今月の給料で最後の返済をして
任意整理の三年間の返済が全て終わる。
ただ三ヵ月後には車の車検があるので
返済していた分とほぼ同額を積み立てて車検に当てるつもりだ。
借金がなくなるから気持ちが軽くなるかというと
人の心というものはそう簡単にはいかない。
ダンナと暮らしてきた34年間のうち
後半の二十年ほどは定期的に「実は借金が…」という話が持ち上がり
その都度顔から血の気が引き足元の地面が崩れおちるような
思いを繰り返してきた。
子どもが小さいうちは返済が増えた分を
自分の仕事を増やしてカバーしてきた。
子どもが大きくなってからは子どもたちの将来について
「もうあと何年かすれば進学の問題や
いずれは結婚という話も出てくる。
その時に親が借金まみれで子どもたちを
そんな親の不始末の巻き添えにするようなことは
絶対にできない」と説明も説得もした。
そういう道理がまったくダンナに通じてなかった時の絶望感。
さらにそれがギャンブル依存症という病気なのだとわかって
しかもこの病気が治らないものだと知った時の
何とも言いようのない暗澹とした思い。
長い間そうした実態の分からない不安にさらされ続けると
「また何かあるのではないか」という恐怖感から
抜け出すことが出来なくなる。
依存症の治療については
「借金の返済を手伝ってはいけない。
行くところまでいって本人が自分は本当にだめなのだと
底つき感を味わうことが病気の回復に必要」と書いてあり
それを手助けする人間は結局依存者と共依存で
そういう共依存者と一緒にいる限り
依存症は治らないという話を読むと
結局責任の半分は自分にあって任意整理をし
借金を解決したことがあとあと
ダンナの依存症を助長する結果を生むのではという
負の無限ループになってしまう。
配偶者が依存症と分かって
離婚を選択する人そうでない人様々だ。
私は離婚をしない選択をしたが
それは出来うる限りダンナに自分の病気を自覚してもらい
日々回復する努力を続けなければ
将来また子どもや親戚に迷惑がかかることになる
依存症とはそういう病気だと判断したからだ。
六十、七十を過ぎた親がギャンブルで年金も使い果たして
「ご飯が食べれない」と息子や娘に金の無心をする
そういう話もすでに私の知り合いにある。
自分の親に「飢えて死ね」とは言えず
結局ずるずると援助をしなければならない羽目になる。
知り合いの場合は家賃を滞納していると
不動産屋から連絡があって結局全額を肩代わりした。
試しにその知り合いに依存症について
簡単に説明してみたが何しろ彼女自身が
家族揃って趣味はパチンコという人なので
理解しているようには思えなかった。
「返済が終わったから使えるお金が増えるということではない。
今の状態では二人のうちどちらかが病気でもすれば
まとまったお金がないのだから
結局誰かにお金を借りるというような話になる。
とにかくもう誰にも迷惑をかけないように
ちゃんとお金を用意できるようにしていかなければならない」
そういう将来のことをシュミレーションする習慣や
自分以外の人間に対する配慮をする能力を
少しづつ身につけていかなければならないのだ。
浦沢直樹さんの「MONSTER」という漫画の中に
「人間の善悪の根幹を破壊する」という言葉がある。
ギャンブル依存症はまさにそういう病気だ。
「人間は何にだってなれる。だから怪物なんかになっちゃいけない」
ギャンブル依存症はたった一回の大勝ちした経験で
その病気になる。まさに覚醒剤と同じものだ。
だがそれで怪物になった患者を普通の人間に近づけていくのには
気の遠くなるような時間がかかる。
あなたは今ギャンブルに使おうとしているそのお金を
何かこどもが喜ぶようなものを買って帰ってやろう
我が子が嬉しそうに笑う顔がみたいと思うことができますか?
そう思えるかどうかが人間なのか怪物なのかの分かれ道なのですよ。
任意整理の三年間の返済が全て終わる。
ただ三ヵ月後には車の車検があるので
返済していた分とほぼ同額を積み立てて車検に当てるつもりだ。
借金がなくなるから気持ちが軽くなるかというと
人の心というものはそう簡単にはいかない。
ダンナと暮らしてきた34年間のうち
後半の二十年ほどは定期的に「実は借金が…」という話が持ち上がり
その都度顔から血の気が引き足元の地面が崩れおちるような
思いを繰り返してきた。
子どもが小さいうちは返済が増えた分を
自分の仕事を増やしてカバーしてきた。
子どもが大きくなってからは子どもたちの将来について
「もうあと何年かすれば進学の問題や
いずれは結婚という話も出てくる。
その時に親が借金まみれで子どもたちを
そんな親の不始末の巻き添えにするようなことは
絶対にできない」と説明も説得もした。
そういう道理がまったくダンナに通じてなかった時の絶望感。
さらにそれがギャンブル依存症という病気なのだとわかって
しかもこの病気が治らないものだと知った時の
何とも言いようのない暗澹とした思い。
長い間そうした実態の分からない不安にさらされ続けると
「また何かあるのではないか」という恐怖感から
抜け出すことが出来なくなる。
依存症の治療については
「借金の返済を手伝ってはいけない。
行くところまでいって本人が自分は本当にだめなのだと
底つき感を味わうことが病気の回復に必要」と書いてあり
それを手助けする人間は結局依存者と共依存で
そういう共依存者と一緒にいる限り
依存症は治らないという話を読むと
結局責任の半分は自分にあって任意整理をし
借金を解決したことがあとあと
ダンナの依存症を助長する結果を生むのではという
負の無限ループになってしまう。
配偶者が依存症と分かって
離婚を選択する人そうでない人様々だ。
私は離婚をしない選択をしたが
それは出来うる限りダンナに自分の病気を自覚してもらい
日々回復する努力を続けなければ
将来また子どもや親戚に迷惑がかかることになる
依存症とはそういう病気だと判断したからだ。
六十、七十を過ぎた親がギャンブルで年金も使い果たして
「ご飯が食べれない」と息子や娘に金の無心をする
そういう話もすでに私の知り合いにある。
自分の親に「飢えて死ね」とは言えず
結局ずるずると援助をしなければならない羽目になる。
知り合いの場合は家賃を滞納していると
不動産屋から連絡があって結局全額を肩代わりした。
試しにその知り合いに依存症について
簡単に説明してみたが何しろ彼女自身が
家族揃って趣味はパチンコという人なので
理解しているようには思えなかった。
「返済が終わったから使えるお金が増えるということではない。
今の状態では二人のうちどちらかが病気でもすれば
まとまったお金がないのだから
結局誰かにお金を借りるというような話になる。
とにかくもう誰にも迷惑をかけないように
ちゃんとお金を用意できるようにしていかなければならない」
そういう将来のことをシュミレーションする習慣や
自分以外の人間に対する配慮をする能力を
少しづつ身につけていかなければならないのだ。
浦沢直樹さんの「MONSTER」という漫画の中に
「人間の善悪の根幹を破壊する」という言葉がある。
ギャンブル依存症はまさにそういう病気だ。
「人間は何にだってなれる。だから怪物なんかになっちゃいけない」
ギャンブル依存症はたった一回の大勝ちした経験で
その病気になる。まさに覚醒剤と同じものだ。
だがそれで怪物になった患者を普通の人間に近づけていくのには
気の遠くなるような時間がかかる。
あなたは今ギャンブルに使おうとしているそのお金を
何かこどもが喜ぶようなものを買って帰ってやろう
我が子が嬉しそうに笑う顔がみたいと思うことができますか?
そう思えるかどうかが人間なのか怪物なのかの分かれ道なのですよ。