そろそろ来年のカレンダーを、という季節になりました。
当然猫物で、この三年ほどは「猫川柳」というシリーズにしています。
岩合さんのカレンダーと、どっちにしようかと迷いましたが
やっぱり来年も「猫川柳」でいくことにして、アマゾンに注文しました。
一昨年の春、乳がんステージⅣの告知を受けた時は
私も、おそらく家族や友人の脳裏にも「来年のお正月は無理かも」という
思いがよぎったと思います。病名と進行状況からいって
そういうイメージの病気だからです。
最初から治らないということは分かっていましたから
とにかく一日でも長く普通に暮らしたいと思って
比較的副作用が軽いといわれる
ホルモン剤での治療を選択して、今に至っています。
ホルモン剤には腫瘍を縮小させるほどの強力な効果は望めないので
自壊している患部は、少しづつ増大し続けていて
あと少しで腋のリンパ節の転移部分とくっつきそうです。
浸出液は終日出ていて、大量ではないまでも出血もあります。
患部のある左の手は、肩から手首までむくみがあって
まっすぐ手を挙げるのは無理で、あまり重いものは持てません。
そんな状況ですから、主治医の先生にも、私自身も
これから、いつごろ、どんな風になっていくかの予測は立ちません。
今でも日常生活にはほとんど支障がなく暮らせていますが
だから半年後、一年後も大丈夫というふうには考えていません。
けれどそれは、自分の病気や将来を悲観的に考えているのとは少し違います。
何回か書いていますが、治らない乳がんを告知されてから
今まで依存症の話の中で、何回も聞いた「今日一日」という言葉が
私にとって、大きな意味を持つようになりました。
もしかしたら、これが最後の一日になるかもしれない
今日一日が、何事もなく終わるだけで幸せ、なんて書いていると
「あ~あ、きれいごといっちゃって」と、頭の中で悪魔の声がします。
最近ずっと浦沢直樹さんの「ビリー・バット」を読んでいたので
もしかしたらコウモリの声かもしれませんが(笑)
自分の病気については、それほど心配をしてないのですが
ダンナのこと、子どもたちのことでは、不安がまったくないなんてことはありません。
特にダンナ。酔って煙草つけたまま居眠りしてたりするのを見ると
「私が死んだあと、この人は大丈夫なのか」と思いますが
そんなことを考えていたらきりがありません。
そのダンナ、先日一緒に行ったSIONさんのライブが
よっぽどインパクトがあったのか
ライブ後「車で聴くからCDを買いたい」と言うので
入門編として、代表曲がほとんど入っている2枚組を買いました。
乳がんを告知された頃、音楽のブログで
SIONさんの「後ろに歩くように俺はできていない」という曲を紹介しました。
「後ろに歩くように俺はできていない 今日を行くだけだ たとえ亀より遅くとも」
という歌詞が、その時の自分の気持ちにピタッとハマったからです。
その私の心の師匠であるSIONさんの歌に、ダンナの気持ちが少しでも動いたとしたら
こんなにうれしいことはありません。
そしてこの前、娘に「お母さんみたいに、60才近くなったからの乳がんっていうのは
高血圧なんかと同じで、老人病の一種だと思うよ」と言ったら
「またそんなことを。お母さんのそういう俺様理論は認めないから」と
手厳しくはねつけられましたが
私としては、こんな感じの「今日一日」を一日一日つないで
行けるところまでいくのが今の目標。
そして、できるだけ自然に、終わりに近づけていけたらといいなと
こっそり考えているわけです。
当然猫物で、この三年ほどは「猫川柳」というシリーズにしています。
岩合さんのカレンダーと、どっちにしようかと迷いましたが
やっぱり来年も「猫川柳」でいくことにして、アマゾンに注文しました。
一昨年の春、乳がんステージⅣの告知を受けた時は
私も、おそらく家族や友人の脳裏にも「来年のお正月は無理かも」という
思いがよぎったと思います。病名と進行状況からいって
そういうイメージの病気だからです。
最初から治らないということは分かっていましたから
とにかく一日でも長く普通に暮らしたいと思って
比較的副作用が軽いといわれる
ホルモン剤での治療を選択して、今に至っています。
ホルモン剤には腫瘍を縮小させるほどの強力な効果は望めないので
自壊している患部は、少しづつ増大し続けていて
あと少しで腋のリンパ節の転移部分とくっつきそうです。
浸出液は終日出ていて、大量ではないまでも出血もあります。
患部のある左の手は、肩から手首までむくみがあって
まっすぐ手を挙げるのは無理で、あまり重いものは持てません。
そんな状況ですから、主治医の先生にも、私自身も
これから、いつごろ、どんな風になっていくかの予測は立ちません。
今でも日常生活にはほとんど支障がなく暮らせていますが
だから半年後、一年後も大丈夫というふうには考えていません。
けれどそれは、自分の病気や将来を悲観的に考えているのとは少し違います。
何回か書いていますが、治らない乳がんを告知されてから
今まで依存症の話の中で、何回も聞いた「今日一日」という言葉が
私にとって、大きな意味を持つようになりました。
もしかしたら、これが最後の一日になるかもしれない
今日一日が、何事もなく終わるだけで幸せ、なんて書いていると
「あ~あ、きれいごといっちゃって」と、頭の中で悪魔の声がします。
最近ずっと浦沢直樹さんの「ビリー・バット」を読んでいたので
もしかしたらコウモリの声かもしれませんが(笑)
自分の病気については、それほど心配をしてないのですが
ダンナのこと、子どもたちのことでは、不安がまったくないなんてことはありません。
特にダンナ。酔って煙草つけたまま居眠りしてたりするのを見ると
「私が死んだあと、この人は大丈夫なのか」と思いますが
そんなことを考えていたらきりがありません。
そのダンナ、先日一緒に行ったSIONさんのライブが
よっぽどインパクトがあったのか
ライブ後「車で聴くからCDを買いたい」と言うので
入門編として、代表曲がほとんど入っている2枚組を買いました。
乳がんを告知された頃、音楽のブログで
SIONさんの「後ろに歩くように俺はできていない」という曲を紹介しました。
「後ろに歩くように俺はできていない 今日を行くだけだ たとえ亀より遅くとも」
という歌詞が、その時の自分の気持ちにピタッとハマったからです。
その私の心の師匠であるSIONさんの歌に、ダンナの気持ちが少しでも動いたとしたら
こんなにうれしいことはありません。
そしてこの前、娘に「お母さんみたいに、60才近くなったからの乳がんっていうのは
高血圧なんかと同じで、老人病の一種だと思うよ」と言ったら
「またそんなことを。お母さんのそういう俺様理論は認めないから」と
手厳しくはねつけられましたが
私としては、こんな感じの「今日一日」を一日一日つないで
行けるところまでいくのが今の目標。
そして、できるだけ自然に、終わりに近づけていけたらといいなと
こっそり考えているわけです。
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