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癌と生きる 依存症と生きる

命がある限り希望を持つということ

12ステッププログラム

2014-10-28 10:32:12 | 依存症
アルコール、ギャンブル、薬物など
様々な依存症から回復するためには、自助グループに通って
ミーティングを続けることが、回復できる一つの大きな可能性であることは
今までにも何度も書いてきました。

ただ私自身が今回ギャマノンにも参加してみて率直に感じたのは
GAにしろ、ギャマノンにしろ、事前にそれがどういうものなのかを
おおまかでもよいから知った上で参加をしたほうがよいのではないか
ということでした。

まあ、これは性格なのかもしれませんが
自分のガンの治療を決める時も、お医者さんが勧めるからとか
回りの人がいいと言うからだけではなく
病気のことにしろ治療の方法にしろ
大体のことを知っておきたいと思って自分で調べました。
なので、余計なおせっかいかもしれませんが
ミーティングや12ステップの予備知識みたいなものを書いてみます。


AAやGA、NA 更にはそれぞれの依存症者たちの家族の自助グループ
の成り立ちと、そこで「回復のためのプログラム」として用いられる
「12ステッププログラム」について、私自身が理解した範囲ではありますが
ウィキなども参照しながらまとめていこうと思います。

まず現在あらゆる依存症からの回復をめざす自助グループの発祥は
アメリカのAA(アルコールアノニマス)にあります。

1935年にアメリカのビル・ウィルソンという人が、共に飲酒の問題を
抱えるボブ・スミスという外科医と出会いました。彼らは、自分たちが
抱える飲酒の問題を話し合うことで、それまで止められなかった飲酒を
止められるという事実を発見しました。

更にビルとボブは他の飲酒者を探し、アクロンとニューヨークで飲酒者の
共同体を作り、やがてそこでは回復者が100人を超えるようになりました。
そこでビルは、アルコール使用障害からの回復の経験を本にまとめ
その中で「どうやればうまくいくか」について、回復のための「12の
ステップ」というものを文書化しました。さらにこの本のタイトルを
「アルコール・アノニマス(無名のアルコール使用障害者たち)」にしました。

これが後に、あらゆる依存症からの回復をめざす団体の名前や、回復するための
指針である「12ステップ」の原点になりました。

たとえば現在ギャンブル依存症本人たちの自助グループGAのサイトに書かれている
ギャンブル依存症から回復するための「12ステップ」は次の通りです。

1. 私たちはギャンブルに対して無力であり、思い通りに生きていけなくなって
  いたことを認めた。


2. 自分を越えた大きな力が、私たちの考え方や生活を健康的なものに戻してくれる
  と信じるようになった。


3. 私たちの意志と生き方を自分なりに理解したこの力の配慮にゆだねる決心をした。


4. 恐れずに、徹底して、モラルと財務の棚卸しを行ない、それを表に作った。


5. 自分に対し、そしてもう一人の人に対して、自分の過ちの本質をありのままに認めた。


6. こうした性格上の欠点全部を、取り除いてもらう準備がすべて整った。


7. 私たちの短所を取り除いて下さいと、謙虚に(自分の理解している)神に求めた。


8. 私たちが傷つけたすべての人の表を作り、その人たち全員に進んで埋め合わせを
  しようとする気持ちになった。


9. その人たちやほかの人を傷つけない限り、機会あるたびに、その人たちに直接埋め
  合わせをした。


10. 自分自身の棚卸しを続け、間違ったときは直ちにそれを認めた。


11. 祈りと黙想を通して、自分なりに理解した神との意識的な触れ合いを深め、神の
  意志を知ることと、それを実践する力だけを求めた。


12. 私たちのすべてのことにこの原理を実行しようと努力を続け、このメッセージを
  ほかの強迫的ギャンブラーに伝えるように努めた。

正直なところ、最初にこの「12ステップ」を読んだ時は、もともとは英文で書かれた
ものを直訳してあるため、言い回しが独特であること、文中にしばしば出てくる「神」
という表現に拒絶反応を起こして、これが依存症の回復に有用であるとは感じません
でした。

その後自助グループについて説明してあるものを色々読んでそれが「どのような
宗教、宗派、政党、組織、団体にも縛られていない」集団であることを納得しました。
欧米の、キリスト教を信仰している人たちにとっては「神」という言葉は、とても
理解しやすいのだと思います。けれど日本人の場合は、なかなかそういうわけには
いきませんから、現在はどのグループの12ステップも「神」の部分を、日本人でも
受け入れやすいように「自分の理解している神」というように変更されています。

これはつまり、自分が人間を超えた大きな力だと感じることができるものなら
自分が信じている宗教の神であろうが、海や山や太陽や月などの自然であろうが
ご先祖さまであろうが、いわしの頭であろうが、それでO・Kということな
わけです。

自助グループのミーティングでは「今日は第○ステップについて話しましょう」
という感じで、それぞれが自分のことを話しますが、例えば「無力」
というテーマであっても、絶対にその趣旨にそわなければ駄目だということ
ではなくて、自由に自分の思いや近況について話すだけでもそれはそれで
よいという感じです。これはステップセミナーという発表会の場合も同じです。

自助グループには、暦が長いから、短いからということや、誰がリーダー
というような上下関係はいっさいなく、自分の発言を否定されたり、批判
されたりはしません。またこうすればうまくいくというようなアドバイス
や指導も、基本的にはミーティングの中ではありません。
けれど何にせよ分からないことがあれば、ミーティングの前や後に
たずねることはできるようになっています。多くの自助グループでは
マンツーマンで、キャリアのある人が後から参加したメンバーの相談
に乗ってあげることができるスポンサー、スポンシーという仕組みを
取り入れています。

12ステップについては、各自助グループで、ステップの内容を更に
詳しく説明した副読本が用意されています。その内容を全て正しく
理解できて、それぞれのステップをちゃんと実践できたら、確かに
回復することができると思える内容です。ただ独力で、もしそれを成し
遂げることができたらお釈迦様のレベルです。そもそもそんな人が依存
症になるのかという話です。そこで、お釈迦様レベルでない凡人として
は、仲間と支えあって回復をめざすのが一番確実な方法ということ
になるわけです。それゆえのミーティングなのです。

この12ステップの意義を、医師の箒木蓬生先生は、医師の立場から
「人間らしい行動をつかさどる前頭葉の鍛錬」と述べておられます。
さらに「前頭葉が学習したものは、そんなに長続きしません。学習を
止めるともとの白紙に戻ります。この意味で、語学の学習と似ており
いったん学習を休むとまたたく間に能力が低下します。ですから大切
なのは繰り返しの自助グループ参加なのです」とも説明されています。

またビルの妻、ロイス・ウィルソンは、アルコール依存者の友人と家族
への支援を専門に行なうアラノンの創設者で、これが現在のアラノン・
ギャマノン・ナラノンなど依存症者の家族の自助グループの原型です。
依存症者の家族もまた自分たちの回復のための12ステッププログラム
に基づくミーティングに出席することで、依存症者の問題から手を離し、
自分自身のために健康な人生を取り戻す努力を続けていくことになります。

私自身がまだまだ自助グループや12ステップ、ミーティングについて
は勉強中です。その過程で理解した範囲のことを書いています。
もしも「これは間違っている」と思われるような点があれば、ご指摘
いただけたらありがたいです。(なお私としては、ジョークとして
書いている部分への突っ込みは、ご容赦ください)



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依存症の治療と回復

2014-10-26 07:57:39 | 依存症
アマゾンで500円ちょっとで売られていたので
とうとう「猿の惑星創世記(ジェネシス)」のDVDをゲットしました。
いくら病気とはいえ、毎日2時間映画を見るわけにもいかないので
家事の合間の休憩時間に、分割してリピートしています。
「一体猿の何がそんなに」とさすがに家族もだんだん
無反応になってきましたが、伊藤計劃さんの小説といい
私が一生懸命プッシュしても、なかなか一般には受け入れてもらえません。

というわけで、毎日エイプ(チンパンジー)やゴリラや
オランウータンが飛び跳ねている私の頭の中はさておいて
先日も夕方のローカルのニュースで
薬物依存症の問題が取り上げられていました。
この問題に関しては、さすがの厚生労働省も本腰を入れざるをえないようで
厚生労働省のHPでも、薬物依存症については
治療の方法や、相談機関、治療施設、家族の問題にいたるまで
かなりていねいな説明が公開されています。

放送の中でも取り上げられていましたが

九州で薬物依存症の専門的な治療ができるのは

肥前国立医療センターと福岡の雁ノ巣病院の2ヶ所のようです。

雁ノ巣病院は、ギャンブル依存症の治療の時も紹介しましたが
アルコール依存症の治療に長い歴史と実績があり
現在はギャンブルや薬物依存の治療にも取り組まれている医療機関です。

ただしどの依存症でもそうなのですが
依存症は、脳内物質のドーパミンとかセロトニンなどの
分泌の仕方に異常がおきて、その変化はもとには戻らないので
現在のところは、投薬とか注射などといった医療行為はあまり有効ではなく
完治するということはない病気です。
(アルコール依存症の治療で、補助的に抗酒剤が使われたりはします)

ですから依存症の治療というのは
「今日一日はアルコール(あるいはギャンブルや薬物)をやらない」
という、その一日を死ぬまで続けていくことが回復です。
どの依存症でも、回復し続けるために有効な方法は
自助グループと呼ばれる
同じ依存症の問題を抱える人たちとのミーティングが基本になります。

これは専門的な入院治療を行なう病院でも
ジャパンマックのような入所型、あるいは通所型のリハビリテーション施設でも
あるいはAA,GA,NAといった、それぞれの依存症の人たちの自助グループでも同じです。

依存症に対応できる病院とリハビリテーション施設と自助グループは
互いに連携もしていて
病院でカウンセリングを受けながら自助グループのミーティングに出るとか
昼はリハビリ施設でミーティングや、清掃、運動、調理など
正常な日常生活を取り戻す訓練に参加しながら
夜はやはり地域の自助グループに参加をするというように
どういう治療の道を選択しても
最終的には依存症の人たちの自助グループにつながり
ミーティングに参加し続けていくことが回復の基本になります。

私が前にも、まずは正確な知識がある専門機関に相談してほしいと
繰り返し書いたのは、何も予備知識なしに
自助グループに参加した場合
「なぜ自助グループに参加することが回復になるのか」
「12ステップとは何か」といったことを
誰かが最初にていねいに説明してくれるわけではないので
「何だかよく分からない」ということになる可能性があると思えたからです。

前に子どものネット依存のところで書きましたが
ネット依存から回復する方法について
親が指示をするよりも、やはり病院の先生やカウンセラーさんが
助言をしてくれるほうが数段受け入れやすいように思えます。

これは大人の依存症の場合でも
家族がミーティングに参加するように勧めても
依存症の人がそれを素直に受け入れることはまずありません。

そして家族もまた依存症の人を自分が何とかしようという気持ちからは離れて
やはりギャマノンのような自助グループに参加して
共依存であれば、その自分自身の心の病を回復すること
あるいは依存症の人に振り回されないで生きる
自分のための自分らしい生き方を取り戻すことが一番大事なことなのです。


そこのところをちゃんと本人や家族に納得のできる説明をして
それぞれが自助グループのミーティングに参加できるように
回復への橋渡しをしてくれる専門機関やリハビリ施設が
少しでも増えることを願っています。

以前九州北部の依存症に対応してくれる病院をいくつか紹介しましたが

その他に  北九州の八幡厚生病院 093-691-3344 が
ギャンブル依存症とアルコール依存症に

また福岡の 倉光病院   092-811-1821
      千鳥橋病院  092-641-2761

はアルコール依存症に対応していただける医療機関です。

薬物依存症のニュースの中でも、日本の依存症に対する治療体制の遅れ
について指摘されていました。

この前の「ギャンブル依存症問題を考える会」代表者の田中さんのお話の中でも
今日本で数少ない「ネット依存」の相談に対応できる
久里浜医療センターは、すでに3ヶ月の予約待ち状態だと言われていました。
しつこいようですが、依存症はどの依存症でも
その性質も、症状も、回復に至る道筋も
大きな意味では共通しています。

専門的にはクロスアディクションと呼ばれる
ある依存症の問題が止まったら、別の依存症が出てきたりする割合も多いです。
ですからアルコール、ギャンブル、薬物に、大人のネット依存420万人を足せば
依存症の人がすでに1000万人を軽く超えている現状で
行政も、医療も、私たちひとりひとりも
それぞれが別々の問題だという認識、向き合い方ではなく
依存症という大きな一つの問題
極端な言い方をすれば、人間の心が直面している危機としてとらえてもらいたいと
心から願っています。





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初めてギャマノンに参加しました

2014-10-19 08:41:02 | ギャンブル依存症
このところ秋晴れのよいお天気が続いています。
昨日は、今年の2月に「ギャンブル依存症問題を考える会」を発足された
代表の田中紀子さんが来福されて、田中さんと語る会が開かれるというので
がんばって行ってきました。

田中さんのブログは、よく読ませていただいていますが
先日も東京で大きなシンポジウムを開催されたり
「ギャンブル依存症」についての知識を広めるという
啓発活動をすごく積極的に展開されていて
その行動力とパワーには本当に頭が下がります。

この三十年ほど、生活するためにはとにかく働かなければならないので
死に物狂いで動き回っていましたが
(傍目にはそうは見えないようで、しょっちゅうトロいと怒られてました)
とにかく、自分的には、仕事の時は三倍速くらいのスピードで
動いているつもりでしたし、テンションも本来の倍以上にアップさせている
(これもそうは見えないらしく暗い!と怒られてましたが)
ような生活をしていましたが、実は引きこもり大好きなので
病気のおかげでニートになってからは、これ幸いと
数百メートル先のスーパーに行くのも一大決心して出かけるというような
まさにナマケモノになり下がっていました。
さすがにこれではマズいと、一念発起して出かけました。

昨日のお話は実は「考える会」のメンバーさんの懇話会という趣旨だったようで
その辺りがよく分かってなくて、飛び入りでお邪魔をしてしまいました。
そしてこの会が開かれた同じ会場で
田中さんの会が終わった後にギャマノン(ギャンブル依存者の家族の人たちの
自助グループ)のミーティングがあり、それにも出席してみたかったのです。

以前GA(ギャンブラーズ・アノニマス、依存者本人の自助グループ)に
参加したことはあったのですが、ギャマノンは今回が初めてでした。
普段は参加者が4,5名ということだったのですが
昨日は田中さんの「語る会」と連動していたこともあって
県外から来られたという参加者もおられ、20名前後の大盛会でした。

しかも昨日はこのギャマノンが設立1周年記念のバースディミーティングでもあったらしく
メンバーさん手作りのお菓子あり、飲み物ありという
お祝いの場でもあったのに、それも知らず飛び込んでしまって
これまた何か申し訳ないような思いでした。
私ともう一人ビギナー(初参加の人)があったので
メンバーさん全員が、それぞれ匿名で自己紹介をされました。

ギャンブル依存症(ほぼ全ての依存症がそうなのですが)からの回復には
まずは、依存の問題で悩み苦しみ傷ついてきた家族の
メンタル的な回復が不可欠なのです。
依存者本人が、自分が依存症という病気であることを理解するには
とても時間がかかることが多いので
まずは家族が依存者の問題から「手を離す」
つまり自分で何とかしようという負のスパイラルから抜け出す。
自助グループでのミーティングに参加して
同じ悩みを持つ仲間に、自分の思いを聞いてもらい
仲間の話を聞いて、思いを「分かち合う」ことでそれができるようになっていきます。
まずは自分が抱えている重荷を
仲間に聞いてもらうことで降ろすこと、それが回復の第一歩になります。

ですから依存症からの本人の回復、あるいは巻き込まれた家族が抱える
共依存と呼ばれる心の病からの回復には
この自助グループのミーティングに参加することが
今の時点では、もっとも回復の可能性が高い方法だと思います。
このブログでもトップにリンクしていますが
現在全国で135のギャマノンがあり
地域によっては2つ、あるいは3つのギャマノンが
活動されているところもあります。

こうした家族の自助グループは
アルコール依存症にも薬物依存症にもあります。
私としては「依存症」というものは本質的には共通なので
それぞれが個別のものとしてではなく
どの依存症でもオールマイティに受け入れることができるようになれば
もっと選択の幅が広がるし「依存症」全般への理解に
つなげることができるような気がしています。

などとまたしても偉そうなことを書き並べていると
「ならお前も真面目に行けよ」というお叱りの声が聞こえてきそうですが
こうして書くことはそれこそ原稿用紙100枚でも
たいして苦にならない性分なのですが
人前で話す、特に自分のことを話すのが死ぬほど苦手です。

昨日の自己紹介でも必死で話しましたが
自分でもだんだん何を言ってるのか分からなくなりました。
書いたものはあとから見直して直すことができますが
一度口から出した言葉は修正がきかないので
なかなか上手に、かつ正直に話すということができません。
昨日お聞きした田中さんのお話は
ご自身でもマシンガントークとおっしゃっていましたが
その流暢なこと、説得力があること、もう天性の才能だと思います。
どうかギャンブル依存症も含めて
依存症というものへの社会の認知度が少しでも高まるように
お体にはくれぐれも気をつけて、がんばっていただけたらと思います。





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伊藤計劃という作家の生き方

2014-10-12 12:06:22 | 伊藤計劃
最近は書くことが、またブログの趣旨とはズレまくっているが
自分の頭の中がこうなのだから、それはそれでもいいかと開き直り始めた。

最初は、2012年に芥川賞を取った円城塔さんの「道化師の蝶」を読んだのが始まり。
「道化師の蝶」も、文学でこんなことができるのかと、かなり衝撃を受けたが
その円城塔さんつながりで「伊藤計劃」という名前を知った。

興味はあったが、SFというジャンルはあまりなじみがない。
いきなり長編を買い込んで読めなかったら困ると思い
「From the Nothing With love」という短編が収録されたSFのアンソロジーを
買って読んだら、これが見事にビンゴだった。
「虐殺器官」「ハーモニー」の長編二作と
ゲーム「メタルギア」のノベライズである「メタルギア・ソリッド」
短編集の「Indifference Engine」を立て続けに読み
伊藤さんのサイト「第弐位相」の記事も少しづつ読んでいる。

伊藤さんは2001年にガンが見つかり片足を切断された。
その後2007年に書かれた「虐殺器官」が小松左京賞の最終候補になり
惜しくも賞を逃したものの、同時に最終候補に残った円城塔さんの助言によって
早川書房に原稿を持ち込み作家デビューを果たした。

しかし2006年に再び転移が見つかり、治療に取り組むも
2009年3月肺ガンのため死去。享年34才の若さだった。
死後二作目の長編「ハーモニー」が刊行され
遺作の長編「虐殺器官」と「ハーモニー」は
2015年アニメ化されることが決まった。

サイトに残る「著者インタビュー」の中で伊藤さんは
「『虐殺』の最終ゲラチェックを行なったのは、胸を開いた手術の四日後という
すさまじいスケジュールでした」と述べられている。
またかなりのシネフィル(映画通)でもあって
Webデザインナーとして働くかたわら
闘病中も好きな映画やDVDの鑑賞や読書を欠かされなかった。
その伊藤さんの作品やブログや生き方を通じて
私が大きな衝撃を受けたのは「人間は生死が分からない大きな病気を抱えても
こういう考え方や生き方ができるのか」ということだった。

私自身がガンの告知をされたのは、伊藤さんの作品に出会ったから二年後。
今私がこうして日々生きている、その核になる部分を支えてくれているのは
確かにこの伊藤計劃という作家とその軌跡だと言っていい。

伊藤さんのブログ「第弐位相」の中で
自身の闘病について語られている部分は多くはない。
その中で2004年6月の記事に次のような記述がある。
伊藤さんが最初の入院手術の後退院して帰宅した時に
出迎えてくれた愛犬は、その後亡くなったらしい。

「そして、いま、愛犬は彼岸にいる。あのとき、生きて帰ってきたぼくを
抱き締めた温もりは、ペットたちの共同墓地にいて、そこへぼくは墓参り
に行き、あふれる思いを、残された者たちが抱えるには多すぎて溢れてし
まう情念を、墓にすくいとってもらい、身軽になって家に帰る」

伊藤さんは「抱えるには多すぎて溢れ出してしまう情念」を、愛犬の墓に
すくいとってもらうだけではなく、自らの作品の中にも注ぎ込んだのだと思う。
もとよりその作品は、伊藤さん自身が「罪のない人が十把ひとからげに殺され
まくる近未来が舞台で、主人公が殺し屋で」(虐殺器官)と揶揄されているように
「愛と希望の○○」とか「百万人が涙する」といった内容ではないし
誰でもが納得するようなテーマを声高に叫ぶものでもなく
読み手が自分の感性で、受け取れるものを受け取るという類いのものだ。

だから表面的な読み方をする人は
むしろ眉をひそめるような代物かもしれないが
私が60年近く生きてて、まだ見たことのなかった
新しい地平を、伊藤さんを起点として次々と見せてもらった。

私もそこそこ映画は観たが、伊藤さんの大量の映画レビューは
読んでみても八割がた意味が分からない。
SFや戦争、アクション映画が私にはなじみが薄いジャンルということもあるが
それ以上に映画についてのキャリアが全然違う。とても勝負にならない。
それに伊藤さんの映画批評は、自分の好みというものがはっきりと出ている。
人間の感じ方は、それまでに取り込んだ様々な要素が組み合わさって
ジグゾーパズルのようになったものを土台にしているので
伊藤さんと私がぴったり合うわけもないのだろうが
例えば押井守監督とか、デビット・フィンチャーとか
共通するものもいくつかはあることがうれしい。
だから伊藤さんが特にお勧めされているものだけでも観てみたいと思う。

前回病院に行った時に、病院の近くにジュンク堂があるので
未読の「伊藤計劃映画時評集2」を買ってきたが
これまた普通の映画批評とは全然違う独自の視点で
全然違う切り口で映画と言うものが語られている。
伊藤さんの小説世界と同様に共感できる人間は共感し
それぞれが自分なりに解釈する類の内容だ。
こういうマイノリティの誇りを感じる作品は
最近の国産品では、本でもドラマでも映画でもほとんどなくなった。

このような伊藤さんの姿勢から
「自分はこういう風に感じる、こういう風に考える」ということを
はっきり表現していいのだということを教えられたような気がする。
こうしてモノ書きをしていると、どうしても読んでくれる人の
受け取り方ということを考慮して
自分が本当に考えていることの一部しか書かないことが多い。
けれど私に残された時間もまたそれほど多くはない。
そう考えると、自分がどうしても書きたいと思ったことは
思った通りに書いてもよいのだと教えられているような気がするのだ。

伊藤さんのブログ「第弐位相」は
2009年1月7日「病院で元旦」という記事で終わっている。
「今年も宜しくお願いいたします」という新年の挨拶が
何回読んでも何十回読んでもただただ寂しく切ない。
願わくばせめて私が生きている間は
このブログが消えてなくなりませんようにと祈るしかない。





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改めて「猿の惑星新世紀(ライジング)」

2014-10-05 14:07:25 | 社会・生活
そもそもは馬に乗った猿がずらりと並んでいる画像を目にして
「何かスゴい」と思ったのが始まりでしたが
「猿の惑星創世記(ジェネシス)」に続き「猿の惑星新世紀(ライジング)」を
映画館で見て、ちょっと毛深いけど、もう猿のリーダーシーザー最高、男前
シーザーラブと連呼して、家族の半笑いを浴びています。

前作で、本来は認知症の治療薬として開発されるはずだった薬が
猿の知能を飛躍的に高めたが、人間には死をもたらすウイルスに変貌して
十年後には人類の90%が死亡し、人間の世界が廃墟となったところから
この映画は始まります。

シーザーは施設にいたたくさんの仲間を救出し
彼らとともにゴールデンゲートブリッジを渡って
山岳地帯で豊かで平和なコミュニティを作り上げています。
ところが、その平穏な暮らしが人間の介入によって壊されます。

この映画が内包する大きなテーマが、紛争、対立、あるいは人種差別など
今まさに人間たちが直面している社会的な問題であることは
すでにたくさんの優れた映画レビューの中で書かれています。

けれど私は、その大きな世界観とは別に
前編の「創世記(ジェネシス)」から
この「猿の惑星」に親と子の物語を見ていました。

ですから、猿たちが暮らす山の家の正面に
シーザーが幸せな子ども時代を過ごした
ウィルの家の窓と同じ形が木の枝で作られて
掲げられているのを見てとてもうれしくなりました。

前作でひどい収容施設に入れられ、檻の壁に窓を描いたシーザーは
家に帰れないとわかった悲しみと怒りでその窓の絵を消してしまいます。
けれどその窓は今でも、優しかったウイルとの思い出
ひいては人間との絆の象徴として大切に飾られていることがうれしかったのです。

そしてあの可愛かったチンパンジーが今や仲間の信頼と尊敬を一身に集める
貫禄十分の最強のリーダーとなって、奥さんもこどももいました。
そして更に二人(二匹?)目の子ども、ブルーアイズの弟も生まれます。
けれど息子のブルーアイズは、シーザーに比べればまだまだ未熟です。
父親の言いつけを聞かずに怒られたり
シーザーの価値観を理解できずに
「シーザーは仲間よりも人間が好き」と
シーザーを批判し反旗をひるがえすコバの側についてしまったりします。
それでも最後は、復活したシーザーが奥さんや息子たちを
その両腕に抱えて家族の絆が戻ります。
私にとってこの「猿の惑星新世紀」は
家族の、そして父と息子の物語でもありました。

ずっとこうして依存症についてのブログを書いていますが
実はいつも入り口のない家の回りをぐるぐる回っているような
どうしようもないもどかしさがあります。

前のブログにも書きましたが、映画の中でシーザーが言った

Home(家)Family(家族)Friend(友人)Future(未来)

人間にとってとてもとても大切なものです。
これらが何よりも大切だということさえ分かれば、
依存症は克服できるのではないかと思うのですが
こんなにも単純なことが、依存症になってしまうと
分かってもらえないということが、どうしようもなく悲しいし悔しいのです。

それだけでなく、自分が依存しているものを家族や友人や未来よりも
優先しつづければ、その人は今はまだ持っているかもしれない
それらの大切なものをすべて失います。

シーザーは「猿は猿を殺さない」という掟を作って平和な社会を作ってきましたが、
多くの仲間を犠牲にして権力を持とうとしたコバに対して
最後に「お前は猿ではない」とコバを殺すという苦渋の決断をします。

人に対する思いやりや優しさや愛情を持てず
自分の欲望や快楽のみが優先するようなものは、もはや人間ではない。
他人であればそう言い切って切り捨てることもできますが
夫婦や肉親はそれほど簡単にはいきません。
それでズルズル依存症者に引きずられていると
最後は家族のほうが「共依存」というありがたくない
心の病いのレッテルまで貼られてしまいます。
まさに踏んだり蹴ったりです。

田辺等先生の「ギャンブル依存症」の中で
妻の財布から3万円を抜いて競馬ですってしまった依存症者の例をあげて
「あなたがこの賭けで失ったものは(3万円のお金だけではなく)
夫婦の信頼感、家族との心の絆、家族の平安な一日なのです」と述べられています。
そしてこの章のタイトルは「あなたは家族を賭けている」です。
まさしくその通りだと思います。
「勝っても金、負けても金」の汚泥の底を這い回るような人間よりも
お猿さんたちのほうがよっぽど高潔で立派です。

だからこそ私は家族を守り、仲間を守り、ひいては
たとえ自分の命を賭けても自分たちの未来を守ろうとするシーザーの姿に
「これこそ、本当は人間が人間としてあるべき姿なのだ」と
強く心が揺さぶられたのだろうと思います。


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