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癌と生きる 依存症と生きる

命がある限り希望を持つということ

依存症そして放射能

2011-11-29 08:11:36 | 原発事故
ずっとこのブログを訪れてくださってる人には
特にギャンブル依存症については同じ話題が何回も出てくると
思われるかもしれません。

これは私がそろそろボケてきてるというわけではなく
たまたま「ギャンブル依存症」で検索して
初めてこのブログを読んでくれる人に
今私が理解できている範囲での依存症についての知識を
少しでも知っていただけたらという思いで
内容が重複しているのを承知で書いているので
どうかご理解ください。

依存症は完治はしないというのが大前提です。
パチンコに行かないから治ったということではありません。
患者本人にとっても自分の病気自体を認識することも難しいが
死ぬまで治らないということを理解するのはもっと難しい。
ダンナは時々「もう大丈夫だと思う」というようなことを言います。
確かに任意整理をして借金の返済や生活費の工面で
追い詰められることもなくなり
生活はギリギリでも一応普通の生活の範囲で暮らしていけているので
精神的には任意整理をするまでの状況に比べれば
ずっと安定していることは事実です。
でもだからといって治ったということではないのが
ギャンブルに限らずアルコールでも薬物でも他のものでも
依存症全般の恐ろしいところなのだと思います。

福島原発の事故が起こって原子力や放射能について
少しづつ勉強をしてきて放射能の問題についても
一種似たところがあると感じました。
このブログでリンクをしている「いわき日和」の中でも
福島の人たちの空気が二分されてきていることが書かれています。
「いつまでも放射能にこだわっていたら前向きになれない。
復興ができない」
人は直接目には見えない不安とずっと向き合い続けていくのは難しい。
だからそういう考え方が主流になっていくのは仕方のないことで
現地で事故が起きてからずっとそういう不安と向き合ってきた人たちの
状況の深刻さを思えばそれを批判することは誰にもできません。
またそういう雰囲気の中では放射能の危険を主張すると
反対に非国民扱いされかねないといった
逆転の現象さえ生まれてきます。

それでも私は特に影響の大きい子どもたちや若い人たちへの
放射能の影響については現実を正確に把握して
冷静に客観的に判断をする努力を止めるべきではないと思います。
まだまだ国が、政治家が何とかしてくれるだろうという
他力本願な傾向の強い日本のような国では
少数の意見で社会の流れを変えることはできないかもしれませんが
一見前向きなようでいて結局何かに頼るという生き方は
それで失敗した時にはまたその原因を他人のせいにする
という負の無限ループでしかありません。

昨日は大阪の市長や知事選の様子がニュースをにぎわせていましたが
「橋下さんなら変えてくれる」という期待だけで投票して
思うような結果が出なかった時に次を探すということを繰り返すだけでは
永久にそれの繰り返しでそれこそ前向きな結果にはつながらない。

安全神話を旗印に原発を推進してきた自公政権を選択したのは自分たちで
あれもダメ、これもダメと総理大臣を替えたあげくに
政権を担当したことがない民主党を与党にする選択をしたのも
他ならない自分たちなのだという自己責任の考え方は絶対に必要です。
もう自分たちが選択したのだから
どれだけ悲惨な結果になろうが自分たちで負っていくしかない。

放射能の問題だけではありません。
先日生活保護を受けている若者が月に二万円近くを
携帯のゲーム代に使っているという話に
少なからずショックを受けました。
こちらはギャンブル依存症の問題とも連動する話で
目には見えない形で人間を破壊する仕掛けは
パチンコやスロットのみならずどんどん進化し
変質して増え続けています。
以前書いた「世界ゲーム革命」というドキュメントの中でも
ロシアでは人間をゲームから離れさせないための
脳の研究が進んでいるというくだりに恐怖を覚えたことを思い出しました。

もう日本だけの話ではなく世界的な規模で
お金にさえなればという拝金主義が人間の尊厳を陵駕して進みつつある今
私たちは「自分の生きる形と自分の生きていることの意味」を
本当に真剣に考えなければならないところに来ているのかもしれません。


女性のギャンブル依存について

2011-11-22 08:32:01 | 依存症
数日前に女性のギャンブル依存症の問題を
ニュースが取り上げたようで、それによると
推定の患者数は75万人ということだが
おそらく実際にはもっと多いのではないだろうか。

以前にこのサイトで紹介した帚木蓬生先生の著書
「ギャンブル依存とたたかう」という本のプロローグは
「ある主婦の転落」という副題で
女性のギャンブル依存症患者の軌跡がつづられている。

世間的に見ればむしろ恵まれた環境にあった
一人の平凡な主婦が夏の暑い日に何気なく
パチンコ屋に足を踏み入れたことがきっかけで
本当に怒涛のようにとめどもなく落ちていく姿
そしてその折々の彼女の心のあり様。

ギャンブルに関わらない人間が読むとまさに吐き気がするし
「なんで?」「分からない」と思うことばかりなのだが
私にそれが理解できないのは病気ではない人間が
普通の感覚や理屈で捉えようとするからで
依存症を理解するにはどうしてもそれが脳の機能に変化が起きて
自分をコントロールすることができなくなる
コントロール障害なのだという前提に立たなければならない。

自分の何をコントロールできないかと言えば
「ギャンブルをやりたい」という衝動をコントロールできない
全てはその一点につきると思う。
ただこの話を読んで私が本当に恐いと思ったのは
この女性が長い時間を経て依存症になったわけではなく
最初の大当たり、そのたった一回の快感と衝撃と記憶が
彼女の人生の全てを破壊しつくしたことだ。
どの時点で何をどうすれば止めることができたのか
そんなことを考えても意味がないという恐ろしさだ。
更に男性よりもむしろ女性がはまりやすいという意見もある。

他の口実を作ってギャンブルに行く
借金があるのを隠す、あるいは借金の額を実際より
少なく言うといった嘘も
回りの人間の気持ちをまったく理解することができなくなるという
人間性の欠如も
このコントロール障害から派生した症状として起こってくる。
依存症の人間は何よりもギャンブルができなくなることが
人生において一番辛いのであり悲しいのであり苦しいので
それ以外のことは何一つ患者の頭の中にはない。
そしてこの変化はドーパミンなどの脳内物質の
分泌の異常によって引き起こされる変化で
この分泌の異常を根本的に治療する手立ては今の時点ではない。
だからギャンブル依存症には完治するという結末はないのだ。

こうしたことが分かっていてそれでも
ギャンブル依存症の人間と暮らす生活は
まさに出口のないトンネルだ。
民放でCMが流れると心のどこかがびくっと反応する。
映画のワンシーンでパチンコ屋が映っても同じだ。
プロ野球の球場にあるメーカーの名前ですら
見れば気持ちがざわつく。
ほんのささいなきっかけでダンナの脳が
フラッシュバックを起すのではないかと恐怖している自分がいる。

深刻な精神疾患の症状はギャンブル依存者本人よりも
むしろ巻き添えになった家族のほうに出るというのも
ギャンブル依存症の抱える大きな問題だ。
最初に書いた女性はご主人に離婚を言い渡され
それでも両親や兄弟が借金の始末などをしてくれて
入院をしGAにも通って何とか再生の道を踏み出したと結ばれているが
自分だけでなくご主人や二人の子供
自分の両親と兄弟と関わった全ての人間を巻き込んで
払った代償はあまりにも大きい。
親や兄弟から「死ね」と言われるような人生
一生を賭けても償いきれないほどの被害を
周囲の人間に及ぼして生きる人生なのだ。

「ちょっとした気分転換」などと軽く考えないでほしい。
「借金がないから病気ではない」
「やめようと思えばいつでもやめられる」
すでに400万人を越えると思われる
ギャンブル依存症の人たちは
おそらくみんなそんな風に思っている。
自分ではそれが病気であることさえ分からない
ある意味人間の能力の範疇を越えた
とんでもなく恐ろしい病気なのだから。




最悪を回避する力

2011-11-08 15:24:07 | 原発事故
先日福島に住む友人が教えてくれた
「いわき日和」というブログの中に
ブログ主さんの知り合いの人が別の人に
「もう放射能はいいんじゃないの。みんな復興に向かって
進もうとしているんだから。前を向くことにブレーキをか
けてはいけない」という意味のことを言われたという話が
書いてあった。

普通の人の感覚としてそういう風に思うことは理解できる。
福島に住んでいる人でさえ、いや福島にいるからこそ
むしろそういう風に思わなければ前に進めないという
切実というかもはや悲痛な思いを抱いている人が
かなりたくさんおられるだろうと思うと胸が痛くなる。

小出先生の講演の折にも
「このまま住み続けていいのか」という質問が出る。
その際に小出先生は「分からない」と答えられている。
「偉い先生なのに」「放射能は危ないと言ってるくせに」
と失望落胆される方も多いかもしれない。
しかし小出先生は「留まれば健康に影響が出て
体が壊れる。だが逃げれば心が壊れる。だから
自分はどちらがいいと言うことはできない」と言われている。
未だに原子炉の状況も正確に分かっていないし
嘘や気休めを言ってすませられる問題でないからこそ
現時点ではそう答える他はないのだと思う。

原発から逃れてふるさとを離れ
住む場所や仕事や生活のめどが立たなかったら
放射能の不安はなくなっても生きていくことができなくなる。
こどもがいるから自主的に避難したいと思っても
政府や東電が補償をするわけでもない。
こうして残る決心をした人たちが
もう放射能のことは考えたくないと思われるのも
だから当然のことだが、しかしとても残酷なことだ。

放射能の問題だけでなく、年金とかTPPとか
今の日本は個人が考えたくらいでは
もうどうしようもないことだらけになってきた。
しかしダンナのギャンブル依存症を通じて
「知らなければ本当にとんでもないことになる」ことを
身を持って体験した私は
やはり知ることも考えることも放棄することはできない。

個人の力では事態を画期的に好転させることは不可能だが
少なくとも自分の身の回りで起こる
最悪を回避するくらいのことはできるような気がする。
それは言い換えれば最悪を想定しうる力であり
それに耐えることのできる強さなのかもしれない。


*「いわき日和」リンクに追加しました