ローレンス・ブロックという、アメリカのミステリー作家を知ったのは
15年くらい前のことだ。
日本では「倒錯三部作」と呼ばれている、猟奇的な事件を扱った小説が話題になって
「倒錯の舞踏」や「獣たちの墓」を買い込んで、次々に読んだ。
元ニューヨーク市警の警察官だったマット・スカダーは、強盗に発砲した弾丸で
誤って7才の少女を死なせてしまう。事件後彼は警察を辞め、妻とも離婚し
二人の息子たちとも別れて、ダウンタウンの安ホテルで暮らしている。
彼は、正式な探偵のライセンスを持っていないので、知り合いに頼まれた
失踪者の捜索や、未解決の事件の犯人探しなどを
自分なりのやり方で、細々と続けている。
この犯人探しの過程が、ミステリーたる重要な要素だが
「マット・スカダーシリーズ」には、もう一つの、大きな文脈がある。
それはマットがアルコール依存症だということだ。
(初版が出た1970年代の半ばは、まだアル中という言い方が一般的だったのだが)
彼は何度も意識を失って病院に運ばれ、解毒処理を施されて
医者からは「飲めば死ぬんです」と言い渡されている。
「倒錯三部作」のあとに買い集めた「慈悲深い死」や「八百万の死にざま」には
AAに通うマットの話が繰り返し出てきた。
改めてそれらを読み返したのは、8年前にダンナがギャンブル依存症だと分かって
依存症について勉強し始めた後のことだ。
GAに行ってみて、GAのハンドブックや12ステップのワークブックをもらい
読んでみたが、その時は何だかよく分からず、ダンナもまったく関心を示さなかった。
その後何回も、このマット・スカダーのシリーズを読んで
12ステップというのは「ああ、こういう感じなんだな」ということが分かった。
マット・スカダーシリーズには
飲みたいという欲求と、飲んではいけないという理性の間で
揺れ動くマットの気持ちや、禁を破って飲酒してしまう過程や
AAの集会の様子や参加者の話
そしてマットの助言者(スポンサー)ジムとの会話が
繰り返しとてもていねいに描き出される。
特に「八百万の死にざま」では、禁酒を始めてまだわずかしか経っていないマットが
自分でコントロールできると考えて結局失敗し、泥酔いでAAに参加する場面や
AAの集会に参加することや、参加者たちの発言を否定する思いも、赤裸々に語られる。
「飲まないこと、素面でいること、集会に行くこと、そして一日一日が大切なのだ」
そんなことは分かっている。
そして、みんないつも同じような話を繰り返している、こんなことに意味はないと
マットは考える。そして彼はいつも自分が話す順番がくるとこう言うのだ。
「マットと言います。今夜は聞くだけにしておきます」
それが何度も繰り返される。
そんな彼が「八百万の死にざま」のラストシーンで言う。
「マットと言います。私はアル中です」そして彼は泣く。
マットが、自分がアルコールに対して無力であり、思い通りに生きていけなくなった
すなわち12ステップのステップ1を、心の底から認めた瞬間で
私も思わず泣きそうになったし、初めて「ああ、これなんだな」と腑に落ちたのでもあった。
マットはわりと知的で内省的でもあるが
一方で社会のどうしようもない理不尽さ(人間の死や残酷な事件)に対する
激しい怒りを内側に抱えていて、生きることについて悲観的であり
それが、彼を飲酒に向かわせる大きな原因にもなっている。
けれど、それらは、私がマットの生き様に強く共感できる要因でもあった。
最近マット・スカダーの後半の作品「死への祈り」や「死者の長い列」を読んだ。
50代の半ばになったスカダーは、昔よりはずっと、心身ともに
安定した生活を送っているが、AAの集会には相変わらず出席し続けている。
彼のスポンサーのジムは、「気楽にやろう」「シンプルに考えよう」
そして「集会に出よう」と言い続けた。
それが飲まずにいるために大切なのだと。
スカダーが今どのステップまで進んだのかはよく分からない。
もしかしたら未だにステップ1なのではないかと思う時もある。
それでも彼は、10年間飲まない日々を送って来たのだ。
彼が暮らした70年代のニューヨークではすでに
あらゆる時間に様々な場所で集会が開かれていて
いつでも参加できる環境があった。
それに比べると日本ではいまだに自助グループ自体
「特別な人たちが集まる特別な組織」みたいな状況から一歩も出ていない。
けれど、マットというアル中探偵の物語とずっと付き合ってきて思うのは
自助グループやそこに参加する人たちが
依存症を治してくれるわけではないということだ。
「集会に参加する」という行動が、すなわち回復ということだ。
もしもジムのようなよいスポンサーに巡り合うことができたら
それは幸せなことではあるが。
同様に「12ステッププログラム」も、そこに書かれた言葉を
頭で理解することが回復なのではなく
これまたプログラムを実行することが、回復の過程ということになる。
ただ、スカダーシリーズの「償いの報酬」では
スカダーの知人のアルコール依存症の男が
ステップ9の「埋め合わせ」をしようとしたことが原因で殺されてしまうという
ものすごい話もあるのだけれど。
ジムが繰り返す「気楽に」「シンプルに」という姿勢は
依存症者を抱える家族にとっても、とても大切なことだ。
「自分でなんとかしよう」「短い時間で解決しよう」と焦ったり
ああでもない、こうでもないと悩んだり、苦しんだりしても
あまり良い結果は出ない。
本人の問題は本人に返して、手を放しつつも、孤立はしないように見守る。
いやぁ、さらっと言われますけど、難しいです。
スカダーシリーズ、あと一作「すべては死にゆく」が残っています。
このシリーズほど「死」と親和性の高いタイトルが並ぶ小説群も珍しいです。
どうやらこれが最終作のようですが、実はこれだけが文庫化されていません。
なので延び延びにしていましたが、とにかく何にしても心残りにならないように
近日中に読んでみる予定でいます。
15年くらい前のことだ。
日本では「倒錯三部作」と呼ばれている、猟奇的な事件を扱った小説が話題になって
「倒錯の舞踏」や「獣たちの墓」を買い込んで、次々に読んだ。
元ニューヨーク市警の警察官だったマット・スカダーは、強盗に発砲した弾丸で
誤って7才の少女を死なせてしまう。事件後彼は警察を辞め、妻とも離婚し
二人の息子たちとも別れて、ダウンタウンの安ホテルで暮らしている。
彼は、正式な探偵のライセンスを持っていないので、知り合いに頼まれた
失踪者の捜索や、未解決の事件の犯人探しなどを
自分なりのやり方で、細々と続けている。
この犯人探しの過程が、ミステリーたる重要な要素だが
「マット・スカダーシリーズ」には、もう一つの、大きな文脈がある。
それはマットがアルコール依存症だということだ。
(初版が出た1970年代の半ばは、まだアル中という言い方が一般的だったのだが)
彼は何度も意識を失って病院に運ばれ、解毒処理を施されて
医者からは「飲めば死ぬんです」と言い渡されている。
「倒錯三部作」のあとに買い集めた「慈悲深い死」や「八百万の死にざま」には
AAに通うマットの話が繰り返し出てきた。
改めてそれらを読み返したのは、8年前にダンナがギャンブル依存症だと分かって
依存症について勉強し始めた後のことだ。
GAに行ってみて、GAのハンドブックや12ステップのワークブックをもらい
読んでみたが、その時は何だかよく分からず、ダンナもまったく関心を示さなかった。
その後何回も、このマット・スカダーのシリーズを読んで
12ステップというのは「ああ、こういう感じなんだな」ということが分かった。
マット・スカダーシリーズには
飲みたいという欲求と、飲んではいけないという理性の間で
揺れ動くマットの気持ちや、禁を破って飲酒してしまう過程や
AAの集会の様子や参加者の話
そしてマットの助言者(スポンサー)ジムとの会話が
繰り返しとてもていねいに描き出される。
特に「八百万の死にざま」では、禁酒を始めてまだわずかしか経っていないマットが
自分でコントロールできると考えて結局失敗し、泥酔いでAAに参加する場面や
AAの集会に参加することや、参加者たちの発言を否定する思いも、赤裸々に語られる。
「飲まないこと、素面でいること、集会に行くこと、そして一日一日が大切なのだ」
そんなことは分かっている。
そして、みんないつも同じような話を繰り返している、こんなことに意味はないと
マットは考える。そして彼はいつも自分が話す順番がくるとこう言うのだ。
「マットと言います。今夜は聞くだけにしておきます」
それが何度も繰り返される。
そんな彼が「八百万の死にざま」のラストシーンで言う。
「マットと言います。私はアル中です」そして彼は泣く。
マットが、自分がアルコールに対して無力であり、思い通りに生きていけなくなった
すなわち12ステップのステップ1を、心の底から認めた瞬間で
私も思わず泣きそうになったし、初めて「ああ、これなんだな」と腑に落ちたのでもあった。
マットはわりと知的で内省的でもあるが
一方で社会のどうしようもない理不尽さ(人間の死や残酷な事件)に対する
激しい怒りを内側に抱えていて、生きることについて悲観的であり
それが、彼を飲酒に向かわせる大きな原因にもなっている。
けれど、それらは、私がマットの生き様に強く共感できる要因でもあった。
最近マット・スカダーの後半の作品「死への祈り」や「死者の長い列」を読んだ。
50代の半ばになったスカダーは、昔よりはずっと、心身ともに
安定した生活を送っているが、AAの集会には相変わらず出席し続けている。
彼のスポンサーのジムは、「気楽にやろう」「シンプルに考えよう」
そして「集会に出よう」と言い続けた。
それが飲まずにいるために大切なのだと。
スカダーが今どのステップまで進んだのかはよく分からない。
もしかしたら未だにステップ1なのではないかと思う時もある。
それでも彼は、10年間飲まない日々を送って来たのだ。
彼が暮らした70年代のニューヨークではすでに
あらゆる時間に様々な場所で集会が開かれていて
いつでも参加できる環境があった。
それに比べると日本ではいまだに自助グループ自体
「特別な人たちが集まる特別な組織」みたいな状況から一歩も出ていない。
けれど、マットというアル中探偵の物語とずっと付き合ってきて思うのは
自助グループやそこに参加する人たちが
依存症を治してくれるわけではないということだ。
「集会に参加する」という行動が、すなわち回復ということだ。
もしもジムのようなよいスポンサーに巡り合うことができたら
それは幸せなことではあるが。
同様に「12ステッププログラム」も、そこに書かれた言葉を
頭で理解することが回復なのではなく
これまたプログラムを実行することが、回復の過程ということになる。
ただ、スカダーシリーズの「償いの報酬」では
スカダーの知人のアルコール依存症の男が
ステップ9の「埋め合わせ」をしようとしたことが原因で殺されてしまうという
ものすごい話もあるのだけれど。
ジムが繰り返す「気楽に」「シンプルに」という姿勢は
依存症者を抱える家族にとっても、とても大切なことだ。
「自分でなんとかしよう」「短い時間で解決しよう」と焦ったり
ああでもない、こうでもないと悩んだり、苦しんだりしても
あまり良い結果は出ない。
本人の問題は本人に返して、手を放しつつも、孤立はしないように見守る。
いやぁ、さらっと言われますけど、難しいです。
スカダーシリーズ、あと一作「すべては死にゆく」が残っています。
このシリーズほど「死」と親和性の高いタイトルが並ぶ小説群も珍しいです。
どうやらこれが最終作のようですが、実はこれだけが文庫化されていません。
なので延び延びにしていましたが、とにかく何にしても心残りにならないように
近日中に読んでみる予定でいます。
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