癌と生きる 依存症と生きる

命がある限り希望を持つということ


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依存症という名の怪物

2012-01-31 07:46:21 | 依存症
今月の給料で最後の返済をして
任意整理の三年間の返済が全て終わる。
ただ三ヵ月後には車の車検があるので
返済していた分とほぼ同額を積み立てて車検に当てるつもりだ。

借金がなくなるから気持ちが軽くなるかというと
人の心というものはそう簡単にはいかない。
ダンナと暮らしてきた34年間のうち
後半の二十年ほどは定期的に「実は借金が…」という話が持ち上がり
その都度顔から血の気が引き足元の地面が崩れおちるような
思いを繰り返してきた。

子どもが小さいうちは返済が増えた分を
自分の仕事を増やしてカバーしてきた。
子どもが大きくなってからは子どもたちの将来について
「もうあと何年かすれば進学の問題や
いずれは結婚という話も出てくる。
その時に親が借金まみれで子どもたちを
そんな親の不始末の巻き添えにするようなことは
絶対にできない」と説明も説得もした。
そういう道理がまったくダンナに通じてなかった時の絶望感。

さらにそれがギャンブル依存症という病気なのだとわかって
しかもこの病気が治らないものだと知った時の
何とも言いようのない暗澹とした思い。
長い間そうした実態の分からない不安にさらされ続けると
「また何かあるのではないか」という恐怖感から
抜け出すことが出来なくなる。

依存症の治療については
「借金の返済を手伝ってはいけない。
行くところまでいって本人が自分は本当にだめなのだと
底つき感を味わうことが病気の回復に必要」と書いてあり
それを手助けする人間は結局依存者と共依存で
そういう共依存者と一緒にいる限り
依存症は治らないという話を読むと
結局責任の半分は自分にあって任意整理をし
借金を解決したことがあとあと
ダンナの依存症を助長する結果を生むのではという
負の無限ループになってしまう。

配偶者が依存症と分かって
離婚を選択する人そうでない人様々だ。
私は離婚をしない選択をしたが
それは出来うる限りダンナに自分の病気を自覚してもらい
日々回復する努力を続けなければ
将来また子どもや親戚に迷惑がかかることになる
依存症とはそういう病気だと判断したからだ。
六十、七十を過ぎた親がギャンブルで年金も使い果たして
「ご飯が食べれない」と息子や娘に金の無心をする
そういう話もすでに私の知り合いにある。
自分の親に「飢えて死ね」とは言えず
結局ずるずると援助をしなければならない羽目になる。
知り合いの場合は家賃を滞納していると
不動産屋から連絡があって結局全額を肩代わりした。
試しにその知り合いに依存症について
簡単に説明してみたが何しろ彼女自身が
家族揃って趣味はパチンコという人なので
理解しているようには思えなかった。

「返済が終わったから使えるお金が増えるということではない。
今の状態では二人のうちどちらかが病気でもすれば
まとまったお金がないのだから
結局誰かにお金を借りるというような話になる。
とにかくもう誰にも迷惑をかけないように
ちゃんとお金を用意できるようにしていかなければならない」
そういう将来のことをシュミレーションする習慣や
自分以外の人間に対する配慮をする能力を
少しづつ身につけていかなければならないのだ。

浦沢直樹さんの「MONSTER」という漫画の中に
「人間の善悪の根幹を破壊する」という言葉がある。
ギャンブル依存症はまさにそういう病気だ。
「人間は何にだってなれる。だから怪物なんかになっちゃいけない」
ギャンブル依存症はたった一回の大勝ちした経験で
その病気になる。まさに覚醒剤と同じものだ。
だがそれで怪物になった患者を普通の人間に近づけていくのには
気の遠くなるような時間がかかる。
あなたは今ギャンブルに使おうとしているそのお金を
何かこどもが喜ぶようなものを買って帰ってやろう
我が子が嬉しそうに笑う顔がみたいと思うことができますか?

そう思えるかどうかが人間なのか怪物なのかの分かれ道なのですよ。
コメント (2)

依存症の本当の怖さ

2012-01-08 14:12:50 | 依存症
昨年一般の人にギャンブル依存症の存在を
印象付けたのは大王製紙の元会長の井川氏が
子会社から多額の金の貸付を受けてそれをカジノで使ったという
事件ではないだろうか。
氏が子会社から引き出した金は80億を越える。
あまりにも金額が大きすぎて庶民にはピンとこない。

しかしこのようにギャンブルにどんどんお金をつぎ込むことだけが
依存症の症状なのではない。
一番深刻なのは、これだけの社会的な地位のある人間が
会社の金を自分がギャンブルをするために流用するという
明らかな違法行為をためらいもなくやってしまうこと。
東大出の知性も理性もまったく歯止めにならないことだ。

社会的にやってはいけないことへの認識が失われるから
容易に犯罪行為に走る。
ギャンブルをやりたいために、あるいはギャンブルでできた
借金の返済に追い詰められて、強盗、殺人、横領などを
犯す例は後を絶たない。

そしてギャンブル依存症の人間は
自分の周囲の人間に対する配慮が一切失われる。
たまに依存症本人の方のブログを見ることがあるが
ギャンブルできない苦しさなどはつらつら書かれているが
自分がギャンブルで借金をして
配偶者に大変な思いをさせたことなどに言及されている
ものはほとんど見かけない。

以前宮部みゆきさんは「理由」という小説で
一つの殺人事件が起こることで
どれほどたくさんの人が影響を受けるかを
ルポのような形式で丹念に書かれた。
また数日前オウム真理教の逃亡犯が逮捕されたが
彼が昔住んでいた土地の近所の人が
「親が大変だった」と回顧されていた。

ギャンブルが原因で犯罪を起して
自分の親兄弟や、配偶者や子どもたちがどういう思いをするか。
井川元会長の場合で言えば会社の信用はどうなるか
真面目に働いてきた社員たちへの影響はどうなのか
そういうことを何も考えられなくなるのが
依存症の本当の怖さなのだ。
つまりは人間性の欠如である。

以前死んでも肉親に遺骨の引取りを
拒絶される人たちのニュースを見た。
もちろんその全てがギャンブルが原因であるかどうかは分からない。
しかしギャンブルで多額の借金を作り
闇金の取立ての恐怖を味わったり家族が一家離散したら
たとえ血を分けた親子であっても
骨さえももう二度と見たくないという気持ちは
私には痛いほど分かる。
だから以前ダンナに「亡くなったお母さんが
こんな息子を産んで育てるのではなかったと
死んだ後でも土の下で泣くような人生を生きるのは
人間としてあまりにも悲しいと思う」と話したことがある。

そういう話が依存症の人間に
どこまで理解できるのかは私には分からない。
治るということのない依存症の人間の家族にとって
こんな風に毎日は
終わらない、どこまでも明けることのない夜みたいなものなのだ。


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身近な人の笑顔のために

2012-01-01 08:24:24 | 依存症
新年明けましておめでとうございます。
昨年このブログを訪れてくださった皆様
本当にありがとうございました。
今年もよろしくお願いいたします。

夫婦ともボーナスが出るような仕事ではないので
例年通り節約しながらのお正月の準備。
ダンナが会社の忘年会でデパートの商品券をもらったので
昨日珍しく二人で街へ買出しに行くことにした。

けれど都心の駅についてホームに降りた
私の目に飛び込んできたのは
ホーム中に吊り下げられている灰色の
パチンコの新機種の広告だった。

その異様さにはもう怒りというよりも唖然とした。
少し前に書いたが20年以上に渡って
ダンナのギャンブルと借金と
この数年はギャンブル依存症への対応に
神経を使いつづけているので
少しでもパチンコやスロットが絡むものには
気持ちが敏感に反応する。

TVのCMはもちろんプロ野球の球場の
メーカーの名前やドラマのワンシーンで流れる
パチンコ屋の場面。
先日NHKでも女性のパチンコ依存を特集していたが
ああいうドキュメンタリーや特集も
必ず冒頭はパチンコ屋のシーンなので
ダンナがいる時は見れない。
音や映像でダンナの脳がフラッシュバックを起こすのが恐い。

その私の目の前にこれでもかというほど吊り下がった広告。
その異様さに、これはもう悪意であり心理的なテロだと思った。
昨年は東日本大震災があり福島の原発事故があり
日本はまだ復興の端緒についたばかり。
そんな中お正月を迎えて初売りなどで
都心へ足を運ぶ人々の心が少しでも明るく上向きになるように
駅といういわば街の玄関はお正月らしい
明るい未来への希望を感じさせるものであってほしい。

そこが陰気な灰色の賭博の広告で埋め尽くされているなど
本当に信じ難かった。
流通業界も不況で派手に広告を打つような余裕はないのかもしれない。
対照的にパチンコ機器のメーカーは
少々の不況くらいではびくともしないくらいの
あり得ないほどの利益の蓄積があるわけだ。
そのことを改めて思い知らされた。

私鉄業界も喉から手が出るほど莫大な広告費が欲しいのも分かるが
それでも新しい年の初めに
ただお金にさえなればいいとこれほど視覚的心理的な影響を無視した
やり方をしていいものなのか。
それとももう誰もそんなことも考えなくなっているのだろうか。

こういう場面に遭遇すると
私は欝だから日本は本当にもうだめかもしれないと
またぞろ思ってしまうのだ。
これから正月休みを迎えるサラリーマンたちの足を
パチンコ屋に向かせようとする戦略なのだろうが
私は何かのサイトで見かけた「パチンコ屋は呪怨の巣」という
言葉が頭から離れない。
ギャンブルが原因で自殺したり一家離散したり
破滅した無数の人たちの妄執が澱んでいる場所だから
あそこに立ち入ると悪い不吉なオーラが取り付いて
人生が悪いほうへ転がっていってしまうというのだ。
あながち迷信だとばかりも思えない。

ギャンブルに捨てるようなお金があるならば
それで家族でおいしいものを食べにいくとか
子どもの喜ぶものを買ってあげるとか
身近に幸せが生まれ一人でも多くの人が笑顔になれることに
そのお金を使って欲しい。
ギャンブル依存症の人間と生きてきて
私は心の底から笑うということができなくなった。

正月のバラエティ番組の出演者や客席の笑い声は
何か遠くの星の出来事でも見ているようで
何がおかしいのか何故あの人たちは笑っているのか
まったく理解できない地鳴りのようなもので
すぐにうるさく苦痛なものになってくる。
いいことなど何もなくていいから
とにかく自分や家族に悪いことがおこらないように。
笑うことも怒ることも泣くことももうしたくない。
ただひたすら心が無であり空である毎日が過ぎればいいと思う。
どうかあなたの身近な人をそういう目にはあわせないでほしい。
そしてあなた自身も、あぶくのような幾ばくかの金や
ギャンブルで当たった時の刹那的な快楽と引き換えに
一生治ることのない業病を背負い込んで
こんな人間が夫で親でなければよかった
死んでしまえばいいのにと、自分の肉親や配偶者や
こどもたちに憎まれ疎まれるような人生を生きるような
愚かな道に足を踏み込まないでほしい。
代償はあまりにも大きいのだから。
新しい年を迎えて改めて心からそう願うのである。


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