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癌と生きる 依存症と生きる

命がある限り希望を持つということ

世界ゲーム革命(2)

2011-01-30 15:54:41 | 依存症
このところプライベートでちょっとバタバタして
更新も滞りぎみ…だったが
今日はこのブログを開設してから1001日目。
もう少しで丸三年になることを思えば
つまりは三年間生きてきたという証しでもある。

私の日常は相変わらず色々ありつつも
ギャンブル依存症から回復する道が
「今日一日はギャンブルをやらない」毎日を
死ぬまで続けていく以外にどんな方法もないのと一緒で
「今日一日は生きる」ということの積み重ねだ。

まあそれはさておき「世界ゲーム革命」について。
このドキュメントはおおむね4つのパートに分かれている。
最初は現在ニューヨークのケイオス・スタジオが製作していて
今年発売予定の、アメリカVS北朝鮮の戦争ゲーム。
現実の社会情勢とリンクしていて
すでに物議をかもしているらしい。
脚本は映画業界の人材で、数十億の制作費を投じ
さらに海軍特殊部隊の元兵士で現在は軍事コンサルタントという
人物をオブザーバーに迎え、究極のリアリティを
ゲームに落とし込むのだという。

殺人や戦争がゲームという娯楽と
これほど密接に結びつくこと
更にそこで戦場そのものを再現するという
飽くなきリアリティが追求されているということ
さらにこうしたゲームのターゲットが
もはや子どもではなく資力のある大人たちであること
その一つ一つにひどく違和感を感じた。

その違和感の理由は大きく分けると二つあって
一つは人間とゲームという仮想現実の世界との関わりが
内包する問題の深刻さが無視されていること
もう一つは殺人が娯楽であるという点で
人間が長い時間をかけて育んできた
宗教や哲学や倫理や様々の文化が否定されている
と感じたことだった。
いまや映画産業を抜いてマンモス産業となったゲーム業界。
世界中で大ヒットしたある戦闘ゲームソフトの販売数は1200万本。
仮に単価が一万円として計算すると
1兆2000億円を売り上げたことになる。

だが…ダンナがまったくそれと気づかないうちに
ギャンブル依存症という重い脳の機能障害になって
完治することはないその家族と今も暮らしている私の実感からすると
人間は…人間の脳はひどくもろいようにしか思えない。
だからゲームに限らずCGだ3Dだと
秒速で変化しているように見える
バーチャルな世界の技術の進化に
こんな風に際限なく引きずられて本当に大丈夫なのかと
危惧するのである。

「世界ゲーム革命」を見て(1)

2011-01-16 12:56:59 | 依存症
ずっとギャンブル依存症について考えてきたが
昨年の12月12日NHKスペシャルで放送された
「世界ゲーム革命」という番組に少なからず衝撃を受けた。

前に書いたように韓国では2008年6月にパチンコが法律で禁止され
(社会的な影響が大きいという理由)店舗が撤去され
台湾でも非合法となっているために
パチンコやスロットが原因のギャンブル依存症の問題は
ほぼ日本だけに限定された社会問題になっている。
但しラスベガスのようにカジノが原因のものはある。

昭和30年代くらいまでは現在の政治家が言っているように
パチンコは主に中年の男性が遊ぶ庶民の娯楽だったかもしれない。
二、三千円で数時間遊べて賞品も金だけではなく
煙草や家族へのおみやげとしてお菓子とかおもちゃとかに
替える人も多かったように思う。
それが1980年代以降射幸性の高い機種の導入によって依存症が急増し
依存症に陥る層も主婦や若者、高齢者と急速に広がり
現在国内の患者数は約400万人と推定されている。

ところが「ゲーム革命」で提示されたのは
世界というマクロな単位で起こっている
人間を取り巻く急激で巨大な変化だ。
番組のサイトでその内容が要約されているので引用する。

「世界のゲーム人口が拡大する中、ゲーム開発は巨大産業に変ぼうを
とげつつある。世界最大のゲーム市場アメリカでは、ハリウッドの大
物監督が参加した大作が続々と誕生し、ついに映画の興行収入を超えた。
さらに、巨大資本と先端テクノロジーを武器に「ゲームのおもしろさ」
を徹底的に分析し、それを国別にカスタマイズすることで、世界市場で
のシェアを急速に拡大している」(引用ここまで)

この番組については本当に考えさせられる点が多かった。
そして私のように依存症の問題と格闘している人間は
非常な恐怖を覚えた。
だからしばらくの間この問題について書き継いでいこうと思う。

遅ればせながら

2011-01-11 07:51:23 | ねこの話
気がつけば一月ももう三分の一を過ぎてしまいました。
遅ればせながら…明けましておめでとうございます。

今年もボチボチやっていきますので
よろしくお願いいたします。

実は去年猫の夜鳴きがひどくなった頃に
「高齢猫」で検索をしていて
あるブログを見つけました。
そこの猫ちゃんもうちと同じ推定22才。
飼い主さんが本当にその猫ちゃんを大事にしていて
心から愛しておられるのがほこほこと
伝わってくるあったかなブログでした。

高齢猫に多い腎臓の疾患を抱えていて
よく病院通いされていたようですが
クリスマスもお正月もなんとか越したのに
年明けから急激に病状が悪化して
昨日のブログで「亡くなった」という報告がありました。

そこのブログにお邪魔するようになって三ヶ月くらいでしょうか。
次第に自分の猫みたいに愛着がわいてしまって
陰ながら「がんばれ、がんばれ」「もう少し」と
応援していたのですが…
ブログ読んでいて涙が止まりませんでした。
うちも同じ年ですからもはやあと一年とか二年とかは
望めないような気がします。
毎日何とか今日一日は無事にと願います。

暮れは私の仕事が変則的になって
ほぼ一週間火の気のない部屋で留守番させたので
毛布の下にホッカイロとユタポンを入れて
ただ無事に年が越せるように祈っていました。
人間よりもずっと小さいしこれだけの高齢ですから
体力が落ちればすぐに弱っていくだろうと思います。
「いつ何があってもおかしくない」と覚悟はしつつも
「年を越すまで」「春がくるまで」と
その日がくるのをただただ一日伸ばしに
願っている自分がいます。

新年早々悲しいお話ですみません。
ダンナにしろ子どもにしろ相手が人間だと
何にしても面倒なことのほうが多いですが
動物はとても単純ですから
その単純さに救われて今日まで生きてきました。
猫は飼い主を気遣う習性はないけれど
わがまま放題で満足してすやすや寝ている姿を見ていて
ぎりぎりのところで「まっ、いいか」と思える
気楽さをいっぱいもらったような気がしています。