先週仕事に行くのに、坂道を自転車を押して歩いていたら
ふっくらした灰色の猫が「ニャーオ」と声をかけてくれました。
ちょうど「おばちゃん、おはよう」みたいな感じで。
嬉しくなって「おはよう。朝は寒くなったね」と声に出して返事をして
何だかちょっとハッピーな気分でまた自転車を押して行きました。
そして歩きながらふと思いました。
「もしかしたら、私の肩のあたりにルナがついてきてくれてて
それがあの猫ちゃんに見えたんじゃないかなぁ」と。
動物に興味のない人や、まともな人が聞いたら
「頭おかしいんじゃないの」と思われるかもしれません。
もちろんそのことを人に話したりはしません。(ブログでは書きますが)
でも「そう思うことで自分が幸せになれるならそれでいいじゃない」と
開き直ってもいます。
そして更に考えたのです。
「そう言えば宗教にはまる人間の心理というのも
これに似たものがあるんだろうな」と。
信仰を持たない人間が聞いたら、ただのおとぎ話か妄想としか
思えないことでも、信仰を持つ人は信じることができる。
それは、例えば神様の存在や来世の幸福を信じることで
気持ちが落ち着き、幸せな気分になれるという側面があるのだろうと
何となく納得しました。
けれどそこから一歩進んで、宗教の場合は「よいものだから人にも
勧めよう」というところからが問題なのです。
猫の亡霊を背負ってる私の場合は、どこかで
それが自分の妄想なのだということを自覚しています。
一般的な常識に照らせば
そういう考え方はとても非科学的なことも分かっています。
だから自分が幸せな気持ちになるためにそう思っているだけで
こういう感じを理解してくれそうにない人には話せません。
ところが宗教の場合ははなから「自分たちが信じていることは
世にも素晴らしいことなのだ」という優越感があり、強い選民意識があります。
この傾向は、特に新興宗教といわれるものに顕著なのですが
雨後の竹の子のように宗教がある中で
絶対的な帰依や服従を獲得して信者とお布施を増やし
権力を拡大していくために
自分たちの優位性を強調し、他者を排除する。
これは教団を組織し運営している人間たちが用いている手法で
それに何の疑いも持たず無批判にこれを受け入れてしまうと
もはやマインドコントロールの状態になります。
良いというのは自分にとって良いというだけで
相手にとって良いかどうかはあくまでも相手がきめること。
まして相手が悪いと言ったから、
その人は悪い、救いようのない人間だなんてことになると
もう無茶苦茶なのですが
宗教にはそういう側面があることもまた事実なのです。
まあ私自身は基本的にとてもいい加減でぐだぐだな人間なので
面倒な教義やら、なにやらしんどい思いをしそうな
自称布教活動やら、そんなことをしなくとも
猫の亡霊だろうが、鰯の頭だろうが、足の裏だろうが
楽をして信じて自分が幸せになれるならそれでいいじゃないかと
考えているのですが。
ふっくらした灰色の猫が「ニャーオ」と声をかけてくれました。
ちょうど「おばちゃん、おはよう」みたいな感じで。
嬉しくなって「おはよう。朝は寒くなったね」と声に出して返事をして
何だかちょっとハッピーな気分でまた自転車を押して行きました。
そして歩きながらふと思いました。
「もしかしたら、私の肩のあたりにルナがついてきてくれてて
それがあの猫ちゃんに見えたんじゃないかなぁ」と。
動物に興味のない人や、まともな人が聞いたら
「頭おかしいんじゃないの」と思われるかもしれません。
もちろんそのことを人に話したりはしません。(ブログでは書きますが)
でも「そう思うことで自分が幸せになれるならそれでいいじゃない」と
開き直ってもいます。
そして更に考えたのです。
「そう言えば宗教にはまる人間の心理というのも
これに似たものがあるんだろうな」と。
信仰を持たない人間が聞いたら、ただのおとぎ話か妄想としか
思えないことでも、信仰を持つ人は信じることができる。
それは、例えば神様の存在や来世の幸福を信じることで
気持ちが落ち着き、幸せな気分になれるという側面があるのだろうと
何となく納得しました。
けれどそこから一歩進んで、宗教の場合は「よいものだから人にも
勧めよう」というところからが問題なのです。
猫の亡霊を背負ってる私の場合は、どこかで
それが自分の妄想なのだということを自覚しています。
一般的な常識に照らせば
そういう考え方はとても非科学的なことも分かっています。
だから自分が幸せな気持ちになるためにそう思っているだけで
こういう感じを理解してくれそうにない人には話せません。
ところが宗教の場合ははなから「自分たちが信じていることは
世にも素晴らしいことなのだ」という優越感があり、強い選民意識があります。
この傾向は、特に新興宗教といわれるものに顕著なのですが
雨後の竹の子のように宗教がある中で
絶対的な帰依や服従を獲得して信者とお布施を増やし
権力を拡大していくために
自分たちの優位性を強調し、他者を排除する。
これは教団を組織し運営している人間たちが用いている手法で
それに何の疑いも持たず無批判にこれを受け入れてしまうと
もはやマインドコントロールの状態になります。
良いというのは自分にとって良いというだけで
相手にとって良いかどうかはあくまでも相手がきめること。
まして相手が悪いと言ったから、
その人は悪い、救いようのない人間だなんてことになると
もう無茶苦茶なのですが
宗教にはそういう側面があることもまた事実なのです。
まあ私自身は基本的にとてもいい加減でぐだぐだな人間なので
面倒な教義やら、なにやらしんどい思いをしそうな
自称布教活動やら、そんなことをしなくとも
猫の亡霊だろうが、鰯の頭だろうが、足の裏だろうが
楽をして信じて自分が幸せになれるならそれでいいじゃないかと
考えているのですが。