週末に少し時間ができたので
ずっと観たかった映画「悪人」のDVDを観た。
福岡と佐賀の県境三瀬峠で起きた若い女性保険外交員の殺人事件。
出会い系サイトで知り合ったその女性をささいなきっかけで殺して
しまった長崎に住む土木作業員の清水祐一(妻夫木聡)。母親に捨てられ
祖父母に育てられた佑一は、祖父母の世話と仕事だけの毎日に鬱屈した思
いを抱いていた。殺人を犯して絶望する佑一の携帯に、これも出会い系
サイトでメールをやり取りした佐賀の女性光代(深津絵里)から突然
メールが送られてくる。ストーリーは、このどうしようもなく孤独な
男女の愛情と、破滅的な逃避行を主軸に展開するが、同時に殺人事件に
巻き込まれた加害者と被害者の身近な人々の深い悲しみを浮き彫りにする。
特に娘を殺された父親(柄本明)のセリフ。
「あんた、大切な人はおるね?その人の幸せな様子を思う
だけで、自分までうれしくなってくるような人たい。
おらん人間が多すぎるよ。今の世の中大切な人もおらん
人間が多すぎったい。大切な人がおらん人間は、なんでも
できると思い込む。自分には失うもんがなかっち、それで
自分が強うなった気になっとる」
これは父親が、女性が殺されるきっかけを作った裕福な大学生に
復讐しようとする直前に言ったことばなのだが、この父親は
結局その男にスパナを振り下ろすことをせずに立ち去る。
女性の両親は娘を愛し大事に育ててきたが
女性は「殺されても仕方がないような」と言われるような
嫌な人間になっている。
原作の小説は、福岡と長崎と佐賀の三県を舞台に展開する。
登場人物たちの心理には地方都市のどうしようもない閉塞感
豊かなもの、洗練されたものへの憧れや劣等感が
複雑に影を落としている。
「かけがえのない」ものを持てない人間
誰からも「かけがえがない」と思われたことのない人間
あるいはそういう相手がたとえ身近にいても
そのことに気づけない人間
そのすべてが悲しく、またそういう人間たちが
誰かを悲劇に巻き込んでしまうのはやりきれない。
映画の感想からは大きく逸脱するが
残念ながらつらつらとこんなことを書いてみても
ギャンブル依存症の人がこんなものを読んでくれるとは
とても思えないし、たとえ読んでくれたとしても
それでギャンブルを止めてくれるとも思えない。
もとより天涯孤独で、たとえ借金漬けになったあげく
腎臓や肝臓を抜かれて東南アジアの川に浮かんでいようが
どうしようが、それでも自分はギャンブルだけが
生きがいなんだという人は別にそれでもいいと思う。
しかし家族があり、家庭があって
自分以外の誰かの人生に対して
少しでも責任のある人は
できることならギャンブルにはかかわらないで欲しい。
依存症はたった一度の大勝ちした経験でもかかる
一生治ることのない脳の機能障害で
覚醒剤などの薬物の依存症とまったく同じものなのだ。
だから恋人でも、奥さんでも、ご主人でも、子どもたちでも
あるいは両親でも、兄弟でも
とにかく誰か一人でも自分の回りに、傷つけたくない
悲しい思いをさせたくないという人がいるならば
どうか安易な気持ちでギャンブルに手を出すのは止めてほしい。
それで得るものは何も無く
失うものはあまりにも大きいのだから。
ずっと観たかった映画「悪人」のDVDを観た。
福岡と佐賀の県境三瀬峠で起きた若い女性保険外交員の殺人事件。
出会い系サイトで知り合ったその女性をささいなきっかけで殺して
しまった長崎に住む土木作業員の清水祐一(妻夫木聡)。母親に捨てられ
祖父母に育てられた佑一は、祖父母の世話と仕事だけの毎日に鬱屈した思
いを抱いていた。殺人を犯して絶望する佑一の携帯に、これも出会い系
サイトでメールをやり取りした佐賀の女性光代(深津絵里)から突然
メールが送られてくる。ストーリーは、このどうしようもなく孤独な
男女の愛情と、破滅的な逃避行を主軸に展開するが、同時に殺人事件に
巻き込まれた加害者と被害者の身近な人々の深い悲しみを浮き彫りにする。
特に娘を殺された父親(柄本明)のセリフ。
「あんた、大切な人はおるね?その人の幸せな様子を思う
だけで、自分までうれしくなってくるような人たい。
おらん人間が多すぎるよ。今の世の中大切な人もおらん
人間が多すぎったい。大切な人がおらん人間は、なんでも
できると思い込む。自分には失うもんがなかっち、それで
自分が強うなった気になっとる」
これは父親が、女性が殺されるきっかけを作った裕福な大学生に
復讐しようとする直前に言ったことばなのだが、この父親は
結局その男にスパナを振り下ろすことをせずに立ち去る。
女性の両親は娘を愛し大事に育ててきたが
女性は「殺されても仕方がないような」と言われるような
嫌な人間になっている。
原作の小説は、福岡と長崎と佐賀の三県を舞台に展開する。
登場人物たちの心理には地方都市のどうしようもない閉塞感
豊かなもの、洗練されたものへの憧れや劣等感が
複雑に影を落としている。
「かけがえのない」ものを持てない人間
誰からも「かけがえがない」と思われたことのない人間
あるいはそういう相手がたとえ身近にいても
そのことに気づけない人間
そのすべてが悲しく、またそういう人間たちが
誰かを悲劇に巻き込んでしまうのはやりきれない。
映画の感想からは大きく逸脱するが
残念ながらつらつらとこんなことを書いてみても
ギャンブル依存症の人がこんなものを読んでくれるとは
とても思えないし、たとえ読んでくれたとしても
それでギャンブルを止めてくれるとも思えない。
もとより天涯孤独で、たとえ借金漬けになったあげく
腎臓や肝臓を抜かれて東南アジアの川に浮かんでいようが
どうしようが、それでも自分はギャンブルだけが
生きがいなんだという人は別にそれでもいいと思う。
しかし家族があり、家庭があって
自分以外の誰かの人生に対して
少しでも責任のある人は
できることならギャンブルにはかかわらないで欲しい。
依存症はたった一度の大勝ちした経験でもかかる
一生治ることのない脳の機能障害で
覚醒剤などの薬物の依存症とまったく同じものなのだ。
だから恋人でも、奥さんでも、ご主人でも、子どもたちでも
あるいは両親でも、兄弟でも
とにかく誰か一人でも自分の回りに、傷つけたくない
悲しい思いをさせたくないという人がいるならば
どうか安易な気持ちでギャンブルに手を出すのは止めてほしい。
それで得るものは何も無く
失うものはあまりにも大きいのだから。