部分は多くはない。
その中で2004年6月の記事に次のような記述がある。
伊藤さんが最初の入院手術の後退院して帰宅した時に
出迎えてくれた愛犬は、その後亡くなったらしい。

「そして、いま、愛犬は彼岸にいる。あのとき、生きて帰ってきたぼくを
抱き締めた温もりは、ペットたちの共同墓地にいて、そこへぼくは墓参り
に行き、あふれる思いを、残された者たちが抱えるには多すぎて溢れてし
まう情念を、墓にすくいとってもらい、身軽になって家に帰る」

伊藤さんは「抱えるには多すぎて溢れ出してしまう情念」を、愛犬の墓に
すくいとってもらうだけではなく、自らの作品の中にも注ぎ込んだのだと思う。
もとよりその作品は、伊藤さん自身が「罪のない人が十把ひとからげに殺され
まくる近未来が舞台で、主人公が殺し屋で」(虐殺器官)と揶揄されているように
「愛と希望の○○」とか「百万人が涙する」といった内容ではないし
誰でもが納得するようなテーマを声高に叫ぶものでもなく
読み手が自分の感性で、受け取れるものを受け取るという類いのものだ。

だから表面的な読み方をする人は
むしろ眉をひそめるような代物かもしれないが
私が60年近く生きてて、まだ見たことのなかった
新しい地平を、伊藤さんを起点として次々と見せてもらった。

私もそこそこ映画は観たが、伊藤さんの大量の映画レビューは
読んでみても八割がた意味が分からない。
SFや戦争、アクション映画が私にはなじみが薄いジャンルということもあるが
それ以上に映画についてのキャリアが全然違う。とても勝負にならない。
それに伊藤さんの映画批評は、自分の好みというものがはっきりと出ている。
人間の感じ方は、それまでに取り込んだ様々な要素が組み合わさって
ジグゾーパズルのようになったものを土台にしているので
伊藤さんと私がぴったり合うわけもないのだろうが
例えば押井守監督とか、デビット・フィンチャーとか
共通するものもいくつかはあることがうれしい。
だから伊藤さんが特にお勧めされているものだけでも観てみたいと思う。

前回病院に行った時に、病院の近くにジュンク堂があるので
未読の「伊藤計劃映画時評集2」を買ってきたが
これまた普通の映画批評とは全然違う独自の視点で
全然違う切り口で映画と言うものが語られている。
伊藤さんの小説世界と同様に共感できる人間は共感し
それぞれが自分なりに解釈する類の内容だ。
こういうマイノリティの誇りを感じる作品は
最近の国産品では、本でもドラマでも映画でもほとんどなくなった。

このような伊藤さんの姿勢から
「自分はこういう風に感じる、こういう風に考える」ということを
はっきり表現していいのだということを教えられたような気がする。
こうしてモノ書きをしていると、どうしても読んでくれる人の
受け取り方ということを考慮して
自分が本当に考えていることの一部しか書かないことが多い。
けれど私に残された時間もまたそれほど多くはない。
そう考えると、自分がどうしても書きたいと思ったことは
思った通りに書いてもよいのだと教えられているような気がするのだ。

伊藤さんのブログ「第弐位相」は
2009年1月7日「病院で元旦」という記事で終わっている。
「今年も宜しくお願いいたします」という新年の挨拶が
何回読んでも何十回読んでもただただ寂しく切ない。
願わくばせめて私が生きている間は
このブログが消えてなくなりませんようにと祈るしかない。





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