癌と生きる 依存症と生きる

命がある限り希望を持つということ


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スマホ依存 親にできることは

2015-04-26 13:21:47 | ネット依存症
最近ではネットでも「スマホ依存」に関するニュースを
見かけることが、かなり増えました。

特にスマホや携帯を所有する中高生をお持ちのお宅では
「スマホをやる時間が長い」「勉強時間や睡眠時間が減ってる」
「おかしな動画サイトを見ているのではないか」など
心配の種が山積みで、ついつい子供に小言を言って
親子間のスマホをめぐるトラブルが相当増えているのではないかと思います。

最近見かけるスマホ依存に関する記事では
「長い時間やっているからといって
即依存症というわけではない」という点が
強調されているものもあります。
そう言われても具体的な区切りが示されなければ
ますますどうすればいいのか分からなくなります。

そもそも依存症については
どの依存症も、病気かどうかの線引きがとても難しいのです。
前にも書きましたが、実生活に支障がでているもの
つまり、生活のリズムが乱れて学校へ行けなくなったとか
引きこもりの状態になって、家族とのコミュニケーションが取れない
という場合には、おそらく病気の領域に入っており
スマホやPCを無理に取り上げたり
家族の力だけでなんとかしようとすると
むしろ事態を悪化させてしまうことがあるので
本人が受診を拒むような場合は
まずは親御さんが専門の医療機関や相談機関で
望ましい対応の仕方を学んでいく必要があると思います。

ネット依存の目安については
昨年総務省が高校生のスマホ依存について
かなり詳しいサンプル調査を行いました。
詳細は「総務省、ネット依存」で検索すると見ることができます。

それによれば、一日4時間以上スマホやネットを利用している
依存度が「高」に該当する生徒の割合は約15%弱なのですが
特徴的なのは、この割合が
友人関係や、親や、学校生活への満足度とほぼリンクしていることです。

どういうことかと言うと、
ネットへの依存傾向が高い生徒の意識調査では、不満を感じている割合が
友人関係で18.9% 親子関係で26.5% 学校生活で42.3%です。
これがネット依存傾向が低い生徒では
友人関係で4.8% 親子関係で9.8% 学校生活で15.1%とかなり違います。

さらに依存傾向の高い生徒ではSNSでよくやりとりをする友達が93.1人と
圧倒的に多いにも関わらず、実生活での友達は
「やや少ない」「とても少ない」が50.7%と過半数を超えています。

ここから見えてくる、依存傾向の高い生徒像をまとめると
現実の生活(学校の友達や学校生活、家庭生活)に対して満足感がなく
現実の友達が少なく、ネットでSNSやオンラインゲームなどを通じての
知り合いが多いタイプということになります。

この依存傾向が「高」の生徒の場合は
当然依存症に移行する可能性も大きくなりますが
こういう場合は、依存する本当の原因、動機に目を向ける必要があります。
とはいっても、親は専門家ではありませんから
現実の生活に適応できず、生き辛さを抱える子供に
カウンセリングして、我が子の問題を解決するなんてことはできません。
「生兵法は大ケガのもと」ということわざもあります。

それでは、親は何もできないのか
ただ手をこまねいて傍観するのかと怒られそうですが
親にだってできることはあります。

思春期の子供は、何が何でも親に逆らいたい、言うことを聞きたくないと
思っている反面、親に愛されていないと感じるとすぐに傷つきます。
一方親だって、お釈迦様じゃないんだから
いつも優しく微笑んでいるというわけにもいきません。
人間同士なのだから、当然衝突もするし、喧嘩もある。
その距離感の取り方はすごく難しいのだけれど
けれど最後の最後は、我が子を無条件に受け入れることができる
その度量の深さが必要なのだろうと思います。

勉強やスポーツで、それなりの成果を出せて
クラスでもリーダーシップを取れるような子どもの場合は
思春期を乗り切るのは、それほど難しくないのかもしれません。
けれど、そういうタイプの子供は大体1割くらいで
それ以外の多くの子どもたちは
理想と現実のギャップに悩みます。

勉強だけではなく、可愛いとか可愛くないとか
かっこいいとか、そうじゃないとか
友だちがいるとかいないとか
モテるとかモテないとか
ありとあらゆることが悩みの種になります。
それに加えて、人類のブラックボックスとも言うべき、性の問題もあります。
たとえ親子でもこのあたりはさっぱり分りません。

このように、依存の原因になるものも経過も多種多様なので
親のがんばりだけで全て解決できるようなものではありません。
そして現実の生活に適応できず、ネットに逃避し、依存していて
依存度が高い子どもの場合は、禁止されるほど依存が強くなることもあります。

子どもにいろいろ聞いても思春期の子供は
親に本当のことを話したりはしません。
それをしつこく問い詰めたり叱責すれば
子どもは逃げ場がなくなるので、ますます心を閉ざしてしまいます。
そういう場合は、子どもの表情やしゃべり方や動作で
子どもの気持ちを推察して、追い詰めないことが大事です。

親が子供に自然な笑顔を見せることで
優しい言葉をかけてあげることで
子どもにとって家庭が居心地のいい場所になり
子どもの気持ちのあり様も
少しづつ違ってくることもあるかもしれません。

それはただの甘やかしになるのではないかと
思われる方もあるかもしれませんが
後藤惠先生の「動機づけ」のお話の時に
「人間は依存するものだ。依存は悪いことではない」という前提で
「それでも人間同士はお互い様という関係が理想」なのだと言われました。
親子でも、親だけが一方的に子どもに献身する
子どもはそれに依存するという関係性
あるいはその逆というのではなく
最終的には、お互いが相手に望んでいることをなるべく実現できるように
根気よく話し合い、努力し合って
最終的にはハーフハーフの関係を構築することが
親子のみならずすべての人間関係の理想ではあるのだろうと思います。
「親になる」「親である」ということには
とても多くのものが求められているなと、改めて思います。

と相変わらず最後は具体性に乏しい話ですみません。





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「完璧」と「理想」の落とし穴

2015-04-19 15:14:27 | 社会・生活
またかいと言われそうですが、先日
「ゴーン・ガール」という映画を観ました。
単純に監督さんが「セブン」とか「ソーシャル・ネットワーク」で
私の好きなデヴィッド・フンチャーで
音楽が、これまた大好きなトレント・レズナーという
ただそれだけの理由でした。

幸福な結婚生活を送っているように見えた
ニック・ダンとエイミーの夫婦。
けれど5回目の結婚記念日に、妻のエイミーが失踪する。
夫への疑惑と、夫妻をめぐって加熱する報道。
果たして真相は……

とまあそんな感じの映画なのですが
ミステリーだと思って正直に観ると、ことごとく裏切られますし
観終わったあとも、すっきり解決、めでたしめでたしという
気分には絶対になりません。

そもそもヒロインのエイミーという女性は
児童文学作家の両親が書いた
「アメイジング・エイミー」というベストセラーの
主人公エイミーのモデルにされていました。
そして物語の中のエイミーは、才能あふれる完璧な女の子で
本当のエイミーは
親が作り上げたこの完璧なエイミーの呪縛を背負って
リアルな人生を生きている感じがします。

完璧な恋愛、そして結婚。
理想の夫、理想の妻、そして理想の家族。
エイミーは夫のせいで、自分のその理想が壊されたことに激怒し
夫に対する復讐を試み、紆余曲折がありながらも
結局あり得ない方法で自分の望むものを手に入れます。

この映画には、男と女の支配関係や
「見せかけの自分」と「本当の自分」という人間の二面性や
第三者の目に映る幸福や不幸というような
それはもう様々なテーマが織り込まれています。
全部言及したら、とんでもなく長くなるのでそれは止めます。

映画の最後で、エミリーは
マスコミを通して世間を味方につけ
彼女が望んだ「理想の家族」を手に入れるのですが
それを観ている人間には
何ともいえない虚しさと、後味の悪さだけが残ります。

例えば、うちの場合でも
私が「こうあってほしい」というダンナへの理想と
現実は大きく隔たっていました。
特に子育てをしていた時期は、仕事と家事とで手一杯の私は
ギャンブルのことで頭が一杯に見えるダンナに
いつも苛立ち、人間的に心の底から軽蔑してもいました。


けれど夫婦にしても、親子にしても、職場の人間関係にしても
自分が描く「理想」や「完璧さ」とは違って当然なのでしょうし
視点を変えて、相手の側に立ってみれば
相手も自分に対して、同様の失望を抱いているのかも知れません。
ひとりひとりがまったく違う人間だから
所詮相手を自分が望むようにすることは無理なのです。
自分もまた相手が望む人間になることはできません。
何をどう、どこまで妥協し、折り合いをつけるかなのだと思います。


日本のように、世の中が平和で一定の豊かさが保障されている社会では
次第に「理想」や「完璧さ」のハードルが高くなって
「幸福」のイメージも固定化し、均一化していきます。
その一方で、そうした社会や人間関係に適応できず
生きづらさを感じると思う人の割合が増えていきます。
「ゴーン・ガール」に描かれた親子や夫婦の姿も
けして他人事ではありません。

両親から、完璧を要求され続け
世間が認める理想の幸福を
「それはないやろう」というような力技でもぎ取った
エイミーの生き様に、得体の知れない違和感や気味の悪さを感じるなら
自分にとって「理想」とは何か、「完璧」とは何なのか
それはただの自己満足なひとりよがりではないのかを
改めて考えることのできる映画であるとは言えるかもしれません。

ただ私の大好きな、思わず笑ってしまうくらい
やり過ぎ感満載の映画なので
世間一般の常識を超えるものを許容できない方には
無理にお勧めはしません。



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ジャパンマック福岡第2回ステップセミナーがあります

2015-04-12 14:00:25 | 依存症
依存症からの回復体験講演

「ジャパンマック福岡 第2回ステップセミナー」があります。

 日時  4月19日(日) 10時から16時

 会場 福岡市民福祉プラザ 6階 601研修室
     福岡市中央区荒戸3-3-39

 
 <ゲストスピーカー>

    倉光病院 副院長 上村敬一先生

    福岡市就労自立支援センター 
       センター長 安達一徳氏
    
  上記お二人の講演と、依存症の回復体験談

  参加費無料、事前の申し込みは不要


前々回 3グループ合同のセミナーに参加した時に
講師の、リカバリーダイナミクス(回復のためのプログラム)の
プロバイダーの方が、すごく分かりやすいたとえ話をされました。

「洗濯をしなければならないのに、洗剤が切れていた。
それでスーパーへ洗剤を買いにいったが
種類がたくさんあって、どれがいいか分からない。

それで、取りあえずTVでCMしていた洗剤を買っていったら
それが案外よかった。12ステップを用いて
依存症から回復するというのも、それに似ています」
というようなお話でした。

このたとえ話が意味するところは
依存症の人が、依存から回復するためや
巻き込まれた家族が、依存の問題から解放されるためには
何をすればいいのか、どうすれば回復できるのか分からない。

12ステップが何で、ミーティングに参加することで
本当に回復できるかどうかも分からないのだけれど
でもやってみたら、案外うまくいくことがあるかもしれない。

アルコールやギャンブル、薬物の依存症の場合は
なにもせずに回復することはないのだから
やってみる価値はあるという、そういうことだと思います。

また最近では、依存者本人をどうにかしようとすることよりも
まずは家族の回復ということに重点が置かれるようになってきました。
何年も、家族の依存の問題に悩まされ
自分一人で抱え込んで「もうどうすればいいか分からない」という方は
とにかくこうしたセミナーやミーティングに足を運んで
いろんな人の話を聞いてみてください。
そこには、同じ悩みを抱えた仲間もいて
分からないことがあれば
例えば借金などの問題でも教えてくれる人たちがいます。

いつも偉そうにいろいろ書いていますが
私自身は引きこもりなので
なかなかミーティングなどには参加できずにいます。
ですからせめてものことに、こうしたセミナーには参加して
今まで多くの方のお話を聞きましたが
その都度学んだことがたくさんあります。

この前参加した依存症への支援者のためのセミナーでは
薬物依存症からの回復施設ダルクの施設長さんのお話がありました。
施設長さん自身がかつては薬物が原因で
刑務所に入ったりしたこともある経験を話され
何度も何度も挫折を繰り返したけれども、
今は、自分と同じ薬物依存症に苦しむ仲間の回復を支える
仕事をしている。
そういう方を目の当たりにすることで
どんな状況であっても回復することはできると実感できます。

「このままでは自分の人生は本当にだめになってしまう。
けれど今からやり直すことなんかできるはずがない」
と考えている依存者本人にとっても
「何をしてもだめだ。もう自分にはできることがない」と
絶望している家族にとっても
現実に回復を続けている人に出会えるのは、大きな希望なのです。

私自身も、ダンナのギャンブルと借金に悩まされて
悪いことばかり想像して心身ともに
ヘトヘトになっていた頃からしたら
格段に視野が広がり、依存症の捉え方も変わってきました。

ダンナは、ギャンブルをやりたいという気持ちがなくなったのは
借金がなくなったことが一番大きいと話しました。
それともう一つは、二人で任意整理の手続きに取り組んだ時に
私に対して本当に悪いことをしたと気づいたらしいです。
ダンナは、自分の気持ちを上手に話せるタイプではないので
その辺は、ちゃんと言葉にできたわけではなく
何となくそんな感じかなぁと思ったのですが。

とにかく何もしないよりは、可能性があるなら
やってみたほうがいい、それでうまくいくこともある。
それは本当なのだと思います。






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青少年のスマホの利用に対する大人の責任

2015-04-05 11:19:08 | ネット依存症
今日ヤフーのニュースに次のような記事が出ました。

「スマホやめますか、それとも信大生やめますか」

4日の信州大学の入学式で、山沢清人学長が8学部の新入生約2千人に
こう迫られたのだそうです。
そして記事は次のように続いています。

「山沢学長は、昨今の若者世代がスマートフォン偏重や依存症になっている風潮を憂慮。
「スイッチを切って本を読み、友だちと話し、自分で考える習慣をつけ、物事を根本から
考えて全力で行動することが独創性豊かな学生を育てる」と語りかけた」

まさに、と言う感じです。社会的に影響力のある立場の方が
こういう風に、はっきりと警鐘を鳴らしてくださるのはとてもいいことです。
それもこれも、せっかく一生懸命に受験勉強をして、希望の大学に入学できたのに
スマホ依存になり、勉強や、有意義な人間関係がおろそかになって
将来をだめにしてしまう学生が、信州大学のような国立の大学でも
増えてきているからではないかと思います。

一方、統一地方選挙が始まって、あいも変わらず
時代錯誤で迷惑極まりない大音量の選挙カーが走り回っていますが
「子育て支援」とか「子どもたちの明るい未来」とかいった
何一つ具体性のない抽象的なスローガンを叫ぶ候補者はいても
「地域で子どもたちのスマホや携帯使用を規制してはどうか」
といった、今の時代の問題に沿った具体的な提案をしてくれるような
候補者はおそらく今回も現れないのでしょう。

ギャンブルにしてもそうですが、様々な業界の利権が、とんでもなく複雑に
絡みあっていますから、法的に罰則や拘束力のある規制を作るのは
たぶん無理なのだろうと思います。
けれど、問題は青少年に関わることですから
何もせず、放置しておいていいわけがありません。
声を上げる、問題提起する、実現可能な対策を考える
これは大人の責任だと思います。
とはいっても、スマホをめぐる問題は
親と子どもだけで解決できることばかりではありません。

子どもがスマホの何にハマっているのかによって違いますが
Lineのようなコミュニケーションツールで
学校の友人とのやり取りが、度が過ぎているというような場合は
わが子だけ禁止するのは難しいし、それで他の問題も生じますから
親たちや先生、政治家といった大人たちがちゃんと介入して
クラス単位、学校単位、あるいは市町村単位で
少なくとも、小中学生については、夜間の利用を止めようといった
呼びかけや働きかけを根気よく続けていくなどの対策が必要だと思います。
少数ではありますが、そういう取り組みを始めた自治体もあるのです。

今日はもう一つこんなニュースもありました。


東京都の調査で、子どものスマートフォン(スマホ)の依存に6割が
不安を抱えているというものです。

「昨年12月の、小4から高3の保護者を対象の調査で、
スマホか携帯電話をもつ子どものうち
スマホをもっている割合は全体で52・8%。
小学生17・2%、中学生54・8%、高校生86・2%だった。
また、そのうちの約4割はフィルタリングなどの有害サイト対策を
していなかった」

ろくに社会経験もなく、世の中のことを何も知らない小学生や
中学生が、LineやSNSや、その他のインターネットで
どこの誰とも分からない人間と関わることの危険性
住所や名前、電話番号といった個人情報を扱う時の注意
オンラインゲームとお金の問題
更に、何でもありのネットの世界で、何が有害なのか
そうしたことに、まずは親自身が
子どもを納得させられるだけのちゃんとした知識と
それについての親としての意見を持って子どもと向き合い
根気よく、スマホ利用のルールを作っていく努力が必要です。

やみくもに「危ないからダメ」では
インターネットなんかにだけは、妙に精通している
今どきの子どもには太刀打ちはできません。
私は「フェイスブックは実名でしか登録できないのか」に興味があって
やってみたら実名でなくてもできました。
(意味がないのですぐ解除しましたが)
実名かどうかをチェックする機能はないのです。
このように実はネットの世界というのはあまり信憑性がありません。

新年度ということで、スマホデビューしたお子さんも多いでしょうが
とにかく最初が肝心ということは、すでに色んなところで言われています。
親の責任、大人の責任というのは、
「あれはダメ、これはダメ、ああしなさい、こうしなさい」と
口やかましくガミガミ言うことではないと思います。
なぜそれがダメなのか、なぜそれをやったほうが良いのかといった
子どもが知らないことを、子どもが理解できる言葉で
きちんと教えてあげることなのだと思います。

先日TVであるお母さんが、息子さんが親を拒否し始めたのが
5年生くらいからと言っておられるのを聞いて
私は自分の子どもが親離れしたと実感したのは
中学に入った時でしたから、少し驚きました。

最近の子どもたちは、それこそネットやら、友だちやらの影響で
一部分だけ、何かいびつに大人になっている傾向がありますから
そうして背伸びをする時期も早まっているのかもしれません。
ですから親もうかうかとはしていられないのです。

私は、ある意味放任主義な子育てをしましたが
それでも、ここ一番というところは
子どもに迎合する必要はないと思っていますし
子どもになめられない程度には
親もがんばらなくてはいけないと考えています。

指図や指示をするだけで、親自身が無知だったら
子どもが納得するはずも、言うことを聞くはずもありません。
さらに親の生き方や考え方が言ってることと違う場合も
子どもにはすぐに見抜かれます。
反抗するだけならまだしも軽蔑されたりしたら終わりです。

子どもに何かを望む前に、まずは自分の生き方が
考え方と一致していることのほうが重要です。
子育てをしていた頃、なりての少ない地域の役員を
十年以上やっていました。
学校の役員さんをやる人は、まあまあいるのですが
見返りの少ない地域の委員はみんなが敬遠します。
でも親が「やりたくないことはやらない」という考えでは
子どもに「やりたくないことでも、やらなければいけないことは
世の中にはたくさんある」と言うことはできません。

理想主義なんていう美しいものではなく
「何も自分がそれをしなくても」というほうへばかり
敢えて飛び込んでいきますから、ある意味無茶苦茶です。

スポーツにまったく何の知識も興味もないのに
引き受け手のない体育委員をやった時は
婦人バレーのルールの説明会に行って
「アタックって何ですか」と質問したら
会場にいた人がみんな信じられないとばかりに私の顔を見て
一人が「あなた、どこの町内の人?」と聞かれ
後々までの語り草になったりもしました。

それならそうで、ママさんバレーとかやってる人が
率先して引き受けてくれればよいのですが
誰もやらないから引き受けたわけですから
文句を言われる筋合いはありません。
「私でだめだというなら、そう言う
あなたがやるべきでしょう」と
売られたケンカは喜んで買います。

子どもたちが私の行動に何となく不安を感じるのは
その辺りがトラウマになっているのかもしれません。
でもそれを反面教師にしてくれて、
何事にも冷静に、理性的に人生を生きてくれるなら
それはそれで願ってもないことではあります。




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