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癌と生きる 依存症と生きる

命がある限り希望を持つということ

猫の亡霊と宗教と

2012-10-24 11:05:41 | 社会・生活
先週仕事に行くのに、坂道を自転車を押して歩いていたら
ふっくらした灰色の猫が「ニャーオ」と声をかけてくれました。
ちょうど「おばちゃん、おはよう」みたいな感じで。
嬉しくなって「おはよう。朝は寒くなったね」と声に出して返事をして
何だかちょっとハッピーな気分でまた自転車を押して行きました。

そして歩きながらふと思いました。
「もしかしたら、私の肩のあたりにルナがついてきてくれてて
それがあの猫ちゃんに見えたんじゃないかなぁ」と。
動物に興味のない人や、まともな人が聞いたら
「頭おかしいんじゃないの」と思われるかもしれません。
もちろんそのことを人に話したりはしません。(ブログでは書きますが)
でも「そう思うことで自分が幸せになれるならそれでいいじゃない」と
開き直ってもいます。

そして更に考えたのです。
「そう言えば宗教にはまる人間の心理というのも
これに似たものがあるんだろうな」と。
信仰を持たない人間が聞いたら、ただのおとぎ話か妄想としか
思えないことでも、信仰を持つ人は信じることができる。
それは、例えば神様の存在や来世の幸福を信じることで
気持ちが落ち着き、幸せな気分になれるという側面があるのだろうと
何となく納得しました。

けれどそこから一歩進んで、宗教の場合は「よいものだから人にも
勧めよう」というところからが問題なのです。
猫の亡霊を背負ってる私の場合は、どこかで
それが自分の妄想なのだということを自覚しています。
一般的な常識に照らせば
そういう考え方はとても非科学的なことも分かっています。
だから自分が幸せな気持ちになるためにそう思っているだけで
こういう感じを理解してくれそうにない人には話せません。

ところが宗教の場合ははなから「自分たちが信じていることは
世にも素晴らしいことなのだ」という優越感があり、強い選民意識があります。
この傾向は、特に新興宗教といわれるものに顕著なのですが
雨後の竹の子のように宗教がある中で
絶対的な帰依や服従を獲得して信者とお布施を増やし
権力を拡大していくために
自分たちの優位性を強調し、他者を排除する。
これは教団を組織し運営している人間たちが用いている手法で
それに何の疑いも持たず無批判にこれを受け入れてしまうと
もはやマインドコントロールの状態になります。

良いというのは自分にとって良いというだけで
相手にとって良いかどうかはあくまでも相手がきめること。
まして相手が悪いと言ったから、
その人は悪い、救いようのない人間だなんてことになると
もう無茶苦茶なのですが
宗教にはそういう側面があることもまた事実なのです。

まあ私自身は基本的にとてもいい加減でぐだぐだな人間なので
面倒な教義やら、なにやらしんどい思いをしそうな
自称布教活動やら、そんなことをしなくとも
猫の亡霊だろうが、鰯の頭だろうが、足の裏だろうが
楽をして信じて自分が幸せになれるならそれでいいじゃないかと
考えているのですが。



多様化する依存症

2012-10-07 14:10:41 | 依存症
先日TVを見ていたら「アバター依存症」という
聞き慣れない言葉を耳にした。少し気になって調べてみると
どうやら携帯のソーシャルゲームへの依存症らしい。

ニュースの特集では、その依存症になった高校生が
「一日40時間もゲームから離れられなかった」と話していた。
ずいぶん前から感じてはいたが
TV,PC,そして携帯、これらのツールを媒体にした
依存症が水面下で激増していることは想像に難くない。
しかも依存症にかかる年齢層がどんどん低下している。

少年はゲームにのめり込んでいった動機を
「高校の部活で、なんかうまくいかなくなって」と語り
「ゲームの世界で自分の分身であるアバターが勝つことに
強い快感を感じた」というような説明をしていた。

しかし携帯のソーシャルゲームも、どうやら最初は無料だが
ステージが上がるにつれて、勝つために必要なアイテムを入手するには
お金がかかる課金制になっていて、次第に金額が増えていく点では
ギャンブル依存症となんら変わるところはない。

今や携帯が小学生にまで普及し「スマホを持たざる者は
人にあらず」的な風潮まで蔓延し、猫もしゃくしもスマホ、スマホである。
携帯はパチンコ屋よりも更に手軽で
それこそいつでもどこでもできる手軽さは
依存症の助長という側面から見ればもはや空恐ろしい。

依存症に陥るきっかけは、ゲームもギャンブルも
おおむねある種の「挫折感」や「無力感」であろう。
「何も楽しいことがない。何もいいことがない」
それに不満を感じている人間がゲームやギャンブルで
勝利の快感を感じ、ギャンブルでは大金を手にすると
再びその快感を味わいたいという衝動をコントロールすることが
できなくなって「依存症」にかかるというプロセスなのだ。

そしてひとたび依存症の領域に踏み込んでいまうと
回復に向かうことは容易ではない。
依存しているツールを取り上げるといった
安易な方法で簡単に回復できるような病気ではないのだ。
こういう事態の深刻さを一体誰がどの程度認識し考えているのか。
心療内科医やカウンセラーといった専門職の人たちもいるが
彼らの既存の知識では対応できないほどの勢いで次々に発生し
増加していく新種の依存症に果たして対応できる道はあるのか。

先日「I'M FLASH」という邦画を観ていたら
藤原竜也が演じる新興宗教の教祖が
自分のボディガードをしている松田龍平に
「お前、人生楽しいか?」とたずねる場面があって
それに松田龍平が「人生ってそんなに楽しいもんなんすか?」
と答えていて、私は激しく彼に共感したが
「人生そのものに過剰に期待はしない。あるがままを受け入れる」
という認識があれば、少しは依存症にはなりにくいかもしれないと
思ったりはする。まあ、あまり参考にはならないが。