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癌と生きる 依存症と生きる

命がある限り希望を持つということ

依存と共依存

2010-05-18 13:25:21 | 依存症
随分前に共依存の問題については棚上げすると書いた。
ギャンブル依存症について書かれた書物の多くは
必ず依存と表裏の関係にある共依存に言及している。

共依存とは何か?


共依存者とは、自己自身に対する過小評価のために
他者に認められることによってしか満足を得られず、
そのために他者の好意を得ようとして自己犠牲的な
献身を強迫的に行なう傾向のある人のことであり、
またその献身は結局のところ、他者の好意を(ひい
ては他者自身を)コントロールしようという動機に
結び付いているために、結果としてその行動が自己
中心的、策略的なものになり、しだいにその他者と
の関係性から離脱できなくなるのである。(加藤篤志)

さらにWikipediaで引いてみると

共依存関係は、機能不全家族などで育った境界性人
格障害者が陥りやすい。また自分自身は健全であると
思っていても、他者を操作する被共依存者との共依存
関係を改善させるのは容易ではない。よって専門家の
アドバイスを受けるのが望ましい。

私は母親不在の欠損家庭で
しかも一人っ子で育っているので
こういう風に書かれると
まさにどんぴしゃだと思う。
他人の評価を異常に気にするがゆえに
争うこともできないし批判されることも恐れる。
他者との距離をうまく調整することもできない。
だから全部自分が我慢することで
全てを破綻させずにやっていこうとする。
それが良くないと言われても
他のやりようが分からないからどうしようもないのだ。

このところダンナの車の車検が目前に迫って
ローンが組めないので
会社が使ってる整備工場に頼み込んで
3回に分割して払うことになりそうなのだが
個人再生の支払い中でもあり
今の家計からさらに3万円を捻出するとなると…

本音は車を手放して自転車ででも通勤してほしい。
もともと自分がギャンブルにはまって
家の一軒も建つほどの金を
パチンコの機械の中に捨てたことが
こうなったすべての原因なのだから
自分が多少通勤のきつさを我慢して
家計の負担を減らそうというような主体性はない。
これも依存症の特性で自分にかかってくることは
なるべく知らん顔をしてぬらりくらりと回避する。

いつも思うが依存者のこの能天気ぶりは見事だ。
だから依存者の末路が自殺というのは極めて少ないと思う。
依存者の脳はとっくに自分の生き方を客観視して
自省するという機能を失っているのだ。
それなのに依存者を批判することは
共依存者に負い目を感じさせることで
コントロールすることになるからよくないと言われる。

この問題に首を突っ込みたくないというのは
依存と共依存を知識として知ればしるほど
一体何をどうすればいいのかさっぱりわからない
負の無限ループに迷いこんでいくからだ。
要はどっちも精神病でどっちも治らないということなんだろうと
最後は投げ出してしまうのだ。

他人のためにという生き方が精神障害だと結論されたら
マザーテレサもスー・チーさんもみんな共依存なんかいと突っ込みたくなる。
しかし数日前「敬虔な信仰」と「狂信」は同じものという文を見て
なるほどと思ったのだがつまりはそういうことなのだろうと思う。


三店方式とは何か

2010-05-10 17:00:35 | 依存症
パチンコ換金合法化の項で「三店方式」ということを書いた。
三店方式とは何か?
日本は刑法185条で賭博を禁じている。
にも関わらずパチンコで勝つと貰った景品を
店の裏の小窓みたいなところから差し入れて換金していることは
もしかしたら小学生だって知っている。

なぜあれが賭博行為にあたらないのか。以下はWikipediaからの引用

1.パチンコホールは客の出玉を特殊景品と交換する。
2.客が特殊景品を景品交換所に持参すると、古物商である景品交換所は
  特殊景品を現金で買い取る。
3.景品問屋が景品交換所から特殊景品を買い取り、ホールに卸す。

 ホール、景品交換所、集荷業者、卸業者と四店を経由する場合もあり
 この場合は「四店方式」という。

 景品交換所は、ホールとは別の法人が各都道府県の公安委員会に古物商の
許可を受けて営業する。これは風俗営業法第23条は遊技場営業者が「客に提
供した賞品を買い取ること」も禁止しているからである。よって三店方式に
より、あくまでホールが提供した「景品」をホールとは無関係な「古物商」
が買い取っているに過ぎないという建前にしているのである。これにより
パチンコ業界は違法性を逃れている。(引用ここまで)

つまりパチンコ屋の裏とかにあるあの小窓はパチンコ屋とは縁もゆかりもない
骨董屋で客はパチンコ屋で貰った景品をその骨董屋で売っているという、まさに
「何じゃ、そりゃあ?」な仕組みによって換金は違法とはみなされない。

パチンコ業界の監督官庁である警察庁、遊技機の仕様が適正であるかどうか
を調べる試験を行っている外郭団体の保安電子通信技術協会、さらに試験に
通過した機種を実際に営業に供して良いかどうかの検定を行う各都道府県の
公安委員会と、業界の生殺与奪の権を握る立場にあるのは警察である。保安
電子通信技術協会の会長がかつて警察庁長官であったり、そこの職員の1/3
を警察出身者が占めていることや、さらに某パチンコメーカーの常勤顧問が
警視総監経験者であったりとこうした裏の相関図を見れば、法律で禁止
することなどまず不可能とわかってはいたが、まさか一気に合法化という
正反対の流れになるとはさすがに予想していなかった。

私の戯言などしょせんごまめの歯ぎしりほどのインパクトもないのだが
依存症の家族を抱える人が自分が悪かったなどと思わないために。
家族のせいなどでは断じてないのですよ。
これはぎりぎり法に触れないところで
こんなとんでもないからくりを編み出して
庶民のお金をとことんむしりとって
自分たちのふところを肥え太らせている
たくさんの人間たちがいるのですよと今日も小さく歯ぎしりしてみるのだ。




ギャンブル依存に関する20の誤解

2010-05-05 10:17:05 | 依存症
2007年8月に帚木蓬生氏の小倉での講演の資料より
<ギャンブル依存に関する20の誤解>の抜粋です。

1.ギャンブル依存はまれな病気である

2.ギャンブル依存は行政が関与する余地はない

3.ギャンブル依存は弱い性格の人に生じる

4、ギャンブル依存は分別のある高齢者には生じにくい

5.ギャンブル依存は女性には生じにくい

6.ギャンブル依存者はどんなギャンブルも好きである

7.パチンコやスロットはギャンブルではない

8.時々ギャンブルしている分にはギャンブル依存症にはならない

9.ギャンブル依存者はプロのギャンブラーと紙一重である

10.ギャンブル狂いでも借金をしていなければまだ病気とはいえない

11.ギャンブルしていても仕事をきちんとしていれば病気とはいえない

12.ギャンブル依存者は生活に行き詰ると自殺しやすい

13.ギャンブル依存にはアルコールや薬物と違って離脱症状はない

14.ギャンブル依存は心の病いであり、脳内の生物学的変化はない

15.ギャンブル依存は意思をしっかり持つことで治る

16.ギャンブル依存は家族の対応次第でよくなる

17.ギャンブル依存には自然治癒がある

18.ギャンブル依存は、負債を尻拭いし誓約書を書かせれば治る

19.ギャンブル依存によく効く薬がある

20.ギャンブル依存は自助グループ(GA)に数回参加すれば治る

ギャンブル依存症という病気に対する認知度が極めて低いので
むしろこういう誤解のほうが一般的なのかもしれません。

要約すればギャンブル依存症は老若男女を問わず
誰でもがかかりうる病気で治癒することはないということ。

精神病ではなく脳の機能障害で
特に衝動を抑制する機能が働かない
つまりやりたい、行きたいという欲求を
コントロールすることができないという障害であること。

借金も嘘も様々な自己弁護も、
周囲の人間のことに思いをいたらせることができなくなる人間性の欠如も
全てはこの衝動を抑制できないがゆえに
そこから派生してくる症状であることというところでしょうか。

社会を憎むということ

2010-05-04 11:06:00 | 社会・生活
先日投稿した「out」の話題にも通じるところがあると思うが
今土曜日にNHKで放送されている
「チェイス~国税査察官~」のキャッチコピー
「あなたには社会を憎む権利がある」

先週天才脱税コンサルタントのARATAが
正義感、使命感に燃える査察官江口洋介にそう語りかけた。
真面目にこつこつやってきた人間が悲惨な目に会うことの理不尽さ。
これはその果てにあるひとつの答であり
私もそれを選択したのだと思った。

そんなのはただの八つ当たりだ、逆恨みだという批判も
怨みや憎しみにとらわれず
そういう負の感情から自由になって
自分のためにもっと有効に時間を使おうという正論も
ある程度は理解しているつもりだ。
それでもなお…
私はギャンブル依存症と言う病気を生み出した
社会の裏の構造とそこで多額の利益を得た人間たちを
ひたすら憎み続けている。

憎み続けた先にもちろん救いはない。
それでも誰かの不幸の上に誰かの幸福が築かれる
もっというなら多数の人間の不幸によって
少数の人間の幸福が支えられているような社会の有り様は
決定的に間違っていると思う。

今中国の経済発展の象徴として
華やかに開幕した上海万博。
中国では年収1000万元(約1500万円)以上の資産を持つ
富裕層が30万人以上いるが一方で年収5万円程度の貧困層が一億人を超える。
この数字の意味するものは何か。
中国製品の安さはつまりは労働者の極端な低賃金で支えられている。

中国は社会資本主義という固有の価値観を有する国であるがゆえに
明らかに個人の人権よりも国益が優先されている。
その中国製品が今世界の市場を席巻していることで
今まで自由資本主義という共通の理念の上に培われてきた
(というよりも労働者の長い労働運動の闘いの成果として獲得した)
労働者の権利をある程度は保障しながら働くという社会のありようが
根底から揺さぶられているのだと思う。

安価な中国製品と競合し生き残っていくためには
当然生産コストを同じようにさげなければ利益がでない。
それば流通の世界でも同様で
安い商品を売って利益を生むには人件費などのコストを下げるしかない。

今までのように利益が出たからといって労働者の福利厚生に充てるとか
給料を上げたりボーナスをだしたりして労働者に還元していては太刀打ちができない。
この現実が今個人の生活にダイレクトにはねかえってきているのだ。
決してリーマンショックやサブプライムローンだけの問題ではない。

しかし、それでも巨万の富を得る人間はいる。
現に数億円の相続税を追徴で払っても
痛くも痒くもない人間がこの日本という国のトップである現実こそが
それを如実に反映している。
この不条理を是正することはもはや神にだってできはしないだろう。
おそらくもうここまでくれば何が正しい、何が間違っている
というようなレベルの話でもないのだろう。
だからいいじゃないか、そういう社会を憎んだって。
誰かを傷つけたり殺したりさえしなければ。