「虹の橋」という言葉に出会ったのは
一昨年の夏ごろルナが夜鳴きをしたり
水をがぶがぶ飲んではオシッコをするなどの
老化によるものと思われるいろんな症状が出始めた頃でした。
うちと同じに高齢の猫を飼っている方々のブログを読んでいる時に
出てきたのが「虹の橋」の話でした。
「虹の橋」というのはもともとは作者不詳の詩です。
亡くなったペットたちが行く場所を歌ったもので
少し長いですがノラのママさんが和訳してくださったものを転記します。
「虹の橋」
天国の一歩手前に、『虹の橋』と呼ばれる場所がある。
地上にいるだれかと親しくしていた動物は、死ぬとその『虹の橋』へ行く。
そこには、草地や丘がひろがっていて、
動物たちはいっしょになって走ったり遊んだりすることができる。
たっぷりの食べ物と水、そして日の光に恵まれ、
彼らは暖かく、快適に過ごしている。
病気にかかっていたリ歳をとったりしていた動物たちは、
ここに来て健康と活力を取り戻し、
傷ついたり不具になったりした動物たちも、
もとどおりの丈夫な体を取り戻す。
過ぎ去りし日の夢の中でのように。
動物たちは幸せに暮らしているけれど、ひとつだけ不満がある。
それぞれにとって特別なだれかが、
あとに残してきただれかがいないのを
寂しく感じているのだ。
動物たちはいっしょに遊んで時を過ごしている。
しかし、ついにある日、そのうちの一匹が足を止めて遠くに目を向ける。
目はきらきらと輝き、体はたまりかねたように小刻みに震えはじめる。
突然、彼はみんなから離れて、緑の草地を跳ぶように走っていく。
あなたを見つけたのだ。
とうとう出会えたあなたたちは、抱き合って再会を喜びあう。
もはや二度と別れることはない。
喜びのキスがあなたの顔に降りそそぎ、
あなたの両手は愛する友の頭と体をふたたび愛撫する。
そして、あなたは信頼にあふれたその瞳をもう一度のぞきこむ。
あなたの人生から長いあいだ姿を消していたが、
心からは一日たりとも消えたことがないその瞳を。
それから、あなたたちはいっしょに『虹の橋』を渡るのだ。(引用ここまで)
天国という言葉が出てきますがこの詩は
キリスト教と関係があるわけではなく
アメリカの先住民族に伝わっていたものが欧米に広がったという説もあります。
そして私もこの詩がとても気に入りました。
だからルナも虹の橋へ行ったのだと思っています。
自分の年齢からしても次を飼ってまた二十数年とか生きたら
きっと私のほうが先に死んでしまいます。
だからもう何年も前からルナが
私の人生で最初で最後の伴侶だと思い定めていました。
毎朝、それこそ元日の朝でも律義に六時過ぎには
私を起こしていたルナがいなくなって
本当に何年ぶりかで目覚ましをかけました。
そんな風にまだまだ日常のあらゆるところで
「今ここにルナがいてくれたら」と感じることばかり。
前にも書きましたが自分でも明らかに「猫依存症」だと自覚しています。
でもルナが虹の橋で若くて健康な体を取り戻して
昔のように闇雲に全力疾走したり
木の上に駆け上がったりして元気に幸せに暮らしていると思うと
悲しみもずいぶん和らぎます。
そして私が死んだら虹の橋のたもとで
きっとそんなルナと再会できるでしょう。
そしてもう二度と離れることはなく
ずっと一緒に過ごしていけると今は信じています。
一昨年の夏ごろルナが夜鳴きをしたり
水をがぶがぶ飲んではオシッコをするなどの
老化によるものと思われるいろんな症状が出始めた頃でした。
うちと同じに高齢の猫を飼っている方々のブログを読んでいる時に
出てきたのが「虹の橋」の話でした。
「虹の橋」というのはもともとは作者不詳の詩です。
亡くなったペットたちが行く場所を歌ったもので
少し長いですがノラのママさんが和訳してくださったものを転記します。
「虹の橋」
天国の一歩手前に、『虹の橋』と呼ばれる場所がある。
地上にいるだれかと親しくしていた動物は、死ぬとその『虹の橋』へ行く。
そこには、草地や丘がひろがっていて、
動物たちはいっしょになって走ったり遊んだりすることができる。
たっぷりの食べ物と水、そして日の光に恵まれ、
彼らは暖かく、快適に過ごしている。
病気にかかっていたリ歳をとったりしていた動物たちは、
ここに来て健康と活力を取り戻し、
傷ついたり不具になったりした動物たちも、
もとどおりの丈夫な体を取り戻す。
過ぎ去りし日の夢の中でのように。
動物たちは幸せに暮らしているけれど、ひとつだけ不満がある。
それぞれにとって特別なだれかが、
あとに残してきただれかがいないのを
寂しく感じているのだ。
動物たちはいっしょに遊んで時を過ごしている。
しかし、ついにある日、そのうちの一匹が足を止めて遠くに目を向ける。
目はきらきらと輝き、体はたまりかねたように小刻みに震えはじめる。
突然、彼はみんなから離れて、緑の草地を跳ぶように走っていく。
あなたを見つけたのだ。
とうとう出会えたあなたたちは、抱き合って再会を喜びあう。
もはや二度と別れることはない。
喜びのキスがあなたの顔に降りそそぎ、
あなたの両手は愛する友の頭と体をふたたび愛撫する。
そして、あなたは信頼にあふれたその瞳をもう一度のぞきこむ。
あなたの人生から長いあいだ姿を消していたが、
心からは一日たりとも消えたことがないその瞳を。
それから、あなたたちはいっしょに『虹の橋』を渡るのだ。(引用ここまで)
天国という言葉が出てきますがこの詩は
キリスト教と関係があるわけではなく
アメリカの先住民族に伝わっていたものが欧米に広がったという説もあります。
そして私もこの詩がとても気に入りました。
だからルナも虹の橋へ行ったのだと思っています。
自分の年齢からしても次を飼ってまた二十数年とか生きたら
きっと私のほうが先に死んでしまいます。
だからもう何年も前からルナが
私の人生で最初で最後の伴侶だと思い定めていました。
毎朝、それこそ元日の朝でも律義に六時過ぎには
私を起こしていたルナがいなくなって
本当に何年ぶりかで目覚ましをかけました。
そんな風にまだまだ日常のあらゆるところで
「今ここにルナがいてくれたら」と感じることばかり。
前にも書きましたが自分でも明らかに「猫依存症」だと自覚しています。
でもルナが虹の橋で若くて健康な体を取り戻して
昔のように闇雲に全力疾走したり
木の上に駆け上がったりして元気に幸せに暮らしていると思うと
悲しみもずいぶん和らぎます。
そして私が死んだら虹の橋のたもとで
きっとそんなルナと再会できるでしょう。
そしてもう二度と離れることはなく
ずっと一緒に過ごしていけると今は信じています。