癌と生きる 依存症と生きる

命がある限り希望を持つということ


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常識ってなんだろう

2017-12-16 17:11:32 | 社会・生活
TVでは連日のように
力士の暴行事件の経過が報道されています。
たくさんの人が、それぞれの立場でコメントされていますが
その多くのコメントの中で
ひとつだけ「そうだ」と納得できるものがありました。

それは「ある人が別の人を、凶器になるもので殴りつけ
殴られた人が、血を流すほどの大きなけがをしたら
警察に通報されて、加害者は逮捕されるはずだ」というものです。
加害者は傷害罪で逮捕されて、取り調べを受け
警察から検察に送検されて何らかの法的な処分が決まる。
人間の生命や財産が、法によって守られている社会では
それが常識的な経過のはずです。

ところが、今回の事件では、とても複雑な事情がからんで
その常識とはずれたところで、多くの言葉が費やされていると感じます。
加害者が、社会的に高い地位の人だから。
被害者側が、自分が所属する組織の決まりを守らないから。
また、被害者が、マスコミにも関係者にも何も語らず沈黙しているから。
そういう様々な理由で、あるいは加害者側が
あるいは被害者側が悪いといった意見が交錯しています。
けれど、一連の経過の原点に返れば
私には、今の経過が、それほど間違っているようには思えないわけです。


もう一つ、もともとの最初の暴行事件が
いわゆるいじめに似ているという点です。
暴行事件が起きた時、現場には何人も人がいました。
大けがをする事態になるまでに、誰かしらとめるチャンスはあったはずです。
加害者がいて、被害者がいて、傍観者がいる。
弁護士さんが「もしも暴行をあおった人間がいたら
その人も罪に問われます」と話されていましたが
あおらないまでも、ただ黙ってみている
あるいは見て見ぬふりをするというのは
いじめの現場では、よくある光景のような気がします。

その後の経過にしても
いじめでも傷害や恐喝なら警察に訴えることもできますが
暴言や嫌がらせ、仲間はずれ、無視など
心に大きな傷を与える行為では
訴えることができるのは、担任の先生であり学校です。

学校が適切に対処してくれた場合はよいのですが
通りいっぺんの指導や調査だけで
「いじめはなかった」「指導して解決した」で終わらせて
実はいじめがなくならなかったり
親や先生に言ったことで、さらに激しくなったりした場合
いったいどうすればいいのでしょう。

どうしても子どもを守りたい親御さんは
学校を通さずに、教育委員会に直訴されるようなケースもあるでしょう。
そうなった時に、学校や、他の児童の親御さんなどの中に
暗に「そこまで、ことを荒立てなくても」という空気はないでしょうか。
正当な主張をしたことで、逆に学校に行きづらくなる
なあなあで、角を立てず、丸く納めることが美徳とされる
日本人の中に、そういう空気は、実は根強くあるような気がします。

ことを荒立てる、角を立てる人間が悪いというような論調は
本質を見失った、常識はずれの考え方だと思うのは私だけでしょうか。
いじめの問題では、今も悲惨な事件があとを絶ちません。
「いじめる人間が悪い、いじめられる人間に非はない」
これが社会常識として認知され、浸透しなければ
表面的な叱責や指導だけでは、何もよくならないように思います。
まして学校や、教育委員会の組織の論理を優先させ
事実を隠蔽し、うやむやにして
なるべく誰も責任を取らなくていいようにというような対応は
およそ常識とはかけ離れています。
今回の暴行事件でも、被害者側が、自分の属する組織に対して
信頼をおけなかった背景には、それと似た構図があるかもしれません。
これはあくまで私の推測なのですが。

毎日のニュースで「あっちが悪い」「こっちが悪い」みたいな話が
飛び交うのを聞きながら、こんなことを考えていました。
私は、自分の考え方が絶対に正しいなんて夢にも思いませんが
ネットでも膨大な量の意見や、情報が飛び交う時代ですから
そのたびに他人の意見に左右されたり、偏った考え方をしないためにも
「自分は、これについてこう思う。その根拠はこれ」という
考え方の習慣をつけることは大切なのだろうと思います。


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さよなら シーザー

2017-10-24 15:56:08 | 社会・生活
「猿の惑星 聖戦記」を、先週の金曜に観てきました。
セミナーはパスするのに映画は行くんかいと突っ込まれそうですが
2014年に「猿の惑星 創世記」と「新世紀」を観て
かっこいい猿のリーダーシーザーに激ハマりしました。

「新世紀」が公開されたあとに、この「猿の惑星」シリーズは三部作で
2017年に完結編が公開される予定というニュースを見ましたが
その時は「さすがに三年後は無理だろうな。来年くらいに
公開してくれたらいいのに」と無茶なことを考えていました。

けれど、どうにかこうにか三年が経ち
先日「聖戦記」が封切られたことを知って
「これは、もう何としてでもいかねば」と劇場へ。
もともとこのシリーズは、1968年に公開された
「猿の惑星」の前日譚という位置づけで
「地球はなぜ猿の惑星になったのか」を解き明かす物語とされていました。

映画の感想は、映画ブログのほうに書いていますが
今回の「聖戦記」は、エンタメ色が強かった前二作と比べると
全体に、暗く重い雰囲気に包まれています。
シリーズ全体を通じて、人類VS猿の対立が軸になりますが
この「聖戦記」では、猿同士も敵味方に分かれ
人間たちにも深刻な対立がある。そして終わりのない憎悪と争い。

映画に行った2日後は選挙でした。
権力争いや、いろんな策謀や、怒りや憎しみ。
人間世界も「猿の惑星」ワールドと何ら変わりません。
というより、もともとSFというジャンルが
人類の未来を予見するだけではなく
現実世界のメタファーという意味合いがありますから
当然と言えば当然なのですが。

偉そうに書いてますが、それを知ったのはここ5年ほどです。
多少視野が広がったとしても、知らないことがまだ山ほどあります。
もっと若い頃に、そういうことに気づいていたら
もっともっと時間を有効に使えたのではないか
なんか無駄に年を取ったんじゃないかと、たまに落ち込むことがあります。
終わりが見えてくると、人生は意外に短いです。

ともあれ、あのちっちゃくて可愛かったシーザーが
青年になり、壮年になって
「聖戦記」では、見た目にも、表情や話し方にも
微妙に老いを感じさせるようになった
(ていうか今作の、苦悩するシーザーは、もはや人間にしか
見えませんでしたが)そのシーザーの人生(猿生?)に
最終章まで寄り添い、見届けることができたことは本望です。

ここへきて、世界中至る所で、様々な形の争いが頻発しています。
怒りには怒り、憎しみには憎しみという発想しかなければ
当然ですが、戦いという結論しか出てきません。
本来は、人間であれば、もっと多様な選択肢を設定できるはずなのに
なんだか、どんどん選択肢が狭まっている気がします。
このままいけば一連の「猿の惑星」ワールドが描いた
人類滅亡が、フィクションでなくなる未来が来るかもしれません。

私の目には、権力とか名声とか利権とかを手に入れようと
声をからして、選挙運動に狂奔する候補者さんたちよりも
苦悩するリーダーシーザーのほうが
数段思索的で崇高な生物に見えましたよ。
さよならシーザー、よくがんばったね!



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食事会とダンナのトラウマ

2017-09-23 16:23:03 | 社会・生活
昨日は、お盆にパスさせてもらったので
娘夫婦と、晩ご飯を食べに行きました。

この前の蜂窩織炎が、1週間抗生剤を飲んでも
完全に治らなかったようで、先週の土曜日にまた発熱。
18日は祭日でしたが、急患で診てもらい
追加で一週間分の抗生剤を処方してもらいました。

今回は、さいわいあまり熱が高くなかったこともあって
3、4日でなんとか回復し、約束した日に出かけられました。
グルメ情報に詳しい娘たちにおまかせで
近場で、お魚がおいしくてリーズナブルな居酒屋さんへ。

男性陣はやっぱりお刺身、焼き鳥などのおつまみ系ですが
私は、はもの天ぷらとお豆腐のサラダがおいしかったです。
娘のダンナさんは自営業で日曜日と祝日が休みですが
ダンナは、土、日、祝日の休みがありません。なので
予定を合わせるのはなかなか大変なのですが、何とか実現しました。

娘は結婚して、ダンナさんと、2匹の長毛ニャンズと
至って平和に暮らしているように見えます。
客観的には、特に不満を感じるような状況ではなさそうですが
人間というのは、自分が置かれた環境の中で
結局何かと悩みを作り出してしまうようです。

食事会の時は和気あいあいですが
私と二人でおしゃべりしている時には、ぽろっと悩みが出ます。
もちろん、親子でも夫婦でも、人と人が関わりあって起きることは
どちらか一方だけが悪いわけではなく
原因はハーフハーフだと私は思うのですが
私が、思春期の頃から、娘の性質の特徴と感じているのは
繊細さ、ある種宗教的とも言える純粋さです。

こう書くと親ばかと思われそうですが
娘が好む音楽、映画、そして漫画や小説などの
娘の嗜好や、これまでの行動や考え方を分析しての結論です。
よく言えば繊細で純粋ですが、見方を変えると
内向的で環境に適応する力が弱く、対人関係が不器用で傷つきやすい
いまどきの若者に多いと言われる、いわゆる生きづらいタイプなわけです。

で、ひとしきり娘の愚痴を聞いたあとの私のアドバイスは
「人間は、ある意味邪悪なほうが生きていきやすいんだよね」
それを聞いた娘のコメントは
「うん、わかるような気がする。でも私には無理だろうな」
多分そうだろうと思いました。
でも、娘は、これからの人生を一緒に生きていく人を見つけたのだから
やはりその人と、できる限り分かり合える努力をしてほしいなあ。

なんて言いながら、昨日の食事会で
何気なく「お父さんがギャンブル依存になったのは
トラウマとかそんなんじゃないんやろう」と言ったら
ダンナがボソッと「いや、あるよ」「え~~~、あるのっ?!!」
(そんなトラウマがあるなら
もったいぶらずにサッサと言えよ。ボケッ!by心の声)
果たして、そのトラウマの詳細を
生きている間に、話してもらえる日がくるのでしょうか。
もしかして、言えなかったけど私のせいとか言うんじゃねえだろうな。
いや、私も決して完全無罪とは思ってはいませんが。
こんな私が、夫婦の問題で
きれいごとのアドバイスなんかする資格は1ミリもありません。


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ざわつく社会の空気の中で

2017-09-03 17:30:19 | 社会・生活
今日も、北朝鮮が核実験を行ったというニュースが流れました。
頻発する自然災害、アメリカの政治の混乱、そしてミサイルの発射や核実験。
ニュースを見ていると、なにかざわざわした落ち着かない気持ちになります。

このブログを書き始めた頃は、ダンナのギャンブル依存症がらみで
政治や、ギャンブル業界に対して、強い怒りを持っていました。
今でも、その怒りが消えたわけではないのですが
最近では、社会に対してどうこうということではなく
自分はどう考えるか、何をすればいいのかという風に考えるようにしています。

例えば、先日ミサイルが発射された時に
Jアラートが作動して、該当する地域には警報が流れました。

「頑丈な建物か、地下に避難してください」という文言には
「周囲に地下なんかない」という反論がけっこうありましたが
Jアラートが鳴ってから、ミサイルが日本の上空を通過する時間は
ものの3分ほどです。3分で、この警告どおりに行動できる人が
一体どれくらいいるのでしょう。
自宅にシェルターを設置してるお金持ちくらいじゃないでしょうか。

今北朝鮮が行っているのは、ミサイルがどのくらいの距離を
飛ぶのかという、発射実験ですから
日本を狙ってミサイルが撃ち込まれているわけではなく
今のところは核弾頭を搭載しているわけでもありません。
もちろん何らかの落下物が落ちてくる可能性はゼロではないでしょうが
その危険は、むしろ海上で漁をされている漁業関係の人たちのほうが
圧倒的に大きいような気がします。

けれど、日本は、世界で唯一の被爆国ですから
ほとんどの人が、広島の、あるいは長崎の、原爆の写真や映像を
様々な場面で見ています。実際に原爆を体験された方もおられます。

だから「ミサイル発射」のニュースが流れただけで
無意識に、あの原爆の恐怖がフラッシュバックするのではないかと思います。
けれど具体的な状況があいまいなまま
やみくもに避難を呼びかけるのは
いたずらに恐怖心をあおるだけで、あまり有効とも思えません。
万が一、何か落ちてきて被害がでた時に
「警告しました」という、ただの予防線のような気がします。

そして、万が一ミサイルに核弾頭が搭載されたら
「ロシアの最新ICBM一発で、フランス全土が消える。
広島の原爆の2000倍の威力」というレベルの話ですから
おそらく私たちにできることは何もありません。
そういう核を、アメリカやロシアは何千発も保有している
そういう時代であり、そういう世界です。

この何とも言えない、ざわざわした不穏な空気を
とても的確に表したお話が、毎日新聞の
高村薫さんのインタビューの中にありました。

「19~20世紀にかけて私たちがよって立ってきた
資本主義、民主主義、国民国家という枠組みが
ここへ来て確実に限界を迎えようとしている。(中略)
本来人間は、よほど自分を律していかなければ善良ではいられない。
良識や思慮深さという重しがとれ、人は品が悪くなり
言いたい放題になり、他人に平気で迷惑をかけるようになる。
今は、人間が持っている野蛮なところが世界中でむき出しに
なってきています」

「まさに」という感じです。でも、この何とも言えない嫌な空気に
私達は毒されてはいけないような気がします。
容赦のない他人への攻撃、白か黒かの極端な考え方が
社会に広がってしまうと、次第に個人までもが
そういう思考になっていきます。
すでに、子供にも大人にも広がるいじめなどは
そういう不安定で、攻撃的な空気の象徴と言えるのではないでしょうか。

そういう空気に流されないためには
「TVで言ってるからこうなんだ」とか
「〇〇が言ったから正しいんだ」と、他人の考えを
そのままうのみにして、自分の意見にするのではなく
自分は、何が本当だと思うのかを
もう一度、じっくり考えてみるほうがいいような気がします。


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「1984年」という小説が暗示した世界

2017-08-23 10:16:47 | 社会・生活
「1984年」は、1949年に
イギリスの作家ジョージ・オーウェルが書いたSF小説の古典の1冊です。
全体主義の恐怖を描いた小説として
トランプさんが大統領に就任した際には
アメリカでベストセラーになり、話題になりました。

これも伊藤計劃さん経由で知った本で
伊藤さんの影響で読んだ何冊かのSFの中では
一番衝撃を受けた本でもありました。

どういうお話かというと
「核戦争後の1984年、世界はオセアニア、ユーラシア
イースタシアの3つの超大国に分かれている。
オセアニアの、ロンドンに住むスミスは、党の役人として
日々歴史を改変する作業に従事していた。

オセアニアは、ビッグ・ブラザーという指導者に統治されていて
国民は、党中枢、党外部という、支配者に属する層と
それ以外の、国民の85%を占める、プロールと呼ばれる
下層階級の労働者層に分かれていた。

プロールと呼ばれる下層階級に対する政治教育は行われておらず
党が許す範囲での娯楽(酒、ギャンブル、スポーツ)や
党が制作した映画、音楽、ポルノなどが提供されている」という世界です。

これはWikipediaからの要約ですが
この小説で描かれる全体主義は
最近しばしば話題になっているアノ国の全体主義とは、かなり様相が違います。
ほとんどの国民に対する、厳しい思想の統制などは行われていないのに
全体主義が成立する社会というのが、まず衝撃的でした。

本の中に、こういう一節があります。
「きつい肉体労働、家庭と子どもの世話、隣人とのつまらぬいざこざ
映画、サッカー、ビール、そして何よりもギャンブル
それがかれらの心を占めるすべてである。
かれらをコントロール下に置くことは難しくない」

サッカーという表現は、イギリスならではなのでしょうが
映画をテレビに、サッカーをスポーツ全般に置き換え
ギャンブルに、スマホやオンラインゲームを加えれば
今、私たちの多くが送っている日常と大差ないような気がするのです。
大衆を制御するには、ギャンブルが不可欠という発想には
「う~ん」と思わざるをえません。
どんな底辺の人間でも、ギャンブルやスポーツによって
偽りの勝利感や達成感を味わえるからでしょうか。

もう一つは「ニュースピーク」という、言葉の単純化です。

「<良い>という単語がありさえすれば、<悪い>という単語の必要が
どこにある?<非良い>で十分間に合う。(中略)
<素晴らしい>とか<申し分のない>といった語をはじめとして
山ほどある曖昧で役立たずの単語など存在するだけ無駄だろう。
そうした意味は<超良い>で表現できるし、もっと強調したいなら
<倍超良い>を使えばいいわけだからね」

つまり「良い」という言葉と、その変化形だけが用いられて
「悪い」「素晴らしい」「申し分のない」などは排除され、消滅します。
その結果、人の思考はどんどん簡略化され、単純になって
政治や思想を表現できるような言葉はなくなって
文学などは「ニュースピーク」を用いて書き換えられた結果
本来の意味とは似ても似つかぬものになるというわけです。

私が読んだ「1984年」は、高橋和久さんの新訳で
<超良い><倍超良い>という訳し方に
思わず笑ってしまいましたが、なかなかの名訳です。

最近、お友達と「気になる表現」についてやり取りしました。
生活の中でも、メディアなどでも
何となく違和感を感じる言葉を耳にすることが増えました。
<超良い>とか<倍超良い>みたいな表現も
「超~」「マジで~」などと普通に言ってますし
130字のツイッターはいまや長いほう
ラインなどはワンフレーズとか絵文字のみでもO.Kとなれば
もはや言葉は必要ないんじゃなかと思います。

私のように、ブログ書くのに、うだうだぐだぐだ言葉を連ねるのは
「ウザい」「ダサい」「暗い」「重い」の見本みたいなものです。
けれど「1984年」を読むと、全体主義の社会というのは
必ずしも、悪魔のような独裁者が、すべての国民を統制し、力で服従させなくても
人々から、物事を考えることができる言葉を奪い
不平不満のガス抜きのために
安手の娯楽や、スポーツや、ギャンブルを与えておけば
日々の暮らしに追われ、疲れて、考えることを放棄した人々を
権力者の思うようにあやつることができる、そういう社会だと暗示されています。

これが、今私たちが生きている社会と、あまり大きく違わないように感じるのは
私の被害妄想なのでしょうか。
ひと月に一冊も本を読まない人が3割になり
「本を読まなければいけない理由がわからない」という人もいて
言葉なんかいらない、ひいては人間が2千年ちかい時を費やして考え続け
築いてきた、あらゆる文化的なものが消滅していくような時代で
本当に大丈夫なのか、結果やっぱり人類は消滅するんじゃないのか。
だからこそ「1984年」は、SF小説の傑作なのでしょう。

ちなみに「1984年」は、漫画版も出ています。
こういうSFは、中高生の間に読んだほうがいいと
伊藤計劃さんも、推奨しておられました。
「この世界がまったく理不尽な場所で、わたしたちは
それをどうしようもないのだ」ということを知るために。



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お盆と新種のゾンビの話

2017-08-17 16:11:00 | 社会・生活
介護の仕事をしているダンナは
お正月やお盆はほぼ通常勤務で、お休みはありません。
福岡は、去年も暑かったですが、今年も連日34度とかの猛暑で
私も、通常のスケジュールを何とかこなすのがやっとという状態なので
ダンナの実家へのお参りも、子供たちに会うのも
もう少し涼しくなってからということにしました。

長男一家は、7月にふらりとお昼ご飯を食べにきたし、
娘とは2週間に一回くらいは顔を合わせるので
「お盆だから実家に」という話は、今回も免除してもらいました。

で、家にある私の実家のほうのご先祖様の仏壇に
こじんまりお盆の飾りつけをして
日本酒と、父の好物だった黒ビールをお供え。
取りあえずお酒さえ供えておけば、祟られなさそうな仏様です。
しかし、遠路はるばる来られるのに
2泊3日は、ちょっと短いんじゃないか
せめて1週間くらい逗留してもらえばいいのにと
相変わらず、しょうもないことを考えながら手を合わせていました。

ルナは、猫だからお盆は関係ないのか
そもそも、あのものぐさな猫が
わざわざ遠くから来るとも思えないし、来たら来たで
そのまま居座ってそうなのですが、まあそこは気持ちの問題で、
新しいペットフードとお刺身なんかを供えておきました。

お昼ご飯を食べて、2時ごろダンナが出勤し
それから近くのスーパーに買い出しに行って
そのあとの2,3時間が、映画を観たり、ブログを書いたりする自由時間。

7月に亡くなられたゾンビ映画の巨匠ジョージ・A・ロメロ監督の
大ヒット作「ゾンビ」久しぶりに見ましたが、面白かったです。
ゾンビ物には、不動の固定ファンがいて、映画もドラマも
いまだに新作が作られるのも、わかる気がします。

ところで「歩きスマホ」のことを
英語で「スマートフォン・ゾンビ」というらしいです。
新聞記事ですが「スマホ断食」の著者藤原智美さんは
「人間は、歩いているとき、周囲の状況に目を配り
頭の中ではさまざまな思いや考えをめぐらす。そんな二足歩行を
始めて以来のあり方が変わってしまった」と書かれています。

映画「ゾンビ」では、ショッピングセンターに立てこもった人間たちと
センター内を徘徊する、ものすごい数のゾンビたちとの攻防戦が繰り広げられます。
人間は、ショッピングセンターの中にある、高級な服や装飾品
上等な食べ物、武器やお金などに目を輝かせ、飛びつきますが
ゾンビは、そういう何物も目に入らないし、反応もしません。
ゾンビが求めるものは、ただ一つ。生きた人間を捕らえて食べること。

「歩きスマホ」をゾンビに例えるのは
ひたすらスマホを見つめ、ゆらゆら歩いていく姿が
人間らしい思考も感情もなく
うつろな表情で集団で動き回るゾンビたちの姿とかぶるからなのでしょう。

スマホやネットの浸透は、人間の歩行のあり方を変えただけではなく
24時間、わずか手のひらほどの液晶画面に人間の脳が支配され
脳の機能に大きな影響を及ぼしているかもしれません。
スマホやネットやゲーム以外の何物にも興味を示さず
感情を動かすこともなくなったとしたら
それは、生きながらにしてゾンビになったのと何も変わりがありません。

私が、ホラーやSFに魅かれるわけ。
それは多分、人間にとって、あるいは社会にとって
本当に怖いことと、恐怖とは何なのかを
極めて暗示的に見せてくれるからなのだろうと思います。

普通に街を歩いている人の、8割とか9割とかが
ゾンビ化していると、想像しただけでもかなり怖いことです。
意味不明の落ち武者の幽霊とか生首なんかより数段恐ろしい。
そういう自覚がない人は
ロメロ監督の名作「ゾンビ」で
徘徊するゾンビたちに、自分の姿を重ねながら
一回じっくり観てみるのもよいかもしれません。



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わう!WOWOW

2017-07-30 11:07:13 | 社会・生活
梅雨明けとともに、福岡は連日34度を超える猛暑が
続いています。今回は、タイトルからして、あまりの暑さに
頭のネジが、2,3本飛んじゃったというようなタイトルですが。

25年前、ハマりにハマった、アメリカドラマの「ツイン・ピークス」
最終話で「25年後に会いましょう」というセリフがあったのですが
25年目の今年、続編ができて、WOWOWでの放送が決定。

すでにケーブルを入れているので、この上WOWOWというのは
いかがなものかと、ずいぶん我慢をしたのですが
PCでどのサイトを開いても、何かの呪いのように
「ツイン・ピークス The Return」の広告がついて来る。
ついに根負けして、7月1日にWOWOWに加入するはめになりました。

「ツイン・ピークス」については
ぶっちゃけ誰にでもお勧めできるドラマではありません。
登場人物はみんな変ですし、現実と非現実の境が限りなくあいまいで
観ればみるほど、ざわざわした不穏で嫌ぁ~な気持ちになること請け合いです。
けれど、別にグロが売りの、スプラッターなドラマではないので
ただただ心理的な気持ちの悪さ、不快な感じが好きという方にはいいと思います。

「ツイン・ピークス」はともかく、WOWOWの素晴らしいところは
去年封切られた映画を、じゃんじゃん放送してくれること。
「貞子VS伽椰子」「残穢ー住んではいけない部屋」「葛城事件」
「日本で一番悪い奴ら」「シン・ゴジラ」「クリーピー偽りの隣人」
洋画では「オデッセイ」「デッドプール」「帰ってきたヒトラー」
「ブラック・スキャンダル」など、一度観たことがある映画も含めて
「これ、ちょっと観たいかも」という映画が、サクサクと録画できています。

映画というのは、最初に観た時は、どうしてもストーリーを追っかけてしまうので
好きとか嫌いに関係なく、できることなら3回くらいは観たいのが本音です。
2回、3回と観ると「ああ、こんなシーンがあったんだ」とか
「こんなセリフがあった」という、細部に気がつきます。
すると、ファーストコンタクトでは今いちだった映画でも
「ああ、これ意外といいじゃん」ということになることもあります。
また何年かたって観たら、よくなることもあります。

この前娘と「どうしたら、自分の好きな映画とか本とかがこんなのって
分かるようになるか」という話をしていました。
「ひと月に一冊も本を読まない人が約30%いる」という話から
「でも、本屋に行っても何を読みたいか分からないっていう人も
いっぱいいるじゃん。どうしてだろうね」と娘が言うので
「映画とか本はね。とにかく数をこなすしかないんじゃないかな。
面白くないと思っても、とにかく観る。そうして、いっぱい観たら
だんだん自分が好きなのが、どういう感じってわかってくると思うよ。
面白くないからとか、難しいからって、そこでやめてしまったら
それ以上にキャパが広がらないからね」

偉そうなことを書いてますが、何となくたくさん映画を観るだけで
私なんかは、そこから一歩も前進していません。

かなりのシネフィルであり、たくさんの優れた映画のレビューを残された
作家伊藤計劃さんのもうひとつのwebサイト「spooktale」の中に
こんな記事がありました。

「中学生の時、ぼくは「(映画の)パンフレットのあらすじを書く
職業」があったらそれにつきたいなあ、などと、今思えば実に
アホらしい空想にふけっていたものだった」

伊藤さんは、自分の子供のころの夢を「アホらしい」と自嘲されていますが
私はこれを読んで「ああ、これは全然かなわないな」と思いました。
いっぱい映画を観ていても「美しいあらすじ」を書きたいなんて
考えたこともなかったからです。後年、あれほどクオリティの高い小説を
書く土台、基礎になったものがなんなのか、ちょっと分かった気がします。

今さら何をどう後悔しても間に合わないのですが
やっておけばよかった、もっと勉強すればよかったと思うことが
今になっても、次々に出てきます。
けれど私はとにかく言葉が好きで、書くことが好きですから
つたない文章ではありますが、生きている限り
こうしてつれづれに思うことを、書き続けていきたいと思います。
読んでくださる方々には、もう感謝の気持ちしかありません。


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「忍びの国」通院日 そしてヤフオクドーム

2017-07-18 10:39:31 | 社会・生活
先週の月曜日は、娘に強要されて(というのは冗談ですが)
映画「忍びの国」を観てきました。
娘には、伊藤計劃さんの「ハーモニー」と「屍者の帝国」に
付き合ってもらったので、そのお返しと
自分でチョイスすると、息を止めて観るような映画ばっかりになるので
たまには「楽しく」観れるものを観るのも体によさそうだからです。

そう言えば、小説も映画も、いわゆる歴史改変系(万城目学さんとか)には
ほとんど縁がなくて、なかなか新鮮でした。
感想は「伊勢谷友介さん、すてき!」
どんな映画に出ても独特の存在感があって、本当にいい俳優さんだと思います。
あと、でんでんさん(笑)

そして火曜日は通院日。
通院日の前の週、夜中にいきなり38度7分の熱が出て
次の日から、左の腕が真っ赤になってぱんぱんに腫れ
ぱらぱらと湿疹が出ました。
実は、この症状は、1か月くらい前にも出て
その時も4,5日でおさまったので
通院日までもう1週間もないし、まあいいかと放置して
娘からも、福島の友達からも怒られました(笑)

おそらく原因は、左のわきまで広がっている腫瘍。
リンパの転移部分と合体して、リンパ浮腫になっているから。
ですから、これで終わりにはならず、何回も繰り返すような予感がしたので
今回は、主治医の先生に、ていねいに病状を説明しました。
診断は「リンパ管炎」
リンパ管が詰まっていることで起こるということで
「熱が出たら、病院に来てくださいね。抗生剤を飲んだほうがいいので」と。
はい、次からは横着をせずに、ちゃんと受診します。

そして水曜日は、ヤフオクドームの「楽天VSソフトバンク戦」
正直、そろそろ野球観戦はしんどいなと思っていたのですが
ダンナは、今月のシフト表が出た時点で
連休があったので、即チケットを予約したらしい。
それを聞いて内心「え”―っ」と思いましたが
映画には行けるのに、野球にはいけないと言うのも
なんか自分勝手な気がして、これまた「まっ、いいか」

「ステージ4」というブログでも書きましたが
ステージ4の乳がんを告知されていても
本当に十人十色で、お仕事を続けられている方や
中には、海外旅行に行かれるような方もおられますから
自分が何をできるかは
その都度自分の体と相談して行動していいように思います。

自分が末期がんだ、重大な病気なのだというほうに
あんまり気持ちを持っていきすぎると
だんだん病人らしくなってしまう
そういうこともあるような気がしますから
できることはできる、できないことはできないで
本当に体がきついとか、具合が悪い時は
周囲にも正直にそう言うことにしています。

最近出てきた背中の痛みや違和感は
いつもあるわけではないのですが
なんとなく息苦しい感じはあって、ドームへ行く途中の
地下鉄の階段を上がっている時に、息があがってアップアップ。
先を行くダンナに「ちょ、ちょっと待って」

ダンナは高校時代サッカーやってたスポーツマン系なので
一応「前みたいには歩けないから、ゆ~っくり行ってね」と念を押していても
すぐ忘れて、ペースが速くなる。
やっぱりこういう時は「末期がん」っていう
大きなロゴのあるTシャツを作って着ておいたほうがいいような気がします。

残念ながら、ソフトバンクは負けてしまいましたが
無事三日間の予定をクリアできました。
ちょうど3年前の今頃は、全力で引っ越し準備をしていました。
今、あれをやれと言われたら、もう絶対に無理ですが
自分ができる範囲で、できることをと
目標を低く低く設定すれば、まだできることはある、そんな毎日です。

血圧が低いので、今月は上が95の下が55でした。
この猛暑で、8月になったら、下が30くらいになってそうですが
とにかく生きて夏を越せればよしとします。

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人間にできることとできないこと

2017-07-14 15:17:19 | 社会・生活
乳がんを告知された年の秋に
宮崎、熊本、そして福岡にいる子育て仲間4人で、原鶴温泉に行き
その時、朝倉の三連水車と周辺にある野菜や果物の直売所などを観光しました。
静かで、のどかで、実り豊かな朝倉の里。

先週、その朝倉市や東峰村、大分の日田市などを
記録的な豪雨が襲い、たくさんの人が亡くなられ、甚大な被害が出ました。
現在も、気温が35度を超える猛暑の中
避難生活を余儀なくされておられる方が多数おられ
心からお見舞いを申し上げます。

病気になるまでの15年間、露天の八百屋さんで働いていました。
一日に9時間近く戸外にいるので
天気の変わり方には嫌でも敏感になります。
ほとんどの商品を外に置いているので
特に雨には神経質にならざるをえません。

パラパラと降り始めたら、雨に濡らせない商品、切り花とか果物
袋詰めにしたじゃがいもとか玉ねぎなんかを
全力で、雨がかからないところに避難させなければなりません。
野菜や果物の入った段ボール箱も、濡らすと底が抜けますから
もう一人のパートさんと二人で
10キロ、20キロの箱を抱えて
何度も全力疾走するという、はたから見たら
ドタバタコントみたいな仕事でした。

そんな何ともアナログな仕事をしていた私が
気候の変化に気づいたのは、仕事を辞める7、8年前です。
「雨の降り方がなんか違う」というのが初めでした。
曇って、うだるような蒸し暑さが続いたと思うと
いきなり真っ黒い雲がわいて、ひやりとする風が吹きます。
するとほんの数分で、空の底が抜けたような
滝のような雨が降り出しました。

昔ながらの夕立だと、黒い雲がわいているほうを見て
あとどれくらいで降り出すか予測が立てられるのですが
この予測不能の雨には、何度も泣かされました。
商品だけでなく、避難する間に自分も全身ずぶぬれで
帰り道に、ぽたぽた雨を垂らしながらスーパーで買い物してると
なんとも悲しい気持ちになったものです。

その頃から「ゲリラ豪雨」という言葉が
天気予報にも登場するようになりました。
雨と同様に風の吹き方も変わりました。
これまた予測不能の突風が吹くようになりました。
直射日光に当てられない野菜や果物も多いので
簡易テントを3台建てていたのですが
重りをつけていても、テントが持っていかれるような
強風が吹くようにもなって、テントが飛ぶと危険なので
おかしな風が吹いたら、テントも即撤収。
最後の数年は、そんな具合で、なんともせわしない状況でした。

仕事の話は、過ぎてしまえば笑い話でもすみますが
こういう不可逆な天候の変化、気温の変化が
今回のような大きな災害の原因になっているのは間違いないようです。
人間の力、科学の力、どんなテクノロジーを駆使しても
人間にはできないことがまだまだとてもたくさんあると思います。
それは、依存症のような脳のメカニズムに関わる話でも
癌のような、完璧な治療法がみつかっていない病気も同じです。

そうしたことを、不可抗力だと言ってしまうのは簡単ですが
もしもその一因が、人間のやっていることにあるとしたら
やれオリンピックだ、経済成長だと
お金儲けだけを目指して、前のめりに爆走するよりも以前に
人間にできること、できないことは何なのか
やらなければいけないこと、やらないほうがいいことは何なのかを
そろそろ少し落ち着いて、じっくり考えなければいけない
そういう時期に来ているのではないかと思います。

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「土の記」を読んで

2017-06-23 15:33:10 | 社会・生活
先日購入した高村薫さんの「土の記」を読了した。
実は、この作品の前の前に出版された「四人組がいた。」を読んだ時に
「ついに高村さんは、今の社会や世相に匙を投げたんじゃないか。
もう新しい作品は、書かないんじゃないか」と、心の底から心配していた。

かつて「神の火」で、チェルノブイリの事故を踏まえて
逆説的な形で、原発の是非を問うたり
「レディ・ジョーカー」から
「晴子情歌」に始まる「福澤三部作」や「冷血」で
現代の政治、企業活動、恋愛、宗教、家族、犯罪と
書き手も読み手も、脳のシナプスがショートするくらい
幾千幾万の言葉を積み上げ、組み上げて
世の中に「人間とは何か」を問うてこられた高村薫さんの忍耐も
「太陽を曳く馬」のあたりで
そろそろつき始めているのではないかという予感があったからだ。

そして東日本大震災のあとに書かれたのが
初のユーモア小説と銘うった「四人組がいた。」と「空海」だった。
初期の作品にはしばしばキリスト教に関わる表現があったのが
「新リア王」以降は、仏教に対する親和性が感じられるようになって
その当たりが高村さんの到達点になるのだろうかと思っていたが
どうもそうではないようだ。

「土の記」は、奈良の大宇陀という山奥の集落に暮らす、72才の伊佐夫の物語。
タイトルも地味だけれども、舞台も登場人物も
そこで起こる事件も地味なことこの上ない。
けれども、こういう小説を世に出してくれる出版社がまだあることが嬉しい。

伊佐夫は、もとはシャープの社員だったが
大宇陀の旧家の婿養子になり
16年前に交通事故で植物状態になった妻を介護しながら
今は妻が担ってきた農家の仕事を継いで、日々を送っている。

野生の茶の木を育てて茶畑を作り
「伊佐夫さんのコメ作りは理科の実験」と言われるような独自のやり方で稲を作り
親戚や近所と付き合う日常の中で
多少認知症も出始めているのか、過去と現在の境界があいまいになっている。
「昭代(妻)のオムツを替えなければ」と思う端から
「そうか、昭代は年の初めに死んだのだ」という具合に。

精密に、詳細に描かれる大宇陀の自然、農業の手順
風や雨の音、蛙の声、珍しい植物の姿や名前。
そして東日本大震災が起き、その振動は遠く離れた奈良の地にも伝わる。

「どれだけの数に上るのか分からない死者たちが
一夜のうちに生き残った者の世界を一気に組み換え
一本の草もただの草ではなく、土も土ではなく、空も空ではない
三・五次元の位相が現れたのかもしれない」

本当にその通りだと思った。
あの時、私たちが向き合ったのは、自分たちがほとんど経験しなかった
むき出しの生と死の姿だった。
植物も動物も人も、命ある者は皆生きていて
けれどその生の裏側に、死は逃れられない真理として張り付いている。
生ある者の死を、自然の摂理として
それほど恐怖を感じずに受け入れられるようになるのは
60年、70年生きてきたからこそで
多くの、命ある者にとって、死はどこまでも残酷で理不尽なものだ。

それでも、老いるということは
そういう生と死の境界が、次第にあいまいになっていくということでもある。
伊佐夫の回りでも、妻の昭代が死に、実の兄が死に
妻をダンプではねた男が死に、昭代の妹の夫が死に、と何人もの人が死ぬ。
その中で、伊佐夫は次第に、生者と死者、さらには遠い昔の先祖の霊に至るまでが
混在する、現実と非現実の入り混じった世界に生きるようになっていく。

どんな山奥の暮らしであれ
それなりに、浮いたり沈んだりのある人間の日常ではあるのだが
「土の記」は、そうした世俗の諸々をきっちりと描きつつも
どこか夢幻的でとても美しい。
実はこの小説は、会話文に一つもかぎかっこが用いられていないのだが
そのことが、まるで古典文学を読んでいるような
不思議な心持ちにさせてくれるのだ。
自然と人間、過去と現在、そして生者と死者の全てを包み込んで
静寂の中に存在する、一種の宗教的とも言える
広範な奥行きを感じさせる、とても心地よい世界。

しかしながら、こういう生と死と、あらゆるものが混然となった世界を
語ることができるのは、やはりそろそろお迎えが来そうな年齢になればこそで
それを読んで心から感動できるというのもまた
自分がボーダーラインに近づいているからこそなのだろうと思う。

この本を読んだあとに、珍しくしみじみとダンナに
「私ね。あなたと二人で、毎日こんなに穏やかに暮らしていられるのは
やっぱりがんになったからだと思う。もしもがんになってなかったら
あれだけ散々いろんなことがあって、子供たちもルナもいなくなって
ここまで穏やかに暮らすのは難しかったかもね」と言ってみました。
死と向き合うことで、見えてくるものもあるというのは
私の今の実感でもあるからです。
その真意がどこまでダンナに伝わったかはわかりません(笑)
でも、生きているうちに、またこういう本に出会えて本当によかったと思います。



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女性と母性

2017-05-12 16:00:44 | 社会・生活
子供たちから、1000冊の本をダウンロードできる
キンドルをプレゼントしてもらったので
「もう毎回母の日のプレゼントとかはいいからね」と
断っていたら、娘から「お茶を飲みにおいで」と電話が来ました。

「それでは」ということで、チャリで15分ほどの娘の家へ。
娘はダンナさんと、黒と三毛の、二匹の長毛ニャンズと暮らしています。
私が、プレゼントを断ったので
「生きている猫をなでなでする」を、プレゼントにしてくれたようです。
三毛ちゃんのほうは、ちょっと性格がアレなので、触らせてくれないのですが
黒ちゃんは、優しくて大人しいニャンコなので
「このおばさん誰?」という顔をされながらもなでさせてくれました。

1時間ほどお茶しながらおしゃべり。
その中で「男の人って、赤ちゃんが生まれれば、女なんだから
育てられるやろう。何とかなるだろうって思ってるよね」という話がでました。

「全ての女性には母性がある」という、いわゆる母性神話。
昔、桐野夏生さんが、コラムで
「女には、どこか命を引き受ける覚悟がある。
命の始まりを見た畏怖とよろこびが遺伝子に組み込まれているせいかもしれない。
その感覚は、微妙で、個別的である。しかも、荒々しく、うっとうしい」
と書いておられるのを読んで、自分の、子供に対する感覚にすごく近いと思いました。

妊娠と出産は、男性には絶対に理解できない
純粋に、まさに動物としての命がけの体験ですし
そうして生み落とした新生児は、自分では泣くことと眠ることしかできない
24時間、すべての世話をしなければならない
あまりにも無力な生き物ですから
出産を経た女性は、妊娠する前とは、何もかもが180度変わります。

そういう子育ての大変さを、子供に対する無条件の愛情で乗り切っていける人もあるでしょう。
でも、みんながみんなそうかと言われたら、それはどうかなと思います。
確かに、メカニズムとしては、出産すれば母乳が出るようになるといった変化はありますが
それじゃあ、子供産んだら、いきなり本能が覚醒して
完璧に子育てができるようになるかというと、そういうわけでもないと思います。

動物の世界でもそうですが、多くの動物は群れで生活していますから
本能だけではなく、見よう見まねというところも大きいはずです。
けれど現代の、人間の子育ては、どちらかの両親と同居でもない限り
本当に孤独で、未経験のことを手さぐりでやっていく作業になります。

「まあ、何とかならなくはないけど、お母さんの場合は
そんなにキャパが広くないもんだから
もう母性だけになっちゃった感じなんだよね。妻でもなければ、女でもなくなって。
とにかく子育てしなきゃっていう、義務感と責任感オンリー。
だから、子育てをそんなに深刻には考えない
それこそ、何とかなるさのお父さんとの間に埋められない溝ができたんだと思う。
しかも、こんな理詰めで考えるタイプなもんだから
赤ちゃんが笑ってくれたらとにかく幸せみたいな、愛にあふれたタイプじゃなくて
「なんで泣いてるんだろう」とか「どうすれば笑うのか」とか
いちいち考えるような母親だったし、あんたたちには心から悪いことしたと思ってるよ」と
今さらながら懺悔したら、娘は笑っていました。

「でも、女だから、母親だからって、ひとくくりに言われるのは困るよね。
それは、男性が父親になる場合だって同じなんじゃないかな。
それぞれの性格もあるし、自分が育ってきた環境の影響もあるだろうし。
男性は自分の父親、女性は自分の母親が一応基準になるんだろうけど。
ああなりたいっていう場合も、あんな風にはなりたくないって場合もあるだろうしね。
あと、落ち着いて子育てをするには、父親の協力とか、経済的な安定とかも大きいし。
全部、女性の母性とか、母性愛でなんとかなるというものではないと思うよ」

まあ、私のアドバイスは、いつもこんな感じです。
桐野さんも書かれたように、女性の内なる母性とは言え
それはあくまで「微妙で、個別的な」感覚で、ひとくくりにすべきものではありません。
子供を産んだら、自分はどんな母親になるのかは、実際に産んでみない限り分かりません。

以前娘に「小学校の時、お母さんに母の日の話をしたら
「あれは花屋の陰謀」って言われて、ものすごくショックやった。
あとクリスマスも、「あれはおもちゃ屋とケーキ屋の陰謀」って言ったよね。
もう、こんな人、母親じゃないって思った」と言われたのも今では笑い話になっていますが
そんなんでも母親と思い続けていてくれる子供たちにこそ感謝ではあります。
(ただしクリスマスは、世間並み、人並みにケーキも、チキンも、プレゼントも
準備しましたから、それほど恨まれる筋合いはありません)

ずいぶん回復してきましたが、どうも不調になる前の体調にはもう戻らないようです。
告知からは3年ですが、最初の症状が出てからは丸4年で、5年目に入り
当然のことながら、少しづつ進行している感じです。
ダンナにも「今年は、去年までみたいに、イケイケで出歩いたりはしません」と宣言しました。
そろそろ、周囲に迷惑をかけずに、せめて家のことは自分でできる、のを
当面の第一目標にしたほうがよさそうだからです。

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Good News Bad News

2017-05-03 13:36:46 | 社会・生活
思わせぶりなタイトルですが、まずは悪いほうから。
ギックリ腰になってから、ほぼ3週間。
転移はなかったものの、電気鍼を打ってもらっても
一か所どうしても痛みが消えない箇所が。

そもそもギックリ腰が出た時に
原因と考えられたのが、骨転移、ギックリ腰
そして鎮痛剤の副作用による便秘からくる、腸の不調でした。
前の二つをクリアしても、まだ腰痛が取れないので、これは腸だなと思ったら
いきなり激しい腹痛に襲われ、急患で診てもらいました。

腸のレントゲンを撮ったら、やはり原因は便秘らしい。
これまでも、酸化マグネシウムを処方してもらって
それでもダメな時は、コーラックを使っていましたが
どうもコーラックではダメなようで、先生に
「漢方の便秘薬とかはどうでしょうか」と聞いてみたら
「漢方がいいなら、お薬処方しますよ」とのこと。
今の主治医の先生は、漢方にも詳しいので、すごく好反応でした(笑)

処方していただいた漢方薬が、いい感じに効いて
少しづつ体調が回復してきましたが
この3週間は、告知をされてからの3年の間で
一番体調が悪かったような気がします。

前にも書きましたが、宿主が弱ると、がん細胞はがぜん活気づきます。
自壊している部分は、見た目のおぞましさとは違ってほとんど痛みがないのですが
自壊創のふちの部分は、ぐるりと新しいがん細胞ができているところで
そこに痛みが起こり、浸出液の量も増えます。
この3週間、腰痛、腹痛、患部の痛みと、三重苦状態で、相当弱りました。
けれど、数日前から体調が戻ったので、がんもしゅんとなりました。
「ちぇっ」と、がんが舌打ちするのが聞こえてきそうです。

そして、良いほうのニュースは、新しいノートPCが到着しました。
メイドインチャイナの廉価品ですが
どういうわけか、ダンナが自分の年金で買ってくれたので、ぜいたくは言いません。
ダンナに「何十年ぶりに、もしかして初めてもらった母の日のプレゼントやね」と言ったら
「ハハハ」と笑っていました。
ギャンブル依存症のせいでそうなったわけではなく
もともと、何かの記念日とかイベントとかには
まったく興味も関心もない人なので
私が言ったので初めて「そうか、母の日か」と思ったようです。

前のノートは、返す予定だったので、最低限の作業に使っていましたが
今度は、天下晴れて自分専用なので
デスクトップに、山ほど入れてある「お気に入り」の項目なんかを
ちゃんと整理して自分のPCに移行し、使いやすいようにカスタマイズしようと思います。
今からそれやってどうする、という話ではあるのですが。

もう一つは、先日応募していたアルファポリスの「ホラー大賞」
前回は最下位に近い結果だったのが
今回は23位とか結構上位の成績で終わり、すごく嬉しかったです。
まあ娘がサクラで投票してくれたり、モノ書きのお友達が応援してくれたりもあったのですが
一般読者で、投票してくれた人が数名いたようで感激しました。

こんな具合で一進一退、まさに「禍福はあざなえる縄の如し」という言葉通りの日常です。

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我が家のパソコン事情

2017-04-15 15:27:44 | 社会・生活
我が家にはデスクトップのパソコンがあるのですが
ダンナが家にいる時は、ほとんどダンナが使っています。
何をやっているかというと、いろんなポイントサイトでのポイント集め?

うちはお互いに、相手が何をやっているかにはほとんど干渉しないので
詳しいことは分かりませんが、謎のメールが山ほど送られてきて
「クリックすると1ポイント」みたいなのを延々とやっています。

なんでそんな単純作業みたいなことが楽しいのか
ポイントを集めて何がしたいのか、まったく理解不能だし
その状態がネット依存の領域に入るのかもよく分かりません。
そもそもパチンコにハマっていた頃から
要は、仕事以外の時は何も考えず、人と関わらず
無機質なものと向き合っているのが一番安らいでいるように見える
私からしたら、40年一緒に暮らしている謎の生物なのです。

けれど、謎という意味では
ダンナからしたら、何が面白いのか分からない本や映画にどハマりして
一人で、嬉々としてそんなのを観ている私だって謎の生物で
だから、お互いに相手に干渉しないことで、平穏を保っています。

3年前、告知をされた時に、長男に使ってないノートPCを借りました。
その時は、1年もしたら返すことになるだろうと、たかをくくっていましたが
そのままズルズルと3年たってしまいました。

で先日、長男から「PCが必要になったので返してくれないか」と。
デスクトップがあるので、別に困らないのですが
自分専用のPCがある便利さに、すっかり慣れているので
「やっぱり自分用のノートを買うか、でも果たして、それをいつまで使うか」と
私にしては珍しく、あれこれ悩んでしまいました。

がんでは、乳がんとか肺がんとかの種類ごと
そしてステージごとに、5年生存率というのがあります。
私の、乳がんステージ4では、おおむね30%前後。
告知をされて、治療を始めてから5年後に生きている人が
3人から4人に1人くらいの割合ということです。
けれどこれは、抗がん剤や放射線治療などの標準治療を受けている人のデータで
無治療とか、緩和ケアだけ、私のように、最初からホルモン剤だけの場合は
まったくと言っていいくらい、先のことが分かりません。

ですから、家族にも、親しい人にも
「もう長くないかもしれない」なんてことは、うかつには言えません。
そんなこと言って、一年後も今と同じだったら
「死ぬ死ぬ詐欺」みたいで、みっともないからです。

けれど自分のためだけに何か買うとなると
つい「もったいないのではないか」という思いが頭をよぎります。
(本代と映画代は別です。これは私にはご飯と同じで、なかったら死ぬ 笑)
長年使ったドライヤーも、なんか危険な感じがするので
買い替えたいと思ったのですが、ダンナはもうドライヤーはいらない(笑)
ずいぶん迷いましたが、発火でもしたら恐いので、さすがにこれは買いました。

そしてノートPC。一週間ほど迷って、結局新しいのを買うことにしました。
ダンナが3万円くらいのお買い得品を探してくれるというので、任せます。
こういう「何かほしい、何かやりたい」という執着は
よく言えば、生きるための原動力になるのでしょうが
そういう執着から解放されるほうが、楽になるような気もします。
けれど、なかなかそこまで悟れない。まだまだ修行が足りません。

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異界通信

2017-04-05 16:25:43 | 社会・生活
こんなタイトルを書くと
「あら、この人とうとうあっちの世界にいっちゃったのかしら」と思われそうですが
前回のブログで書いた、怪談のお話。

久しぶりに、モノ書きしようかなと思ったもう一つの理由は
おととしアルファポリスという投稿サイトの「ホラー小説大賞」に応募したのですが
そのアルファポリスから
今年のホラー小説大賞を4月に開催しますという案内がきました。
それで、ホントに久しぶりに書こうかなと思ったわけです。

アルファポリスというサイトは、読者も作者も、十代から二十代の若者が主流で
サイトのトップからして、キラキラアニメイラスト満載で
場違いなこと甚だしいのですが、性別も、年齢も、見た目も
なんにも分からないのが、ネット世界のいいところで
そこに小説を置いておくと、こういうコンテストの時に
エントリーがすごく簡単にできるので、作品をいくつか置いています。

前回は「怪談牡丹灯籠」のオマージュの「夢幻洋燈館」という小説でエントリー。
応募作の中では、ほぼ最下位に近い結果に終わりました。
今回は「骨董絵葉書館」というのを書きました。
なにしろ昨今の出版界は「異世界」物が大盛況で、SF、恋愛はもちろん
歴史や推理、ホラーの分野まで、異世界転生一色というありさま。
もとよりそんなものは書けないので
相変わらず自分が書けるものを書いていますが
今回は、どういうわけか、読んでくれて投票もしてくれた奇特な方がいて
今のところは、予想外の好成績で、自分でもかなり驚いています。

もちろん成績が良いのは何よりですが
小説を書くのは、こうしてブログを書くのとは違った緊張と楽しさがあります。
ダンナのギャンブル依存症MAXだった時期には
「博打に狂った夫を、人間の形も分からないほど切り刻む」といった
過激なエピソードがあるホラーを書いて、ストレスを解消した時期もあります。
書くことは、主観に溺れず、自分の内面を客観視するという意味で
昔は、精神的な不調のリハビリでもあったし
更にこのブログを書くことで「ギャンブル依存症」について
理解したことや考えたことを
整理することもできました。

ブログにしても、小説にしても、私が書くものはつたないものではありますが
やはり、人が生きていく上で
「言葉」がどれほど大切なものかを再認識しています。

トランプさんが大統領に就任した時に
「1984年」というSF小説が話題になりましたが
この小説のテーマの一つが「言葉を失うことは思考を失うこと」でした。

私自身も、様々な言葉を通じて、物事を考える方法を学びましたし
小説のように、言葉で表現されるイメージに
共感することができるようにもなりました。
多彩な「言葉」は、人が生きていくためにどうしても必要で
そしてとても美しく、大切なものだと思っています。

この十日近く、あの世とこの世の境のような場所に漂って
そういうお話をウンウン言いながら書いていましたので
かなり体力とエネルギーを消耗しました。
幸い、そのままあっちに行ったっきりということにはならず
何とか現世に復帰したので、今日からはふだんの生活に戻ります。

というわけで、封切りから行きたかったんだけど
楽しみは、やりかけていることを終わらせないと、心から楽しめないので
ずっと保留にしてあった「キングコング 髑髏島の巨神」を
ダンナと一緒に観てきました。いや~ 面白かった。生きてて良かった!


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6度目の3.11

2017-03-11 16:04:45 | 社会・生活
毎年3月11日が近づいてくると
わけもなく不安になり、仏壇に手を合わせて
「どうか今日も一日何事もなく、無事に終わりますように」と祈る。
福島には、今も友人一家が暮らしているから
3.11には関係なく、とにかく二度とあんな大きな災害が起こらないようにと
ただただ日々祈るしかない。

東北は2月の終わりに、久しぶりに大きな地震があって
その後も震度3程度の揺れは続いたらしい。
大きな地震があると「前震じゃないといいんだけど」とメールがくる。
あの地震や津波や原発事故を経験した人にしか分からない
不安や恐怖は今も続いていて、それは多分完全になくなることはない。

現在でも12万人を超える方が避難されていて
福島から県外に避難されているという人も多い。
そんな中で、福島から避難されている人たちが
大人も子供も、いわれのない差別やいじめを受けているという
ニュースに胸が痛むだけでなく、どうしようもない怒りを覚える。

東日本大震災の後も、各地で地震や災害が起こり
その都度亡くなられた方や、避難生活を余儀なくされた方もたくさんおられる。
地震も災害も予測するのは難しいから
どこで暮らしていても、被害にあう可能性は、私たち全てに平等にある。
同様に再稼働が始まった原発も、あれだけ重大な事故が起きた以上
また起きる可能性は、決してゼロではない。

こうして思うことはたくさんあるが、部外者の私に言えることは少ない。
このブログでは、震災と原発事故が発生して以来
いわき在住のジャーナリスト安竜昌弘さんのブログ「いわき日和」をリンクしている。
ここには、あの日、そしてその後何が起こったかがつづられている。
3.11から現在まで続く、貴重な証言だと思う。

「人間は、自分たちが見たいものしかみない」

TVをつけると流れてくる、ハイテンションなしゃべりや
意味不明な笑い声を聞くたびに、首をかしげたくなる。
暗いもの、悲しいもの、辛いものからは目をそむけて
一見明るく、楽しそうに見えるものばかりに目を向けることは
そうでない場所で生きなければならない人間を切り捨てて
まるで存在しないかのように、抹消しようとすることにならないだろうか。

楽しいものをみることが悪いとは思わないが
脳天気で、中身のない悪趣味なバカ騒ぎを、楽しいとは思えない。
作っている人たちは、これを本当に面白いと思っているのか
疑問に思うが、私の感覚が今の時代に合わないのかもしれない。

昨年福島の友人夫婦が福岡に来てくれて
別れ際に、ダンナさんが「福島の人間は、がんばってって言わないんだよね」と
言いながら固い握手をしてくれた。
日々生きている現実の重さには「がんばろう、がんばって」では
きっと釣り合わないものがあるのだ。

一年、また一年と月日が経つほどに
本当は語りたい言葉をたくさん胸の中に抱えていながら
「終わったことだから、復興してるから」と言われれば
それを外に出すことがどんどん難しくなっていくのではないか。

終戦記念日が近づくと、戦争を語り継ぐことが大切だと言われるように
あの震災や原発事故も、当事者だけの問題なのではなく
たとえモニター越しにではあるにせよ
リアルタイムでそれを体験した私たちは、傍観者であっていいわけがなく
その現実の一端を、語り継ぐ必要があるのだと思う。

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