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癌と生きる 依存症と生きる

命がある限り希望を持つということ

虹の橋

2012-04-22 07:54:58 | ねこの話
「虹の橋」という言葉に出会ったのは
一昨年の夏ごろルナが夜鳴きをしたり
水をがぶがぶ飲んではオシッコをするなどの
老化によるものと思われるいろんな症状が出始めた頃でした。

うちと同じに高齢の猫を飼っている方々のブログを読んでいる時に
出てきたのが「虹の橋」の話でした。
「虹の橋」というのはもともとは作者不詳の詩です。
亡くなったペットたちが行く場所を歌ったもので
少し長いですがノラのママさんが和訳してくださったものを転記します。

「虹の橋」

天国の一歩手前に、『虹の橋』と呼ばれる場所がある。
地上にいるだれかと親しくしていた動物は、死ぬとその『虹の橋』へ行く。
そこには、草地や丘がひろがっていて、
動物たちはいっしょになって走ったり遊んだりすることができる。
たっぷりの食べ物と水、そして日の光に恵まれ、
彼らは暖かく、快適に過ごしている。
病気にかかっていたリ歳をとったりしていた動物たちは、
ここに来て健康と活力を取り戻し、
傷ついたり不具になったりした動物たちも、
もとどおりの丈夫な体を取り戻す。
過ぎ去りし日の夢の中でのように。


動物たちは幸せに暮らしているけれど、ひとつだけ不満がある。
それぞれにとって特別なだれかが、
あとに残してきただれかがいないのを
寂しく感じているのだ。


動物たちはいっしょに遊んで時を過ごしている。
しかし、ついにある日、そのうちの一匹が足を止めて遠くに目を向ける。
目はきらきらと輝き、体はたまりかねたように小刻みに震えはじめる。
突然、彼はみんなから離れて、緑の草地を跳ぶように走っていく。
あなたを見つけたのだ。
とうとう出会えたあなたたちは、抱き合って再会を喜びあう。
もはや二度と別れることはない。
喜びのキスがあなたの顔に降りそそぎ、
あなたの両手は愛する友の頭と体をふたたび愛撫する。
そして、あなたは信頼にあふれたその瞳をもう一度のぞきこむ。
あなたの人生から長いあいだ姿を消していたが、
心からは一日たりとも消えたことがないその瞳を。

それから、あなたたちはいっしょに『虹の橋』を渡るのだ。(引用ここまで)

天国という言葉が出てきますがこの詩は
キリスト教と関係があるわけではなく
アメリカの先住民族に伝わっていたものが欧米に広がったという説もあります。

そして私もこの詩がとても気に入りました。
だからルナも虹の橋へ行ったのだと思っています。
自分の年齢からしても次を飼ってまた二十数年とか生きたら
きっと私のほうが先に死んでしまいます。
だからもう何年も前からルナが
私の人生で最初で最後の伴侶だと思い定めていました。

毎朝、それこそ元日の朝でも律義に六時過ぎには
私を起こしていたルナがいなくなって
本当に何年ぶりかで目覚ましをかけました。
そんな風にまだまだ日常のあらゆるところで
「今ここにルナがいてくれたら」と感じることばかり。
前にも書きましたが自分でも明らかに「猫依存症」だと自覚しています。

でもルナが虹の橋で若くて健康な体を取り戻して
昔のように闇雲に全力疾走したり
木の上に駆け上がったりして元気に幸せに暮らしていると思うと
悲しみもずいぶん和らぎます。
そして私が死んだら虹の橋のたもとで
きっとそんなルナと再会できるでしょう。
そしてもう二度と離れることはなく
ずっと一緒に過ごしていけると今は信じています。

お葬式

2012-04-15 08:53:18 | ねこの話
ルナが亡くなった日の夜から風雨になりました。
花を散らせる雨と風。
明け方まで雨がひどかったので心配しましたが
9時過ぎには少し弱まって
10時には約束どおり業者さんが来てくれました。

火葬だけかと思ったのですが、カセットでお経を流して
お焼香をしてプチお葬式をしてくれました。
その後家から少し離れた公園の脇に車を止めてその中で火葬。
公園の満開の桜が雨に濡れていたのがルナにも見えたでしょうか。

再び家にもどってお骨上げをして
銀糸で縫い取りした袋に入った小さな可愛い姿になって
私の許に戻ってきました。
お骨を身近に置いておくのはよくないという話も言われますが
こういう選択をしたことを
自分としては納得しています。

どんな姿であれ身近にいてくれればそれだけで心が安らぎます。
イリコなんかを供えるので
家の仏壇とは別に私の部屋に小さな祭壇を作ってそこに置きました。
お花と写真と好物を供えています。

仏教ではどう、キリスト教ではといった人間界のならわしもあるのでしょうが
私自身は基本的には無宗教。
というより人も動物もすべて命のあるものは
基本的には太陽や土や雨や風といった
私たちを育んでくれる天然自然とともにあるという
いわばアニミズム的な考え方が一番自分の性には合っています。

でもそれは日本古来の神道にも通じるものですし
本質的に日本人のDNAには色濃く受け継がれているような気がします。
宗教的な色々なタブーや対立はすべて人間が後付け的に考え出したもの。
全ての命のあるものをいとおしいと思い
限りある命を大切にしようという心がみんなにあれば
もう少し世界は穏やかで生き易いものになるような気がしますが…。

ブログを読んでくれた熊本や福島の友だちからは
本当に心のこもったお悔やみの電話やメールをもらいました。
人間の家族を失ったのと全く同じに悼んでくれる人がいる。
それはルナにとっても、また私自身にとっても
本当に幸せなことだという思いを改めてしみじみとかみ締めています。



お葬式まで

2012-04-11 13:47:57 | ねこの話
独立した二人のこどもたちにも
ルナが死んだというメールを送ったので
昨日ちょうど仕事が休みだった娘は
午後からお別れをしに来てくれました。
長男からも電話がありました。

ルナを拾った時は長男は小学校の三年生、娘はまだ幼稚園でした。
3人はそれから20年以上本当の兄弟のようにして
世話をしたり、喧嘩をしたりすったもんだしながら大きくなったのです。

夜中の12時近くに玄関が開く音がして
長男が入ってきました。
「仕事中もずっと考えよって、どうしても
もう一回会いたくなった」とお別れに来てくれたのでした。

ピンクのお布団に包まれて
本当に安らかな眠っているだけのようなルナを見て
「いい顔やねぇ。よくがんばったねぇ」と
何度も頭を撫でていました。
私も長男はまず無理だろうとあきらめていたので
こうしてルナが家族みんなとお別れができて
本当にうれしかったです。

ルナが死ぬ前の日にペットの葬儀をしてくれるところを
ネットで探して電話をしていました。
ネットに載っている業者は廃業しているような可能性もあるかと
事前に確認をしておこうと思ったのです。
お金に糸目をつけないならばいつでも頼めそうな
大手の業者さんはいくつかあるのですがそういうわけにもいきません。
比較的安価で火葬をしてくれる移動火葬社の業者さんが
幸い営業をされていたので説明を聞いて
「万が一の時はまたお電話します」と頼んでいました。
そして翌日「実は」とお電話したら
業者の方も「ああ、昨日の」とちょっとびっくりされたようでした。
火葬とお骨上げでだいたい1時間ちょっとと言われたので
今日の朝10時にお願いをしました。

白布をかけた祭壇にお花やお水
好物だったイリコやカリカリ、缶詰なんかを備えて
お棺の中のルナをじっと見ていると
耳やヒゲが動き出して今にも起き上がりそうで
涙が次から次へとあふれて止まりませんでした。
「これ以上の長生きを望める年ではない」
「いつ何があってもおかしくない」と
頭では、理屈ではわかっていても
生活の一つ一つの場面でルナがいないということに
まだまだ慣れることができません。

もしも死んだらちゃんと火葬にして
可愛い小さな骨壷に入れて
そのまま私の側で供養をしてやりたいというのは
何が何だかとにかく大変だった私の人生の
たった一つのはっきりした夢であり希望でした。

ダンナの任意整理が2月に終わって
今ならやりくりすれば何とかお葬式代が捻出できるようにも
なっていました。
ちょうどそんなタイミングで猫生を終えたルナ。
そこも私と同じ思いだったのだろうかなどとふと思いました。

こんな感じでこのブログは当分猫ブログになるだろうと思います。
ごめんなさい。

別れの時

2012-04-10 09:40:35 | ねこの話
このところPCのモニターの不調で
ずっと更新をお休みしていました。

今日の早朝午前4時10分にルナ(猫)が虹の橋へ旅立ちました。
推定ですが享年23才。22年間をうちで過ごしました。
この数年はほとんどの高齢猫がかかる腎臓の病気か
歯の病気かで口の中を痛がるようになっていて
加えて一昨年の猛暑の時はごはんが食べられないので
骨と皮のようにがりがりに痩せて
もう本当にだめかと思ったのですが
それから2年近く本当によくがんばってくれました。

1週間ほど前からどんなエサをあげても
食べづらそうにするので今度は本当にだめなような予感がしていました。
それでも土曜日くらいまでは水はなんとか飲んでいたのが
昨日はもう水を飲むのも辛いようで
歩き方もよろよろして
もう一両日なんじゃないかと思いました。
泣き声も短く細く悲しげに鳴くので
聞いていて切なかったです。

昨夜11時頃いつものように私のお布団に入れたけど
もう顔をあげるのもおっくうなようで
息も細くなっているようだったので
ダンナに「明日の朝までは無理かもしれない」と声をかけて
ダンナも様子を見に来てなでてくれました。

うとうと眠って明け方ふっと目を覚ますと
隣りに姿が無く、よくみるとお布団の裾のところに横たわっていました。
抱いて隣に戻してしばらく撫でてやっていたら
しゃっくりをするように体が痙攣して
「ウー」と鳴きました。3回、4回とそれを繰り返して
5回目に痙攣してもう声は出ずふっと鼓動が止まりました。
苦しい様子も全然なくて本当に羨ましいくらいの大往生だったと思います。
今日は仕事が休みの日でした。
「もし留守の時にいってしまったらどうしよう」というのも
とても心配だったのですが
やはり最後まで私に看取ってほしかったのだと
お互いの思いが実を結んだのだと信じています。

一緒にお正月を迎えられて「次は桜が咲くまでがんばろうね」と
言っていた私との約束をちゃんと守ってくれました。
私自身は「桜の季節までは無理かもしれない」と思っていたので
最後の時に寝かせてあげるお布団を桜が一杯の和柄の布で
用意してあげていました。
今はそのお布団に安らかな顔で寝ています。

明日10時から火葬だけですが
お葬式をしてあげることにしました。
私が留守にするとあんなに寂しがっていたので
これからもずっと一緒にいてあげるつもりです。
ほんの些細なことでもルナのいない生活に慣れていくには
当分時間がかかりそうですが
もう誰に気兼ねすることもなく
寂しい時悲しい時は思い切り泣いて
少しづつ悲しみを癒していこうと思います。