癌と生きる 依存症と生きる

命がある限り希望を持つということ

変わり始めた依存症治療

2016-03-26 15:19:17 | 依存症
最初のクラフト勉強会で
1枚のプリントをいただきました。

そこに「治療者の禁句集」というのが書かれていて

「本人を連れてこなければ、治療はできません」
「酒を切ってから、受診してください」
「底つきを待つしかないですね」
「本人が止める気がなければどうしようもない」
「家族会に行ってください」
「家族も病気です」

私が、ダンナはギャンブル依存症だと分かって
本やネットでギャンブル依存症を治すにはどうすればいいかを
調べ始めた8年前は、上のようなアドバイスがほとんどでした。

当時ギャンブル依存症を治療してくれる施設はほとんどなく
ダンナはGAにはまったく関心を示さず
「借金の肩代わりはだめです」「尻ぬぐいはだめです」と言われ
あげくの果ては「尻ぬぐいをした家族は共依存という病気です」と
まさに踏んだり蹴ったりでした。

今クラフトの講師をされている先生は
長年アルコール依存症のケースワーカーをされている先生ですが
「わらにもすがるような思いでたどりついたご家族に
どうしようもないというようなことしか言えなかったことは
本当に辛かったです」と話されていました。

そこから、多くの方の努力によって
依存症治療の考え方が変化し
「禁句集」に見られるような形になってきているのだと思います。

実は今「物質使用障害治療プログラム SMARPP-24」の
テキストを2月に購入して、クラフトと並行してそちらも勉強しています。

これは国立精神・神経医療研究センターの松本俊彦先生のチームが
主に薬物依存症の患者さんを治療されている
臨床経験をもとに、幾度も改訂を加えて作られた
患者さん自身が、自分で読みながら質問の答を書き込むという
自分でやることができる治療プログラムのワークブックです。

ちょっと驚いたのは、このテキストは
小学校の高学年くらいでも理解できるくらいに
読みやすく分りやすい文章で書かれていて
しかもほとんどすべての漢字に振り仮名がつけてありました。

この本の前書きには、共著者の今村扶美先生が
次のように書かれています。

「SMARPPの中では、依存症は病気であり、治療が必要であり
たとえすぐに使用が止まらなかったとしても、何らかの支援
につながり続けていれば、ほんのわずかでもよい方向に近づ
いていくはず、というメッセージを繰り返し送っています」

とても穏やかな表現ですか、この柔らかな文章の中に
依存症という病気の本質と、もっとも新しい依存症治療の
方向性がまとめられていると思います。
特徴的なのは「たとえすぐに使用が止まらなかったとしても」
というところです。

以前は「止めなければ治らない」「たとえ10年止めていたと
しても一度でもやったら振り出しに戻る」という感じでした。

けれど「依存症は自分の意思ではどうにもならない病気」であり
覚悟とか決意とか、いわゆる「強い意志」と言われるようなもので
克服しようとしても、うまくいかないことが多いのです。

ですから、すぐには完全に止めることができないとか
一度は止めたのだけど、やってしまった(スリップ)ということがあっても
治療や支援をあきらめずに継続していくことが大切だということです。

私がギャンブル依存症を知り、この病気について勉強する過程で
何となく違和感を感じ続けた、依存症に対する考え方が
やっと納得のいくものになってきているように思います。

以前の説明では、あまりにもハードルが高く厳格だった部分は
ずっと受け入れやすくなりました。
それと共に、家族に対しても
以前は「あれはだめ、これはだめ」とやってはいけないことが
強調されていたので、家族は、自分に責任があると考えたり
何をすればよいのかわからなくなって
ただ沈黙してしまうという感じだったのが
クラフトのように、何をどうすればよいかを学ぶという考え方が出てきて
依存症の本人も、家族も、未来にいくばくかの希望を持つことができる
そういう方向性に変わってきているのだと思います。

けれど、裏を返せば、これは依存症からの回復は
アルコールやドラッグ、あるいはギャンブル漬けの人生よりも
それらを使用しない生活のほうが実りが多いと思える生き方ができるように
ゼロから少しづつ進んでいくという、時間もエネルギーも必要とされる
とても地道な作業なのだということです。

松本先生も繰り返し、日本の、依存症治療ができる医療機関、回復施設の不足や
人的な資源(専門的なカウンセラーなどの援助者)の少なさに言及されています。

このSMARPPを発行された目的のひとつも、援助者に高い専門性がなくても
患者と一緒にワークブックの読み合わせをするだけでも
それなりにグループセッションのファシリテーター(中立的な議事進行役)が
できるということのようです。

それでも、未だに国がギャンブル依存症を正式に病気とは認めていないために
対象になっているのがアルコールと薬物にとどまっているのは
とても残念なことではあります。
しかし、クラフトにしろSMARPP(スマープ)にしろ
同じ依存症ですから、ギャンブルでもネットでも
他の依存症でも参考にできるところはたくさんあります。


スマープの中でも、ドラッグと関連して
精神科の治療で用いられる睡眠薬や抗不安薬の依存性については
少しですが言及されています。
ぜひ早い時期に、ギャンブル依存症に対応できる
スマーププログラムの本を発行していただきたいと思います。

今のように社会がどんどん変化していく時代ですから
本当に人生何があるかわかりません。
知識や情報は決して邪魔になるものではありませんから
依存症についての様々なことを知って、お互いに情報を共有して
実生活に応用できることは応用していただけたらと願って止みません。





ランキングに参加してみました。よろしければクリックをお願いします!


にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 依存症へにほんブログ村


にほんブログ村 病気ブログ 乳がん ステージ3・4へにほんブログ村




家族の気持ち

2016-03-23 16:01:30 | 癌のこと
先週の火曜日は通院日でした。
乳がんステージ4の告知を受けてから丸2年になります。

告知を受けたのがおととし3月の中旬で
お彼岸を過ぎた頃に、職場の人たちに打ち明けました。
それからダンナに話し
その後長男と、珍しくお昼ごはんを食べながら
そこまでの経過を説明しました。

ダンナは、ギャンブルやら何やらありましたが
もともとは真面目で、気が小さいのだと思います。
比較的仕事のスケジュールが楽で
晩酌して、いい気分になったタイミングで
カミングアウトしましたが
予想通り「俺のせいだ」と激しく落ち込んでしまい
「いやいや、人間誰でも死ぬんやし、そら100人にひとりしか
死なんて言うんやったら、大変と思うのもわかるけど
別に私だけが特別というわけじゃないんだから」と
私のほうが、とんちんかんなフォローをするはめになってしまいました。

長男は、私の話を聞いて、言葉を失っていましたが
私が「抗がん剤とかの治療はしないよ」と言うと
「そんなことじゃないかと思った」と言ってくれました。
長男は長男なりに、私のある一面をよく理解してくれていると思いました。

ちょうどその頃、年末に結婚式を挙げた娘夫婦は
新婚旅行に行っていて
旅行から帰ってきて一息ついた頃に会いにいきました。
こちらも、もはや言葉もないという感じでしたが
精密検査の結果が近々出る話をすると
「家族も一緒に来てくださいって言われんやった?」と
厳しい口調で聞くので、しかたなく「言われたけど」とちっちゃな声で答えると
「やっぱり」と、かなり怒っていました。

告知から半年くらいは、娘からは病気に関することでは
こんな具合に結構きつい言いかたをされて
私は内心「もう少し優しく言ってくれても」と思いましたが
娘の「何かできることがあるのではないか」という苛立ちや
どうにもやり場のない気持ちが、ついそういう形で出てしまうのだというのは
十分過ぎるくらい分かりました。

緩和ケアへの転院を決めた時も
「病院変わるって言うから、よさそうなところを
探そうと思ってたら、またそうやって自分一人で
さっさと決めて!」とおかんむり。
でも私が、よほど困った顔をしていたのか
「怒ってるんやないよ。怒ってないからね」と言ってくれました。

告知から2年が過ぎて
今のところは、普通の生活ができているので
ダンナも、子どもたちも、なるべく病気のことは
考えないでおこうと思っているようなふしがあります。
私もそれでいいと思っています。
私にとっては、もう一年後、二年後の未来よりも
今日の一日が、かけがえがない、大切な時間です。

今という時間が、充実して心穏やかに過ごせることが幸せです。
娘は、機会あるたびにライブや映画に誘ってくれ
長男もですが、面白い本やマンガがあると
二人してせっせと持ってきてくれます。
家族には家族の思いがあり、不安も心配もありつつも
それでも、私の気持ちを十分理解してくれているように思います。

実は私の父は、明治36年の生まれで
終戦の直前に召集されて復員し、私は、父が50才の年に生まれました。
ですから小学校時代から、父と一緒に外出すると
よく人に「おじいちゃんですか」と聞かれました。

私は、かなり小さな頃から
「この人は、いずれ死ぬんだろうな」ということ
つまり「父親の死」というものを、なんとなく意識していたのだと思います。
相当に変わった人だったので、父のおかげで
子どもの頃から、何かと大変な思いをしたことも多かったのですが
死ぬ時に、家族が泣いたり騒いだりする愁嘆場は嫌いだと広言していて
その言葉の通り、ささいな風邪で入院し
深夜、看護婦さんも気がつかないうちに息を引き取りました。
もちろん私も死に目には会えませんでした。

最後まで、自分の信念というか、美学を貫くような生き方でしたが
亡くなったのは、私が結婚した年の冬でした。
私が22才の時ですから、それからもう38年になります。
結婚式の日は、親族の控え室に私と父の二人きりで
私は自分のことはそこそこに、父がモーニングを着るのを手伝ったりと
てんやわんやしていた記憶があります。
父一人娘一人、その娘が結婚し
自分がいなくなっても、もう娘が天涯孤独の境遇にならずにすむ
それを見届けたことで安心したのかもしれません。

その年、私は通信制で京都の大学に入学して
最初のスクーリングを兼ねて、夏に父と京都旅行をしました。
最初で最後といってもいい、ささやかな親孝行の思い出です。

一年間お世話になった優しい先生とは、今回の診察でお別れでした。
「本当にお世話になりました」と、丁寧にお礼を言いました。




ランキングに参加してみました。よろしければクリックをお願いします!


にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 依存症へにほんブログ村


にほんブログ村 病気ブログ 乳がん ステージ3・4へにほんブログ村




命が失われることの悲しさ

2016-03-11 17:11:17 | 社会・生活
東日本大震災と福島の原発事故から5年。
震災と津波で亡くなられた方は
いまだ行方が分からない方を含めると1万8千人を超えた。

つい数時間前まで、元気で笑ったり話したりした家族が
一瞬で奪われた、その悲しさは、時間が経てば癒される
消えてなくなるものではないと思う。
命とはそういうものなのだ。
それは唯一無二の存在で、かけがえのないものであり
一度失われたら取り戻すことはできないものなのだ。

一方で、連日のように報道される児童虐待。
自分とは無関係の罪もない人を、下劣な欲望のために
いとも簡単に殺してしまう事件。
ささいな感情の行き違いで起きた殺人事件。

今十代後半の人間であれば、震災の起きた年には中学生くらい
二十代、三十代なら、すでに大人だったはずだ。
たとえTVのニュースを通じてではあれ
震災当時は、たくさんの、家族を失った人たちの悲しみ
もはや言葉にさえできないほどの思いが連日報道された。
それが、何一つ心に届かなかった人間が
こんなにいるのかと思うと、どうしようもない気持ちになる。

感情を共有する、つまり共感することができるかどうかは
想像力が大きく関係する。
どこまで、相手の立場に立って考えることができるかどうかなのだ。

事件や事故の被害者、あるいは被害者の家族の気持ち
いじめられたり、虐げられたりしている人間の気持ち
それを想像できれば、簡単に人を殺したりなどできるはずがない。
平気でわが子や他人を傷つけたり殺したりする人たちは
一体どういう環境の中で、これまで生きてきたのだろう。
あの震災と原発事故から、私たちが学んだことは
地震や津波や原発の恐ろしさだけであってはいけないのだと思う。

震災から5年が過ぎた今でも
全国で避難生活を続けられている人たちは、17万人を超えている。
「がんばろう東北」「元気を出して」「希望を持って」
そういう前向きなメッセージが、ストレートに心に響く方もいれば
明るいスローガンだけでは癒されない悲しみや苦しみを抱える人もいる。
毎年3月11日に放送される報道特別番組で
どちらかと言えば、復興が進んでいるイメージでまとめられた内容から
こぼれ落ちている現実、名もなき声はおそらくとても多いのだと思う。
けれど、当事者ではない私たちにできることは、それほど多くはない。

しかし命がどれほどかけがえのないものか
失われてしまったら、取り返しがつかないものか
家族を、友人を亡くした悲しみが、どれほど深いものか
それを、自分の子どもたちに伝えることくらいはできるはずだ。

4年後に開催される東京オリンピックの話題を筆頭に
社会には、暗い話はやめましょう、明るく元気に前向きであれば
すべてはうまくいきますよという空気が蔓延している。
けれど、本当の意味で「命の大切さ」を語るのであれば
それが失われたことの悲しみの深さ
残された者たちの辛く切ない思いを丁寧に伝えなければ
なぜ命というものがそれほど大切なのかを
理解することはできないのではないだろうか。

一方がん治療の分野では
まさに「命の大切さ」をうたい文句に
一年間の治療費が年間一千万を超えるような新薬が開発されているらしい。
保険適用になれば、個人の負担を引いて、国庫から補填される金額は
一人分でも莫大なものになるという。

もとよりそんな多額の自己負担をまかなえるような状況でもないが
たとえそれが可能だとしても
もはや60歳を超えて、すべてにおいてポンコツな
自分の命に、みんなが納めてくれている保険料を
そんなに投入するだけの値打ちがあるのかと考えてしまう。
できることならその分を
被災地の、未来がある子どもたちのために
たとえ1万円でも2万円でも回してほしいと思う。
生涯社会の底辺とおぼしき場所で生きて
病気になるまではどうにかこうにか働き続け
家庭を持って子どもを育て
一人の人間としての最低限の役割は果たした
そんな自分の最後は、自分の身の丈にあったもので
全然構わないような気がするのだ。

ランキングに参加してみました。よろしければクリックをお願いします!


にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 依存症へにほんブログ村


にほんブログ村 病気ブログ 乳がん ステージ3・4へにほんブログ村




ネット依存を「新生活習慣病」ととらえて対策を考える

2016-03-07 16:22:18 | ネット依存症
今日、このブログでリンクをしている
エンジェルアイズのサイト内の「Can You Save?」というブログで
大変興味深い記事を見かけたので、少し長いですが引用させていただきます。

以下引用です。


<先日地方でお話をさせていただいた際に「オンラインゲーム依存」と
「その他のネット依存」は違うとお話しました。
 その時はうまく説明が出来なかったのですが、「オンラインゲーム依存」は
dsm-5で「オンラインゲーム障害」としてその強い依存が認められています。

 その他の依存(コンテンツ・つながり・情報)については現在のように
「長時間のネット利用」が「常態化」している現状では「依存」と呼ぶことが
多少違和感を感じるためオンラインゲーム依存とは分けた方がいいと思うのです。

 コンテンツ依存やつながり依存も、長時間の利用によって心身の健康被害や
家庭でのトラブルなど様々な問題はありますが、少し表現も考えていきたい
ところです。そんな中子どものネットリスク教育研究会の大谷先生とお話する
機会があり、ネット依存を「新生活習慣病」として3月11日に青森で講演をされる
と聞き、現状にあったネーミングだと感じました。
最近の講座の際には「ネット依存」だけではなく「新生活習慣病」という言葉も
利用しています。

(中略)

一般化しているネットはまり状態を新生活習慣病とすれば、様々な分野からの
取り組みができるかと思います。

 ネットはオンオフの切り替え、「セルフコントロール」できてこそ、人にとって
社会にとって有効なものです。親には、使わないという選択より、上手に使いこな
す子どもになってもらうために、ネットを使う前の体験の引き出しづくりや、人間
関係をしっかりと築ける力と、与える時期の見極めなどの考えながら準備をしてほしいです>

引用ここまで

弘前大学教育学部の大谷良光先生という方が「オンラインゲーム依存」以外の
ネットやスマホの依存を「新生活習慣病」という視点で考えてはどうかと
提案されているというお話です。

実は私も今までこのブログの中で、ネット依存については
ごく一部を除いて「依存症」という表現を使わないようにしてきました。
それは、いわゆる診断基準がはっきりしないということもありますが
ネットやスマホの場合は、上記のように
ゲーム、コンテンツ、つながり、情報と依存しているものの性質が違うこと、
ゲームでは、課金の問題が生じれば、ギャンブル依存症の要素が加わること
従来の依存症の治療の基本である「依存対象と縁を切る」という方法が困難なこと
などから、今の段階で「ネット依存症」という言葉を多用するのを控えていました。

何よりも、欧米に比べて「依存症」についての認識や情報や理解が
まったく普及していない日本で
「ネット依存症」という言葉だけがひとり歩きをすると
今子どもさんたちの、ネットやスマホの問題で悩んでいる親御さんたちに
過剰な不安や反応が起きて、事態をより悪い方向へ向かわせるのではないか
という心配もありました。

そんな中で見つけた今回の記事。
今や子どもたちだけでなく、多くの世代で常態化している
「長時間のネット利用によって生じてくる様々な問題」を
「新生活習慣病」という視点でとらえ
特にそれによって出てくる体の不調
(視力の低下や眼科的な病気、睡眠や運動の不足
集中力の低下、姿勢の問題や、それに伴って起きる体の異常)
を防ぐための具体的で有効な方法を考えていくというのは
画期的なのではないかと思います。

「依存症」というアプローチでは
いったい何十年経ったら有効な対策が出てくるのか、こないのか
まったく見当がつきません。
それは薬物やギャンブル依存症の現状を見ても明らかです。
昨日も桑田さんがゲストのスポーツニュースの中で
キャスターの方が、清原選手の話題で「アメリカでは選手の回りに
選手のメンタルや家族の問題、薬物の問題に関するアドバイザーがいて
問題が起きれば、専門の治療期間につなげる」と言われたのを
もう一人の女性のキャスターが「もちろんそれも大事ですが」と
すぐさま話題を変えたのに、私がブチぎれました。
「いや、そこやろう。そこが一番大事なとこやろう。
その話を広げろよ。このクソ女」(失礼しました。でもキレたらこんな感じです。
ただし家族にこういう言いかたをしたことはありません)

ですから、ぜひこの「ネット依存、スマホ依存」を「新生活習慣病」という
観点でとらえて、早急に具体的な対策を立てるという考え方を
なるべくたくさんの方にシェアして、支持していただきたいと心から思います。

ただ、今私が患っている、治癒の可能性がないがんの治療方法もそうですが
依存や依存症の治療、回復についても
100%正解という方法はなく、すべての人に対して有効という方法もありません。
まずはできそうなことからチャレンジしていく
そのための選択肢は、どういうスタイルであれ
一つでも多いほうがよいのです。

ランキングに参加してみました。よろしければクリックをお願いします!


にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 依存症へにほんブログ村


にほんブログ村 病気ブログ 乳がん ステージ3・4へにほんブログ村




CRAFT(クラフト)勉強会 コミュニケーションを変える

2016-03-03 16:44:50 | クラフト
2回目のクラフト勉強会は
2月8日(月)でした。

2回目のテーマは「コミュニケーションを変える」の前半です。

まず最初に「今日は早く帰ってきてね」から始まって
「なんで早く帰ってこれんの?」(不信感)になって
「いいから早く家に帰っておいで!」(怒り)になって
「最後の空欄に、あなたはどんな言葉を入れますか」で
皆さんが答えを書き込み、一人の方が発表。

「もう、帰ってこんでいい!」(絶望}

はい、私の書いた答えもまったく同じで
たぶん他の方もだったのでしょう。大きな笑いが起こりました。
でも考えられる答えはこれしかない(笑)

で、この思考回路と言いかたを変えるには?

最初の練習は「「わたし」を主語にする」です。

例えば「またパチンコしてきたんやろう」
「もう、勉強せんでゲームばっかりしてだめじゃない」
「お酒ばっかり飲んで、私の話なんかちゃんと聞いてくれないよね」
こういう言い方の主語は<あなたは>なわけです。

普通日本語では、話をする時に主語を省略します。
だから、私たちは、こういう言い方や考え方に慣れてしまっています。
ところがこの言い方だと自分でも気づかないうちに
会話が、相手に対する指示とか、命令とか、非難とかになってしまうわけです。

だから「私」はどう思っているか、「私」はどうしたいか
という言い方に変える練習をします。
最初の「もう帰ってこんでいい」だったら
「晩ごはんくらいは一緒に食べようよ」という具合です。

模範解答では「(私は)一緒にご飯が食べられたらうれしいな」になりますが
実際それを口にすることを想像したら、なにやら背中がかゆくなります。
それはさておき、こんな風に
「パチンコをするにしても、休みの日とかに決めててほしいな」
「ゲームもいいけど、睡眠はちゃんと取ってほしいな」
「お酒を飲んでない時に、これからの、子どもたちの話とかしたいな」
と、あくまでも「私」の思い、「私」の願い
という言い回しができるようになるように練習をするわけです。

テキストには「意識的に言い換える練習をすることは
自分の感情や望みに気づくことにもなるのです」と書かれています。

次の練習は「肯定的な言い方をする」です。

たとえば、子どもがゲームをする時間を決めていたのに守らないというような場合

否定的な言い方だと
「約束したのに、いつも約束を破って。もうあなたの言うことなんか
全然信用できない」という感じになります。

これを肯定的な言い方にするとしたら
「(お母さんは)あなたの言葉を信じたいと思ってる。
でも、約束どおりにできないのはどうしてだと思う?」という感じでしょうか。

要点はとてもシンプルなのですが
これを日々の家族関係の中で、ずっと続けていくためには
やはり意識的な練習や訓練が必要なのだと実感しています。

「日本人はコミュニケーションが苦手」というのは
テキストの著者である吉田先生も言われています。
日本人には「男は黙って○○○」とか「あうんの呼吸」とか
「以心伝心」とか、あるいは「子どもは甘やかしたらいけない。厳しく」とか
いろいろな、伝統的な「言わなくてもわかる」的な価値観もあって
「たくさんの言葉を使って、ていねいにコミュニケーションを取る」ことに
あまり慣れていないわけです。

けれど、これは「動機づけ」のお話のほうで出てきたことですが
配偶者にしろ、子どもにしろ
片方が正論で相手を従わせて「私の言うとおりにすればいいのよ」的な
対応を続けると、本人は、自分の行動に責任を取らなくなり
自分が思い通りにいかないと「怒る」とか「暴れる」あるいは
「お酒とか薬物、ギャンブル、ゲームなどに逃避する」という
まるで、幼いだだっ子のような思考回路に陥ります。

ですからクラフトでは、対立や衝突をしない対応の仕方を学んで

「本人が落ち着いて考える」
「どうすればよいのかを自分で考える」
環境を作るということなのだと思います。

青少年の場合は、反抗期もからんで
怒られたり、命令されたりすると
頭に血が上って逆上したり、内向的なタイプでは
ほとんどしゃべらなくなったりします。
これでは、状況をいいほうへ変えていくことはできませんから
親御さんが、コミュニケーションを取るための
専門知識を学んで活用して、子どもさんの自主性を引き出すわけで
甘やかしていることとは違います。


クラフトの目的の一つは
「本人を治療につなげる」ことですが
何度も書いているように、ネットやスマホで起きてくる問題は
治療どころか、相談できるところすら、ほとんどないのが現状です。
ですからできる限り、予防をする必要があり
深刻な状況にならないように
なるべく早い時期での、適切な対応もとても大切になってきます。

「顔さえ合わせたら、親子でスマホやゲームのことで喧嘩」という状態のご家族にも
このクラフトの考え方や方法は役に立つことがあるかもしれません。
今ご紹介している内容を読んで納得していただけるなら
ご家庭でも試してみられてはいかがでしょうか。


ランキングに参加してみました。よろしければクリックをお願いします!


にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 依存症へにほんブログ村


にほんブログ村 病気ブログ 乳がん ステージ3・4へにほんブログ村