癌と生きる 依存症と生きる

命がある限り希望を持つということ

通院日そして今思うことなど

2015-03-28 10:41:11 | 癌のこと
今週の火曜日は通院日でした。
前回もダンナが仕事で、車では行けなかったので
電車からバスと乗りついで行きましたが
車で行くと直線で行くのに、交通機関ではすごく迂回するのが
どうも理不尽な感じがして、お天気も良くなったことだし
今回は自転車で行ってみました。

30分くらいと予想していたら20分で着いてしまい
あんまり早くから行っても仕方がないので、ふらふらとブックオフへ。
伊藤計劃さんのブログで見かけた「太陽の塔」という本を
100円でゲットしました。その後病院へ。

実は最初の面談の時に、先生が「検査などはあまり頻繁には
しません」という意味のことを言われていて
これは緩和ケアという性格上
検査で変化が見つかったとしても
「あれをしましょう。これをしましょう」というわけではないし
私自身も、何か見つかったら見つかったで
家族や友人に心配をさせることになるので
本音は、なるべく検査を回避したかったのですが…。

当然その辺は家族にはバレていて
前回も「血液検査はしてもらった?」と突っ込まれました。
「いや、あの…ごにょごにょ。この次はしてもらうから」と約束してしまったので
おそるおそる先生に「あのお、家族が血液検査をしてもらえと」と言ったら
先生笑って「子どもさんが心配されてるんでしょう」と。
さすが先生、分かってらっしゃる!

ただ今度の病院は、前のところのような設備がないので
検査の結果は、次回の診察日、一ヶ月後ということでした。
もうそれで全然O.Kです。

告知されたのは一年前ですが、前にも書いたように
最初に腫瘍に気付いたのはおととしの5月で
もしその時点で、いわゆる抗がん剤、放射線といった標準治療を受けた場合
私の、ステージⅣの乳がん、手術不能、遠隔転移ありの症状での
生存期間中央値(100人がその治療を受けて半数の人が生きている期間)は
およそ2年なのだそうです。

私の場合はあと2か月でそのラインになります。
自分の病気については、のんきなことばかり書いているみたいですが
それは病気を楽観視しているというのとは少し違います。
事実は事実として認識しています。
けれどこの生存期間中央値と言われるものも
たとえば乳がんステージⅣでの5年生存率20数パーセントというのも
すべて確率であって、ひとりひとりの可能性を保証するものではありません。

ですから告知をされてからの私に見えているのは
せいぜい3か月、長くても半年先くらいまでですが
それも病気の性格上確実ではないこともわかっています。

前のブログで引用したエミリー・ブロンテの詩の最後にある

  何ものにも囚われない一人の人間として、勇気をもって
  生に堪え、死に堪えてゆく、ということだけだ

エミリー・ブロンテはお世辞にも恵まれた境遇ではありませんでしたが
作品の中では、すべての常識的なもの、キリスト教すらも否定し
「何ものにも囚われない一人の人間」でありたいと願い続けます。
そして魂の自由を求めることにかけては
ほとんど暴力的で破壊的でさえあります。
いじましく幸福や救いを求めたりするのではなく
勇気を持って堪えるために闘うのです。

ですから「嵐が丘」という小説は、恋愛小説としてもとても特異で
主人公たちの論理はめちゃくちゃで、ほとんど破綻していますから
万人に理解され評価される小説ではないかもしれませんが
私なんかはそこにものすごく魅力を感じます。

「生に堪え」とは、必ずしも辛いこと、悲しいことを
ぐちぐち、じぐじぐと我慢するという
受け身な生き方ではありません。

人は幸せなこと、嬉しいこともすべて含めて
生きることそれ自体の重さに堪えていくものであり
同じように、全ての命あるものが逃れることはできない
死の現実を見据えて生きる。
自分の魂が自由であれば
それができるということなのだろうと理解しています。

私は今までの人生の中で
世の中にたくさんある既成の宗教に魅力を感じたことも
強く共感したこともない人間ですが
この詩が訴えるような、ある宗教的なイメージは分かります。
そしてこの詩の意味するところが理解できたなら
人間は依存症なんかにはならずに生きていけるような気がするのです。




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告知から一年が経ちました

2015-03-20 15:28:03 | 癌のこと
告知からほぼ一年が経ちました。
自分の体が、一年前とまったく同じかというと
さすがにそれはないような気がします。

左胸の患部は、やはり少しづつ腫瘍が大きくなっていますし
内臓のほうも、転移したのが肝臓ですから
今でも特に自覚するような、痛みなどの症状はないのですが
中で何かが蠢いているような感じはあります。
どうも「悪性新生物」というネーミングがよくないのかも知れません。

これから、いつまでにどうなっていくというのも
手術不能のステージⅣで、ホルモン剤の治療だけの場合は
いわゆるエビデンスがないので、まったく分かりません。

ただ、実は去年ガンを告知されて仕事を辞めるまでは
少し大きな露店の八百屋さんで働いていました。
朝は、ビールのコンテナケースと板で
商品を並べる台を作るところから始まり
夕方になると、全部解体して更地に戻すという
まさにガテン系の仕事で、夏は40度近い炎天の中
冬は零度近い極寒で、一日9時間近く働くという状況で
15年間働いていました。

何でそこかというと、お店が開くのが週に3日だけで
残りの4日で、他の仕事と掛け持ちをすることができたからです。
ほか弁でパートしたり、スーパーでマネキンやったり
多い時は仕事を3つ掛け持ちした時期もありました。

最後の1,2年は、年末の繁忙期などは、一日の仕事が終わって
帰る頃になると、幻覚が見えるくらい疲れるようになっていて
それはまあ病気のせいも若干はあったのかもしれません。
そうして仕事をしていた時期からすれば
結婚後ほぼ初めて専業主婦をしている今は
やることが家事だけなので、罪悪感を感じるくらい楽なもので
いったい自分の体が今どうなっているのかが良くわかりません。

先のことが分からないので、今のうちにやれることをやっておこうとしたら
だんだんやることが増えてきて
終活どころか、最後は何もかもとっちらかったまま
終わりそうですが、まあそれならそれでもいいかと思っています。
「自分の身の丈に余ることを、何やらかにやら
山ほど抱え込んでたから、結局こうなるんだよな」と
私のことを理解してくれる家族や友人は笑って許してくれると思います。

というわけで、今週は、あるサイトでホラー小説の賞を募集しているのを知って
せっせと、それにエントリーするホラーを書いていました。
今さらプロになろうなどという野心も才能も、おまけに時間もありませんが
私はずっと社会の最底辺で生きてきた人間で
しかもギャンブル依存症という、わけのわからない病気に翻弄された人間ですから
それを助長してきた何者かに対する怒りはものすごくあります。

このところ、史上最高のベースアップがニュースになっていますが
正直「どこの星の話?」という感じです。
あれに共感できる人が、中小零細企業で働く人が全体の98%という
今の日本にそんなにたくさんいるのでしょうか。
というわけで、そんな社会に一矢報いるには
化けて出るしかないという信念を持って、ホラーを書き続けています。
ただし私自身は化けて出るつもりは毛頭ありません。
今度こそルナと一緒にゆっくりと眠れますから
願ってもない幸せです。

ダンナの借金や生活費に追われて、死に物狂いで働いていた頃に
たまに「死ぬ前に半年、いや三ヶ月でもいいからモノ書きだけして
暮らせないかな。でも絶対無理やろうな」という夢を見ていましたが
取りあえずガンになったおかげで、その夢の生活が実現しました。

そして以前は、ネットで小説を書いていることに批判的だった
子どもたちが、応援までとはいかないまでも、認めてくれるようになったのも
私にはとても嬉しいことです。

私が思春期の頃に出会って、私にとっては恋愛小説のバイブルともいえる
「嵐が丘」の作者エミリー・ブロンテの詩です。



  富なんてものは問題にもならない、
  恋だって、考えただけで吹き出したくなる
  なるほど、名誉欲か? そういえば、昔夢見たこともあったが、
  日が射すと忽ち消える朝露みたいなものだった

  もし私が祈るとすれば、自然に
  口をついて出る祈りはたった一つの祈りだ。
  「今の私の心をこのままそっとしておいてくれ、
  そして、ただ自由を私に与えてくれ」という祈りだ

  -光陰矢の如しで、どうやら私の
  終わりも近い、そこで私が求めるものは、ただ、

  何ものにも囚われない一人の人間として、勇気をもって、
  生に堪え、死に堪えてゆく、ということだけだ

  <訳詩 平井正穂 岩波文庫「イギリス名詩選」より>


何十年経っても自分の原点にあるものは変わらないなと思います。
エミリー・ブロンテは、病弱で内向的で
とても恵まれていたとは言いがたい境遇で
しかもわずか30年の人生でしたが
その作品にはものすごく強い情念が込められています。

完成した小説は「嵐が丘」一作だけですが
自分が思うものを見事に形にできたことで
私には不幸な生涯だったとは思えません。
「どんなに辛い境遇であっても求めるのはただ一つ
自分の魂が自由であること」
私には傑作を書くことなんか到底できませんが
彼女の言葉には、自分の理想と思う生き方と共通するものがあって
だからこそ強く魅かれるのだろうと思います。


余談ですが、「ハゲタカ」というドラマのエンディングで流れた
曲はこのエミリー・ブロンテの詩に曲をつけたものだということを
つい最近知りました。
自分の好きなものというのは、こうして知らないうちに
つながっていくのが不思議です。





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4回目の3・11に思うこと

2015-03-13 10:59:24 | 社会・生活
東日本大震災と福島の原発事故から4年が過ぎた。

報道によれば、避難生活をしている方が、約22万9千人
このうち半数以上の11万9千人が、福島県からの避難で
仮設住宅で生活されている方が8万人を超えていることを
改めて報道で知る。けれどそこで示されたのは数字だけで
一人一人の方が、今どういう思いで生きておられるのかまでは
知ることができない。

先日ケーブルで2013年に放送された「オリンピックの身代金」
というドラマを観た。

秋田から出稼ぎして、東京オリンピックの工事現場で働いていた
東大生の島崎国男の兄が死ぬ。

兄の死に疑問を感じた島崎は、兄が働いていた現場で自分も働き始める。
オリンピックの開催に間に合わせるために、1日16時間という
過酷な労働を強いられ、その疲労感を紛らわせるために
労働者たちはヒロポンを打つ。そしてそんな労働者たちを
イカサマ賭博に引きずり込み、あるいはヒロポンを売りつけて
彼らが稼いだわずかな賃金を巻き上げる裏社会までが絡む。

兄の本当の死因が、ヒロポンの過剰摂取だったことを知り
さらに労働者を取り巻く悲惨な現状を知った島崎は
「オリンピックの会場に爆弾をしかける」と脅迫して
国から8千万円の身代金を奪取する計画を立てる。

私はこのドラマで、今まで知らなかったたくさんのことを知った。

ドラマの背景になっているのは昭和39年。
東京オリンピックが開催された年。私は小学校の3年生だった。
けして贅沢な暮らしではなかったが、福岡の町は
戦後の混乱や破壊的な状況からはほぼ回復していて
そこで私は普通の生活をしていたから
戦後の日本の復興のシンボルとして華やかに開催され、
日本に、世界に報道され、映画にもなった東京オリンピックの裏側に
そうした現実があったことをまったく知らず
知らないまま半世紀を生きてきた。

「えぇ、それはただの小説、フィクションじゃないの」と
思われる方もおられるかもしれないが
先日原発事故で避難区域に指定されている富岡町の男性が
「このあたりは農村で、農家の人間は冬は出稼ぎにいかなければならなかった。
それが町に原発ができたことで雇用が生まれた」という話をされていた。
終戦から70年が過ぎたが、何も変わってはいない。
地方の人たちが、自分たちの生活と命をかけて
この国の発展を下支えしている状況は、
形を変えながらずっと続いているのだなと改めて思う。
だから物語とまったく同じことがあったとは言えないにせよ
これに近い状況が存在したことは否定できないのではないかと思う。

ドラマの中で、警察の偉い人が言う。
「東京が豊かになれば、地方だってだんだん豊かになっていく」
これもまた最近よく耳にする話だ。
「全国津々浦々まで、景気がよくなったという実感をお届けする」
やっぱり何一つ変わってはいないと思う。
バブルの狂騒も恩恵も、その後の変化も
地方都市で暮らし、中小零細の企業で働く私たちには
どんな実感もないままに過ぎた。
まして地方で、農業や漁業などに携わってこられた人たちの日常は
数十年前から何一つ変わってはいないのだろうと思う。
いや、むしろ悪くなることはあっても良くなっているようには
思えないというのが正直な気持ちかもしれない。

「オリンピックの身代金」は、日本の、国際社会への復活を象徴する
華やかな東京オリンピック開催の陰で
300人の出稼ぎの労働者が亡くなったと語る。
その両者の価値を天秤にかけたら、人の命はちりのように軽い。

それが国家というシステムの真実で
それを私たちがどうにかすることはできない。
だから島崎は、孤独なテロリストの道を選んだ。
フィクションだったらそれもありだろうけど
現実社会では、なかなかそういうわけにはいかない。

けれど無力な私たちにも、ひとつだけできることがある。
東京で行われた慰霊祭で、一人の若い女性が
言葉にすることも難しいような過酷な体験を語られた。
聞いていて胸が苦しくなるような真実の言葉だった。

未だ避難生活をされている人たちや
震災以前の生活に戻ることができずに
大変な苦労をされている方は
自分や自分の家族の今を、今どんな生活をしているのか
どんな悩みや苦しみ、悲しみ、あるいは喜びがあるのかを
どんなにたどたどしくてもいいから、自分たちの言葉で語ってほしい。
幸いネット社会になって
TVのインタビューで取り上げられなくても
自分たちの思いを社会に発信できる場所はある。

TVで報道された「3・11」に違和感を感じた人たちは
特に当事者であれば、かなり多いのではないかと思う。
けれど沈黙すれば、誰も事実を知ることはできない。
すべてはなかったことになってしまう。

声高に批判や攻撃をする必要はないのだと思う。
私は、ギャンブル依存症の家族と向き合って生き
何度か際どいラインをくぐってきた人間として、最近そう思うのだ。
この社会の仕組みやあり方を変えることは多分できない。
けれど、私たちの悲しみも苦しみも、事実は事実としてある。

その事実を言葉にして残せば、誰かに知ってもらうことができる。
どんなに高名な識者や著名人がたくさんのコメントを積み上げても
事実は当事者にしか語れない。
そして、それはまた、今自分が生きていることの
一つの証でもあるのだ。

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高村薫さんの小説

2015-03-07 09:28:14 | 社会・生活
伊藤計劃さんの小説に出会ったのは3年前ですが
こちらはもう20年近い付き合いになります。
まさに真打ち登場という感じです。

子育てをしていた頃には、私と子どもたちの本を合わせると
古いアパートの部屋に1000冊を超える本がありました。
それを子どもの成長や、自分の好みの変化に応じて
何度か大幅に処分しました。

それでも去年の引越しの時点で200冊くらい残っていました。
今回は整理とか処分とかではなく
文字通り断舎利ですから、最初は人生の残り時間を考えたら
高村薫さんと伊藤計劃さんだけでもいいかなと思いましたが
これまたあまり大ざっぱにやると、後で後悔しそうなので
50冊ほどを厳選しました。

ある作者さんで好きな作品が1、2冊あるというのは
たくさんあるのですが、ほぼ全作品を読んだというのは
結婚後は高村薫さんと伊藤計劃さんだけです。

ただ高村薫さんの作品は、自分ののめりこみ方が半端ではなく
言及し始めたらとめどがなくなりそうなので
今までほとんど感想を書いたことがありません。
もしも高村薫の小説を分かろうとするなら
自分で全部読むしかないようなところがあります。

特に「晴子情歌」以降の作品
青森出身の自民党代議士福澤榮の一家を描いた三部作では
それぞれ「晴子情歌」では母と息子、そして愛について
「新リア王」では父と息子、そして政治と宗教(主に仏教)について
「太陽を曳く馬」では芸術と、これまた宗教が語られ
その後に書かれた「冷血」では罪の問題が取り上げられています。

これらの作品に掲げられた大きなテーマへの答えがあるか
と言われたら、残念ながらありません。
三部作に登場する福澤彰之と、「マークスの山」以降
高村作品で、語りの主体である刑事の合田雄一郎の二人は
作家高村薫の思考の代弁者だと思いますが
合田刑事は「太陽を曳く馬」の終わり近くで
精神科の医師から「あなたの話を伺っていると、欲しいのは
答えではなくて、<分からない>という地平に留まることの
承認のように感じられる」と言われてしまいますし
同じく「太陽を曳く馬」で禅僧となった福澤彰之は言います。

「私の感性の経験や理性が答えることのできない何かを、
私自身が問いとして立て続けること、そのことだけなのだ」

この「問いとして立て続ける」ことが
つまり高村薫さんの小説の真髄なのだと私は理解しています。
残酷な事件、悲惨な事件が起きると
様々な人が外野席から色々な発言をしますが
それは実はどれも当事者の言葉ではありません。
しかし例えば「冷血」の中では、残虐非道な殺人を犯した
二人の犯人が、それぞれの思いを多くの言葉を費やして語りますが
それが真実かと言えば、それもまた不確かなのです。

人間とはこれほどにも不可解なものですが
その分からないことに問いを立て続けるという考え方に、私は強く共感します。
何千、何万の言葉を費やして「分からない」と言われたら
ほとんどの人は「そんなものに付き合っていられないよ」と思うかもしれません。

けれど言葉を用いて考えることをしない人間は
食って寝て、セックスして、争ってというただの動物に過ぎません。
他の小説ですが「言葉を失うことは思想を失うこと」を暗示しているものがあって
私は、今社会で起こっている様々な事件や問題の背景に
この「言葉の喪失」が大きく影響しているように思わます。

思想というほど難しいものでなくても
日々起こる出来事についても
無責任に垂れ流されるステレオタイプな答えや借り物のコメントで
間に合わせることは、楽ではあっても危険な気がするのです。

たとえどれほど未熟でも、自分の人生に起きてくる様々な事象に
自分がその時点で習得している知識と言葉で、自分なりの問いを立て続けること
それを教えてくれたのが、まさに高村薫さんの小説だったのだと思います。

若いころの私は本の虫でした。
自分が読んだ本で得た知識を自分の考えのように錯覚し
借り物に過ぎない人の言葉を自分の言葉として口にしていました。
けれど行動が伴わない頭でっかちのひとりよがりは
押し寄せてくる現実に立ち向かうのにはほとんど役には立ちません。

十九才から働いて、その後結婚子育てと、考えることよりも
まずは動くこと、働くことを最優先に生きてきましたが
家族という最小の人間関係でさえ
ただやみくもに動けばよいというものではなく
色々と考えなければならない場面は山ほどありました。

ダンナの依存症の問題のように
どれだけ調べて考えても
「これ」という納得のいく答のでないものもあります。
心とは何か、脳とは何か、言葉とは何か
何にしても少しでも本質を理解しようとすれば際限がありません。

しかも科学は進歩していますから
先日の「依存症は治らないは間違い」の話のように
新しい情報が出てきたりもします。
それが納得のいく話だったら
自分の考え方を修正したり、更新したりする必要もあります。

生きていれば遭遇するあらゆる問題について
「問いを立て続けること」「学ぶこと」「考えること」
それをたとえ未熟であっても、稚拙であっても「自分なりの言葉で表現すること」
高村薫さんの小説は、私にとってはそこから何か答えを得るためのものではなく
自分自身の生き方そのものの指針だと思います。






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依存症は治るのか治らないのか

2015-03-04 15:53:34 | 依存症
私がダンナの繰り返すギャンブルと借金に疲れ果てて
やっと「ギャンブル依存症」という病気の存在にたどりついた7年前には
「ギャンブル依存症は治らない」というのが定説でした。

そのことをダンナに話すと
ダンナは「自分で治してみせる」と言いました。
それを聞いた私は「この人は実は依存症というものが分かってないな」とは
思いましたが、そこで正論を並べてダンナを言い負かしても
多分表面的に「分かった」というだけで、納得するわけではないということは
予想できたので、ダンナの言葉を否定はしませんでした。

その後、セミナーなどに参加しましたが
GAのような自助グループでも、マックとかギヤマノンなどでも
依存症は回復はできるけど治らない
回復するためには依存しているものをやらないことが
唯一の回復の方法だという基本的な考え方は、どこも同じでした。

ところが最近「『依存症は治らない』は間違い」というタイトルを
ネットのニュースで見かけて、読んでみたら
久里浜医療センターの、精神科の河本先生が
「治らないという根拠は示されていない。安易な決め付けが
患者を追い込む」と話されていました。

実は私もこれまで散々「依存症は治らない」と書いてきましたが
その根拠となる、脳のメカニズムが
まだ完全に解明されていないことは知っています。
それともう一つ、依存症には実は色々段階があるのではないかと
いうことも何となく考えています。

例えばダンナの場合では、任意整理を始めてから
ギャンブルはやっていないというのは
たぶん嘘ではないんだろうと思います。
現実にギャンブルに使えるようなお金の余裕もないし
お金の出し入れは今のところは私が管理している状態でしたが
ギャンブルがやりたいという衝動に負けて
超えたらいけない一線を越える
つまり、ヤミ金や回りの人から借りるとか
会社のお金に手を出すということは起こらなかったので
例えば、ギャンブルをしたいから犯罪にまで手を出すという状態を
レベル10とすれば、レベル6とか7とか
そのくらいの感じなのかなと思えます。

これまで確かに依存症からの回復は
完全にやめられていれば100だけど
スリップしてしまえば振り出し、すなわちゼロ
というような捉え方がされていましたが
本当は、もう少し病気の進行の段階を細かく分けて
考えるほうが良いのではないかとは感じていました。

けれどなにしろ、特にギャンブル依存症などは
まだ病気だと認定されてもいない
そして、依存症に対応してもらえる医療機関自体
全国にほんのわずかという現状では
もっときめの細かい治療や回復の方法などは
望むべくもなかったわけです。

けれどネット依存、スマホ依存、ゲーム依存などが
若年層に急激な広がりを見せている現状では
「依存症は治らない」という考え方は
確かに、本人にも家族にもあまりにも酷というものです。

国と密接な関係がある医療機関の先生が
こういう見解を発表された背景には
カジノ解禁の是非とかいった含みもあるのかもしれませんが
加えてそのあたりの事情もあるような気がします。

けれど、だからと言って「『依存症は治らない』は間違い」と結論づける
書き方はあまりにも乱暴です。
これでは今まで、積極的に取り組もうとしなかった
国や医療機関に代わって、依存症者の回復を支えてきた
民間の回復機関や自助グループの人たちが言ってきたことが
嘘だという話にもなりかねません。

河本先生のお話に添って考えれば
「治っていると思われるケースもある」ということだと思います。
一番歴史の古いアルコール依存症のケースでは
10年間やめていても一度お酒を飲むと
元にもどってしまうという症例はたくさんあります。
衝動や渇望の強さという点からは
薬物依存症などは止めることがもの凄く困難です。

ですから何をもって「治った」と判断できるのか
その根拠も、今の時点では定かではありません。
もしも本当に「治す」ことのできるノウハウが見つかったということであれば
医療機関はもちろんですが、依存症者を援助されている関係者すべてと
一日も早くその情報を共有するべきだと思います。

私は、現在のところ治るか治らないかはまだ分かっていないと
いうのが一番正確なのだろうと思いますが
それではあまりにも不確かで、みんな困るので
強い警告の意味合いを込めて、敢えて
これまで「治らない」と書いてきました。
それくらい危機感を持って立ち向かわなければ
依存症の広がりを止めることはできないと思ったからです。

けれど、たとえばガンと同じように
ギャンブルを○年間止めることができて
他の依存対象へ移行するクロスアディクション(ガンで言えば転移ですね)
が起こらなければ完治ではないが寛解である
というような基準を設けるというのは
現在の、ゼロか100かという基準よりは
本人や家族にとっては、すこしハードルが低くなるので
必ずしも悪いことではないのかもしれません。








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