このところ立て続けにネット依存の問題について書いていますが、これは今の時期が中高生にとって受験や進学といった人生の一つの節目にあたることから、親御さんたちの心配や不安も大きいのではないかと考えてのことです。そのために、本当なら私自身ももう少し論点を整理して、より的確な言葉で書かなければいけないというところが不十分で、話が飛躍したり明確ではなかったりといった点も多いと思いますが、お許しください。
前のブログで親が子供のネット依存に巻き込まれないことが大切だと書きました。依存の問題は、当人もですが家族の病気をも引き起こします。家族が様々な心配から心の病気になることも多いです。子供のネット依存を心配するあまり「こんなことで、もし受験に失敗したらどうしよう」「このまま学校にいけず、不登校や引きこもりになったら」と家族(特に母親ですが)が悪い結果ばかりにとらわれて悲観的な考えばかりが浮かぶようになっていくと、段々家族のほうが欝病のような状態に陥ります。子供自身も内心は不安や混乱を抱えているところに、しょっちゅう親から小言や愚痴や叱責を受けると、本人の不安をいたずらに増幅させて、ついには親に対して完全に心を閉ざしてしまうということにもなりかねません。悪い方向にばかり話を突き詰めていっても、良い結果がでるとは思えません。これは子供自身が納得も理解もしていないのに「あなたは依存症かもしれないから、カウンセリングを受けましょう」といった治療を強要する場合についても同じです。
依存症の治療は、本人が自覚や病気に対する危機感がある場合には、一定の効果がありますが、そうでない場合はあまり成果が出ないことのほうが多いのです。
そうならないためには、親自身が自分がとらわれている子供の問題から自由になる必要があります。そのためには、悪い結果を考えない、口に出さない努力をして、子供に対して笑顔を向けることです。だからといって、問題を放棄する、子供を放置するということではありません。子供の食欲や睡眠時間などには気配りをして、大事な時期に風邪などを引かないようにといった言葉かけは大切です。そして進路などについては、子供自身がどんな風に考えているのか、子供の本当の気持ちや希望をできるかぎり丁寧に聞いてあげることが大事だと思います。「話す」というのは、依存症に限らず、全ての心の病からの回復を目指す場合には、一番基本的なことです。依存症から回復するための依存者の自助グループというのは、自分の思いを正直に言葉にして話す、あるいは同じ病に苦しむ人の話を聞いて共感することを繰り返すことで、とらわれていた依存対象から心を解放するという作用があるのだと理解しています。
自助グループでは、他人の発言を批判したり、自分の意見を人に押し付けたりしない、言いっぱなしの聞きっぱなしという約束があります。依存症というところまで行っていないにしても、ネットに没頭して親の話を聞こうとしないというような状況になっている場合はそこを深追いしてドツボになるよりも、子供が自分から何かを働きかけてくるまで、待ちの姿勢を続けること、そして子供が自分から何か話してきたらひたすら聞く側に回ることだと思います。こうした努力は親にとっては大変なことですが、子供に努力を求め続けるのではなく、親のほうが努力することで状況を変えていけることもあるのではないかと思います。
そして最後に、無責任とお叱りを受けるかもしれませんが、子供の問題から自由になる、子供に自分の価値観を押し付けずに聞き役に徹するためには、何よりも親が「腹をくくる」必要があります。たとえば受験に失敗したら、不登校や引きこもりになったら、その時はその時で、先を少しでもよい方向に動かしていけるようにまた考えるということです。これもまた「あなたがネットばっかりするから」というように子供を責めるのではなく、子供がもしも失敗し挫折した場合でも、少しでも前向きな考え方、生き方ができるように、有形無形の形で子供の人生を見守り支えていく覚悟ができれば、子ども自身もまた変わることができるのではないかと思います。
私はこれを自分の体験も踏まえた上で書いています。ギャンブル依存症のダンナの場合は大人ですから、子供に対するのとは違う種類の大変さがあります。ですから前のブログに書いた「まるで禅家の修業のようなもの」というのは、私の本音でもあります。ダンナの依存の問題から手を離す、自分の心を自由にする、そして何かあったらまたその時に先を考える、これは私自身が、自分の心を平穏に保つために日々反復していることでもあるわけです。
前のブログで親が子供のネット依存に巻き込まれないことが大切だと書きました。依存の問題は、当人もですが家族の病気をも引き起こします。家族が様々な心配から心の病気になることも多いです。子供のネット依存を心配するあまり「こんなことで、もし受験に失敗したらどうしよう」「このまま学校にいけず、不登校や引きこもりになったら」と家族(特に母親ですが)が悪い結果ばかりにとらわれて悲観的な考えばかりが浮かぶようになっていくと、段々家族のほうが欝病のような状態に陥ります。子供自身も内心は不安や混乱を抱えているところに、しょっちゅう親から小言や愚痴や叱責を受けると、本人の不安をいたずらに増幅させて、ついには親に対して完全に心を閉ざしてしまうということにもなりかねません。悪い方向にばかり話を突き詰めていっても、良い結果がでるとは思えません。これは子供自身が納得も理解もしていないのに「あなたは依存症かもしれないから、カウンセリングを受けましょう」といった治療を強要する場合についても同じです。
依存症の治療は、本人が自覚や病気に対する危機感がある場合には、一定の効果がありますが、そうでない場合はあまり成果が出ないことのほうが多いのです。
そうならないためには、親自身が自分がとらわれている子供の問題から自由になる必要があります。そのためには、悪い結果を考えない、口に出さない努力をして、子供に対して笑顔を向けることです。だからといって、問題を放棄する、子供を放置するということではありません。子供の食欲や睡眠時間などには気配りをして、大事な時期に風邪などを引かないようにといった言葉かけは大切です。そして進路などについては、子供自身がどんな風に考えているのか、子供の本当の気持ちや希望をできるかぎり丁寧に聞いてあげることが大事だと思います。「話す」というのは、依存症に限らず、全ての心の病からの回復を目指す場合には、一番基本的なことです。依存症から回復するための依存者の自助グループというのは、自分の思いを正直に言葉にして話す、あるいは同じ病に苦しむ人の話を聞いて共感することを繰り返すことで、とらわれていた依存対象から心を解放するという作用があるのだと理解しています。
自助グループでは、他人の発言を批判したり、自分の意見を人に押し付けたりしない、言いっぱなしの聞きっぱなしという約束があります。依存症というところまで行っていないにしても、ネットに没頭して親の話を聞こうとしないというような状況になっている場合はそこを深追いしてドツボになるよりも、子供が自分から何かを働きかけてくるまで、待ちの姿勢を続けること、そして子供が自分から何か話してきたらひたすら聞く側に回ることだと思います。こうした努力は親にとっては大変なことですが、子供に努力を求め続けるのではなく、親のほうが努力することで状況を変えていけることもあるのではないかと思います。
そして最後に、無責任とお叱りを受けるかもしれませんが、子供の問題から自由になる、子供に自分の価値観を押し付けずに聞き役に徹するためには、何よりも親が「腹をくくる」必要があります。たとえば受験に失敗したら、不登校や引きこもりになったら、その時はその時で、先を少しでもよい方向に動かしていけるようにまた考えるということです。これもまた「あなたがネットばっかりするから」というように子供を責めるのではなく、子供がもしも失敗し挫折した場合でも、少しでも前向きな考え方、生き方ができるように、有形無形の形で子供の人生を見守り支えていく覚悟ができれば、子ども自身もまた変わることができるのではないかと思います。
私はこれを自分の体験も踏まえた上で書いています。ギャンブル依存症のダンナの場合は大人ですから、子供に対するのとは違う種類の大変さがあります。ですから前のブログに書いた「まるで禅家の修業のようなもの」というのは、私の本音でもあります。ダンナの依存の問題から手を離す、自分の心を自由にする、そして何かあったらまたその時に先を考える、これは私自身が、自分の心を平穏に保つために日々反復していることでもあるわけです。