先日NHKのニュースで児童虐待の増加を取り上げていた。
その中で虐待を防ぐ取り組みとして、問題を抱える人には、妊娠中から育児
の環境などについて聞き取りをして、例えば経済的に困っている(病院を
受診したり、出産に必要なお金がない。育児に必要な経済的な基盤がない)
人については、出産、育児ができる環境を整えるための公的な支援につな
げていく取り組みがされていることなどが紹介されてきた。
その中で目をひいたのは、聞き取り調査の時に「配偶者に、アルコール、
ギャンブル、薬物などの依存があるか」という項目があったことだ。
なぜかキャスターさんは「アルコール、薬物などの依存」とわざわざ
「ギャンブル」を飛ばしていたが。NHKなのになぜ?
ダンナがギャンブル依存症の場合、当然子育ては女性一人にかかってくる。
うちの場合も、休みになると申し訳程度家族サービスをして、家に戻ると
「ちょっと遊びに行ってくる」というのがお決まりのパターンだった。
ただ私は最初の子どもを産んですぐに、ダンナが会社の同僚たちと泊り
がけで遊びに行くという話になったときに「ああ、男というものは
そうなのだ」と計り知れない衝撃を受けた。もし母親が同じことをすれば
生まれたばかりの赤ん坊は死んでしまうだろう。子どもを産むというのは
そういうことなのに、男はそういう風には思わないのだ。それは目には
見えない精子一つでしか子どもとつながっていない、父親という存在の
どうしようもない軽さ、リアリティのなさなのか。その衝撃をくぐり抜けた
後に私は決心した。何があっても自分のこどもは自分が守ると。
だから休みのたびにダンナが遊びにいこうがどうしようが、それで夫婦
喧嘩をしたことさえなかったのは、すでに私が父親というものを完全に
家族から排除していた結果と言えなくもない。子どもの前で喧嘩をして
こどもたちに嫌な悲しい思いをさせたくない。ただそれだけだった。
そして、子どもたちが思春期に差しかかった頃には、私も子どもたち
もダンナが家にいないほうが家の中が明るく楽しく、そのいたたまれ
なさがさらにダンナの依存症を悪化させる結果にもなったのだと思う。
しかし人間は神でも仏でもない。そんなに誰に対しても優しく、心を
つくすことなどできるわけがない。だから後悔なんかしていないし、
そのことについてダンナに申し訳ないことをしたとは思っていない。
自分の行いが自分に返ってくる。即ち因果応報というじゃないか。
しかし人は十人十色。人によっては「夫は遊びにばかり行って
なぜ自分だけが子育てをしなければならないの」という不満が
子どもに向いていけば容易に虐待につながる。特にギャンブル
の場合は、お金の問題が絡んでくることも多いからさらに大変
さが倍増する。しかし子どもには何の罪もない。これだけは
はっきり言える。悪いのはどこまでもギャンブルという、まさに
出口のない泥沼にはまり込んだダンナなのであって、怒りや
不満の矛先を幼いこどもに向けるのだけはやめてほしい。
しかもそれで虐待をした場合、なぜか母親ばかりが責められる。
これは納得がいかない。虐待の原因を作った人間、問題の元凶
こそがむしろ厳しく責められるべきなのに、法律はそういう風に
なってはいない。まあ、調査項目の中に、ギャンブルが加わった
だけでもわずかばかり進展があったというべきか。
昔「皇帝ペンギン」というドキュメンタリー映画の中で
ペンギンのオスは、生まれてくる我が子のために餌を取りに行く
メスに替わって卵を抱き、吹きすさぶブリザードの中、自らは
120日間にも及ぶ絶食をして、ひたすら卵を温め続ける。
その姿を見ていて「こどものことより、自分が遊ぶほうが大事とは。
マジで人間はペンギン以下どころか最下等動物やな」
とも思ったことがある。
一握りの裕福な人たちは別として、この不況の影響はじわじわと
人々の心を蝕んでいく。満たされない人間の心は荒廃して
ストレスが弱い者に向かう。いじめも虐待も、根底にあるのは
そうした目には見えない不安や不満の表れなのだと思う。
しかし人間のそういう心理というのは、えてして
循環していくものだ。そういう行為をやる人間というのは
おそらく自らもなんらかの形でそうした悪意にさらされたことが
あるはずだし、被害者であった経験があるはずなのだ。
その本質的なところが解明されなければ何も良くなりはしないと思うのだが。
その中で虐待を防ぐ取り組みとして、問題を抱える人には、妊娠中から育児
の環境などについて聞き取りをして、例えば経済的に困っている(病院を
受診したり、出産に必要なお金がない。育児に必要な経済的な基盤がない)
人については、出産、育児ができる環境を整えるための公的な支援につな
げていく取り組みがされていることなどが紹介されてきた。
その中で目をひいたのは、聞き取り調査の時に「配偶者に、アルコール、
ギャンブル、薬物などの依存があるか」という項目があったことだ。
なぜかキャスターさんは「アルコール、薬物などの依存」とわざわざ
「ギャンブル」を飛ばしていたが。NHKなのになぜ?
ダンナがギャンブル依存症の場合、当然子育ては女性一人にかかってくる。
うちの場合も、休みになると申し訳程度家族サービスをして、家に戻ると
「ちょっと遊びに行ってくる」というのがお決まりのパターンだった。
ただ私は最初の子どもを産んですぐに、ダンナが会社の同僚たちと泊り
がけで遊びに行くという話になったときに「ああ、男というものは
そうなのだ」と計り知れない衝撃を受けた。もし母親が同じことをすれば
生まれたばかりの赤ん坊は死んでしまうだろう。子どもを産むというのは
そういうことなのに、男はそういう風には思わないのだ。それは目には
見えない精子一つでしか子どもとつながっていない、父親という存在の
どうしようもない軽さ、リアリティのなさなのか。その衝撃をくぐり抜けた
後に私は決心した。何があっても自分のこどもは自分が守ると。
だから休みのたびにダンナが遊びにいこうがどうしようが、それで夫婦
喧嘩をしたことさえなかったのは、すでに私が父親というものを完全に
家族から排除していた結果と言えなくもない。子どもの前で喧嘩をして
こどもたちに嫌な悲しい思いをさせたくない。ただそれだけだった。
そして、子どもたちが思春期に差しかかった頃には、私も子どもたち
もダンナが家にいないほうが家の中が明るく楽しく、そのいたたまれ
なさがさらにダンナの依存症を悪化させる結果にもなったのだと思う。
しかし人間は神でも仏でもない。そんなに誰に対しても優しく、心を
つくすことなどできるわけがない。だから後悔なんかしていないし、
そのことについてダンナに申し訳ないことをしたとは思っていない。
自分の行いが自分に返ってくる。即ち因果応報というじゃないか。
しかし人は十人十色。人によっては「夫は遊びにばかり行って
なぜ自分だけが子育てをしなければならないの」という不満が
子どもに向いていけば容易に虐待につながる。特にギャンブル
の場合は、お金の問題が絡んでくることも多いからさらに大変
さが倍増する。しかし子どもには何の罪もない。これだけは
はっきり言える。悪いのはどこまでもギャンブルという、まさに
出口のない泥沼にはまり込んだダンナなのであって、怒りや
不満の矛先を幼いこどもに向けるのだけはやめてほしい。
しかもそれで虐待をした場合、なぜか母親ばかりが責められる。
これは納得がいかない。虐待の原因を作った人間、問題の元凶
こそがむしろ厳しく責められるべきなのに、法律はそういう風に
なってはいない。まあ、調査項目の中に、ギャンブルが加わった
だけでもわずかばかり進展があったというべきか。
昔「皇帝ペンギン」というドキュメンタリー映画の中で
ペンギンのオスは、生まれてくる我が子のために餌を取りに行く
メスに替わって卵を抱き、吹きすさぶブリザードの中、自らは
120日間にも及ぶ絶食をして、ひたすら卵を温め続ける。
その姿を見ていて「こどものことより、自分が遊ぶほうが大事とは。
マジで人間はペンギン以下どころか最下等動物やな」
とも思ったことがある。
一握りの裕福な人たちは別として、この不況の影響はじわじわと
人々の心を蝕んでいく。満たされない人間の心は荒廃して
ストレスが弱い者に向かう。いじめも虐待も、根底にあるのは
そうした目には見えない不安や不満の表れなのだと思う。
しかし人間のそういう心理というのは、えてして
循環していくものだ。そういう行為をやる人間というのは
おそらく自らもなんらかの形でそうした悪意にさらされたことが
あるはずだし、被害者であった経験があるはずなのだ。
その本質的なところが解明されなければ何も良くなりはしないと思うのだが。