癌と生きる 依存症と生きる

命がある限り希望を持つということ


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依存症とのひとつの向き合い方

2015-01-29 11:45:32 | 依存症
先日紹介しましたジャパンマック主催の
2/1(日)の回復者支援のセミナーの申し込みができました。
今回は、このセミナーのことを話していた家族も参加するそうです。
(あっ、でもダンナではありません 笑)

これまでに参加させていただいたセミナーの内容も
ブログで上手に紹介できているかといえば、全然そんなことはなく
自分の無能さに落ち込んでしまいますが
気を取り直して勉強してきます。

たまにこのブログの「人気記事」というところに
かなり前に書いた記事が出ていることがあります。
改めてお断りしておきたいのは
初期のブログは、ギャンブル依存症が何なのかさえ分からなかったところから
始まっていて、その後本を読んだりネットを見たりして
分かったことを、その都度断定的に書いていたりもします。

その、ひっくり返したジグゾーパズルみたいにばらばらな情報を
なんとかもう少しすっきりしたものにしたいと
昨年から頭をひねっているところでもあります。

最初にギャンブル依存症について知ったのは
脳内物質(ドーパミンやセロトニンなど)の分泌の仕方に変化が起こって
その変化は元には戻らないから治らないということと
本人が底つき(自分の人生がどうしようもなくなった)を実感し
GAという自助グループでのミーティングに参加するか
一定期間入院して、依存物質から離れ治療をするなら
回復できる可能性があるということくらいでしたが
自助グループが何やら、ミーティングが何やら
全てが未知の世界の話で、本当に八方ふさがりという状態でした。

おまけに私はかなりなマイナー思考で、しかも理詰めで納得できなければ
「これがいいですよ、効果がありますよ」と勧められても
絶対に無条件で受け入れられるタイプではありません。
さらに、自分以外の人に「これがいいよ~」みたいに勧めたりもできません。

それで、依存症やその治療の歴史や種類など、色々なことについて
片っぱしから勉強し、GAやギヤマノンやセミナーにも参加して
そこで理解できたことをダンナに話したり、このブログにも書いてきました。

私は専門家ではないので、これが医学的に正しいと断言することはできませんが
薬物、アルコール、ギャンブル、性、ゲーム依存など一部のネット依存は
その性質や回復の方法など、大きな意味では共通性があります。

それを前提に、依存症を知るのに
とても役に立っているのが、なごやメンタルクリニックの院長原井宏明先生の
「情報公開」というサイトです。
原井先生は、国立肥前医療センターと国立菊池病院で
20年間依存症を始めとする心の病気に携わってこられた先生で
「情報公開」では、不安障害や、うつ病、依存症などに関する
さまざまな角度からの情報が、ものすごくていねいに記述されています。

たとえば以前後藤惠先生の「動機づけ面接法」のセミナーで
「動機づけ面接で、依存症者を自助グループにつなげていく」というお話が
あって、私は「医療機関を受診しても、最終的には自助グループだけが
回復の方法なのか」という疑問を持ったのですが
この点を、原井先生の「情報公開」では
依存症治療の代表的なモデルの中の「医学的モデル」によるものとされています。

この「医学モデル」と、12ステッププログラムによって回復する
「精神的モデル」との違いや、依存症について従来から言われてきた
「依存症は、本人が自由意思で選んだ不道徳な行為の結果で
責任は本人にあり,回復は意志の力の鍛錬や処罰によって可能」という
「倫理モデル」など、依存症からの回復への考え方には
幾つかの代表的なモデルがあることがわかり
「医学モデル」においても、回復には自己救済グループへの参加が
重要とされているということが納得できました。

グループミーティングへの参加は
依存症者だけでなく、依存症の人の家族にとっても効果があり
自助グループの種類としては
病院や治療機関の中にあるもの、12ステッププログラムに基づいたもの
そしてアルコール依存症の人の断酒会のようなものもあります。
病院や治療機関でも、12ステッププログラムを用いられているところと
そうでないところがあります。

さらに依存症だけではなく、さまざまな心の病を抱える人たちが
それぞれに自助グループを立ち上げて
そこで治療に取り組んでいることを見ても
自助グループのミーティングに参加することが
心の病の治療や回復に一定の効果があることが分かります。

私は今でも、ある意味超がつくくらいマイナー思考な部分がありますが
依存症について何かを書く時は、なるべくそれを封印しています。
たとえ依存者本人であれ、家族であれ
まずは「回復できるという希望を持つこと」が最初の一歩だと思うからです。

最初にダンナのギャンブル依存症が「治らない」と知った時の衝撃は
自分が末期ガンの告知をされた時の比ではありませんでした。
ガンは伝染したりしませんが、依存症は周囲の人間や
進行して脳が完全にまともな思考を失えば
無関係な人間まで巻き添えにします。
飲酒や薬物による交通事故や
ギャンブルの資金、あるいは借金の返済のための犯罪は
毎日のように報道されています。
すべてが、依存症が原因の事故であり、事件です。


そうした不安や恐怖に押しつぶされないためには
たとえどれだけ困難であっても
回復できる方法はあると信じて前進するしかありませんでした。
そして今は、一人でも多くの人に納得してもらえるような
依存症から回復するのに役立つ情報を伝えることを日々模索しています。
正直ガンとはそれほど真剣に闘っていませんが
依存症の問題とは、PCを使えなくなるまでは
向き合っていくつもりでいます。

埼玉県立医療センターの成瀬暢也先生の講演の中にこういう言葉があったそうです。

「依存症は慢性疾患であり、最低限治療につながっているだけでも有効である」

けれど依存症の本人が、自分の病気を認めて治療につながることは
容易なことではありません。
今大きな問題になっているネット依存の場合などは
まだ治療の体制もほとんどできてないような現状です。

そういう場合も、家族で問題意識を持った人が
依存症について理解をする努力
そこで分かったことを周囲と共有する努力を続けていけば
状況は少しづつでも変わっていくのではないかと思っています。





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最近話題のモラハラって

2015-01-22 12:04:11 | 社会・生活

某芸能人夫婦の離婚に絡んで
最近「モラハラ(モラルハラスメント)」という言葉が
クローズアップされています。

モラルハラスメントとは、夫婦や恋人同志や、親子
あるいは嫁姑といった、比較的親密な人間関係の中で起こる、精神的な虐待。
具体的には、言葉や態度によって相手の人間性を否定たり
相手の思考や行動を支配することによって、精神的に大きなダメージを与える行為。

時々見かける、我が子を支配する「毒親」の問題や
「いじめ、嫌がらせ、つきまといなどの虐待行為」も
広い意味での、モラル・ハラスメントにあたるのだそうです。
職場での上司などからの上下関係によるものは
日本ではパワハラ(パワーハラスメント)と言われますが
親子や嫁姑なども、人によっては上下関係と考えている人もあるので
幅広く解釈すれば、すべてモラハラと言えなくもないようです。

モラハラを行う側、加害者側の特徴については、ウィキの記事によれば
「内心の葛藤を自身で引き受けることが出来ず外部に向ける、自身を守るために
他人を破壊する必要を持つという「変質性」を持つことが特徴である」とされています。
つまり自分の内面のストレスを
身近な人間を精神的に束縛支配することで発散するということだろうと思います。

私は、モラハラの背景には、加害者の内面の問題のほかに
社会に広く浸透している価値観の影響と
生育環境の問題もあるのではないかと思います。

日本は長い間男尊女卑の世界でした。
ある程度(あくまでもある程度ですが)男女同権の意識が表面的にせよ
定着してきたのは実はごく最近のような感じがします。
男女だけでなく「男は偉い」「父親、あるいは親は偉い」「姑は偉い」といった価値観は
今でも普通にどこにでもあり、そういう価値観の中で育ってきた人や
そういう価値観をよりどころにしている人はたくさんいるわけです。
そして「亭主関白」や「スパルタ教育」でも、うまくいっている場合もあります。

どこからがモラルハラスメントで、どこまでがそうでないのかは難しいところで
加害者はともかくとして、被害者も、自分が被害者だと自覚していない場合もあり
そもそもモラハラとは何なのかということが理解されていないこともあるようです。

モラハラの加害者の特質としてあげられる

 ・自分が「常識」という考え方をし、真実や善悪の判定者であるかのようにふるまう

 ・優れた人物であるという印象を与えようとし、自分の欠点に気づかないように
  するために他人の欠点を暴きたてる

 ・賞賛してもらうために他人を必要とする

 ・自分の行動に罪悪感を持たない

というような性格も、結構どこにでもあるタイプだと思えますし
被害者になる人たちの特質とされている

 ・几帳面で、秩序を愛し、他者への配慮を働かせ、責任感が強い、

 ・起こった出来事に対して、自分が悪いのではと罪悪感を持ちやすい

 ・誰かに与えることを欲している

というような分析を見ると、これまた、極端な言い方をすれば、加害者にしろ被害者にしろ
会社とか、学校とか、はたまた家庭とか
社会にいくらでもある人間関係の一般的なパターンでもあると思えてきます。

生育環境については、虐待を受けた子どもが親になると我が子を虐待するという
ケースと同じで、親の束縛や支配を受けて成長すると、自分がされたことを、自
分の子どもにもしてしまう、あるいは自分がお姑さんにイジめられたから、嫁に
対しておなじことをするといった負の無限ループです。

このモラハラにしろ、はたまた依存症にしろ、さまざまな心の問題は
どこまでが異常で、何が正常なのかが、とにかく難しいです。
ただ精神的なものであれ肉体的なものであれ
ある人間の言動によって、その周囲にいる人が、大きな苦痛を感じている
というのは、正常な人間関係とは言えません。

とはいっても、すべてを簡単に解決できるというようなことは不可能です。
たとえば学校でのイジメとか、職場でのパワハラとかは
被害者に確かな自覚があっても、有効な解決の方法がないから悲劇が起こるのです。

けれどもとても身近な人間関係、夫婦とか親子とかの場合は
加害者の側に「自己愛的な変質者」というような病的な資質があまりなくて
単純に自分の育った環境や、世の中の価値観の影響で
威圧的な言動をしている場合は、TVでも言っていたように
本人が自分の言動が相手を苦しめていることに気付いていないような場合も
あるので、そのことをきちんと伝えることで
改善していくことは100%不可能ではないと思います。

親として、あるいは配偶者として
自分の思考が「加害者タイプ」の独善的な思考回路に陥っていないか
また「被害者タイプ」の自己犠牲的思考に走っていないか
自分の感じ方や考え方を、客観的に見る習慣を身につければ
高圧的、支配的ななもの言いを変えていくこともできるし
苦しみを自分の中に抱え込んでストレスにせず
自分の気持ちを相手に対して表現することも
できるようになるのではないかと思います。






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子育てについての覚え書など

2015-01-17 07:46:16 | 社会・生活
お正月に子どもが貸してくれた「寄生獣」にハマって
現在8巻まで読破。漫画原作の実写版の映画は
いつも今いちなことが多いので、この手のものは原作を読みます。

どこからともなくやってきた、人間の脳を食べて体を乗っ取る謎の寄生生物。
これに脳を乗っ取られると他の人間を食べるようになるのですが、
高校生のシンイチに侵入したそれは、脳を乗っ取るのに失敗して右手に寄生。
ミギーと名づけられてシンイチと共存し、人間を襲う他の寄生生物と戦うように
なっていくと、まあそんな感じのお話です。

最初のほうを読んで「なんか依存症と似てる」と思った私。
人間の脳を乗っ取り体を支配して、他の人間に危害を加えるとこが。
なんでもかんでも依存症にしてしまう私の思考回路にもやや問題ありですが
あながち大きくはずれているとも思えません。

いわゆるスプラッターな、グロいシーンは結構あります。
映画のほうも年齢制限はかけられているようです。
こういいのがいいのか、悪いのかという点については
私はあまり白か黒かみたいな考え方はしません。
容認できるかできないか、好きか嫌いかです。
ただしスプラッターだけを目的にした映画や
「13日の金曜日」に代表される「殺人」を目玉にした
「お化け屋敷」的なホラー映画はあまり観ません。

ストーリーの流れの中で、必然性があれば悪いとは思いません。
この考えは、子育てをしていた時期から変わっておらず
子どもたちが小学校の高学年くらいからは、残酷だからだめとか
性的な場面があるからだめというような制限はしませんでした。
現実の社会の中には、良いものも悪いものも
美しいものも、どうしようもなく醜悪なものもあるのだから
情報としてたくさんのものを取り込んで、それが良いか悪いかは
自分の脳の中でえり分けていく力を身につけたほうがよいと思うからです。

「この世の果て」という野島伸司さんのドラマが放送されていたのが
ちょうど子どもたちが小学生の頃で
あのドラマの中で、かつては天才ピアニストだった三上博史さんが
覚せい剤の中毒になっていきます。
薬を求めて這い回る姿は、もはや人間ではない別の何かです。
単に良いか悪いかの問題ではなく、かつては人生をかけて愛した女性をも
苦しめ、傷つけるその姿は、どうしようもなく悲しいし惨めです。
しかし、彼は女性(鈴木保奈美)の献身的な介護で
回復を始めますが、結局ハッピーエンドにはならずとそういうドラマでした。

そういうドラマを見ても、これはいいとか悪いとかいうようなことは言いません。
私は別に道徳を教えるために映画やドラマを観ているわけではないし
どんな崇高で立派な人間も、反対にどれほど残酷で凶悪な人間も
または羊の皮をかぶった狼的な人間たちも
現実社会には存在するのだから、あるものは全てあるがままです。
けれど「悲しいね」とか「切ないよね」とか
自分の感情の部分で感じたことは言っていました。

野島さんのドラマは、性や暴力や、人間の醜悪さを誇張して描くことが多いので
結構非難もされますが、反面人間の切なさや美しさを描いている点では
独特のセンスがあってその美しい部分が、私のツボなので、平気で子どもにも見せていました。
この後に観た「未成年」や「ひとつ屋根の下」「世紀末の詩」などは
ドラマの中で流れたカーペンターズやチューリップの美しいメロディとともに
子どもたちの記憶に残っていったようです。
高校時代の子どもの本棚に、野島ドラマのノベライズ「薔薇のない花屋」を見つけて
ちょっと嬉しかったことを思い出しました。

ちなみにダンナのギャンブル依存症のことを
子どもたちに話したのは、司法書士さんに任意整理を受任していただけて
それまでの借金が減額できることが確定した時でしたが
「お母さんの話わかる?」と聞いたら
「ああ、『闇金ウシジマくん』とか『カバチタレ』とか読んだけん
大体のことは分かる」という答えが返ってきました。

小学校に上がるくらいまでは「この世界は愛と善意にあふれた素晴らしいものだ」
という小説やドラマや映画を見せるのはよいことだと思います。
けれど6才を過ぎたくらいからは、子どもは親には分からないところで
様々な現実に直面します。
自分の能力や家庭環境に対する自覚も出てきて、優越感や劣等感も芽生えます。
様々な個性を持った子どもたちが集団生活する中で、理由のない悪意にさらされることも
いじめたり、いじめられたりという簡単に解決できない葛藤に巻き込まれることも起こります。
早い子では、小学校の高学年くらいから性への興味も芽生えます。

まだまだ未成熟な脳と、手持ちの不十分な知識で
いろいろな問題に向かっていかなければなりません。
私は、そこで大切なことは「他者を傷つけない」ことと「自分を守る」ことだと
思っていました。今何かと話題になるイスラム教ではないけれど
親が子どもに何よりも守ってほしいことは
極言すれば「殺すな、盗むな、犯すな」
つまり他者の命や財産や尊厳を傷つけないということ
それだけ分かればいいやくらいに思っていました。

「他者を傷つけない」ためには、他人の悲しみを理解できる感性が必要です。
これは例えば「思いやりが大切」とか「他の人には親切にする」とかいう
具体性のない抽象的なことばで分かってもらうのは、すごく難しいのです。
子どもにこの感性を育てるのに、一番大切なのはやはり親の接し方だと思います。
「お友だちには優しくしようね」と言葉で教えても
親が子どもに対して色んな場面で優しく接してなかったら
子どもには何が「優しさ」なのかが分かりません。

親が子どもの気持ちにどれだけ寄り添ってやれるかで
子どもの他者との関わり方も大きく違ってきます。
ただ、子どもの気持ちに共感する、寄り添うことと
無条件に甘やかす、迎合することとの線引きはすごく難しいところで
ここで親自身の価値観やスキルが大きく問われます。

一方「自分を守る」ためには、人間や社会を理解できるたくさんの知識と情報が必要です。
「なぜ相手はこんなことを言うのか」「世の中にはなぜこんなことが起きるのか」と
人間や社会を分析できる力や、それに対応できる能力が必要になります。
学校の勉強だけでは、身につけることができないものが山ほどあります。

本や映画やドラマを観る中で身につけることができるのが客観性と共感力です。
フィクションではあっても、そこには「自分と同じだ」と感じることができる喜びや悩み
悲しみや苦しみや怒りの感情の具体的な姿があります。
それに共感すると同時に「それではどうしたらいいのか」という解決の方法を
シュミレーションすることもできます。
だから良いことも悪いことも、知っていて無駄になることはほとんどないと私は思います。

私と子どもたちの共通の話題は、昔も今も
最近読んだ本や映画、音楽の話です。
病気の話は特に進展がない時などはあっさりしたものです。
でもお互い微妙に趣味が違うと分かっているから、無理に勧めたりはしません。
「これが面白かった」という、主に情報交換です。
子どもたちは特にお勧めのものは勝手に置いていきます。

けれど私が「猿の惑星」や伊藤計劃氏について熱く語っても
「また始まった」という感じで半笑いです。
小さい頃に見た「フランケンシュタイン」は、まだトラウマになっているようで
「生首が出てきて怖かった」と恨まれていたりもします。
でもそれでいいのだと思っています。親の好みに同化する必要はありません。
子どもが最近仕事がらみで「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」というSFの
話題を目にする機会が多いのだそうです。
「どっかで聞いたと思ったら、お母さんが昔面白いって言ったやつや」

もし私がいなくなって何年も経った後でも
そうして私が話したことの断片が、子どもたちの心によみがえってくれることがあるなら
私が手渡したかったことの何割かは伝わったのではないかと思えるのです。







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緩和ケア科へ面談にいきました

2015-01-14 10:51:57 | 癌のこと
自宅から車で7,8分の
今の病院よりは小規模な総合病院の緩和ケアへ移りたいと
今まで診てくださった先生にお手紙を書いたら
紹介状や診療データを送っていただき、予約まで入れていただいたので
本当に体一つで行けばよくてラクチンでした。
今回も家族が同行してくれました。

一つ気がかりだったのは、緩和ケアではもうガンの治療はしませんと
言われる病院もあるようなので、そうなると前回と同じで
家族がそれを受け入れてくれるかという問題が出てきて
また病院を探すということになるとちょっと困るなと思っていました。

最初に先生が緩和ケアの方針についてざっと説明をされて
「それじゃあ今日は注射のホルモン剤をしましょう」と言われたので
「え”-?」という感じで「いや、あのそれはちょっと…」と言ったら
「やらないの?それじゃあどうしますか」と
とてもあっさりと聞いてくださいました。
「注射」というのは前の病院からの引継ぎ事項だったのかもしれません。

それで「できれば今飲んでいるホルモン剤をもうしばらくいただけたら」と
お願いしてみたら「ああ、分かりました。じゃあそうしましょうね」と
拍子抜けするくらい簡単にアリミデックスでの治療継続になりました。

今の私の病状では
アリミデックスに、それほど大きな効果が期待できるわけではないことは
先生もさりげなく言っておられましたが
それは自分でも十分分かっていることで
その一方で「何かできるのではないか」という家族の痛切な思いも分かっているので
大きな副作用がなくて経済的にも負担の少ない
アリミデックスという選択が、やはり今の私には
肉体的にも精神的にもベターだったわけです。
こうして緩和ケアへの移行は、一か八かの賭けでもありましたが
一番望んでいた形で決着して、心からホッとしています。

こんな時はまたぞろルナ(猫)が
今でもちょっとがんばってくれているのかなと思います。
本当に全然美しくもなく(むしろ小汚くてボロっとしてた)
かわいげもなくて、他の人が見たら「この猫の何がそんなに」と思われるような猫でしたが
晩年はいつも私の姿を目で追い、家の中でもてこてこ私のあとを追って
寒くなると、私の腕を枕にして、一晩中顔のすぐ横にルナの顔があるという状態で
文字通り一心同体のような生活をしていました。
だから私が苦境に立つと、今でもなけなしの霊力(?)を動員して
何とか助けようとしてくれている?
人が聞いたら「この人バカだな」と思うような話ですが。

先日iPS細胞でノーベル賞をとられた山中 伸弥先生が、ある討論番組の中で
「20代の頃は、若い時しかできないから無茶をしてみようと思った。
30代、40代の頃はまだいいかなと思って無茶をしてきた。
50代になったら、いつ死ぬか分からないから無茶をしてみようと思っている」と
話されていました。先生の言われる無茶とは
自分や他人の人生をめちゃくちゃにしてしまうような無茶ではなく
ありふれた言い方をすればチャレンジなのだと思います。

先生の目には、たとえ100才まで研究を続けたとしても
達成することのできない無限の可能性が見えているようです。
けれどそれが見えるようになるまでには
それこそ血のにじむような苦労や努力があってのことだと思います。

だから現状に満足することなく、安住することなく
たとえそれがその学問の世界では無謀なことであっても
チャレンジをすることで、また新たに見えてくるものがあるかもしれない
開けてくる世界があるかもしれない、しかし失敗のリスクも常にある
それでも挑戦する価値はある、そういう意味での無茶なのだと理解しました。

色々な場面に、生きていくのに大切なヒントはあります。
受け止めようさえと思えば、ボールを投げてくれる人はいるのです。
そこから自分に有用なもの、共感できるものを拾って
ジグゾーパズルを作るように組み立てて広げていけば
少しづつ人生が生きていきやすいものになるように思えます。

正直なところ、私に3年先、5年先の未来があるかどうかは分かりません。
でもとり合えず「今日」という日、「今」という時間はあります。
平凡で、何のヘンテツもないおばさんの「今」でも
私に「今」があるということは、もうそれだけで十分に幸せなことなのです。



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ジャパンマック主催 支援スタッフ研修2015のお知らせです

2015-01-10 08:04:47 | 依存症
1月31日(土)2月1日(日)の2日間 福岡市で
ジャパンマック主催の、依存症支援スタッフ向けの研修があります。

「回復のチカラを支えあう」 依存症者の回復支援に関心のある皆様へ

1月31日(土)10:00 ~ 16:00 第一回「回復の力を引き出す」

    講師 成増厚生病院 精神科医 後藤恵先生「今日から始める動機づけ面接法」

       一部 基礎編  二部 応用編

2月1日(日) 9:30~ 16:00 第二回 「回復を支える力」

 9:30~  さいたま市こころの健康センター 岡崎直人先生 
            「アメリカのアディクションとAAの歴史」

 11:00~ 新阿武山クリニック 西川京子先生
            「人が人を支援するとは~ 社会福祉の立場から」

 13:30~ シンポジウム「回復のチカラを支え合う~九州の現場それぞれの想い」
          コーディネーター 座長鹿児島国際大学 岡田洋一先生

会場  福岡市中央区荒戸3丁目3-33
     福岡市民福祉プラザ「ふくふくプラザ」視聴覚室

参加は無料ですが、今回は定員50名で参加申し込みが必要です(締め切り 1月20日(火)

申し込みはメールまたはFAX kensyuu@japanmac.or.jp
03-3916-7677
まで

このブログでリンクをしている「ジャパンマック福岡」のサイトにも案内があります。

特に依存症者の治療や回復に関わっておられる援助者の皆様
回復支援に関心のある専門職の皆様には
依存症についての知識や、動機づけ面接のノウハウを
体系的理論的に理解することができる大変有用なセミナーだと思います。

私は毎回専門職でもないし、しかもこうしてブログで書く以外には
今のところ現実に役に立てる手段があるわけでもなく、
おまけに先が見えてもいるのに
参加を希望するのは少し気が引けるのですが
一応2/1(日)の講演とシンポジウムには申し込みました。

ずっと書いてきたように、日本の依存症治療は
海外に比べてずいぶん遅れています。
しかも近年では、アルコールや薬物、ギャンブルに加えて
ネットや性など新しい依存症の種類もどんどん増えてきています。

私はネットと薬物の依存の広がりには、深刻な危機感を持っていて
多くの人が依存症の危険を理解して
どんな形でもいいから予防に取り組んでもらえることを
心から願っています。

それには専門職の方々だけでなく、本当に私たち一人一人が
依存症についての知識や理解を持つことが必要です。
それもアルコールや薬物、ギャンブル、ネットなどを
それぞれ別の依存症ととらえ
自分に関係があるものだけ分かればよいということではなく
まずは一つの大きなまとまりとして理解し
どの問題が起きてもある程度対応できるようになることが
自分自身や家族を守るためにはとても大切です。

「病気」の領域に入ってしまうと、そこからの回復は
とても長い時間とエネルギーが必要になります。
正直なところ、依存症の本人の方が誰の助けもなしに
回復への道を歩むのは、ほぼ不可能なんだろうなというのは
そういう方が書いてあるブログを見ると思います。

一方GAなどにつながって回復を続けておられる方のブログを読むと
回復するというのはどういうことかが分かります。
それはGAでのミーティングや12ステッププログラムが
依存症からの回復に有効だということの
ひとつの証明でもあろうかと思います。

日本の依存症への対策はひどく遅れていて
回復や治療のための選択肢もけして多いとは言えませんが
それでも皆無というわけではありません。
依存症の本人の人も、巻き込まれて苦しんでいる家族の方も
今よりは少しでもましな人生を実現したいと思えば
そして回復への一歩を踏み出す勇気があれば
わずかではあっても道はあります。

これからは一人でも多くの人が依存症のことを理解して
適切な対応ができるようになることが必要とされる
そういう時代になってきているのだと思います。

人生において大切なたくさんのもの
もしくは自分の人生そのものを失わないために。







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EQ能力と共感力

2015-01-05 11:40:15 | 社会・生活
遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

元日は、ダンナが夕方ご飯を食べて仮眠した以外は、昼も深夜も仕事だったので
お正月は、大晦日に数の子やがめ煮を食べ
2日の日にお雑煮やらお刺身やらを食べと分割にしました。

おとそやお花や小さな鏡餅も準備して、昔ながらの日本のお正月でした。
3日はこどもたちが来て、さすがにおせちはもういいだろうと思って
お鍋を囲みました。
年末年始は、買い出しやら何やらで自転車で動き回ったので
(ただし大掃除は、末期ガンだからと手抜きしました)
昨日は休息日で、子どもに借りた「寄生獣」のマンガなどを読んで過ごしました。

年末ひと休みしてぼんやりテレビを見ていたら
子どもの心の問題に関する番組で「共感」のお話をされていました。
「レジリエンス」という耳慣れない言葉が出てきたりしたので
今日ネットであれこれ検索をしていたら
和田秀樹という先生のコラムに行き当たり
そこに書かれていたEQ能力(感情的知能)や共感能力のお話が
とても面白いと思いました。

ちなみにEQ能力とはIQ(知的能力)とセットになっていて
アメリカで「頭が良いのに社会的に成功できないのはなぜか」を研究することで
生まれてきた人間の能力についての分類です。

具体的には

 1、自分の感情を知る

 2.自分の感情をコントロールできる

 3.楽観的に物事を考える。もしくは自己を動機づけする

 4.相手の感情を知る

 5.社交能力、対人関係能力

などで、確かにこうした能力が備わっていれば
依存症を始めとする多くの心の病にはならないかもしれないと思われます。
和田先生のコラムでは、上の項目が丁寧に解説されているので
関心がある方は検索してみてください。

その中で4や5に関係がある「共感能力」については
「相手の立場に身を置いてみて、自分がどのような心の体験をするかを
想像する」ことだとありました。
そして「同情は、相手が悲しみとか苦しみとかネガティブな感情を
持っている場合に起こるが、共感はもう少し広い意味で
さまざまな相手の感情に寄りそえることだ」という感じでまとめられていました。
この同情と共感の違いは「なるほど」という感じで
こうしてきちんとした言葉で表現してもらえると、すっきり頭に入ります。

またまた話が飛びますが、確か佐世保の事件の頃だったと思いますが
「高学歴な親が子供を追い詰める」と
いうような報道のされ方を見て、何だかなあと感じました。
こういう風に、物事をとてもおおざっぱに
ひとくくりにして捉えるのはやめてほしいものです。

問題は、親の学歴や社会的な地位がどうこうということではなく
当事者である親や先生や周囲の人が子どもの心に寄り添うことができなかった
ことが大きいのではないかと思えたからです。

そんな私のもやもやした気持ちをずばり表しているのが
「共感」という言葉だったわけです。
そしてもしもダンナがギャンブルに依存していった原因のひとつに
私の側にも問題があるとすれば、それはやはりダンナに対する「共感」が
欠けていたことだったように思います。

どういうことかというと、多くの女性は子どもを産むと
気持ちが子どものほうに向いてしまいます。
私の場合は、子育てをしている間は、思春期も含めて
頭の中はまさに子どものことでいっぱいでした。
ところが男性の中にはそれを不満に感じるタイプがいて
ダンナもおそらくそうだったのだろうと思います。

自分は家族のために働いているのだから
自分のことももっと大切にしてほしい
そういう思いがあったのかもしれません。
けれど私の側からしたら「あなた、子どもじゃないんだから」というところです。

私のほうは、二人の間にできた子どもなのだから
ダンナも自分と同じように
父親としてしっかりした自覚を持ってほしい
子どもの成長を幸せに感じて大切にしてほしいと思っていました。

ところがそうなると、お互いに共感してほしい部分が完全にずれているので
細かいところで不満ばかりがたまっていきます。
しかもうちは二人してぶつけあうタイプではなかったので
お互いに見て見ぬふりをして、自分が好きなようにやった結果
事態がどんどん悪いほうへいってしまったというケースなのだと思います。

そういう自分の失敗もふまえつつ
改めて共感することの大切さを考えてみたわけです。
こうしていろいろ書いていますが、正解は一つではありません。

最初に書いたEQ能力(感情的知能)をどう育てるかというようなことは
間接的にせよ、依存症を予防することにもつながっていくと思います。
そういう知識は、あっても邪魔になるものではありません。
ネット依存など、思春期以降の親子関係の難しさに向き合うには
急がば回れで、親御さん自身がEQ能力を身につけるのも効果がありそうです。
先日見ていたテレビの中では、共感力を身につけるには
親子で一緒にテレビを見たり、ご飯を食べたりする
要は普通の生活をすることが大切だというのが結論でした。

確かに、こんな面倒くさい理屈を並べなくとも
例えば寅さんの映画に出てくるような環境であれば
自然に身についていくような感覚を
こうして理屈で考えていかなければ育てることができないというような
(いや、それはあなたが理屈っぽいからだと突っ込まれそうですが)
とても難しい社会になってきているということでもあるのでしょう。





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