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癌と生きる 依存症と生きる

命がある限り希望を持つということ

ギャンブル依存症とは何か

2013-01-23 13:10:46 | ギャンブル依存症
前のブログで書いたようにブログを
リニューアルしました。これまでは折々に思った
ことを、何の脈絡もなく書き綴っていましたが、これからはギャ
ンブル依存症に悩むたくさんの家族の方たちのために少しでも役
にたつようにより現実的な情報を提供できるようにしていきたいと
思っています。

但し私がこのブログに書いていることは、あくまでも本やネットで
得た情報が中心になっているので、100%正しいということでは
ありません。もしも誤りがあればご指摘いただければありがたいですし
疑問に感じられることがあれば、ご自分で調べていただいて、納得
のできる答を探していただければと思います。

<ギャンブル依存症とは何か>
今まで書いたことと重複する部分もありますが、まず医学的に
ギャンブル依存症という病気は何かというと、現在のところは
ギャンブルが原因で、脳内の神経伝達物質(例:ドーパミンなど)
の分泌に異常をきたす病気だと考えられていますが、そのメカ
ニズムはまだ完全に解明されてはいません。

また、例えば高血圧のように血圧がいくつ以上であれば病気だ
というような、何かで数値化できる目安も分かっていません。
また一度脳の中にそうした変化が起こると、もとに戻ることは
ないので完治(完全に治癒する)こともありません。

さらにギャンブル依存症の人を何もせずに放置しておくと、
病態は進行してやがて社会生活上の様々な深刻な問題
(借金、生活苦、犯罪など)を引き起こすようになって
いきます。更にギャンブル依存症は、継続的にギャンブ
ルをやったから病気になるというものではなく、たった
一回の大勝ちした経験が糸口になって発病することもあります。

ここで要約したことは主に帚木蓬生先生の著書「ギャンブル依存
とたたかう」を参考にしています。ギャンブル依存症という病気を
理解する上で大切なことがいくつかあります。

まず第一にそれが病気であるという客観的な目安
になるものがほとんどないということです。だから本人も家族も
病気なのかどうなのかがよく分かりません。それを判断するために
医療機関やGAに幾つかの質問事項があります。家族の人は
それを基準にして、病気かどうかを判断することができますが
本人が自分をギャンブル依存症だと認めるのは、とても大変です。

なぜなら依存症は「否認」をする病気であるという特徴があります。
否認というのは多くの場合「嘘」です。ですから例えば診断の基準
になる質問に対してもなかなか本当のことを言いません。病気だと
診断されて、ギャンブルができなくなったら大変だという思いも
あるでしょうし、自分は普通に仕事もして、人間関係も普通にやれて
いるのだから、病気なんかであるわけがないと思う人もいるでしょう。

けれどギャンブル依存症かもしれないという話になったのには、例えば
仕事と言っていたのに、パチンコに行っていたという初歩的なものから
始まって、ひと月の小遣いを数日で使い果たして度々前借りをする
内緒でカードでお金を借りていた、親や同僚、友人などからお金を借りた。
税金や光熱費など払わなければいけないお金をパチンコで使ってしまった
などという、身近な人間を心配させたり、悲しませたり、怒らせたりする
行為がいろいろあったからだと思います。ひと月の小遣いが3万円で
毎月ちゃんとその範囲でパチンコをやっている。こういう人は、その
時点では依存症ではないと思います。言い換えれば決められた範囲で
自分の行動をコントロールできる人だけが、依存症ではないのです。

次に大切なことはギャンブル依存症は治らないということを納得し
受け入れるということです。ギャンブル依存者にしろ家族にしろ
病気であるからにはいずれは治るはずだという期待、希望を持ちます。

ギャンブル依存症は、上に書いたように脳の中の伝達物質に変化が
起こって、ギャンブルがやりたいという衝動を、コントロールする
ことができなくなったという、コントロール障害です。脳の変化は
元には戻らないので、コントロールがきかなくなったものを、コント
ロールできる状態にもどすことはできないということです。
例えて言えば、ブレーキがなくなって、しかも二度とブレーキを
取り付けることができない車のようなものだと思います。
そして、この治らないという現実を認めることは、病気を認めるよりも
もっと難しいことです。現在数は少ないですが、ギャンブル依存症の
治療ができて、回復をめざすことのできる機関がいくつかあります。

専門の治療を受けることができるのは、その地域でギャンブル依存症に
取り組んでいる医療機関や、全国で開催されているGA(ギャンブラ
ーズアノニマス)、依存症の回復機関ジャパンマックや全国の
マック、ギャンブル依存症治療のNPO法人横浜のワンデーポートなどです。

けれど治療に取り組む、回復をめざすためには、まず本人が自分がギャンブル
依存症であることを認めること、そしてギャンブル依存症が完治することは
ないということを受け入れること、その上で病気の進行を止め、回復に向か
うことができるのは本人だけであること、この三つのことを正しく理解する
ことが大前提になるように思います。


新しい年を迎えて

2013-01-08 11:21:48 | 依存症
新年明けましておめでとうございます。
ずっと更新しないままだったにも関わらず
今でも週に100人程度訪問してくださる方がおられて
大変ありがたく感じると同時に、そのことが
ギャンブル依存症の問題がどれほど多くの人たちを苦しめているかの
証でもあると身を持って感じています。

昨年の2月に任意整理が終わり、4月には長い年月
私の心の支えになってくれた愛猫との別れがあって
去年は自分自身にとって色々な意味で一つの区切りになった
そんな一年でもあったと思えました。

ダンナの依存症がどの程度回復しているのかいないのか
本当のところは、本人が自分の口から自分の思いを
正直に話さない限りはおそらく永久に分かりません。
ただダンナが何か変わったとすれば
それは多分私がもう何が起きても本当に何もできないのだということを
何となくにしても理解したということなのではないかと思います。

そこまでの二十年ほどはとにかく子どもたちを守るために
自分はどんなことでもできるという強い思いがありました。
「ギャンブルで借金まみれの馬鹿な親のために
子どもの夢や将来を奪うようなことはさせない」
「家に借金取りが押しかけるようなことにならない」
「子どもの笑顔をなくすような生活をさせない」
それは一つには自分自身が決して安定した家庭環境で育たなかったことへの
強烈な反動でもあったと思います。
思春期に親に対して「別にあなたの子どもに生んでくれと頼んだわけではない」
とストレートにぶつけた思い、子どもは生まれてくる環境を自ら選べない
理不尽さへの言いようのない憤りは
社会や人間に対する変えようのないネガティブな価値観を形成して
それは自分の子どもを自分のような人間にしたくないという
裏返しのシャカリキなエネルギーになって私を動かし続けてきました。

それでも迷惑をかけなかったわけではないけれど
長年苦しみ続けた借金の問題にメドがつき
子どもたちが何とか真っ当に社会でやっていけるようになった時に
私は私を動かし続けたそのパワーがすべてついえたように感じました。
ここから先はたとえダンナがスリップして
ヤミ金のようなところから借金をしてこようが
さらには返済に困って最悪の場合犯罪を犯したとしても
もう私にできることは何もない。
署名をしてある離婚届けにダンナの名前を書いてもらって離婚をし
本当にダンナとの縁を切って生活保護を受けて残りの人生を生きていく。

ダンナがその後ホームレスになって行き倒れて死のうが
刑務所で余生を終わろうが、たとえ死んだあとで無縁仏になろうが
それはまさにダンナが自分自身で選択した未来なのだから
誰を恨むこともなく自分自身で自分の人生の責任を取ってほしい。
今はもう憎しみでも恨みでもなくただそう思っています。
ギャンブル依存症とはそういう「回復に向かえるのは本人だけ」という
まさにそういう病気であるということなのです。

任意整理を始めた頃に何度か言った
「もう私はこれ以上何もできるような気がしない」という言葉の本当の意味を
ダンナ自身が理解したと同時に
私自身もかれこれ30年近くに渡って苦しみ続けた
ギャンブルの絡んだ問題から自分を解放することができた時期だったと思います。

けれどこのブログで先日リンクをした「ギャンブル依存症~家族のための
情報サイト」の掲示板には、クリスマスの日も年末年始も
ご主人の、あるいは肉親の依存症に悩む人たちの書き込みが
刻々と寄せられています。

今新しい年を迎えたのを機に、私はこのブログを近々
そうしたギャンブル依存症に悩む家族の人たちのために
何とかより具体的な情報を少しづつでも提供できるサイトにしたいと考えます。
次の更新までまたしばらくお時間をいただくことになると思いますが
どうか今年もよろしくお願いいたします。