少し前に脱法ハーブとの関連で、薬物依存症の人たちの
回復施設のことを特集していた。
なぜ薬物に手を出したのかの問いに「ストレスとか、一瞬の快楽が欲しかった」
という答が。前のブログで書いたサクラサイトの被害にあった主婦も「寂しか
った」と答えていた。
農業とか漁業、あるいは何か商売をしているのと違って、サラリーマン
の家庭では、例えば会社で働く父親とパートに出る母親、学校に行っている
こどもは、一日のほとんどの時間を、別々の人間関係や空間の中で過ごして
いる。子どもたちの楽しみも、休日に父親とするキャッチボールではなく、
ゲームであったり、携帯であったりと大きく変貌した社会の中で、よほど
丁寧に適切なコミュニケーションが取れる家庭ででもない限り、家族が
同じ価値観や感覚を共有することはとても難しくなった。
ほとんどの家が、TVや冷蔵庫、洗濯機、電子レンジ、車やパソコンと
いった、一定以上の水準の生活をするのに必要な家具も家電もそろって
恵まれた生活をしているのに、多くの人が満たされない思いを抱えている。
これは実はとても異常なことなのではないかと思う。
その理由の一つは情報。上には上があるのは人の世の習いで、それを始終
TVなどを媒体にして見せつけられると、「ある」ことの満足よりも
「無い」ことへの不満のほうが増大する。
仕事があって、家があって、家族が健康で、毎日が平穏に過ぎていく
なら、それこそ幸せだと思い定めれば生きることはそんなに大変ではない。
けれどそんな人生をつまらない、意味がないと感じ、きつい思いをして
働くより、少しでも楽をして暮らしたいとか、普段きつい思いをして
働いているんだから、それ相応の楽しみ、見返りがないとといった
何か本末転倒の考え方が蔓延しているように思えてならない。
そして世の中には、そんな人間の空虚につけ込む誘惑や罠が
いたるところに口を開けている。薬物やギャンブルの依存症のように
一度取り込まれてしまったら、もう二度と元の自分には戻れない
ような恐ろしい形で。
小説「悪人」の中で、光代が出会い系サイトで知り合った佑一に、初めて
会った時に言う。
「私、本気でメール送ったとよ。他の人はただの暇潰しで、あんなこと
するとかもしれんけど。…私、本気で誰かと出会いたかったと。ダサい
やろ?そんなの、寂しすぎるやろ?…バカにしていいよ。でも、笑わんで」
心から愛せる人、好きだと思える人に出会いたい。その光代の気持ちは
とても真っ当で、人間として当たり前のことであるはずなのに、それを
「ダサいやろ」と自嘲しなければならない世の中のおかしさ。
普通のもの、真面目なもの、真剣なもの。それらを全て「ダサい、暗い
ウザい」と否定し退けたあとに残された人間の精神の空虚と荒廃。
そして光代は、些細なことで人を殺してしまった佑一の中に本当の愛を
見出し、彼が自首するというのを止めて、二人して出口のない逃避行に
踏み出していくことになる。
「悪人」はこの佑一と光代という、現代のどこか狂った空気に翻弄される
男女を軸に、彼らを取り巻く家族や友人、そして殺された女性とその両親の
それぞれが抱え持つ何かどうしようもない「寂しさ」を描いた作品でも
あるように私には思えた。
回復施設のことを特集していた。
なぜ薬物に手を出したのかの問いに「ストレスとか、一瞬の快楽が欲しかった」
という答が。前のブログで書いたサクラサイトの被害にあった主婦も「寂しか
った」と答えていた。
農業とか漁業、あるいは何か商売をしているのと違って、サラリーマン
の家庭では、例えば会社で働く父親とパートに出る母親、学校に行っている
こどもは、一日のほとんどの時間を、別々の人間関係や空間の中で過ごして
いる。子どもたちの楽しみも、休日に父親とするキャッチボールではなく、
ゲームであったり、携帯であったりと大きく変貌した社会の中で、よほど
丁寧に適切なコミュニケーションが取れる家庭ででもない限り、家族が
同じ価値観や感覚を共有することはとても難しくなった。
ほとんどの家が、TVや冷蔵庫、洗濯機、電子レンジ、車やパソコンと
いった、一定以上の水準の生活をするのに必要な家具も家電もそろって
恵まれた生活をしているのに、多くの人が満たされない思いを抱えている。
これは実はとても異常なことなのではないかと思う。
その理由の一つは情報。上には上があるのは人の世の習いで、それを始終
TVなどを媒体にして見せつけられると、「ある」ことの満足よりも
「無い」ことへの不満のほうが増大する。
仕事があって、家があって、家族が健康で、毎日が平穏に過ぎていく
なら、それこそ幸せだと思い定めれば生きることはそんなに大変ではない。
けれどそんな人生をつまらない、意味がないと感じ、きつい思いをして
働くより、少しでも楽をして暮らしたいとか、普段きつい思いをして
働いているんだから、それ相応の楽しみ、見返りがないとといった
何か本末転倒の考え方が蔓延しているように思えてならない。
そして世の中には、そんな人間の空虚につけ込む誘惑や罠が
いたるところに口を開けている。薬物やギャンブルの依存症のように
一度取り込まれてしまったら、もう二度と元の自分には戻れない
ような恐ろしい形で。
小説「悪人」の中で、光代が出会い系サイトで知り合った佑一に、初めて
会った時に言う。
「私、本気でメール送ったとよ。他の人はただの暇潰しで、あんなこと
するとかもしれんけど。…私、本気で誰かと出会いたかったと。ダサい
やろ?そんなの、寂しすぎるやろ?…バカにしていいよ。でも、笑わんで」
心から愛せる人、好きだと思える人に出会いたい。その光代の気持ちは
とても真っ当で、人間として当たり前のことであるはずなのに、それを
「ダサいやろ」と自嘲しなければならない世の中のおかしさ。
普通のもの、真面目なもの、真剣なもの。それらを全て「ダサい、暗い
ウザい」と否定し退けたあとに残された人間の精神の空虚と荒廃。
そして光代は、些細なことで人を殺してしまった佑一の中に本当の愛を
見出し、彼が自首するというのを止めて、二人して出口のない逃避行に
踏み出していくことになる。
「悪人」はこの佑一と光代という、現代のどこか狂った空気に翻弄される
男女を軸に、彼らを取り巻く家族や友人、そして殺された女性とその両親の
それぞれが抱え持つ何かどうしようもない「寂しさ」を描いた作品でも
あるように私には思えた。