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癌と生きる 依存症と生きる

命がある限り希望を持つということ

クローズアップ現代でのネット依存の特集を見て

2013-11-26 07:31:35 | 依存症
10月22日の「クローズアップ現代」でネット依存症の
ことが報道された。最初から全部は見られなかったが、番組を3分の2ほど
見て感じたことを書いていきたい。

私は少し前から、世の中が猫もしゃくしもスマホと言い始めたくらいから
この問題について、特に若年層の依存という点について強い危惧を持っていた。
それはギャンブル依存症を勉強し始めてから、この病気が認知されて
すでに20年以上が経っているのに、対策らしい対策がほとんど進まず
患者の数ばかりが爆発的に増えていっていることを、それこそ身に沁みて
感じているからで、もしまた新しい依存症問題が出たとしても、同じ
ような経過をたどるのではないかということ、そして今や幼稚園児までが
手にするような携帯が原因になれば、依存症問題の年齢の低下は、ギャンブル
依存症の比ではなく、その将来に及ぼす影響もより深刻なものになると
想定していたからだ。だからこのブログで、ネット依存について書く時は
問題の対象を、小中高生あたりにしぼっていることをあらかじめお断り
したい。

そこで「クローズアップ現代」だが、これはギャンブル依存症の場合でも
同じなのだが、TVの特集番組というのは問題を総論として捉え、まとめ
ていることが前提だ。しかし、ネットに依存する、特に青少年の場合は
原因にしろ、経過にしろ多様な性質があって、その様々なパターンを
一くくりにして論じているように思えて、違和感があった。


1.ネットでゲームなどに依存するタイプ

これはギャンブル依存症にも共通する「勝利の快感」を求めるパターンが多く
前回書いた、自尊心は高いが現実での自己評価が低く、その不満やストレス
をバーチャルな世界での勝利感を得ることで埋め合わせるタイプ。
このタイプで終日ネットに向かい合っている、あるいはネットゲーム
で夜更かしして学校に行けない、会社での仕事に影響が出る、あるいは課
金があって多額の請求が来るのにやめられないというような人は、依存症
の可能性があると考えていいと思う。
このタイプでは、番組でも触れていたが、他人の、というか人間の感情
が理解できないという人間性の喪失という重大な症状も現れてくる。これも
ギャンブル依存症とも共通する依存症の特質の一つである。

2.ラインやチャットに依存するタイプ

ラインやチャットで何時間もネットから離れられないという場合は
放送でも言われたように、ネットに依存しているというよりもネットを
介した人間関係に依存していると考えたほうがいいのではないかと思う。
この場合は、その人間関係が、学校の友人であるような場合には、より
慎重に対応する必要があると思う。小学校の高学年や中高生になると
自分の友人関係がなによりも大切と考える時期がある。そこから離脱
すると、場合によっては「ハブられる」「いじめ」といった事態を生む
ことだってあり、本人もなによりもそれを恐れる。こういう場合は
「何時間もメールやラインをやって、勉強もしない」という状態だから
といって即ネット依存だと結論するのには疑問がある。

3.ネットを介して未知の人間関係に依存するタイプ

これは1と2との複合系とでも言うべきか。自分では他人に認められ
評価されたいのに、現実の世界ではそれを得ることができずに
バーチャルな世界に自分の居場所を求めるタイプ。

単純にネットのブログやチャット、ラインを介して、友達ができて
うれしいというものから、未知の世界への好奇心、それに番組でも
説明されていたようにtwitterやface book でたくさんのリツイー
トや「いいね」をもらうことで、快感物質であるドーパミンが出て
止められなくなるというメカニズムが働く場合には、1の要素が
加わってくるからである。

このように分析してみると、1と3の場合は、現実の世界に不満を感じ
バーチャルな世界に逃避しているが2の場合はそうではない。ネットは
あくまでも現実世界の延長であり、これを切断するのは本人にとっては
大問題である。

番組では更に10年前からネット依存の治療に取り組んでいる韓国の例を
放送していて、そこでは依存になる原因の一つとして親子関係の問題
を上げていたが、これもあくまでも総論であることを頭に置く必要が
ある。

なぜなら中高生などのいわゆる思春期と呼ばれる時期は、こどもが
親から精神的に自立しようとしてもがく時期でもあるからだ。
「親の言う通りにしたくない」「親に干渉されたくない」
たとえ大人の目からしたらどれほどめちゃくちゃな理屈でも、彼らは
ただ闇雲に、自分が育ってきた家庭とか家族という母体からの脱皮
を試みる。たとえそこまでの生育過程が、どれほど親にとって
望ましいものであったとしても「いい子」が永久に「いい子」で
い続けることのほうが少ないと受け止めたほうがいいと思う。

しかもこの時期は、親にはうかがいしることのできない、彼らなり
に複雑な人間関係の中での葛藤があり、不安があり、苦しさがある。
更には性的にも大きな変化の時期ということもあろう。
そういう時に、四六時中手元にあり、外部とコミュニケーションを
取ることができ、しかも親にあまり干渉されない
携帯というツールを得たことで、今の状況は生まれた。

だからといって親の側からしたら、何もせず放置する、傍観する
ことは現実には難しい。しかし、上に書いたような要素が複合的
に関連しあっていることを考えると、闇雲に叱責したり、携帯を
取り上げることは、問題の解決にはならないと思う。

これは依存症全般に言えることだと思うが、何よりも大事なのは
本人が自分の状況を自覚することであり、自覚がありつつ、自分でも
不安を感じて苦しんでいるのかもしれないということを理解することであり
そこでまずはどういう形でもいいから心の接点を持てるのかを
周辺の人間が冷静に模索することが大切だろうと思う。
もし子どもが親に対して心を開かない場合は、カウンセラー
などの助けを借りることも考えられる。ただし、依存の状態から
離れるのには相応の時間がかかることも想定しておかなければいけない。

とまたもや身も蓋もない結論になってしまったが、人の心の問題は
ケースバイケースである割合が大きく
大ざっぱな総論的な結論で解決できるほど簡単ではない。
そこを「クローズアップ現代」は細かく分析できていないと感じたわけである。
もちろんそこには30分という時間的な制約もあるし
それでも現代社会の問題として取り上げた以上
なんとか結論をつけなければならないというメディアの特性もある。

だからネット上では当然「自分は依存症ではない」的な反論も起こる。
長時間ネットに向き合っているからと言って
依存症ではない人もいる。ネットを楽しみながら
ネットとうまく付き合えている人ももちろんたくさんいる。
一時期ネットにハマりながらも「依存症になってはいけない」と
自分でブレーキをかけることのできた人、できる人も多い。
その違いは何なのか、どうすればハマらず、上手くつきあうことができるのか。
現状はまだ、ネット依存ではないかと思われる症例が
少しづつ把握され始めているくらいの段階で
具体的に即効性のある解決方法などはほとんど提示されてはいない。

それでもこれからの社会は、多くの人間にとって携帯やPCといった
ツール無しで暮らしていくことがむしろ困難になってきているのだから
この問題は、当事者だけでなくみんなでもっと真剣に考えていく必要が
あるように思われるのだが。





どんな人が依存症になるのか

2013-11-17 09:50:57 | ギャンブル依存症
ふたつ前のブログで田辺等先生の「ギャンブル依存症」
という本を紹介した。

この本はギャンブル依存症という病気を理解する上で大切なことが
色々な実例をあげて、とても丁寧に、しかも分かりやすく書かれている。
そしてこの本に書いてあることは、ギャンブル依存症だけでなく
依存症というものの本質を知るためにもとても有用だと思う。
だからできることならギャンブル以外でも
依存症の問題で悩んでいる人には一度読んでもらえたらと思う。

そしてこの本をまだ読まれたことがない人のために
少し内容を要約して紹介しようと思う。
「どんな人が依存症になるのか」というのは第5章のタイトル。

この章ではギャンブル依存症患者の性格の傾向として
物静かで口数が少ない、おとなしく対人関係が苦手
自己評価は低いが自分への要求水準は高い、自尊心は強く
頑固で負けず嫌いといった特徴が挙げられているが
社会生活に著しく適応できないパーソナルティ障害の例は極めて少ない
と述べられている。

つまり依存症になるまでは特に大きな問題もなく
学校、家庭、職場などの社会環境に適応しているように見えたが
内面では葛藤があり、他者に対して不平や不満を抱いている人ということであり
更に言えば、自分の思っていることを素直に表現することができず
優越感と劣等感の間で気持ちが揺れていていつも生き辛さを感じており
そのフラストレーションのはけ口を「何か」に求めてしまうということだろうか。

特に自尊心が強く頑固で負けず嫌いという性格は
裏を返せば「弱音を吐くことができない」「勝ちにこだわり負けを認めることが
苦手」ということであり、その結果一層フラストレーションがつのるという
「卵が先か、鶏が先か」のような悪循環を招くことになる。

その結果、依存症の中でもギャンブルやゲームといった勝負事に依存する人は
バーチャルな世界の中で、圧倒的な勝利や大金を手にした強烈な快感で
脳内物質の分泌の仕方にまで変化が起こり
完治することのできない依存症にかかってしまうということなのだろう。

それでギャンブル依存症に限らず、様々な依存症において
グループカウンセリングが有効であると言われるのはなぜかということを
私なりに考えてみた。
それはグループカウンセリングをやったから依存症が治るということではなく
依存症の人が長い間自分の心の奥底に封じ込めてきた葛藤を
同じ思いを共有する人たちと話すことで外に出す
自分の心を解放することがまずは回復への第一歩になるからなのだと思う。

だからAA(アルコールアノニマス)やGA(ギャンブラーズアノニマス)
といったグループカウンセリングを行う依存症の自助グループは
完全な匿名性で自分のプライバシーを明かす必要はなく
ありのままの自分をさらけだしてもいいように
そこでの発言は言いっぱなしの聞きっぱなしで
誰からも否定も非難されることがないという約束に基づいている。

「ありのままの自分を肯定する」
これは依存者が回復に向かうためにはとても大事なことで
依存症の患者を抱える家族にもまた要求されることなのだと思う。
けれど精神医学の専門家でもない普通の人間
しかもそれまでさんざんひどい目に合わされて
できることなら殺してやりたいと思っているような家族が
依存者に対して、いっさい批判も非難も無視もせずに
根気強く向き合うことは、現実にはありえないほど難しく
それができたらもう神や仏の領域だと私なぞは内心思っている。

まあ依存症というものはかくも厄介で面倒くさい代物なのだ。
この前「メンタリスト」というドラマを見ていたら
脳医学で道徳エンジンというものを脳に設置できるという話をやっていて
それは電波かなにかで人間を良い人や悪い人にできるというのだが
現実には脳を破壊するほうのシステムはどんどん多様化し進化しているのに
回復させたり良くする手段はものすごくアナログで
解明も治療方法も全く前進しないというのは
何かとても理不尽な感じがするのだが。