癌と生きる 依存症と生きる

命がある限り希望を持つということ


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ネット依存問題に向き合う親にとって大切なこと(2)

2014-01-29 10:06:56 | ネット依存症
このところ立て続けにネット依存の問題について書いていますが、これは今の時期が中高生にとって受験や進学といった人生の一つの節目にあたることから、親御さんたちの心配や不安も大きいのではないかと考えてのことです。そのために、本当なら私自身ももう少し論点を整理して、より的確な言葉で書かなければいけないというところが不十分で、話が飛躍したり明確ではなかったりといった点も多いと思いますが、お許しください。

前のブログで親が子供のネット依存に巻き込まれないことが大切だと書きました。依存の問題は、当人もですが家族の病気をも引き起こします。家族が様々な心配から心の病気になることも多いです。子供のネット依存を心配するあまり「こんなことで、もし受験に失敗したらどうしよう」「このまま学校にいけず、不登校や引きこもりになったら」と家族(特に母親ですが)が悪い結果ばかりにとらわれて悲観的な考えばかりが浮かぶようになっていくと、段々家族のほうが欝病のような状態に陥ります。子供自身も内心は不安や混乱を抱えているところに、しょっちゅう親から小言や愚痴や叱責を受けると、本人の不安をいたずらに増幅させて、ついには親に対して完全に心を閉ざしてしまうということにもなりかねません。悪い方向にばかり話を突き詰めていっても、良い結果がでるとは思えません。これは子供自身が納得も理解もしていないのに「あなたは依存症かもしれないから、カウンセリングを受けましょう」といった治療を強要する場合についても同じです。
依存症の治療は、本人が自覚や病気に対する危機感がある場合には、一定の効果がありますが、そうでない場合はあまり成果が出ないことのほうが多いのです。

そうならないためには、親自身が自分がとらわれている子供の問題から自由になる必要があります。そのためには、悪い結果を考えない、口に出さない努力をして、子供に対して笑顔を向けることです。だからといって、問題を放棄する、子供を放置するということではありません。子供の食欲や睡眠時間などには気配りをして、大事な時期に風邪などを引かないようにといった言葉かけは大切です。そして進路などについては、子供自身がどんな風に考えているのか、子供の本当の気持ちや希望をできるかぎり丁寧に聞いてあげることが大事だと思います。「話す」というのは、依存症に限らず、全ての心の病からの回復を目指す場合には、一番基本的なことです。依存症から回復するための依存者の自助グループというのは、自分の思いを正直に言葉にして話す、あるいは同じ病に苦しむ人の話を聞いて共感することを繰り返すことで、とらわれていた依存対象から心を解放するという作用があるのだと理解しています。

自助グループでは、他人の発言を批判したり、自分の意見を人に押し付けたりしない、言いっぱなしの聞きっぱなしという約束があります。依存症というところまで行っていないにしても、ネットに没頭して親の話を聞こうとしないというような状況になっている場合はそこを深追いしてドツボになるよりも、子供が自分から何かを働きかけてくるまで、待ちの姿勢を続けること、そして子供が自分から何か話してきたらひたすら聞く側に回ることだと思います。こうした努力は親にとっては大変なことですが、子供に努力を求め続けるのではなく、親のほうが努力することで状況を変えていけることもあるのではないかと思います。

そして最後に、無責任とお叱りを受けるかもしれませんが、子供の問題から自由になる、子供に自分の価値観を押し付けずに聞き役に徹するためには、何よりも親が「腹をくくる」必要があります。たとえば受験に失敗したら、不登校や引きこもりになったら、その時はその時で、先を少しでもよい方向に動かしていけるようにまた考えるということです。これもまた「あなたがネットばっかりするから」というように子供を責めるのではなく、子供がもしも失敗し挫折した場合でも、少しでも前向きな考え方、生き方ができるように、有形無形の形で子供の人生を見守り支えていく覚悟ができれば、子ども自身もまた変わることができるのではないかと思います。

私はこれを自分の体験も踏まえた上で書いています。ギャンブル依存症のダンナの場合は大人ですから、子供に対するのとは違う種類の大変さがあります。ですから前のブログに書いた「まるで禅家の修業のようなもの」というのは、私の本音でもあります。ダンナの依存の問題から手を離す、自分の心を自由にする、そして何かあったらまたその時に先を考える、これは私自身が、自分の心を平穏に保つために日々反復していることでもあるわけです。
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ネット依存問題に向き合う親にとって大切なこと(1)

2014-01-28 11:41:38 | ネット依存症
年明けからネット依存のことについて書いているが、先日UPしたブログへのアクセス数の多さにちょっと驚いた。

本当は家族のネット依存を心配されている方には、このブログでリンクしている小寺信良氏の「ケータイの力学」に目を通していただきたいと思っているが、そちらを読まれていない方のために「ゲーム依存」「つながり依存」「SNS依存」といったように内容を要約していくつもりだった。
これまで書いてきたように、私はダンナのギャンブル依存症と、最初はそういう病気があることも知らずに20年近く付き合ってきた経験から、まずは依存症ありきで話を進めてしまう傾向があることを自戒して、先にこの記事を書くことにした。

依存症を含めて心の問題は、たとえば糖尿病や高血圧のように病気かどうかを数値で表わすことができない。だからまさにケースバイケースだということをまずは頭にいれておいていただきたいと思う。これは長時間ネットをやっているから依存症とは限らないという場合もあるということだ。思春期のこどもたちへの対応がとても難しいということは前にも書いた。闇雲な叱責や、一方的な禁止は多分あまり効果がない。そして双方向での対話が成り立たなくなる(よく心を閉ざすというような表現をされる)と、親としてはなす術がなくなって途方にくれてしまう。

こういう状況で大切なのは、親が子どもの依存に巻き込まれないことだ。親自身が子どもの問題で頭が一杯になって、顔を見ればそのことを持ち出し、子どもの行動を監視したり絶えず干渉したりすると、反対に問題をこじらせてしまう結果にもなる。

それよりもまず子どものネット依存が心配ならば、自身が携帯やネットについて正確な知識を得るように努力することが大切だと思う。たいしてネットの知識がない中高生が、ネットを使うリスクは、依存の問題だけではない。この点について前出の小寺氏のコラム「海外と日本の子供、ネット利用はどう違うか(2)」の中で、アメリカはPFGという団体が次のような活動をしていると紹介されている。

<米国では11月下旬から年末までが典型的なホリデーシーズンだが、この時に子供にスマートフォンやタブレットなどのネット端末をプレゼントする家庭も多い。そこでPFGでは保護者向けに、ただ無条件に端末を与えるだけでなく、その中に誓約書を同梱して、子供が同意すれば使うことができるという活動を行なっている。

 例えばPFGが用意しているスマートフォンの誓約書テンプレートには、1カ月に使えるのメール量や通話時間、アプリの金額、利用して良いタイプのWebサービスを書き込めるようになっている。同時に、メールすべきではない条件や、アクセスしてはいけないWebサービスなども、各家庭で条件付けられる>

さらにこの記事は次のように続く。

<重要なのはその次で、子供がそれらのルールに従うのであれば、親も一定の約束をしなければならない

1.過剰反応しない:子供が不愉快な事態に陥っても、それを助ける努力をし、過剰反応しない。
2.新しいことを覚える:子供がクールだと思うことに対して話ができるように、一緒に新しい技術を学習する。
3.手本となる:親のスマートフォンの使い方が子供の手本となるよう、運転中にメールしない、スマートフォンの機能をきちんと学習する、そしてスマートフォンなしで子供と過ごす時間をつくる>

我が家では10年以上前にPCを導入した。頭の固い親が、マニュアル相手に悪戦苦闘している間に、こどもは感覚的にあれこれPCをいじっているうちに、さっさと操作手順をマスターした。昨今は、特に私が携帯を持たないこともあって、もはやAndroidが何なのかWi-Fiが何なのか、こうしてブログを書くにもひとつづつ調べなければならない、ガラケーならぬガラパゴス人間になりつつあるが、わからない機材の操作などは、こどもにやってもらったり、やりながら教えてもらってそれをメモしたりと、OA機器に関しては
明らかに師弟関係になりつつある。

それでも我が家も最初から今のような良好な親子関係であったわけではなくて、子供たちが思春期のさなかに、ダンナのギャンブルや借金や女性問題や、それはもう山ほどあって、だから当然子供たちにも色々なことがあって、そこを乗り越えての今なのである。

上記の誓約書が求めるほど立派な親になれるわけではないが、親が子供が興味を持つことを理解することは大切だと思う。それはただ子供に迎合したり、上から目線で指導や教育をするということではなく、上の誓約書に書かれているように<子供が不愉快な事態に陥った時>つまり何かトラブルを抱えた時に、親に相談ができて、親が解決の手助けをすることができることであり、例えば親も子供もネットで面白い動画や音楽を見つけて「これ面白いよ」と話したりすることのできるような関係性を作るために親も相応の努力をするということなのだろうと思う。


受験勉強をしなければならないのに、つい携帯でゲームをやってしまう。嫌なことより楽しいことに流されるのは人間の性で、前にも書いたが子供自身もそういう自分や、将来に対して強い不安を抱いているかもしれない。その葛藤を、失敗を繰り返しながらひとつづつ乗り越えていくことが人として成長していくことなのであり、つまりは生きていくということなのだと、親もまた子供とともに悩み、学び、戦っていくのだと、そしてもしも失敗があってとしてもある時点までは親は子供を支えてあげるのだと子供にわかってもらうことができれば、そこから道は開けてくるのかもしれない。まあ親であるということはこんな風に、まるで禅の修業をするお坊さんのように、とてつもなく大変なものではあるのだけれど。

余談ですが急増する心の問題に呼応して「カウンセリング・ビジネス」と呼ばれるものも急増してきているということです。カウンセリングは健康保険の適用外のものも多く、高額の治療費がかかるという場合もあるようなので、もしもカウンセリングを受けようと思われるような場合は、まず専門の医療機関に相談をされるか、色々な施設を比較検討されることをお勧めします。


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ネット依存症(その1)ゲーム依存

2014-01-26 10:46:30 | ネット依存症
前回前々回と、ネット依存について考察されている小寺信良という方のサイトの紹介をしてきた。

小寺氏は「青少年のネット依存を考える」(1)~(7)では、韓国やアメリカ、そして日本のネット依存の実態や研究の状況、そしてネット依存に対する対処法などを、分かりやすく丁寧に解説してくださっている。それによれば、やはりオンラインゲームに依存するタイプと、SNS(twitter,facebook,mixi)あるいはメールやチャット、最近急激に普及したLINEなど新型のコミュニケーションツールにはまっているタイプは分けて考えるほうがよいということだ。後者はコミュニケーション依存あるいはつながり依存とでも呼ぶべきタイプなのだという。

前者のゲーム依存はその性質が、現在すでに取り上げられているアルコール、薬物、ギャンブルなどの依存症ととてもよく似ている。ちなみにゲーム依存症のチェック項目というのを調べてみたら以下のようなものがあった。

◦ゲームに費やしている時間を偽る
◦やるべき事の前にゲームを始める
◦自己紹介をするとき本名ではなくwebネームを使う
◦現実よりもオンライン上の方が感情の起伏が激しい
◦ゲームをしていないと幸福感に乏しく、退屈、空虚な感じがする
◦ゲームによって(具合が悪くなったりなどの)身体的影響や睡眠パターンの変化がある
◦ゲームの時間を削ったり止めると、落ち着かなくなる、感情的になる、悲しくなる、不安になる、イラつく
◦ゲームのための時間をもとに、一日のスケジュールをたてる
◦ゲームをするためにイベントなどを欠席したり早めに帰ったりしたことがある
◦ゲームを中断されると、すぐに動揺する
◦プレイ時間をコントロールできると思っているが、実際やろうとすると切り上げられない

3番目と4番目の項目を除けば「ゲーム」の部分をアルコールやギャンブルなど他の依存他の依存症のチェック項目に置き換えても共通するものばかりなのが分かる。ゲーム依存自体は決して新しいものではない。テレビゲームが登場したのは1980年代で、それ以降この問題は継続的に社会に浸透してきた。ゲームをするためのツールもどんどん変化して、テレビからゲーム機、そして現在はPCや、タブレット、携帯を使ってネット上でプレイをするオンラインゲームが急激に普及して現在に至っている。そしてネット依存の対象がゲームであり、上記のチェック項目の多くに該当する場合はゲーム依存症の可能性が非常に高く、他の依存症と同様に脳がゲームをやりたいという欲求にたいするコントロールを失っているものと思われる。

小寺氏の「青少年のネット依存を考える」によると「クローズアップ現代」で紹介された韓国の場合は、ネット依存者の7~8割がこのオンラインゲームの依存であるという。このコントロール障害としてのゲーム依存症は、不登校や引きこもり、あるいは多額の課金による経済的な問題、そして「クローズアップ現代」でも取上げられていたように、人間的な感情(悲しいとかうれしいとかいう)が理解できなくなるという様々な問題を起す。
だからこのケースは、精神科や心療内科でのカウンセリングや、社会生活に適応できるようになっていくためのリハビリが必要になる。

ただこれも繰り返し書いてきたが、日本ではこと依存症に関しては、患者や家族が治療に取り組むためのネットワークやシステムが、ほとんどできてはいない。前に田辺等先生の「ギャンブル依存症」という書籍を紹介した時に、依存症について田辺先生は「薬物療法や化学療法などの医療にはなじみにくい心の問題だ」という見解を述べておられて、私は実はここが依存症を考える上でのとても大切な点であり、なおかつ急激な社会の変化とともに多様化した心の病の治療を困難にしている大きなポイントのような気がしている。医療の範疇に入らないから、専門家ですらこれらの問題に積極的に取り組もうという人が少ない。そして治療の方法としてはカウンセリングや、患者同士で話し合いをする自助グループへの参加といった、時間がかかる割に患者自身が回復を実感しにくい極めてアナログな方法しか現状では存在しない。

しかしそれでも現代の社会ではこうした問題が決して特異なことなのではなく、もはや自分たちの身近に存在しているという問題意識の共有が最優先なのだと思う。
先日認知症のお年寄りが犯罪などに巻き込まれることを防ぐために、介護従事者や、医療関係者、詐欺などの被害に対応するために法テラスなどの法曹関係者のネットワークが作られたというニュースがあった。同じように依存症の問題についても、様々な依存症に医療や法律の関係分野が包括的に対応できるネットワークや、患者や家族を回復に結びつけるためのシステムの形成が急務なのではないだろうか。

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共通する依存症の性質

2014-01-02 13:57:30 | ギャンブル依存症
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

昨年の年初にブログのタイトルを変更してこれからはギャンブル依存症の問題に特化して書いていくつもりと書きました。それはこのブログでリンクしている「パチンコ依存症~家族のための情報サイト」の「依存症家族のための掲示板」に日々寄せられる、ギャンブル依存症の人と関わっている人たちの悲痛な叫びを目にするたびに、それがかつての自分自身の姿にだぶって心がキリキリと痛み、せめて何か一つでも自分にできることはないかと考えた結果でした。

しかし日々目にし耳にする出来事の中で、ギャンブル依存症とは直接関係がないにしても、「依存症」という本質的な部分で共通するものがあればそれはやはり言及してもよいのではないかと改めて思うようになりました。

最近アメリカのドラマを見る機会が増えて、アメリカではドラッグや薬物依存がごく身近なものとして平然と語られていることに、ちょっとしたカルチャーショックを受けました。しかもドラッグは高額なものであるために、富裕層にも結構な数の常用者がいるらしい現実にも驚いています。けれど、それでは日本はアメリカと違って、健全で安全安心かというと決してそういうことではないと思います。

確かにドラッグに関しては、日本はアメリカほどの広がりはないかもしれません。けれどその代わりに、すでに患者数が600万人を越えていると言われるギャンブル依存症の問題を抱えています。そして何よりも日本とアメリカの大きな違いは、薬物とギャンブルの違いはあるにせよ、依存症というものへの認識の広がりの差です。昨今、飲酒運転の問題が大きくクローズアップされて、「アルコール依存症」という言葉は、メディアでもしばしば取り上げられるようにはなりました。実は私の身近でも、深刻なアルコール依存症の問題を抱えている人がいるのですが、そのことを彼のごく身近にいる人に理解してもらいたいと思っても、これが容易ではありません。「依存症は脳が依存対象に対するコントロールを永久に失うコントロール障害」だということを理解してもらうことが、ものすごく困難なのです。これは、日本では、一般の人たちに、依存症というものに対する知識や情報が決定的に不足していることが最大の要因だと思います。

前述のアメリカのドラマの中では、さほど知的なレベルが高くない人たちでも、ドラッグで検挙されると、カウンセリングとか、更正施設とか、自助グループ参加とか、薬物依存からの回復に向けたシステムに参加できる仕組みがあることが分かります。それに比べて我が国では、アルコール依存やギャンブル依存は、もはや日常的なものになりつつあるのに、それらからの回復に必要な依存症についての知識や理解やシステムはまったく普及していないし、構築されてもいない。ここに最大の問題があるのだと思います。なぜそうなのかという点になるとこれは大きく政治や経済の問題に関わることになり、論点がずれていくので、また改めて書こうと思いますが、こと依存症という病気に対する認識の低さは、アメリカに比べるとあまりにも遅れていて、むしろそのことに日常的に大きな危惧を覚えずにはいられません。

「薬物」「アルコール」「ギャンブル」に代表される依存症には、多くの共通する性質があります。それは、脳が一度失ったコントロールを取り戻すことはできないから、完全に治癒することはない病気であること、何もせずに放置しておけば病状は進行して、本人や家族の生活を崩壊させ、さらには大きな社会的な問題をも引き起こす病気であること、本人や周囲の人間が、この病気についての正確な知識を理解し、治癒することはないが、依存対象と完全に縁を切るという形で、平穏な普通の生活を取り戻す回復の可能性はあること、ただし真の意味で回復をめざすことができるのは、当事者である依存症の人、つまり本人だけであることなどです。

年頭なので、これまでにも何度も繰り返してきたことをまた書きました。言葉にするととてもシンプルですが、依存者が依存対象と絶縁することは、想像を絶するほど大変なことです。ただそれでも本人が、何とかして人間らしい、少しでも生きる価値のある人生を取り戻したいと心から願うならば、道はあります。回復に至る過程も、薬物もアルコールもギャンブルも、本質のところでは同じだと私は思います。だからこれらの依存について、治療に取り組まれているサイトの解説は、どれも参考になると思います。

そして先日から言及している「ネット依存症」ですが、こちらは上に書いてきた依存症とは若干異なる部分があります。私自身も、現在ネット依存については勉強をしている段階なので、この問題についてはいずれまた改めて書きたいと考えています。
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